2012年8月2日木曜日

北島「自分に対しての挑戦だった、この4年間は」に喝采。

時事通信より「引用」
ロンドン五輪200m平泳ぎで、立石が銅、北島は4位。レース後のぶらさがりインタビューで、北島は「3連覇というよりも自分に対しての挑戦だった この4年間は」「悔しいですけど メダルに届かなかったというのは」「でも(立石)諒がとってくれたので悔いはないです」(午前630NHKニュースより)と語った。


インタビューに答える北島の顔は、やっと“本当の自分の気持ち”を吐露できたという、穏やかで充実感すら満ちていた。周囲=熱狂する小市民・大衆とそれを煽るメディアの前で、(もちろんスポンサーへのカオもあっただろうが)3連覇を目指すという以外に、言えることはなかったのだろう。
もし北京五輪後、「これからの4年間は、金を目指すのではなく、自分自身の(精神や肉体)への挑戦です」と言ったら、スポンサーは離れるだろうし、大衆もメディアも振り向かなくなる。プロスイマーとしては、その選択肢はなかったことは容易に想像がつく。
でも彼は、自分自身と戦ってきたのだ。欧米の選手に比して劣る体格、そして年齢、練習による鍛錬とテクニックだけではとても勝ち目がないのは、冷静に考えればわかる。
しかしメディアは北島を勝手に「3連覇を目指す闘士」として勝手に祭り上げてきた。なぜか。そう言うことが新聞や雑誌の部数やテレビジョンの視聴率向上に跳ね返る(と思っている)からだ。
そして「熱狂」を求める愚かな大衆も、そのメディアといわば相思相愛だったのだろう。

「自分に対しての挑戦」、換言すれば「自分自身と戦う」ことが、いかに困難で苦悩に満ちているか、フツーの人ならだれでも経験することだろう。それは受験や試験の勉強の時、ランニングでサブ4やさぶ3を目指すとき。見渡せば「自分」の回りには常に「ラク」な誘惑があり、悪魔が囁いている。
それを、自らの意思だけで振り切ることはそう簡単ではない。だから、一人で勉強するのではなく、講習会に通ったり、仲間作りをして走る「目標」を立てたりするのだ。
反対側からみれば、「金メダル」に熱狂する大衆は、自分自身と戦ったことがない人なのかもしれない。

7月31日朝日新聞より「引用」
さて、きょうの夕刊で新聞各紙はどう書くか。どういう見出しを立てるか興味深い。

その前に朝日の記事を紹介しておこう。7月31日、西村欣也編集委員による署名記事「けっして敗れたのではない」だ。
この方はずっと北島を見てきたからこそ書ける冷静な筆致だと思う。

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