「五輪への最後の挑戦」として臨んだ、アテネの金メダリスト・野口みずきは、選考レースとしては完敗に終わった。が、すでに37歳の彼女を、だれも責めないし、むしろよくやったという賞賛の声の方が圧倒的だろう。彼女自身も、ラストの走りの表情を見ると、自分自身に納得しているように見えた。でも彼女は、その後の会見で引退については「考え中」という言い方で、お茶を濁した。
金メダリストの彼女が、30代後半なってまで、トップアスリートにこだわるのはなぜかなのか。もちろん彼女自身の中で、納得がいかないということなのだろう。北京での失敗、故障との戦い、などなど、マラソン選手としてやっていて、「本当の私はこんなはずではない」という思いが断ち切れないのかもしれない。それほど五輪とは競技者を惹きつける“何か”があるのだろうか。
ピークを過ぎたどころか、もう勝ち目がないのは、ある面明らかにもかかわらず、こだわる彼女の姿は、失礼だけど「みじめ」ですらある。こうした金メダリストの姿を見るのは非常に忍びない。
「あなたは、もう十分、選手としてやってきた。これ以上トップを目指すことはない。それは誰しも納得している。これからは市民ランナーとして、私たちと走ってほしい」。そう言いたい。
2013年の「やまがたまるごとマラソン」で出会った時の野口さん |
2013年の『やまがたまるごとマラソン』(ハーフ)の第1回のレースでゲストとして来た野口さんは、ずらっと並んだスタートの市民ランナーの集団の中で、中盤にいた。それは私のすぐ前だった。最初に2~3㎞を彼女の背中を見て走った。周囲の多くが、「おお、野口みずきだ」と思ったに違いない。なにしろ五輪の金メダリストなんだから。彼女の軽々とした走りは、多くの人があこがれる走りだ。驚いたのは、奥羽線の跨線橋の坂に差し掛かった時だ。自分も含めて多くのランナーは、当然ながらスピードが落ちる。しかし彼女はフツーに流して走っているだけなのに、あっという間に坂を進み、引き離されてしまった。これがトップアスリートの走りかと実感した。
彼女はゴール直前で足踏みしながらわれわれ市民ランナーを待っていた。そしてハイタッチ。素直にうれしい瞬間だった。21㎞を懸命に走ったことを祝福してくれた。
彼女はこの時、すでに十二分に、市民ランナーのシンボルとして存在していた。だから各地の市民レースに参加しランナーを励ましてくれる役割として生きる道もあったと思う。
なのに彼女はトップレースに挑み続けた。なぜなのだろう。わからない。
野口さん、あなたは「君原健二」を知っていますか。
http://kimihara.aspota.jp/
君原さんのオフィシャルブログ |
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