2016年4月4日月曜日

野口みずきが背負っているもの アスリートのこだわりとは何か

3月の名古屋ウィメンズマラソンなんて、世の中的には、もう「終わった」話だろうし、五輪の代表が決まれば、関心も持たれない話題かもしれない。しかし、この1か月余り、野口みずきのことが、頭の片隅から離れなかった。同じ、「走る者」として(もちろんレベルはまったく違うけど)少し考えてしまった。
 「五輪への最後の挑戦」として臨んだ、アテネの金メダリスト・野口みずきは、選考レースとしては完敗に終わった。が、すでに37歳の彼女を、だれも責めないし、むしろよくやったという賞賛の声の方が圧倒的だろう。彼女自身も、ラストの走りの表情を見ると、自分自身に納得しているように見えた。でも彼女は、その後の会見で引退については「考え中」という言い方で、お茶を濁した。

 金メダリストの彼女が、30代後半なってまで、トップアスリートにこだわるのはなぜかなのか。もちろん彼女自身の中で、納得がいかないということなのだろう。北京での失敗、故障との戦い、などなど、マラソン選手としてやっていて、「本当の私はこんなはずではない」という思いが断ち切れないのかもしれない。それほど五輪とは競技者を惹きつける“何か”があるのだろうか。
ピークを過ぎたどころか、もう勝ち目がないのは、ある面明らかにもかかわらず、こだわる彼女の姿は、失礼だけど「みじめ」ですらある。こうした金メダリストの姿を見るのは非常に忍びない。

「あなたは、もう十分、選手としてやってきた。これ以上トップを目指すことはない。それは誰しも納得している。これからは市民ランナーとして、私たちと走ってほしい」。そう言いたい。

2013年の「やまがたまるごとマラソン」で出会った時の野口さん
話はさかのぼる。
2013年の『やまがたまるごとマラソン』(ハーフ)の第1回のレースでゲストとして来た野口さんは、ずらっと並んだスタートの市民ランナーの集団の中で、中盤にいた。それは私のすぐ前だった。最初に2~3㎞を彼女の背中を見て走った。周囲の多くが、「おお、野口みずきだ」と思ったに違いない。なにしろ五輪の金メダリストなんだから。彼女の軽々とした走りは、多くの人があこがれる走りだ。驚いたのは、奥羽線の跨線橋の坂に差し掛かった時だ。自分も含めて多くのランナーは、当然ながらスピードが落ちる。しかし彼女はフツーに流して走っているだけなのに、あっという間に坂を進み、引き離されてしまった。これがトップアスリートの走りかと実感した。
 彼女はゴール直前で足踏みしながらわれわれ市民ランナーを待っていた。そしてハイタッチ。素直にうれしい瞬間だった。21㎞を懸命に走ったことを祝福してくれた。

彼女はこの時、すでに十二分に、市民ランナーのシンボルとして存在していた。だから各地の市民レースに参加しランナーを励ましてくれる役割として生きる道もあったと思う。
なのに彼女はトップレースに挑み続けた。なぜなのだろう。わからない。

野口さん、あなたは「君原健二」を知っていますか。
http://kimihara.aspota.jp/
君原さんのオフィシャルブログ
日経新聞の「私の履歴書」で君原さんが語っていた、「選手としてのその後」は、参考になる。簡単に言うと、君原さんは新日鉄の社員として過ごしながらマラソンは続け、東京マラソンも初回からずっと出場していた。毎年円谷選手の墓参りを欠かさず、ずっと続けるスポーツとして、マラソンを楽しんでいるような感じだった。70歳を超えてもなお一市民ランナーとして走る姿勢に非常に共感を覚えた。野口さん、あなたには君原さんを目指してほしい。


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