2014年6月5日木曜日

「常識を疑え」ということを「あっさり死ぬ」こととともに考える

 島田氏の前の著書「葬式はいらない」も話題になったが、こっちも結構売れたようだ。

地域の図書館で3か月くらい待ってやっと借りれた。

結論的には、火葬場でそのまま骨も拾わず、「終える」のが一番という主張。
仏教がなぜ「葬式仏教」になったのか、とか、自然葬のススメなど、結構面白く読んだし、参考にもなりました。

あまり「先祖」にこだわるより、現世の自分を大事にしたほうがいいということを改めて感じさせてくれたのは確かだ。

葬式も寺や葬儀社など、ステークホルダーが多いので、島田氏のような主張は、業界の反発を招くけど、それだけ、葬儀や墓のありかたについて、「これでいいのか」と考えている人が多いということなのだろうか。

一昨年、喪主として葬儀を経験した者としては、いろいろ考えた。
なるべく節約したし、世間体など気にはしなかったが、自分の考えひとつで決められない現実もあり、理想通りとはいかなかった。

葬儀にしろ、墓の管理にしろ、「常識にとらわれるな」ということが肝心だ。


「常識を疑え」ということを考える事例が、最近いくつかあった。



●ご存じ、「獺祭(だっさい)」
山口の片田舎の旭酒造の「純米大吟醸」だ。
あまりお酒を飲めず、まして味などわからぬトウシロだけれど、一度は飲んでみたいと思った。

「獺祭」を知らない人のために、おさらいを記す。
このお酒は、日本酒造りには欠かせないとさらる「杜氏」が不在でできたもの。
お酒の仕込みは冬と相場が決まっていたが、これは1年中造られているというもの。
(報道が正しければ)
日本酒造りには必ず出てくる「杜氏」は、長年の経験で発酵を調整し、それぞれの銘柄のお酒を造りあげる「絶対的指導者」とされてきた。
しかし「獺祭」は、杜氏が去った中で、お酒で一番大切な「発酵」の過程を徹底的に数値化し、「獺祭」銘柄を科学的に造れるようにしたことだ。

「杜氏」が出て来て「厳しく」酒造りに臨む姿をテレビ等で見るたびに、酒造りなんてもうすこし科学的できないのかなと正直思っていた。でも一方で、「杜氏」次第というのも、「そんなものだろう」とも感じていた。
それが「獺祭」で、「やっぱり科学的に造れる」ことがわかった。「な~んだ」と。


●有機栽培、天然ものの鮮魚は、すべておいしいのか?
「キレいごと抜きの脳農業論」は、かねがねぎもんに思っていたことに答えてくれた。
野菜のおいしさは、鮮度と   が決めてだと。
著者は、有機野菜を「製造販売」しているが、それは「エロうまさ」を求めているからだと言う。
なかなか含蓄のある「お言葉」だった。


●以前、このブログに「手打ちそば」は本当においしいか?という論考(というほどでもないか)を書いた。

それは、いわゆる立ち食いそば屋でも結構イケてる店があり、そうした店を紹介するサイトもあることから、「手打ち」ばやりにちょっと疑問を呈したものだった。
手打ちと機械製麺で、中味の成分にどんな違いがあるのか?それともないのか?今は手元に情報はない。

いずれにしろ、「常識を疑う」ことは、結構重要な気がする。
まだ「獺祭」は手に入れてはいない。

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