2018年2月10日土曜日

NHKの五輪報道には、辟易する。本当に。公共放送だけは品位を保ってほしいよね。

 韓国での冬季五輪が始まった。
テレビジョンも新聞も、当然のことながら五輪報道に厚みを増している。それはそれでよい。もともと五輪スポーツは“見世物”なのだから、それに乗ればいいけど。
公共報道の五輪報道を見ていてると、また始まったかと思ってしまう。

どの時間帯でもアナウンサーやキャスターと言われる人、また解説委員までもが、「メダルの期待がかかる」「活躍が期待される」という常套句のオンパレードだ。何の疑問も待たず、ノーテンキに口をつくアナウンサーを見ていると、テレビを消して、AvemaTVの将棋中継に行ってしまう。(実際我が家ではテレビとPCは反対方向にありPCを観ることはテレビに背を向けることになる)。

 これだけ国というものがボーダーレス化しているのに、いまだに国(国民)の競争ということを前提に報道するスポーツ報道は、化石に近い。

 個々人のスポーツ選手(最近はアスリートと言うらしいけど、すべてのスポーツ選手に当てはめるのは違うのでは?)が努力の結果、好成績を出す姿は美しい。それを観ることは有意義だし伝える意味あある。しかし五輪史上主義、メダル史上主義が報道にまで蔓延していることには相当な違和感を覚える。

 前にも書いたかもしれないけど、女子のソフトボールは五輪種目からはずれた途端、ほとんど報道されなくなった。まるで日本から消えたように。五輪以外でどんなにすばらいい試合をしてもそれはごく一部の人々しかしらない事実となる。(どうでもいいけど)。

 私自身はスポーツ観戦の趣味がないので、よく分からないけど、熱狂する人びはスポーツとして純粋に楽しみたいのか、それともひいきの人々のために熱狂したいのか、よくわからない。

 こんな中でスケートの小平や高木が「メダル」ということを一切口にせずにベストを尽くすことだけを言うのは非常に好感を持てた。こいう人々を応援したい。結果がなんであろうと。以上。

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