2017年2月4日土曜日

『トランプ現象』は面白い。自らの邪悪さを見つめ、心の「つじつまを合わせる」

寅さん「それを言っちゃおしまいよ」。

誰かがどこかで書いていたが、トランプ現象を見ていてこのセリフを思い浮かべた人は多かろう。
それほど寅さんフリークではないけど、やはり、これを思い出していた。

「一番怖いのは、誹謗中傷や罵詈雑言ではない。『本当のこと』を言うことだ」と言った要旨の言説もどこかにあったな。

本音と建て前という、心のウラオモテとはまた違う。
皆分かっているけど、それは口に出して言うことではない。というのが大人の対応だろう。でも「口に出さない」ということが、人によっては溜まりすぎるとストレスになり、発信することで発散したくなるのもまた人間だ。

 いまさら指摘するまでもなく、不寛容な社会、ネット炎上、「ホンネトーク」など、日本でもトランプと通底する現象は、いくらでもある。

 トランプのフェイク発言にマスコミは当然反応し、トランプ批判を強める。しかしマスコミ自体を既得権者、「われわれを代表していない人たち」と見なす人にとっては、それはかえってトランプを強化する方向に動くのだろう。
行動経済学の入門的な新書「『こころ』の経済学~行動経済学から読み解く人間のふしぎ」(依田高典)を読んで学んでいると、改めてそうした人間の「性(さが)」を認識する。

トランプとマスメディアの闘いが、行動経済学の『認知的不協和』に当たるのかどうかは分からないが、少なくともマスコミとのバトルが続くたびに、トランプ側は、より極端に振れているように見える。

「大人」(自分も一応オトナと思っているけど)であれば、口に出す出さないという以前に、無意識のいちに、そういうことは考えてはいけないこと。“正しくない”こととして、自分のココロの中で処理していることがあるような気がする。それは日常のちょっとしたことから、社会の大きな現象まで様々だ。
 邪悪なことが一瞬脳裏をよぎると、もうひとつ別の「自分」が、そんなことを考えちゃいけない、とささやき、思考を止める。といった過程だろうか。思ったことをポンポン口に出す(少なくともそう見える)トランプ大統領を見ていると、そんな自分に気付かされる。

トランプ現象が面白いというのはそういう意味です。

では、どう振る舞って生きるのがよいのか。それはなかなか難しい。あまりに「正しく」していると、それはストレスになり、ココロが折れることもあるからだ。
多くの人は趣味に打ち込んだり、お酒を飲んだり、騒いだり、買い物したりして、他のことで発散してココロのつじつまを合わせるのだろう。

そう「心のつじつまを合わせる」ことを論じるのが、この拙文のテーマだということが、ここまで書いて気が付いた。(この時点でタイトルを書き替えた)。

職場で難儀する問題に当たっていて、人を説得するのに苦労している時、その人のココロのつじつまを合わせてあげられる方向に持っていくことが、近道なのだろう。しかし、それってどうなの、というのが一方で思うところだ。
 論理的、演繹的に説得しても絶対考えを曲げない人をどうすか。日々、トランプ発言を見ていて、悩みを深くしてしまった。かえって私自身の「心の辻褄」が合わせられない。トホホ。








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