2011年7月21日木曜日

「駅前商店街」について考える



    原武史さんの「鉄道ひとつばなし」(講談社現代新書①~③)は、出色の随筆だ。待ちわびたその③が出版された。(2月に出たが6月まで知らなかった) 一気に読みたいところだが、楽しみがなくなってしまうので、通勤時にチビチビと読んでいる。
 
 その第3章 駅の記憶の項に「知られざる駅前商店街-羽黒下-」がある。
「鉄道というのは、集落と集落、町と町を線路でつなぐものである。本来ならば、駅には人が乗り降りし、駅前には生活の匂いが漂っていなければならない。たとえどんなに廃れていようが、そこに駅が作られたのは、かつて人々が集まり、暮らしていたからだ。」(72頁)とし、山梨県の小淵沢と長野県佐久を結ぶ小海線の、小さな駅を取り上げていた。小海線には清里やJR最高標高地点の野辺山駅があるが、観光客で賑わうそこを過ぎると、そこには“忘れられた”駅とその駅前商店街があったという話だ。(詳細は本書をお読みください。)
 


 この随筆には、また「戸越銀座や武蔵小山のように、いまなお活気にあふれた商店街も少なくない」と書かれていた。戸越銀座は、東急池上線の駅であり、武蔵小山は同じ東急目黒線の駅だ。またこの2つの駅は、中原街道をはんさんで、割と近くに存在する。私にとって地元に近い駅前商店街だ。なぜこの2つの商店街が事例として記されたのか分からないが、そういえば歴代首相の「庶民生活の視察」では武蔵小山商店街が使われたし、テレビのロケで「商店街右代表」として、よく戸越銀座が取り上げられる。

 

 余談だが、首相の視察が戸越銀座でなく武蔵小山なのは、武蔵小山商店街にはアーケードがあり天候の影響を受けにくい。並行して大通りがあり車を留められるなど警備がしやすいためと思われる。戸越銀座商店街は道が狭いし、並行する脇道も狭い。

 原さんの著書のこの項を読んで、東急電鉄の駅前商店街について、(原さんの視点とはまったく別の観点から)ちょっと考えてみた。“庶民”の戸越銀座や武蔵小山はとりあえず置いておく。


正面に昭和大学病院が見える旗の台商店街
 

 渋谷や横浜のようなターミナル駅や、JR、他線と接続している駅ではなく、東急線のみが接続している主な駅は、○三軒茶屋(田園都市線、世田谷線)、○大岡山(大井町線、目黒線)、○自由が丘(東横線、大井町線)、○二子玉川(田園都市線、大井町線)、○旗の台(池上線、大井町線)、などである。

(こどもの国線と田園都市線、また日吉~田園調布、溝の口~二子玉川のような並行している所はとりあえず除く)。
 自由が丘や二子玉川、大岡山は雑誌「花子」でも取り上げられるような、いわば「おしゃれ」な町のイメージを形成している。実際、週末の自由が丘などはガイドブックを持ちながらうろつく、家族づれや若い女性をよく見かける。
 

 しかし旗の台は明らかに少し違う。ひと言でいうと「B級」の駅だ。なんとなくダサく、垢抜けない。
旗の台のシンボルは歩いて150m程の昭和大学付属病院だろう。病院が中核ではおしゃれになりようがないのか、それとも池上線と大井町線という東急線の中ではマイナーな路線の交差駅だから
おしゃれになりようがないのか。
 

池上線 旗の台駅ホーム

 旗の台駅は数年前立体交差を新しくして乗り換えのアクセスがしやすくなった。それまで、例えば池上線の上りから大井町線の下り(自由が丘方面)に行くには、一度大井町線の上りホームに階段を使って登り、そこから階段で下って通路を通ってさらに下り線ホームに階段を登らなければならなかった。(私の記憶が正しければ)。
 

“木造”の屋根だ

 現在はどちらに乗り換えるにしても、格段にスムーズでしかもエスカレーターもある。しかし池上線のホームだけはまだ「昭和の臭い」を留めたままだ。ベンチも屋根もペンキでよく手入れはされているものの、きわめて昔のものだ。もちろんこれはこれで味があっていいし、機能的に問題がある訳ではない。ここに旗の台らしさもあるのだ。


年代を感じさせるベンチ

 同じ東急線沿線でありながら、しかも自由が丘や大岡山とさほど離れていないにもかかわらず、
“ダサい”旗の台。この商店街はB級に徹することで、オシャレな商店街と一線を画し、生き残っていこうとしているように見えてくる。
 
 そして東急電鉄もそのことを“察して”わざと池上線のホームを古いままにしているのだろか。ホームはどう見ても「昭和40年代」ですよ。
駅の造りと駅に付随する商店街。これは間違いなくシンクロしている。
おしゃれな駅舎の駅にはおしゃれは店が門前をなすが、旗の台駅は
B級商店街を頑なに守っている駅なのだ。
 


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