2015年12月5日土曜日

ラグビー日本代表「歴史的勝利」とは何か?。

 五郎丸選手は、物腰が穏やかで、紳士然としているところもあり、国民的な“人気者”になってもおかしくない。好感の持てる人物だ。その意味ではにわかラグビーファンが増えてもおかしくない。別のそのことに異議を唱えるものでもない。

 が、先のワールドカップで南アフリカに勝利したことを「歴史的勝利」と言うことには、違和感を感じる。先日の今年の流行語大賞で、再びこのフレーズを耳にして、抵抗感を覚えた。
 長くラグビーに関わってきて、諸外国の中で辛酸をなめてきた選手や関係者が、「歴史的勝利だ」というのは、理解できる。当事者にとって一大事だということが伝わる。そういうことは個人史でもあるだろう。
 しかし、テレビジョンのアナウンサーが「国民誰もが感動した・・・・」(朝のニュースで確かにこう言っていた)とか、「歴史的勝利」などと言うことに、どれほど裏付けがあるのだろうか。こういうのを言葉が滑っていると言うのではないかね。
そもそも「歴史的」とはどういうことを指すのか。歴史上の意外性ということなのか。それは何の、どういう立場から見た「歴史」なのか、言葉の定義をはっきりさせないで言っても意味が伝わらない。

 一連の「歴史的・・・:はスポーツについてのことだからまあどうでもいいけど、メディアがこういう言葉を何の疑問も持たず使っているとしたら、それは少々問題なのではないか。

ISという集団が国の中に新たに国として「宣言」することの方が、よっぽど「歴史的」な出来事だろう。でもニュースを見ていて、新聞も含めて、ISの独立宣言を「歴史的」と言っているのを見たことがない。どうも「歴史的」とはモノゴトを肯定的にとらえる時しか使わないらしい。メディアは。

こういう些細なことが、次第にメディアへの不信感につながっていくような気がする。

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