2010年10月15日金曜日

「マディソン郡の橋」から学んだ「語る」ということについて


小説「マディソン郡の橋」を読んだのは、話題になり映画化され、日本でも公開されるとう時だったと思う。ウィキペディアで調べると、小説の発表は1992年、映画化は1995年9月となっている。最初にこの映画をいつ見たかは思い出せない。
今年の夏前、NHKの衛星放送でクリント・イーストウッド特集の中で放送していた。
「平凡な主婦とカメラマンの大人の恋」(衛星放送での辺見エミリのひと言解説)ということらしいが、そんな薄っぺらな視点で「マディソン郡の橋」を読んだり鑑賞したりした人はいないだろう 。
小説の内容はもう忘れてしまったが、映画は原作をほぼ忠実に再現していたように記憶している。

「“もうひとつ別の自分”を発見する」あるいは、「違う人生があったのではないかと思いを抱く」というのは見つけやすいテーマである。少なくとも15年前にこの小説を読んだ時に抱いた思いはそんなものだった。誰しも、自らの現在の生き方に大きな不満がある訳ではないが、何か漠然とした「違うものへの渇望」は持つのではないか。「マディソン郡の橋」はそのな人の性(さが)を、イタリアからアメリカに憧れて嫁いできたフランチェスカの心情の中に見事に具現化していた。

10数年ぶりに改めてこの映画を観て、もうひとつ違うテーマを“発見”した。それは「語る」ということである。映画で、フランチェスカはキンケイドに自分の思いを語る。夫はやさしい。なんの不満もない。2人の子どもにも恵まれ、農家としての生活にもそれなりに満足している、と。でも最後にぽつんと言う。「でも違った。憧れていた生活とは」

「でも違った」と語ることのできる相手とは誰なのだろう。当事者のパートナーやわが子に語れることではない。それは現に「違った」生活をともにしている人間に言うべきことではないし、言えることでもない。では同性の友人に語れるのか。それは人によるのだろうが、自らの「歴史」や「今の生活」を知る者にはなかなか言えない。それは愚痴にしかならないからだ。「あなたは、(又は君は)何の不満があるというの。優しい夫、健やかな子ども、順調な農場経営、少しづつだが豊かになる生活があるというのに、と。

しかしこれまでのナマの自分を知らない立場の異性には言える。少なくとも「マディソン郡の橋」でフランチェスカは、これまでおそらく一度も口にしたことがないことを、出会ったばかりのキンケイドにさらっと言った。言えた。それはきっと分かってもらえると思ったからだ。満足と不満が同居するアンビバレントな気持ちを。

「マディソン郡の橋」が伝えていたのは、「これまでの自分を知らない異性に、自分を語る」ということだったのではないか。再びこの映画を見てこのことに気付いたのは、自分も齢を重ねたからなのだろうか。映画の案内役をしていた辺見エミリ(またそのセリフを書いたであろうディレクター)には、「大人の恋」としか映らなかった映画は、まったく別のものを齢を重ねた私に提示していた。

「自分について語る」。それはある種のフィクションかもしれない。内田樹さんがどこかで書いていたが、歴史はいくつもある。人がその人生を語る時、相手によって微妙に語る事実を取捨選択するからだ。だからこそ現に自分のこれまでや今を知っている人に対しては「自分に正しく」は語れないのだ。自分の人生はこうだったと取捨選択しながら自分に納得して言える相手は、新たに出会った異性だけだ。

この映画で一番印象的だったのは、逢瀬を重ねるシーンでも別れのシーンでもない。フランチェスカの夫が死に際に、彼女に対して「ごめん。君にもいろいろやりたいことがあっただろうが、それを実現させてあげられなくて」と言い、彼女が枕元の夫を抱きしめながら涙を流すことろだった。夫はきっと分かっていたのだ。彼女の悩みを、でもどうすることもできず最期を迎えた。

自分について語るための相手は、齢を重ねれば重ねるほど必要な存在になってくる。非常に穏やかでどこか物悲しい音楽は、その思いを一層強めた。

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