講談社文庫 |
水木しげるさんの一連の戦争体験の作品は世間一般でそれなりの評価を得ているのではないかと思う。実際、NHKスペシャル「鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~」が放送された程だ。(見てないけど)
http://www.nhk.or.jp/nagoya/kitaro/staff.html
水木さんの作品について、「アレはウソだ」と言い張る人はそう多くはないだろう。戦争で実際に片腕を失った水木さんが、現実にあったことをもとに描いていると、新聞やNHKなどのメディアも含めて多くの人が「同意」しているのではないか。
NHK DVD |
別に彼を擁護する気も、肩を持つ気もない。しかし、である。余りにもステロタイプな批判をする政治家諸氏とメディアの扱いには、うんざりしてしまうし、違和感を覚える。
批判されている橋下氏の発言要旨は、
①先の戦争(アジア太平洋戦争時)では、慰安所が必要だった
②アメリカ軍に(合法的な)風俗施設を利用することを進めた
という2点に絞られるのではないか。
①について、メディアの批判のしかたはちょっとオカシイ。彼は、必要だったからそれでよかったと言っているのではないだろう。「当時の軍や世間一般は、必要だと思っていた」という、時代認識を述べているのではないか。そこには、良いとか悪いとか「評価」は入っていないと見るのが普通だろう。
後述するが、藤原帰一さんが指摘するように、外国から奴隷制度と見られる慰安所と、いわゆる売春宿は違うということもある。「慰安所」がどういうものだったか、私にはどの言説を信じていいか、正直わからない。
そのことはいったん置くとして、水木さんの漫画を見ても、当時の時代認識として橋下氏の言うような「必要だった」という認識があったことは疑いないことだろう。
彼は触れてはいけない、日本の恥部に触れた。パンドラの箱を開けたのだ。
左側からは、人権感覚のなさが批判され、右側からは「日本人の恥部に触れた」ことを批判されているように思われる。
②について。
厳然として、今もそうしう場所が存在するのは確かだろう。「沖縄ダークサイド」にはそうした厳然たる事実がルポされている。それで良いと言っているのではない。もちろん沖縄だけの“特殊事情”ではない。
橋下氏が言うように、世界各国にあることは、だれも否定できない事実であろう。彼の「アメリカはずるい」という発言は、ある意味で当たっている。
橋下氏の発言に抗議の声をあげた女性議員たちが「ズルイ」のは、こうした今でも存続する女性の場所について、普段は見えない、知らないフリをしておきながら、男性側から何かしらアクションがあると、“抗議”する姿勢だ。
湯浅誠さんの名言を思い出した。「見たくないもの、見ようとしないものは見えない」という。
まさにフェミニストの方々は、普段はコレだったんではないでしょうかネ。
さて、各誌は社説で橋下をどう伝えたのか。以下に「引用」する。(順不同)
どの新聞も、橋下氏の発言を「支持」するものはない。(当然だけど)
しかし、読み比べてみると、微妙に批判の仕方、矛先が違うのがわかる。
5月16日 朝日 |
5月15日 毎日 |
○朝日は(珍しく)一番正直だし、一番公平な主張をしている。「戦場での『性』には、きれいごとで割り切れない部分があることは確かだ」と指摘した上で、橋下の発言を批判している。
○毎日は書き方がズルイ。まず「必要だった」発言を都合よく取り上げ、稲田氏の言葉を引用して批判し、さらに橋下の今回の発言より過去の発言を「問題視」している。最期は「国益を損なう」と、紋切型の言い回しで終わっている。
5月16日 東京(中日) |
○東京もある意味で朝日に似ている。「太平洋戦争末期、沖縄には日本兵のための慰安所が置かれ、日本人や朝鮮人女性が集められた・・・」と事実関係として述べた上で、橋下発言を「過去の戦争を反省して平和を構築する、被害者の苦しみを受け止め語り継ぐという普遍的な価値観に完全に逆行するものだ。沖縄の置かれた現実に無神経・・・」と言う。センシティブな問題は触れないでおいた方がいいと暗に言っているようだ。
5月16日 読売 |
○日経は、1981年の女性差別撤廃条約の「女性の人身売買と売春の防止」を持ち出した上で、国際関係の悪化を懸念した。いつものように「経済への影響」が何よりも心配な主張である。
5月15 |
5月16日 日経 |
橋下発言は確かに立場といい、タイミングといい、誤解を招く言い方といい褒められたことではないし、「国益」を損ね(と書いて、そもそも「国益」って何と突っ込むたくなるけど)、国際関係を悪化させ、女性の神経を逆なでしたことは確かだ。
しかし良識も教養もある新聞は、もうすこし冷静で落ち着いた言説があってもいいのではないか。非常にうがって見ると、新聞は橋下騒動を利用して、朝・毎・東は、怒る女性の代弁者となって、より読者を獲得しようという魂胆にも見えるし、読・サは、同様に女性の見方を標榜しながら、「河野談話の見直し」という日ごろの主張を繰り返したようにも思える。
ここ1週間ばかり新聞を見ていて、一番冷静で的確な指摘をしていたのは、先に書いた藤原帰一さんの一文だろう。(5月20日 時事小言「慰安婦問題 戦争の何を記憶するのか」朝日)
ちょっと長いが引用したい。
「長期にわたって広い地域で展開しただけに慰安婦制度について判断を下すのは難しい。だが、数多くの証言を虚偽だとしない限り、慰安婦を集める過程に全く強制がなかったという議論には無理があおるだろう。いわゆる河野談話が、根拠なしに韓国の主張を受け入れたものだという指摘にも賛成できない。さらに、慰安婦の経験は戦争にはつきものの性暴力の一つに過ぎないと考えるならば、慰安婦の人々が経験した暴力の実情に目をつぶることになってしまうと私は考える。
無謀な戦争が海外で多くの人命を奪い、兵士を含む日本国民に甚大な犠牲を強いたことは事実である。それを語ることは自虐ではない。既に日本国民は戦争とそれに走る政治体制を過去のものとしたはずだ。過去の正当化によって現在の信用を失ってはならない。」
こうした冷静で正しい議論がなされない日本の「メディアって何?」
橋下もオカシイが、私には河野談話を見直しを目論む安倍晋三や、アジア太平洋戦争そのものを正当化しようとする石原慎太郎の方が罪深いし、危険だと思う。
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