2012年4月9日月曜日

北島康介は、自分自身の年齢との闘いに勝った。賞賛に値する。

21歳の田口選手(webより引用)
1972年、ミュンヘン五輪の男子平泳ぎ100mで、田口信教さんが世界新で優勝した時の記録は、1分5秒1だった。北島康介がアテネ五輪で優勝した時のタイムは、1分00秒08、北京五輪での金メダルのタイムは58秒91である。そして2012日本選手権での日本新記録は58秒90だった。40年で実に6秒以上も記録が縮まっている。わずが100mにもかかわらず。

もちろん水着の進化、プールの深化(深い方が早いらしい)、身体の科学の進化など様々な要因があろうが、それにしても同じ人間がハダカで行う競技で、時速約6㎞、秒速約0.8mなので、100mで5メートル近くも早くなったということだ。今なら田口さんの記録では、日本選手権の決勝にようやく残れるくらではないか。
前置きが長くなったが、北島康介は文句なくすごいとい思う。どの新聞も賛美を惜しまなかった。実は私は北島はあまり好きではなかった。いかにも現代っ子のような「軽いノリの言葉」が好きになれなかったからだ。しかし29歳という水泳選手ではすでにピークを過ぎたと思われる年齢にもかかわらず、すごい結果を残したことは素直に賞賛したい。
◆北島康介の100m平泳ぎの記録
○2000年シドニー五輪  1分1秒34…4位
○2004年アテネ五輪   1分0秒08…金
○2008年北京五輪     58秒91……金(※speedの高速水着を着用)
○2012年日本選手権    58秒90
北京五輪でのspeed社の高速水着はその後禁止になった。実際どの程度の効果があるのか私にはわからないが、五輪ではどの国の選手もこぞって着用したのだから、やはり効果があるのだろう。その時の25歳の時の記録を上回る記録を高速水着なして29歳で出したことは驚愕に値する。
レースを終わってNHK番組の中継のインタビューに答える北島選手の体は、私の印象では、胸の筋肉が北京五輪の時より明らかに盛り上がっていたように思う。翌日の朝日新聞の記事では、「パワーが付く練習を重ねたが、腕のかきが強くなったことで呼吸の時に体が立ち気味になってブレーキになっていた。」「体はパワフルなまま、課題を克服した。」と記されていた。
日本選手権での北島(スポニチより引用)
年齢からくるスタミナの問題を筋肉を付けることでカバーし、そのデメリットは工夫で克服していった。彼はレースに勝ったのではなく、自分自身の年齢との闘いに勝ったのだと思う。それは決してたやすいことではない。だってアテネや北京の時だって十分に筋肉を付けて望んでいるのだから、それを上回るパワーを付けるのは相当な付加をかけなければ筋肉は発達しない。
(ちなみに水泳をしていると分かるが、かきで鍛えられるのは腕の筋肉ではなく、胸の筋肉だ。二の腕にはちっとも筋肉は付かない)

一昨年のNHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で、北島が手のかきをいろいろ工夫する様子が描かれていた。その時は何気なく見ていたが、今考えると繊細な工夫と進化なくして記録は伸びないということだったのだ。(2010年11月22日のbrog参照)
彼が年齢に勝った理由は何か。それは的確に他人のアドバイスを聞き入れ、それを鵜呑みにするのではなく、自分の実績に裏打ちされた経験と照らし合わせて、考えながら取り入れていったことだろう。その謙虚さが彼を成長させた。
別の項目で書いた、マラソンの市民ランナー川内が「自己流」を押し通した(と、思われる)、こととは正反対だろう。(2012年2月27日brog)
話しは飛ぶが将棋の米長邦雄(現・将棋連盟理事長)が、かつて50歳で名人位を獲得した時、台頭してくる羽生世代の将棋を徹底的に学ぶことで技量を磨いてタイトルを得たことを思い出した。
50を越した自分にとって、若手に学ぶことの謙虚さを忘れてはならないだろう。

◎余話

2010年6月の田口信教さん
(アサヒコムより引用)
冒頭で触れた、田口信教さん。googleの画像検索で「引用」する画像を探していたら、アサヒコムに
新人教師に指導する田口さんとしてこの写真が載っていた。金メダルを獲得した往年の身体からは、見る影もない中年太り。
これは、当時あなたの活躍で興奮した私たちにとって、ちょっと残念な姿ですよ。今からでも遅くはありません。60代なら60代での引き締まった身体を見せてください。田口さんお願いします。


0 件のコメント:

コメントを投稿