2012年2月17日金曜日

新聞・テレビの“否定的な物言い”がもたらしていること

あえて紋切型に言えば、マスコミの役割のひとつが「権力監視」であり、それにともなう「批判」であろう。勢い、新聞見出しやテレビニュースのコメントは「否定的な物言い」になる。もっと言えば、権力(と思われるもの)を批判してさえいれば、新聞やテレビニュースはカッコがつくものだった。長年マスコミはそうやってメシを食ってきた。
   読む側、視る側もそれはある種の「お約束」として、マスコミ報道を受け取る「暗黙の了解」があったと思う。だから「否定的に物言い」は少し割り引いて斟酌し、モノを見ていた。

しかし、この「否定的物言い」が最近は一段とエスカレートしているような気がする。特に3.11以後の報道において、そう思えて仕方ない。ポスト、現代、文春、新潮といった一般週刊誌は言うに及ばず、最近は週刊朝日がヒドイ。夕方から夜にかけて民放の「ニュースショー」をザッピングして見ていると、同様に「否定的な」紋切型の結語の仕方が目白押しだった。

“大衆”のリテラシーが低下し、物事を十分消化できない人々が増えると、このマスコミの「否定的物言い」は、どうもう真に受け取られてしまっているようだ。子どもがそうであるように。

子どもはマネをするところからいろいろ学んでいく。まだ十分なリテラシーが備わっていない子どもたちが「否定的な物言い」の新聞を読んだりテレビを見ていると、それが当たり前になってしまって、友人や家族との会話でも、否定的な言い回しが「ふつうのこと」になっていないか。

子どもとは一緒にニュースを視聴し、新聞の記事を共有し、話し合って「否定的物言い」の裏側を読み取れるように「解説」するようにしている。でないと、なんでもかんでも「世のかな悪いことばかり」と見えてきてします。

メディアに、権力におもねろとは言わない。(当たり前か)。しかし見出しの取り方や結語の言い回しひとつひとつが、ウブな子どもたちや、その親である専業主婦(という化石)たちに悪影響を与えているとことを、もう少し考えてもらいたい。

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