2016年12月30日金曜日

電通「過労自殺」に違和感。過労、即・自殺なのだろうか。

2016年の仕事納めの12月28日に、厚労省は法人としての電通と幹部社員を書類送検した。
若い女性社員の「過労自殺」などを違法な残業が問題とされた。
マスメディと言われる組織に籍を置いていた身として、一連の報道に多少の違和感を感じている。
断わっておくが、私は長時間労働を是認するものでもないし、電通の肩を持つものでもない。むしろ現在進められている政府の働き方改革は概ね支持している。
「日本的」というのだろうか。付き合い残業や、だらだら職場にいることこそ忠誠だという風潮は容易にはなくならない。このオカシサを多くの人が感じているにも関わらず、職場の雰囲気を変えられない状況は、まだいたるところで見受けられる。

  「日本人の働き方」ということとは別問題として、今回の「電通問題」の報道になぜ違和感を覚えるのか。書くことによって、少しアタマの中を整理したい。
まず「過労自殺」という言い回しが少し短絡すぎると感じる。「過労で、自殺しました」というのはそこに因果関係があるような印象だが、よく考えると直接的ではない。報道からの要素しか分からないけど、自殺した若い女性社員は、
▷長時間労働⇒▷過労による体調不良⇒▷休む(業務の停止)⇒▷医師の受診⇒▷うつ病の診断・治療⇒▷自殺に至る
という経過をたどったのではないか。
 過労と自殺の間にはいくつかの出来事がある。うつ病患者が自殺を考えるのは普通のことであり、医師はそうした行動に出ないよう予防措置をとるはずだ。かつて職場で新人の女性職員が「うつ病」になり、主治医のところに毎週話を聞きに行ったことがあった。その時、精神課の医師には、自殺予防についてこう教えられた。
「あなたは今、病気です。病気の時は正常は判断はできないものです。(退職や自殺といった)人生の重要な判断は、今はしてはいけない。そうした決断は体調が戻ってからすれば良い」
しごくまっとうな言い回しだ。
  私が経験した若い女性職員は、その後回復し、15年近くたった現在も元気に働いている。もちろん病気の症状や回復力など、それは千差万別で一概にひとつの型にはめることはできない。電通の若い女性社員がどうな症状であり、どんなことがあったのか詳しいことは分からない。しかし少なくとも言えるのは、「過労が即自殺」ということではないということだ。
 繰り返し言うが、過労になるようは長時間労働が免罪されていると言っている訳ではない。もう少し丁寧に物事を見ていかないと、歪んだ事実認識になり、それがヘンな施策となって表れかねないことを心配している。最適の判断は、正確な現状分析からしか導くことはできない。
 電通という超一流企業。東大卒の美人の若い女性社員。こうしたことがメディアもお役所もバイアスをかけてモノゴトを見てしまうことになってはいまいか。
 
   政府の働き方改革が進められる中で象徴的出来事として、電通がスケープゴートにされてはいまいか。冷静に見る必要もあろう。


 (この項は続きますが、とりあえずアップします)




2016年12月28日水曜日

マクドナルド化、アマゾン化する公共図書館。で、再度訴える「年末年始は開放せよ!」

いま、公共図書館(都内の区立のいくつかのことだけど)の窓口対応はマクドナルド化し、予約・配送・受け取りはアマゾン化している。

  大田区や目黒区の図書館で言うと、とにかく窓口が混雑しないよう、要員を配置している。バカ丁寧なトーク。きびきびした行動は、マニュアル化されているように思える。
 他の図書館にある蔵書を予約すると、貸し出しがなければ、早い時にはその日のうちに利用図書館まで届いている。ネットで検索して予約して借り出す一連の動きはほとんどアマゾンで欲しい物を買う行為に近い。

 マクドナルド並みの窓口対応とアマゾン並みのクイック配送。私の利用する図書館はすべて指定管理者による業務委託で、民間企業が運営している。だからなのだろうが、あまりに窓口対応と配送業務に経営資源を注ぎすぎていないだろうか。またそうすることが「行政サービス」の充実と考えているのだろうか。
 もしそうなら、少しお門違いだ。

 多少窓口で待ち時間が長くなっても、また、予約から本が届くまで2,3日かかったとしても、その原資をもっと広範囲に利用できる手立てとしてシフトすべきだと思うけど。

 かつて書いたことだけど、港区の図書館で、窓口の人が利用者を「お客様」と呼びとめていた。これも、どう考えてもオカシイ。「お客様」などと言うから利用者は消費者として振る舞い、借りた本を粗雑に扱っても何とも思わなくなるのだ。公共サービスを受けるのは「お客様」とは違う。税金を使った公共サービスに対して「お客様」と言うことに、管理者側も違和感がないとしたら、感覚がマヒしている。

 内田樹さんが何度も書いているけど、教育や医療に対して、利用者が消費者的振る舞いをすることのおかしさ、害悪。同じことが公共図書館でも起きていると言えるだろう。

 本を汚して返しても弁償させない。書き込みがある本など、消費者的振る舞いで公共の財産である書籍や音源がどんどんすり減っている。紛失による損失も相当だ。(かつて大田区の情報後悔で調べたけど、資料が手元にないので割愛)

で、再び訴える。年末年始こそ図書館を開放すべきだと。

私の行動半径にある身近な図書館、大田区立、目黒区立、渋谷区立、港区立の図書館を見ると、おしなべて年末年始29日から1月3日まで(目黒区は4日まで)、「全館閉館」だ。

この時期こそ図書館をオープンすべきたと主張するには2つの意味がある。

①日本の学制では1月から入試が始まる。様々なレベルの受験生にとって、年末年始は最後の追い込みだし、ここでしっかり勉強したい。普段図書館で勉強する人は、いったいどこに行ったらいいのか。自宅に勉強部屋があって、静かな環境でじっくり取り組める人ならいい。そういう環境下にないから図書館で勉強するのではないか。(もちろん自宅に勉強できる環境があっても、気分転換で図書館に行く人はいるだろうけど)。
世間が騒がしい時、また家庭でも何かと慌ただしかったりする時期にこそ、学習する場を確保するのが、「正しい」行政の施策だ。何も貸し出しなどの業務をフルで行えと言っているのではない。せめて学習室くらい開けてあげてくれ。
 湯浅誠さんが講演で言っていた。自分が東大法学部に入った時、その時は「自分は頑張った」と思った。しかし「今にして思えば、自分には静かな勉強部屋というy恵まれた環境があった」そのことに当時は思いが至らなかった、と。貧困世帯にある子どもたちは勉強する環境というスタートからアドバンテージを負っている。せめて、せめてそれを少しでも解消していくのが行政の役目だろうに。
 調べた限りでは、都内のどこの区も「年末年始はお休み」とハナから決めてかかっているとしか思えない。教育委員会(図書館の所管)はやはり紋切型の行政機関なんだろう。

②年末年始こそ、ふだん図書館に行けない人々のために。
杓子定規に言うと、行政サービスは市民(住民)に等しく提供されるものでなくてはならないだろう。一部の人にしか利用できないサービスは基本的にオカシイ。図書館のオープン時間は通常9時~19時くらいだ。(目黒区では一部21時まで週日はやっている。)
 仕事が多様化する中、また東京のように通勤時間の長い地域で、9時ー19時のオープンでは、平日は図書館を利用することはまず不可能だ。せめて21時まで開けてほしい。
 平日に行けない人は土日に行けというだろう。確かに土日は行けるけど、週末は週末でさまざまな用事がある人も多いだろう。結局、いわゆる通勤サラリーマン(ウーマン)は図書館から足が遠のく。普段から行く機会が増えればもっと図書館の蔵書が有効利用されると思うけど。

 武雄市のTSUTAYA運営が良いとは言えない。(正確に言うと行ったことないから分からない)。でも年中無休でオープンする姿勢は評価できる。

 年末年始のオープンや時間延長は、コストがかかると行政は考えるだろう。しかしやり方次第だし考え方次第だ。
 マクドナルド並みの窓口対応をやめ、予約・配送の要員を1人減らして、その分を時間延長の要員に回すという工夫もできるのではないか。そうしたことを十分に利用者に説明して実施すべきだ。
 そうしないのは内田樹さんの言葉を借りれば、図書館を運営する側も利用者を消費者とみなしている証左なのだろう。

 何度でも言う、図書館利用者は消費者ではない。税金を使った行政サービスを受ける住人でしかない。そのことを図書館の入り口に大書しておいてほしい。

2016年12月24日土曜日

原発避難者が各地で「いじめ」に遭う理由。メディアの劣化とも強い関係がある。

 東電福島第二原発の事故で避難している家族の子どもが、学校でいじめに遭っていたことが、あいついで各地で明らかになった。なぜ彼らはいじめに遭ったのか。「いじめ」が彼らになぜ向かったのか。まったくの推論でしかないけど、ちょっと考えてみたい。
  放射能を巡っては、大手メディアを含めて事故発生からかなりの期間、玉石混合の報道があいついだ。週刊誌だけでなく新聞も「正義漢」から大袈裟な報道がなされた。また、そうした報道から派生してネット上にはトンデモ情報があふれた。(らしい、あまりそういうのは見ないけど)
 『フクシマ論』の開沼博さんも、そうした状況を書いていた。
「大衆」的な人々にこうしたトンデモ情報がもたらす影響は大きい。申し訳ないけどメディアリテラシーのない人々だ。
 一連の原発報道では、いわゆるマスメディアと言われる媒体=テレビや大手新聞も、結構あやしい情報を流していたし、被害の状況や避難者の苦悩を誇大に伝えていた。それがマスコミ界の上常識だった。
 この文を書いている間に、内田樹さんの『街場のメディア論』を読んでいて、以下のような論考があった。――メディアがとりあえす立場の弱い側にたって「推定正義」として伝えるのはいいことだ。けれどもそそれが推定正義であることを忘れて、あとから検証しないことがメディアの劣化そのものだ――という趣旨だった。  
 不正確で不確かな情報がメディアによって流布され、それを前提とした会話が家庭内で交わされる。それを鵜呑みにした子どもが学校で、ばらまく。そして弱い者に向かい、中にはいじめのスケープゴードになっていく。けっこう容易に想像がつく構図だ。

 曰く、原発避難者は放射能に“汚染”されたキタナイ存在。放射能というバイキンが感染する。と子どもの中では単純化されて増幅される。しかも避難者という言葉の中にある“逃げてきた弱い人”というイメージが、子どもがスケープゴードにしやすい要素もある。加えて原発避難者の場合は、「賠償金」などのこともあり、カネがあるひとたちと誤解されていく。

 原発事故から1年後の5月、死んだ父親がかつて世話になった、富岡町に住んでいて郡山市で避難生活をしていた一家を、父親の死亡を伝えることも兼ねて訪ねた。この一家は、確か富岡町で電気工事などを請負う仕事をしていたと思う。主が死に、70代の婦人と40代の独身の息子、そして祖母の3人暮らしだった。郡山市の住宅は、認定避難所で、自ら見つけて借り上げて避難所としていた家だった。きれいな一軒家で駐車場にはベンツが置いてあった。だから住所を頼りに家を探した時、まさかこの家とは思わず、迷ってしまったことを覚えている。
 3人家族だから毎月30万の賠償金が入る。家は「避難所」だから家賃はいらない。40代の息子は当然働いていなかった。日課は足の少し悪い母親を郡山市内の病院に送迎することくらいだ。この状況だけ見ると、他の人からはいかにも“優雅”に見えてしまう。中には、お金が入るから働かない。賠償金でベンツを乗り回している。と見えなくもない。
しかし、話をしてみるとそんな表面上のことだけでは語れないことも見えてきた。一家は原発事故による避難で、いったん新潟まで行き、何か月か避難所で生活、そのままではどうにもならないので、自力で郡山市内に家を見つけて災害復興住宅として申請し、認められ移り住む。高級外車に乗ってはいるが、それは夜ノ森の田舎で40代の独身の息子のはかない贅沢にすぎない。細々と地元で商売をしていた息子にとってその経済圏を失ったからと言って、すぐに他の仕事ができるほどタフではなかったのだろう。そんな事情も伺い知れる。

 私の知っている具体的事例はこれを含めて2件だけだけど、避難者には避難者の事情がある。都会に避難してきた人々が、表面的なことだけで誤解を受け、差別的な視線にさらされる。
確かに、まだ40代の前半なんだからもっと積極的に生きてよ、と思うところはある。いつまでも被害者として賠償金の加護の中にいるのは生き方としてどうですかとも思う。けれど、それは非難できる類のものではない。
 
話を「いじめ」に戻すと、もともと「転校生」はいじめの対象になりやすい。学校という狭い集団では「侵入者」に見立てられるからだ。それが強い人ならば問題は起きないし受け入れられるけど、そうでない人の場合は攻撃される。よく報道されるニホンザルの集団を見ても明らかだ。
 
 学校(行政)はどうすべきだったのか。原発避難者の転校生は、ふつうの転校生以上に気を付けてケアしておくべきだったのだろう。まあこれは後付の理屈だ。問題になった後に気が付いたことにすぎない。
 いま公立学校の先生の質は落ちているのは確かだ。このこともメディアの劣化と相関関係があると内田樹さんは指摘してけど、様々なことに対処しなければならない教師たちが、その処理能力を超える事態の中にあるのではないかということも想像がつく。

 世間を煽ることでしかその存在価値を自らに見出せないメディア。
 もともと人の中にある、差別意識や、他人を羨む意識
 そうした影響を受けた子どもたちのふるまい

こうした要素がいわば相乗効果をもたらして、各地で原発避難者の子どもへのいじめは蔓延した。
 


 

2016年12月15日木曜日

手帳から「生き方」を考える。今年は『ナカバヤシ・ロジカルダイアリー』にした。



  毎年の手帳選びを悩む人も多いだろう。東急ハンズでも伊東屋でもこの時期になると手帳売り場は悩める老若男女が結構いる。
 
  私も悩む。だけどスタイルはこのところだいたい決まっている。業務はA5サイズ、持ち歩くのはA6サイズだ。また見開き1か月のカレンダー型を使う。

 しかしのこ範疇だけで、結構種類がある。ここ2年ばかりはコクヨの「Campus Diary」を使っていた。紙の質がいいし、何より薄い。(余計なページが少ない)ので、気に入っていた。
また「月曜始まり」なのも、性分として好きだ。
(休みは後にとっておく。まあ気分だけどね)

 コクヨの前は『手帳は高橋』のA6版を何年か使用していた。これも使いやすい、ページに切り込みが入っていて、各月をすぐめくれる。ただ、その分スペースが小さくなり、月間カレンダー型ではハコが小さくなる。少々書きにくいのと、ページが多いのが、私にとっては難だった。

  生来、手帳は予定表と基礎情報の記載にしか使っていない。備忘録としての日常のメモや情報は別のA6のメモ帳に記し、いっぱいになると整理してノートに書き写してきた。それがここ15年ほどの習慣だ。

 で、話をコクヨの「Campus Diary」に戻す。実は困ったことが起きた。勤務先で使用している卓上カレンダーや、またmicrosoft officeのメールソフト、OUTLOOKの予定表は、日曜始まりだということだ。一応使っているgoogle calendarは、始まるの曜日を設定できるが、OUTLOOKに合わせて日曜日にしていた。 これで時々ミスを犯す。
 
  どれかのカレンダーを見て、木曜日と思い込んでいた日が、実は水曜日だったとか、会社の会議に出す予定表に日付の曜日を間違えるというミスである。

高橋のA6手帳
これはひとえに自分の不注意によるものだ。ちゃんと確認していればいいだけの話かもしれない。けれども齢も重ね、注意力も低下、また時間に追われて急いで書き記す時もある。

  人間は(動物もそうなんだろうけど)、無意識に論理(文字)より絵(図形)で物事を認識していることが多い。曜日を7つのBOXの何番目という位置関係で見ていて、そのためカレンダーによって位置が違うと間違えるのだ。
  これは、あまり効率の使い方ではない。
 
  それで、コクヨの『Campus』の代わりになるものはないか探した。
(やっと本題に入った。)
 そして見つけたのが「ナカバヤシのロジカルダイアリー」だった。ネットで見つけたけれど、やはり紙の質など実際に見てみたい。しかしハンズにも伊東屋にもなかった。伊東屋はそもそもナカバヤシの手帳を扱っていなかった。ハンズはB5の大きなものが1,2種あるだけだった。
 
 仕方なくアマゾンで購入。まあ高いものでないので失敗してもいいという気持ちで手に入れた。
日曜始まりの軍門に下ることになるが、しかたない。

 
『Campus』は月曜始まり これはこれで使いやすい
『Logical Diary』は年間カレンダーとひと月が見開き1頁という構成で、『Campus』と同様だ。余計なものは一切ない。(よくある、年齢早見表とか、度量衡とか、路線図とか)。それも同じだ。
『Campus』との違いは見ての通り、スペースが右にあること。それとこの写真では少し分かりにくいが、細かな線が薄く入っていて、小さな字で書くときも整理しやすいことだ。
 私のように「悪字」の者にはいい。

とにかく来年はナカナヤシで行こう。このあと何年、手帳が必要な人生を歩むかどうかわからないけど。





ナカバヤシ『Logical Diary』 は日曜始まり

と、ここまで、手帳の道具としての機能について考えてきたが、書いてみて、手帳の抽象的機能について、少し考えが及んだ。(タイトルも書きかえた)

 手帳というと、何年か前に、「希望がかなう手帳」とか、お金が貯まる「手帳」というのがはやった。どんなものか書店でパラパラめくって見た記憶があるが、あまり印象に残っていないのか忘れてしまった。
 
 確かに日々の予定を記すという「手帳」の役割は、自分がどう生きるか、どう生きたいかを確認することでもある。でも私自身も含めて、それって予め分かっているひとは、そういないのではないかな。文章と同じで、何を書きたかったは、書いてみて初めて、事後的jに分かることだもの。

 まあ、だからこそ手帳に予定を書いて、はじめて自分がやりたいこと、やるべきことが見えてくるとも言えるのだろう。そう考えてくると、手帳も使い方次第では、人生の道しるべになるということか。だから、「希望がかなう手帳」や「お金がたまる手帳」が出現しのも、ある意味では理にかなったことだったのだろう。

 勤務先の先輩の中に、その日あったことを手帳に書きとめる人が何人いた。そして時々見返していた。そのうちの一人は「自分はメモ魔」だからど言っていたけど、これってけっこう有効な使い方なのかもしれない。(余談だけどもメモ魔で手帳にいろいろ書き留めていた人は二人とも東大経済学部出身だった。たまたまだろうけどね)。
 ○手で書き記すことの有用性。○見返すことの復習性。それは「考える」ことにつながる。アタマがいい人だからそうしているのか、そうしているからアタマがいいのか分からないけど、実践してみる価値はあるかもしれない。実際私ももっと手帳を有効活用できないか試してみたけど、習慣を変えるのはなかなか難しい。私にとって手帳は予定表にしか、いまだなっていない。人生残りすくないけど、予定もだんだん減ってきたから、もう少し手帳を使ってみるかな。2017年は。

追伸:
ナカバヤシのロジカル手帳がセブンイレブンに置いてあることが判明!
身近なところにあるもんだ。



































2016年12月1日木曜日

「宅建士」不合格の記。脳の筋トレとして臨んだ試験で。

 11月30日に宅建士の合格発表があった。
 職場に行ってから午前9時半のネット発表を見る。落ちた。だめだった。多少手ごたえがあったのでちょっと落ち込む。やはり3か月、週2,3時間の勉強では足りなかった。また年齢を考えると記憶力、意欲とも、若いころのようにはいかなかった。・・・・というのが言い訳である。
 
 実は受験は2回目だった。一度目は4年前。10月の試験に向けてまっさらの状態から勉強を始めたのが7月。8月は遊ぶ(登山など)に忙しく、ほとんどテキストを開くこともできず、9月になりなんとか毎日、週日は1時間程度やったけど、学習書を読んでノートにまとめるのが精いっぱいだった。過去問をまったく解くことなく試験に臨み、それはあえなく撃沈。

 そして4年ぶりに急に思い立ってまた“挑戦”を始めた。第一の職場を定年で終え、子会社に移って2年目のことだった。
 なぜ宅建士だったのか。別にこれから不動産屋になりたい訳ではない。宅地建物取引は民法の基礎が詰まっていると何かに書いてあった。だから民法をちょんとアタマに入れるのにもいいと思い、試験勉強に取り組んだ。
 思いかえすと、結構日常生活で『民法』のお世話になってきたし、頭に入っていることはこれからの人生でも損はない。
 
 転勤で自宅マンションを貸すことになった時、初めは日本リロケーションを通して「定期借家権契約」をしていた。しかし築30年以上のボロマンションでたいした賃料でもないのにリロケに10%以上の手数料を取られ、なんだか割に合わない気がしたので、契約更新時に店子と自ら契約した。
契約書はリロケーションに仲介を頼んでいた時のものを参考に、自ら作成した。条件が不利にならないように、しかも法律を遵守できるようにわか勉強をした。
 父親が死んだあと、わずかばかりの遺産相続をするのに、なまじ都内に土地が少しばかりあるため税理士に相談すると、自分としては結構法外な値段を言ってきた。
 世間相場そのものを知らなかったので、いくつか書類を作成するくらいで、せいぜい十数万円でやってくれるのかと思っていたら、相手の言い値はその10倍以上だった。それなら自分で相続手続きをやろうと、これもまた本を一冊買ってきて、あとはネットからの情報や各種書類のひな型を取り出して、相続申告ぎりぎりの10か月になんとか間に合わせて申告した。
 こうした体験が、自分を宅建士に向かわしたのかもしれない。

 今回は宅建士のテキストからではなく、まず民法の勉強から始めた。ネットの「体験記」を見ても、民法は別に学ぶべしと書いてあった。だからその推薦図書「民法がわかった!」から始めた。
この書籍を買ったのは5月の連休前後だったように記憶する。定番書籍らしく、いまはなくなった新宿タイムズスクエアの紀伊国屋で平積みになっていた。
 だが実際に勉強を始めたのは、勤務先の株主総会が終わり、ひと段落ついた7月になってからである。(これじゃダメだよね)

 勉強を再開して改めて気づいたのは、会社勤めをしていると、時間を確保するのはよほど意志が強くないと難しいということだ。平日、仕事を終えて家に帰ると、心は無意識でくつろぎ体制になっている。テレビ(きょうの料理などだけど)を横目で見ながら、ワインをちびちび夕食をとるとすぐ10時。風呂に入るともう睡魔には勝てない。WBS(ワールドビジネスサテライト)を見ながら、そのうち寝床に入って、いっかんの終わり。これでは勉強などできる訳がない。
 
 そこで、家に帰る前に必ず喫茶店(古い表現だね。カフェか)に寄ることにした。そこで1時間は勉強することを自分に強いてきた。

 でも実際は毎日1時間の勉強時間の確保は難しかった。せいぜい週に3日か4日。それも40分くらいの日も多々あった。これには理由がある。仕事は定時に早々帰れるわけではないこと。(そてでも職場のシマでは、早い帰宅だ)。疲れて、行きたくない日もある。
 それでも自分なりに頑張った方かもしれない。ちなみに土日はまったくと言っていいほぼ勉強時間を確保できなかった。
 
 以前からだいたい土曜日午前中は水泳、日曜日はランニングという日課を続けてきた。これを犠牲にしてまではできない。午後は母親の面倒見など結局時間を取られる。だめだった。
ものの本には「100時間の勉強で合格!」などと謳っていたけど、結局100時間まで至らなかった、と思う。それも民法だけに3分の2ぐらいの時間を費やしてしまっていた。
 
 宅建業法や、建築基準法、都市計画法は以前勉強した時のノートを見返すのがやっと。
最後の4週間はなんとか練習問題に取り組んだ。1回の勉強で50問~100問をなんとかこなし、1000問の壁を突破。だけど、それは1回だけ。問題集には最低3回やるようにチェック欄がついている。内容が定着するまでには至っていなかっただろう。
 
 まあそんなこんなで11月14日に試験に臨んだ。試験会場の五反田の立正大学キャンパスはどう見ても20代30代の人ばかりだった。もちろん中には40代らしき人もいたが、私のように50代後半の人間は、周囲を見渡す限りではいなかった。気持ちは若い気でいてもそういう現場にいるとちょっと気おくれするよね。
 試験は、手ごたえはあった。7割は突破したと思っていた。けど、だめだった。トホホ。

 「勉強した時間はムダではなかった。」と思いたい。それはある種ナルシシズムだけど、実際には合格しなかったという事実に向き合っていない。逃げている思想だ。実現不可能なことをやろうとしている訳ではなかった。だから合格できなかったことを自分の努力不足、失敗と位置付けてその事実に向き合わなければならない。逃げていては結局、自分の人生からも逃げていることになる。

 で、その後。宅建士の試験が終わってから、ヘンは話、何か他のことを勉強したくなった。いま、少しづつやっているのが「旅行行」だ。これも民法を知っていると結構スラスラいく。来年はどうなっているかわからない。でも今の気持ちとしては「宅建士」への再々挑戦と「旅行業士」に臨んでみたい。アタマを衰えさせないためにも、これはランニングや筋トレと同じだ。 

2016年11月26日土曜日

考える時間を持つということ。〔還暦を前に考えること①〕

 確か斎藤孝さんの書籍(というより、ハウツウ読み物)に「15分あれば喫茶店に入りなさい」というのがあったように思う。(いまアマゾンで調べたらあった)。

 アマゾンで閲覧可能jな目次(第1章のみ)には、「喫茶店はアイデア生産の場」「垂直思考を身に付ける」「インターネットから脱出」「自分を鍛える」「15分は仕事をするのに十分」などが並ぶ。ちょっと立ち読みしただけなので内容はまったく記憶にないが、タイトルからだいたい想像はつく。どれももっともなことであるし、齢を重ねればなおさら必要なことだろう。
 週日のほぼ毎日(と言っても週に3日くらいか)、仕事の帰りに自宅駅の喫茶店に寄りるようにしている。そして毎週土曜の朝は7時半ごろから1時間半、プールが開く前喫茶店で過ごすことにしている。
 
 週日の夜はハラも減り、早く自宅に帰りたい気持ちの方が大きい。でも寄る。それは自宅に帰ると、気持ちは弛緩してしまうからだ。ありていに言えばくつろぐから。そうするともう読書も“勉強”もしない。ただテレビ(ほぼ『きょうの料理』しか見ない)を見ながら新聞に目を通し、夕食を取るという1時間を過ごすことになる。そのあとは睡魔が襲ってきて、風呂に入ってその日は事実上「終わり」だ。
そうならないための装置が「喫茶店」だ。(喫茶店という言葉自体が古臭いけど、今ならカフェというのだろう。)
土曜日に必ず行く都心のエクセルシオールカフェ

 15分という時間も理にかなっている。前に書いたけど「18分集中法」に通じる集中できる時間だ。
まあ、喫茶店で15分集中するためにはその準備と片付けで前後の時間を考えて30分は必要だとは思うけど。
 で、喫茶店で何をするか。これは無限の可能性がある。読書、文章書き、資料の読み込み、そして思考の整理。スマホは持っていないのでPCを持ち歩いている。でもネットサーフィンだけは喫茶店ではやらないことにしている。これは夕飯を食べながらでもできる。
 
 トシをとるとどうしても集中力が落ちる。図書館の学習室に行って勉強しても、せいぜい1時間しか頑張れない自分に気付き、がく然とした。そのあとちょっと休憩しても、効率は明らかに落ちていた。毎日何時間も勉強している息子がエラく見えたりする。歳をとるということはそういうことか。それなら、いっそ逆手にとって、毎日1時間集中する時間と空間を確保することにしよう。それが喫茶店だった。でもいろいろ雑事もあり、仕事も時間通り終わらなかったりと日曜日を除く毎日に1時間を確保するのは意外に難しいことがわかった。

 何より喫茶店での時間は「立ち止まって考える時間」だ。これは生活の中で絶対必要だ。人はヒマがあれば考えるというものではない。忙しく働いている人の方がアイデアが浮かび、“考えている”ことがある。しかし走りながら考えたことは、どこかでせき止めて整理することも必要だ。でないと、考えたことは、ハタから見れば単なる「思いつき」でしかないこともしばしばあるから。

 喫茶店の「効用」を説く斉藤さんの本は、その意味では参考になるだろう。でも読まなくても自分でいろいろ試すことで獲得できることでもあるけどね。


2016年11月23日水曜日

持続可能なコミュニケーションとは。「東北食べる通信」から考える。

 blogにしろ何にしろ、文章を書く時、予め頭(又はメモなど)に、「書きたいことの結論」がある訳ではない。
 実は何を「表したい」あるいは「著したい」のか、自分でもわからない。
ただ、アタマの中に何かモヤモヤしたものがあり、それを何とか吐き出したいという感情だけが、最初にある。
 書くこと、かっこ良く言えば思考を言語化する過程で、自分が何を書きたいのか、書くべきなのか、何を言いたかったのか、次第に整理されてくる。
大昔に読んだ本で、小林秀雄が「書くことは考えること」と言っていた。このフレーズは、いまでも文章を書き始める時、思い出す。
整理されていないアタマをスッキリさせるのは、とにかく書き始めることなのだと。

 と、前置きが長くなってしまったけど、(一部で)話題の『都市と地方をかきまぜる~「食べる通信」の奇跡』(高橋博之著)を読んで、アタマの中がモヤモヤしてきて、書き始めてしまった。

 高橋氏が「グッドデザイン賞」金賞を受賞したという、「食べる通信」の試み、(というよりは事業と言っていいかもしれない)は、これまでもよくあった、「顔の見える農業」や、「生産者と消費者を結ぶ催し」とさほど変わらないビジネスモデルだし、これ自体が斬新という訳ではないけど、この事業をポピュラーにし、限定された地域から東北全体に広がりを持たせたこと、また「食べる通信」の内容の濃さなど、いくつもの斬新さがあったことは確かだろう。元県議、知事選挙立候補→次点で落選→政治家引退という経歴も「宣伝」に一役買っている。もともと新聞記者志望だったという著者の「文章好き」が、この事業を持続させているのは確かだ。

 我が家も、お米を山形・鶴岡市の有機農家の直販で買う。中には簡単な手紙が添えられていることもある。初めのうちは読むけど、そのうち飽きもくる。おそらく書く方もネタが尽きてくるのだろう。初めは生産者と消費者を結ぶコミュニケーションだったが、次第に陳腐化して、次第に、消費者の方も単に「おいしいお米」を手に入れるという手段化していってしまう。生産者の方も、おいしい有機米というウリを伝えることが、次第にショーバイ化してしまう。
 これはコトの成り行きとして仕方のないことだ。否定しようもない。なぜこの農家からお米を買い続けるのか。この農家を応援したいからというより(そういう気持ちもちょっぴりはあるけど)、単に安心でおいしいつや姫の無洗米が比較的リーゾナブルな価格で購入でき、それも家まで届けてくれるからにほかならない。こう言ってしまうと身もふたもないけど、冷静に言うとこういうことだ。

 「東北たべる通信」(直接読んだことはないけど)は、おそらく生産者本人が「書く」のではなく、この高橋氏が、ある種ジャーナリストの目で、生産者と消費者をつなぐ役目を負っていることが、内容の陳腐化を防ぎ、持続的な読み物として続いている大きな理由なのだろう。これは評価すべき大きな要素だ。
 逆の言い方をすると、有力な後継ライターが育たない限り、高橋氏が書かなくなると、やがて陳腐化し、たんなる農家直販のショーバイ化する恐れもあるということだ。

※自分が何を書きたかったのか、ここまで書きながして、初めて少し分かった。ここまで書いて、タイトルが浮かんだ。

著者は、かなりの読書家だということが伝わる。そのためこの本の前半は、著名人の引用が随所にあるけど、ちょっと説教臭く、読んでいる方は心の中で苦笑してしまう。第3章のチャプター2になって、やっと『食べる通信』の誕生のいきさつ、エピソードが出てくる。
リクツから入るところは、私自身のクセにも似ていて、だから妙に共感してしまうところもあるけどね。

 人口減少社会、都市への一極集中社会、都市の地方(農村)の結びつきをいかに取り戻すか、など所与の課題に正面から取り組んでいるし姿勢は支持するし、多くの人はそのこを否定しないだろう。この本を読んで、逆に課題が分かったのは、どんな試みも陳腐化、形骸化させずに、持続させるためにはどうすればいいかということだ。
 
 事業の多くが、属人的な能力で支えられているものは、ちょっと見渡すと結構ある。ソフトバンクの孫正義、『たいまつ』の“むのたけじ”、後継者がうまく育たないと、やがては消えていく。
トヨタや松下は、後継者が育ったから更に大きくなったとの言える。(ちょっと乱暴な論理かもしれないけど)。

 魅力的な文章で、食物とその生産者を支え、消費者との線を太くする。その活動には敬意を表したいし、参考になる事業だ。繰り返しなるが、それをいかに陳腐化せずに続けるか、自分なりに考えてみよう。漠然と農業を応援したい気持ちは心のどこかにあるのだから。

2016年11月12日土曜日

60歳フルマラソンを目指して。

52歳くらいから走りはじめて7年目。そう熱心なランナーではないが、
週に2、3日外走り、2日はトレッドミルで汗を流し、10㎞なら「朝メシ前」になり、日曜はハーフ(21㎞前後)走っても、午後からはフツーに他の用事ができるくらいまでにはなった。

 初めて「走り」はじめた時はわずか1㎞くらいで腸脛靱帯が痛み、3㎞の道のりをやっとの思いで帰ってきたことを思えば、大変な進歩だ。この間、足の指の爪は何度となく失われ、親指や薬指はずっと紫色のままだったけど、そんなことは、獲得した「健康」と比べればたした問題ではない。

 現在月間約120㎞、トレッドミルを加えて150㎞前後が平均だ。こんなんでフルマラソンを走れるのかどうか分からないけど、ひとつの目標としたいとは思う。時間はサブ4でね。

 走ることでこれだけは言えるのは、「健康」になったということだ。もちろん走らなくてもそれなりに健康な人はいくらでもいる。けど、余計な脂肪がとれ身のこなしが軽くなったこと、それを維持しようと“無意識”に行動するから、食い物に気を遣うようになったこと。(昼飯も含めて外食がすごく減った。)いろいろ生活が変わったことはある。

 これから少しづつまとめていこうと思う。春樹さんの「走ることについて語るとき、僕の語ること」のようにはいかないけど、私家版の「走ることについて・・・」語りたい。


小池百合子はあまり好きじゃないけど、今彼女が闘っていることは支持する。

戸田ボート場
悪いけど、ボート競技はどれほど日本の皆さんに親しまれているんだろうか。応援に行く人が周囲に大勢いた、スポーツニュースで大々的に取り上げられたという話は聞かない。もちろん、だからって、昔から五輪種目のこの競技を軽んじていいと言っているのではない。
 レガシー(遺産)だと言って、数百億円の施設を台場に作ることに、その費用を負担する納税者は納得できるのだろうか。なぜ波が多少立つところではダメなのかという程度問題の話だ。

 小池百合子さんは、そんな人々のホンネをすくい上げようとしているように見える。

 ボート競技の当事者たちにとっては、それは立派な施設で快適な環境で競技することは望みだろうけど、全体最適から行って、それ相応の費用対効果があるのかどうか当然斟酌されるべきことだ。

 人にはアンビバレントな考えはつきものだ。東京五輪で日本人が活躍してメダルをとる姿を見たい。(それがある種のナルシシズムであることは置いておいてね)。一方でそのための費用を、オマエが出せと言われたら、「ちょっと・・・」と躊躇するだろう。そういうものだ。身勝手なのが人間の「本性」なのだから。
 
 ボート連盟?の人たちに、税金から支出する費用を多くの納税者はどう思うと思いますか?今後その施設どうやって維持するんですが?と聞いてみたらいいと思うけど。メディアは決してそうした不躾な質問はしないよね。


横浜国際水泳場
水泳競技場も、レガシーと言うならば、五輪後に一般の人々が水泳を楽しめる施設でなくては、なるまい。東京湾の埋立地の先端に作られても、交通の便を考えると、あまりいい場所とは言えない。作るならば、より多くの人が利用できるような場所に作るべきでしょう。

スポーツは市民に広く親しまれてこそ価値がある。メダルを取るという一時的なナルシシズムのために施設が作られることにはちょっと疑問を感じる。

 横浜国際プールは何度も通っているけど、立派な施設だ。ここが現状のままで『国際大会標準』に合致しているかどうか知らないけど、改修で対応できるんじゃないの。
 辰巳の水泳競技場はいささか古いけど、こちらでも十分でしょ。

 辰巳に関して言うと、ここは一般市民に、十分開放されているとは言い難い。競技大会が優先されるのはいいとしても、もう少し一般の利便に応えた設備にならないだろうか。

辰巳プール
水泳は日本では多くの小中学校に施設があり、健康的なポピュラーなスポーツだ。それは非常にいいことだと思う。そのすそ野をいっそう広げる一助になる施設であってほしいよ。

 五輪誘致の際のお金の不透明さ、(これは長野の時もあったけどついにうやむやで終わった)から始まり、競技場の建設問題、エンブレム問題。余りにもオカシなことが多すぎる。小池氏はそうしたことへの素朴な疑問を問いかけているだけだ。

 この人のことはそれほど好きではない。けど、いま彼女がやろうとしていることは、支持しますよ。森喜朗と闘ってください。






2016年11月9日水曜日

トランプさん、大統領当選おめでとう。

 トランプさんアメリカ大統領当選おめでとう。あなたはアメリカという国の大統領になるべくしてなった。あなたはアメリカそのものだからだ。(もちろん半分皮肉です)
 
 あなたの当選の報を聞いて思い出したものがいくつかある。

その1:「アメリカの反知性主義」
分厚い本で、ナナメにしか読んでいないので、内容の記憶はあまりない。きっとたくさんの解説がブログ上にはあると思うのでそちらに譲るけど、アメリカという国の一端を見せてもらったと思う。
 知性、というか理性だけでは人は動かないし、ホンネは違うところにあるのが人間だから。トランプさんはそれを白眉にさらし、ホンネを言うことをタブー視しない社会を作ったんでしょう。

石川好さんが日経にコメントしていたけど、アメリカ人はもともと、マッチョなならず者が好きな面があり、トランプ氏の言説の中にも「真実」はあるので、そこが支持されたと言っていた。また、その意味ではアメリカ人は変節したのではなく、そのものだとも。

なかなか説得力あるコメントだった。人間に理性が働くのは、心に余裕がある時だけだもの。




その2:「超国家主義の真理と論理」(丸山真男)

 これも、数々の解説がネット上でもあるので、そちらを見れもらえばいいけど、確か「抑圧の移譲」について書いてあったっけ。
 
 生半可な知識で丸山真男の言説を言うと、「丸山ファン」や「丸山研究家」にしかられそうだけど、人間は本質的に差別をするし、それがホンネなんだ。自分より弱いものをいじめることで自分の存在を確認するんだな。それは暴力という形のこともあれば、高額の所得を得て、他を見下すという形もあろう。
 とにかく優越したいというのが本性。
 こう言ってしまうと身もふたもないけど、今や、そのことに目を背けられない事態が世界で起こっているということなんだろう。
 「超国家主義・・」で丸山が描いた日本人気質は、実は日本人だけでなく人類共通の本性なんだと思う。




その3:「日本的ナルシシズムの罪」
つい最近読んだ本だけど、「抑圧の委譲」は、ナルシシズムだという(乱暴な)論理展開だ。
みな自分がかわいいから、だから差別をするし、自分より弱いものをいじめて溜飲を下げる。

人間の理性なんてものは、どこかに飛んで行ってしまったのが、アメリカ大統領選挙だったのだろう。

ナルシシズムという視点で、自分の周囲(カイシャの人など)を観察すると、妙に納得する。あれこれ自分の「立場」をしゃべって、人に認めさせようと、無意識に行動する人は結構多い。
はやりの「雑談」も、もちろん職場で必要だけど、ちょっと気を付けた方がいいだろう。

いずれにしても、自分は最低限の理性は持って、この先、生きていきたい。自分の中にある差別や抑圧を望む本性とちょっとだけ闘いながら。








2016年11月5日土曜日

後ろを振り返るということ。それは自己を見つ直すことだ。

物事をやりっぱなしにする風潮は、最近のことなのか、それとも「昔から」そうなのか。
最近いやなことが続いた。モノゴトをやりっぱなしにする輩は、なんかここのところやたらと目につく。
○その1:
マンションのエレベーターというのはどこもそうだと思うけど、ウラに「開延長」のスイッチがあって、たとえば引っ越し荷物を運ぶ時や棺を乗せる時などに、すぐには扉が閉まらないような設定ができる。これをオンにすると1分くらい扉は自動では閉まらない。
 拙宅のマンションで引っ越しか何かがあったのだろう。
ある日曜、夜に帰ってくると明らかにこのスイッチがオンになっていたようだ。一度上に行っていったエレベーターが5階で止まったままなかなか帰ってこない。
 以前同様のことがあったので、開延長のボタンのことを聞いていて知った。このまま月曜朝を迎えると、出勤・通学する住人で混乱するのは目に見えている。エレベーターの箱の中でスイッチはどこかちょっと見たけど分からなかった。家に帰るとマンションのサポートセンターに電話した。しかし対応されたのは月曜日になってからだったようだ。朝、やはりエレベーターは、一度人が乗降して開くとなかなか戻ってこなかった。
○その2:
いつも通うスポーツジムの洗面台。誰でも使えば回りに水がこぼれる。髪の毛も落ちる。それは仕方のないことだけど、多くの人がそのままだ。次に使う者はあまり気分のいいものではない。備え付けのティッシュを何枚もとって拭くことになる。もったいないのお。せめて施設の方がタオルひとつ備えておけば、こういうこともないんだろうけど。(ちなみに東京体育館の洗面台とその脇にならぶドライヤー台にはいつもタオルが置いてある。)
いずれのケースも物事をやりっぱなしにする人がいて、それが後から使用する人を不快にする。

ちょっとケースは違うけど、プールでもスポーツジムでも、シャワー室やプールへの出入り口の扉で、バンッ!とあけて、後ろを振り返ることもせず、出入りする人も多い。後ろに人がいることをまったく意識しないのだろう。

 これは想像力の問題だろう。混雑する電車でザックを背負ったままの者。出入り口に突っ立ってスマホをいじりに夢中で乗降の妨げになっていることを気づかない者。歩きタバコで煙を後ろにまきちらしていることが分からない者。挙げだしたらきりがない。

 でも、齢を重ねると、様々な意味で「後ろを振り返る」ことが大事だということを実感する。電車やカフェ、図書館で席を後にする時、忘れ物はないか、落し物はないか必ず振り返ることにしている。長い人生で振り返ることを怠り、忘れ物や落し物をした経験が少なからずあるから、自然と身に着いた。それでもウッカリ、振り返ることを忘れることもままあるけど。

 「振り返ること」は自己を見つめ直すことでもあろう。常に自己点検し、直近の行動が「正しかった」のかどうか、他に方法がなかったどうか。それは次に生かす糧だ。確かに若いころは、そんな意識も希薄だったかもしれない。
 若者には「振り返ることは大切だよ」と言えばよい。学んでくれる人、気付いてくれる人はいるだろう。でももうかなり年配なのに、振り返らずやりっぱなしの人は、しばしば見かける。

 そういえばカイシャでもいるな。次々ルールや規程をつくって、社員に「守れ」と号令をかける人。そのひとつひとつは「正しいこと」なのかもしれないが、それがどう実行上、どう担保されるのか、社員に浸透するのか、また社員はどう受け止めるかなんてことはお構いなし。「正しいこと」を推し進めることが「正しいこと」だと勘違いしている執行役が。
 
 冒頭に記した、小さな、日常の出来事を振り返えらない人は、おそらく自分自身のことも振り返ることができないだろう。換言すれば「想像力が欠ける人」なのかもしれない。

 
 いきなり「大衆論」を持ち出すのも違和感があるかもしれないが、米大統領選挙の世論調査の動向を見ていると、直近の出来事、また報道されたことに判断を左右される人が結構多くいることが分かる。トランプの女性蔑視問題が噴出すると途端に支持率は下がり、クリントンのメール問題が出ると、こんどは彼女の支持率が下がる。どちらも褒められたことではないけど、もともと分かっていることではないのか。
 考え方でも、ある人物を評価するのも、その時のことしかアタマにないと報道や扇動、プロパガンダによって左右される。振り返る=じっくり見つめ直すことがあれば、もっと違った判断もありうるだろう。

 話がちょっと逸れてきた。(いつものことだけど)。
「人のふり見て我がふり直す」と、昔の人はよく言ったもんだ。振り返ることの大切さを、日々不快な出来事から改めて認識した次第だ。


追記:ちょっと関係あるかもしれないこと。
昔のフォークソングで「風」というのがある。確か北山修の詩だと記憶している。
「人は誰もただ一人旅に出て、人は誰もただ一人振り返る。・・・・」だったっけな。
今度、聴いてみよう。

追記2:だいぶ以前のアサヒ新聞の夕刊コラムで「後ろにも人がいる」という秀逸な文章があった。


追記の追記
「風」はシューベツルという、“はしだのりひこ”を中心としたフォークソンググループの歌で、やはり歌詞は北山修さんだった。歌詞には著作権があるのでここには再掲しないけど、どっちかっというと余り振り返らず=後悔せずに、前を見てすすめという歌だったんだな。それはそれで大切なことだけど。実際浪人した息子に、「前だけを見て進もう」と言ったっけ。

追記2の追記
朝日新聞の夕刊コラムは、美術館で絵画を少し離れて見ていると、近くから絵を見ようと間に割って入ってきた集団の、いわば無神経さと、日本が高度成長で先進諸国のことばかり見て、後ろ=発展途上国について顧みない姿勢に苦言したような内容だった。コラムの内容はそれはそれで印象深かったけど、それにも増して、わずか600字余りで伝わる文章にまとめていた、名文に感心したことが記憶に残っている。自分もああいう文章が書ければなと。
 


2016年10月29日土曜日

25年ぶりの北岳

広河原から見上げる北岳「意外に近くに感じる」
この夏、25年ぶりくらいで、北岳に登ってきた。
東京から1泊2日で北岳・間ノ岳をゆく「弾丸登山」。(7月31日―8月1日)
朝4時すぎ、自宅を出発。中央高速経由で、北岳登山のターミナル芦安の集落に6時すぎに到着。
 日曜日なので、広河原行きのバス停近くの駐車場はほとんどいっぱいだったが、奇跡的に1台空いていた。朝早くから誘導の人がいて、駐車。バスの時間まではまだだいぶあった。1便は5時半に出ている。往復で2時間はかかるので次の便は7時半台だ。でも乗合タクシーが待っていた。6人先着がいて、私と息子で8人。あとひとり来れば出発してくれる。ほどなくもう一人来て、バスで行くより1時間近くはやく出発できた。幸先いいスタートだ。

 広河原のビジターセンターで用を足して準備を整え、出発。橋を渡る手前で撮った写真がこれだ。(上)

大樺沢を登りきったところ
早くも目前に北岳が迫る。それだけ近いが、急登だということでもある。
川を渡って登山道に入り、**コースを進む。最初は緩やかな樹林帯だ。昨日までの雨のせいか少しぬかるんでいるが、歩きにくいというほどではない。

 大樺沢 左俣コースを行く。例年より雪が少なかったのか、河原の水は少なくガレ場の急登が続く。剱岳以来の2年ぶりの本格登山。この日に備えて普段から筋トレとランニングを行っているが、やはり実戦は違う。明日で58歳になる身体には少々きついというのが正直なところだ。
 それでもまあまあのペースで登っていく。1便のバスで来た人たちを少しずつ追い越していく。
二股でトイレに行こうと思ったけど混雑。あきらめて登り続ける。

大樺沢ルートの後半 梯子が続く
その後愚息にアクシデントが起きた。受験勉強で少々鍛え不足のためか、足(ふくらはぎ)に痙攣を起こす。山岳部で一応部長も務めた息子は、普通に登ればペースははるかに私より早い。ついていけないほどだ。実際、登り始めではどんどん置いていかれ、途中で待ってもらうという有り様だった。しかしその息子も浪人生活で、山は久しぶりだ。水分不足というよりは単に登りの筋肉をしばらく使っていなかったための痙攣のようでった。

 しばらく休めば何とかなると思い、5分ほど休んであと私は先にゆっくり登ることにした。幸い大樺沢は一直線で見通しが利く。息子には十分休んでから来るように告げた。しかし焦りもあって十分回復しないうちに再び登り始めたため、調子がでない。そんなこんなの繰り返しで、ようやく梯子場まできた。
真横から眺めるパッドレスはさすがに大きい
その内息子の痙攣も回復してきた。北岳パッドレスがよく見える。2人ほどテラスにいるのが見えた。行ってみたいという気持ちはあるが、それは単なる憧れのレベルだ。これから多くの時間を費やして訓練してそしてガイドにお願いして登るという人生の選択肢はないだろう。まあ、この目でナマで見上げるだけだ。

 予想に反してこの日は天気はまあまあだった。翌日に通過するが、荷物を乗越にデポして山頂まで往復した。山頂についた時にはガスが濃く何も見えなかった。
そして北岳山荘まで下る。帰るだけなら肩の小屋に行けばらくだが、翌日は間ノ岳にも行くつもりだから、来た道をもどった。
北岳山荘はメチャクチャ混雑していた。手続きをとるのも30分近く待たされた。この日はカレーしか用意できないということで、値段も少し安かった。

一度目の“登頂”
当てがわれた場所は屋根裏。布団の幅は確保されたが、何しろ天井まで60㎝くらいしかない。ほふく前進と言うのだろうか、はいつくばってザックをずらしながら行くしかない狭いところだった。フトンを敷いて横になるとまだ4時半だがすぐウトウトして眠りについた。息子も同様だ。1時間近く寝てから荷物を整え、ヘッドライトを出して夕食への準備をする。そして妻にメール。便利になったものだ、ちゃんとメールできるんだから。

夕食はやっぱりカレーライスと味噌汁。少々物足りないけどそんなもんだ。我々のテーブルは他は韓国からの登山客だった。南アルプスでなくわざわざ北岳に来るのだから、山好きだというだけでなく、それなりに日本の山や山小屋にも慣れている人たちだろう。味噌汁をこぼして大騒ぎしていたけど漬物をまわしてくれたり親切な人々だった。

夕食はちょっと貧弱。
夕食ちょっと外に出てみた。星は見えなかったけど天気が悪いというほどではなかった。考えてみると私にとっては2年ぶりの登山だ。息子も同様だ。受験勉強という通過儀礼は大きい。
人生の残り少ない身にとってはあまりにも長いブランクのような気がした。

寝床に戻るとそんなことを考える余裕もなく、8時前にはほどなく眠りについた。夜中なんども目が覚めるが身体がくたびれているのでまたすぐ寝る。3時ごろには目が覚めたら、3時半に電灯が付いた。間ノ岳、農取岳と縦走する人たちはそそくさと出ていく。我々も4時過ぎには準備を始め、荷物をまとめてから食堂に並んだ。小屋に荷物を置き、6時すぎに空身で間ノ岳に向かった。意外なほどアップダウンがあったけど2時間ほどで往復した。

8月1日朝4時ずぎ、小屋から富士山が見えた
少し休んでからザックを背負い、今度は北岳山頂に登り返す。天気はさほどよくないが気持ちのよい登りだった。9時半ごろだったろうか山頂で記念写真をとって、下りに入る。

 2年のブランクで一番つらいのは、やはり下りかもしれない。前に足を出すのは普段のランニングや筋トレでなんとかなったが、足でブレーキをかける運動は普段はあまりできない。ストックを出して支えながらの下りとなった。結構シンドかった。

 途中小雨にも降られたけど、それでもまあ順調に下り、2時すぎには広河原まだ戻ってこられた。運よく乗合タクシーもあり、無事、登山終了。芦安のバスターミナル脇の休憩施設・白峰開館の共同風呂に入った。しかしこれが結構クセモノだった。トホホ。あれで600円も取るのかと思った。湯船も洗い場も狭い、脱衣所も貧弱。2日間の山行の疲れをいやすには少々ガッカリだ。汗臭い身体を洗い流すのが精いっぱいだった。帰り道に「金山沢温泉」というちょっとイイ日帰り温泉施設があった。駐車場も広い。なんだここに来ればよかったと、息子と嘆いて芦安を後にした。
「後悔先に立たず」なんてて、たかが日帰り湯のことで使うのもなんだけと、正直ガッカリだった。知らないというのは恐ろしい。

帰りの中央自動車道は、月曜日だったこともあり、まあ順調だった。

北岳そして間ノ岳。58歳の誕生日直前に息子と登った経験は、自分にとって、それはうれしいひと時だった。


 冒頭にも書いたけど、約25年くらい前に一人で登った時は、秋ということもあり、広河原までマイカーが入れた。確か10月始めごろだったと思う。
 ひとりで車を運転して狭い林道を行くのは少々怖かったような記憶が甦ってきた。北岳山荘には5,6人しか泊まっていなかったと思う。

当時の写真を探してみたくなった。











もう来ることはないだろう・・・。時間があれば違う山に行くから

2016年8月20日土曜日

オリンピック時に毎回思う、報道のいやらしさ

 
ネットより「引用」
選手が、死力を尽くして(自己と)戦い、そして結果として1位になる姿は、美しい。それ自体に何ら疑問もない。ましてその人が「日本の代表」であれば、日本(という国)に長く住む(ここでしか住んだことはないけど)者として、他の国の人より、より親近感を覚えるのは自然なことだろう。
 体操の男子団体、バドミントンの女子ダブルス、水泳の選手たち・・・。皆、多少なりとも“感動”を覚えただろ。反対にこれらを見て、感動するのかオカシイと言う人がいたら、それこそ変人だ。
 しかし、その報道にはいささか疑問を感じるし、出演するアナウンサーやゲストのコメントには辟易することも少なくない。
 メダル、メダルと、日本選手がメダルをより多く獲得することが、美徳であるかのような表現は、相変わらず目立った。もっと純粋に1位になったことを称え、その成果の背景に何があったのかを聞きたいのだけれど・・・。
 メダルの数というのは結果でしかない。それを多く獲得することが目的ではないはずだ。
ついさっき読み終わった「日本的ナルシシズムの罪」(新潮新書 堀有伸)でキーワードになっている「想像上の一体感」そのものだ。
 
 メダルの数へのこだわりとは、何を意味するのだろう。そこの「統一した価値」を象徴化することで、「一体感」という、怪しい空想を醸成しているにすぎないのではないか。
 だって“日本国民”はそんなに、レスリングや柔道が好きなんですか。普段はほとんど見向きもしないのに、五輪でメダルという修飾語がついた途端に、異常なまでの関心を示すというのは、メンタリティーとして貧困だ。
NETより「引用」

 もうひとつ、疑問に思うのが、活躍した選手に対して「4年後」のことを聞く態度だ。そう長くない選手寿命の中で、4年という歳月はある意味で長い。まして年齢がいった選手にとっては自分の限界と闘っている面もあろう。にもかかわらず、無神経に4年後について尋ねる態度は、許せない。
 選手の側にもさまざまな思いを持っている人がいるだろう。ピークでキッパリやめて、次の生き方を考える人。自分が燃焼しきれていないと思ったら敗れるまで続ける人。これしかないという思いで続ける人。
 こうした報道を見てるといつも思い出す。円谷選手(マラソン)がもう走れないと自殺したことを。彼をそこまで追い込んだ日本人の精神性の負の側面は、覆い隠されてきた。

『駅STATION』という映画をご存じだろうか。高倉健主演のこの映画には、円谷選手の遺書が出てくる。この映画は、刑事・高倉健を通じて、日本人のメンタリティーを表した優れた作品だ。
(このことはまだ、別の機会に書いてみたい。書くことは自分の考えを整理することだから)

レスリングの吉田選手が金メダルを取れなかったことに対してずっと涙していた姿には、正直嫌悪した。努力した末の結果を受け入れられない精神性は、彼女に期待ばかりした「日本国民」と煽った報道に起因する。表彰台に立った時もまだ不満げな表情をしていた吉田選手はある意味で、メディアスクラムの被害者だ。
 その姿は、サッカー女子のワールドカップ決勝でアメリカに敗れた日本が、試合直後には涙していたけど、表彰式ではみな笑顔で出てきた姿とは対照的だった。

追記:
 テレビをザッピングしていた、冷静にコメントしていたゲストもけっこういたことは追記しておこう。
山口香さんなどは良かったと思う。
 

2016年7月16日土曜日

「孤独なランニング」。自分を起動させるものは「不安」なのかもしれない


 リースマンの「孤独な群衆」は社会学の古典であり、大学時代に“読まされた”記憶があるけど、内容をすっかり忘れていた。改めて読み返すほどの力量はないのでお気軽にWikipediaで要約を見返す。伝統型社会では人は恥によって行動し、内部指向型社会では罪の意識によって行動する。そして現代のような外部志向型社会では人は「不安」によって行動する。というのが、そのごく簡単な内容。(だと言っていいですかね)

 毎日のように走り、そして最低週に1度は泳ぎ、つたないながらも筋トレをして、そしてさまざまな書籍を読む努力をする。仕事にも一応全力を傾ける。
 そんな自分を起動させているものは何なのか、常々考えていた。
 走る準備をしている時、泳ぎに行こうとする時、そこにはどこかイヤイヤやっている自分がいる。何か、しなくていい理由がないか頭のすみで考えている。雨が降ってきたとか、今日はプールが休みなんじゃないかとか。そうした「期待」を裏切られて、走りはじめても、それほど走ることに喜びを感じない。しかたなく走っている自分がいる。特に走り始めは身体が重く(この現象は加齢でますます大きくなってきた)、調子が出ない。100mくらい走ると思わず歩きだしてしまいそうになるほど足が上がらないことがままある。それでも多少は忍耐力があるからどにかこうにか2,3㎞走り、やっと身体も温まり調子が出て来る。すると今度は必死さだけが全身を覆う。なんとか走らないと自分は追われている身なのだと、無意識(前意識)の中で考えているようだ。こうした時に何を考えるかと言うと、村上春樹さんの『走ることについて語るとき・・・』の一節だ。自分をロバと思う。壊れないぎりぎりのところでロバには荷役を担ぐことが仕事だと体に覚え込まさないと、続かないという趣旨だ。そうだ自分はロバなのだ。走ことは、しなければならない苦役だ。サボるとムチが飛ぶ。エサを食べさせてもらえない。と、自己暗示にかけて必死に走る。泳ぐ時も同じだ。
もちろん終わった時の爽快感や達成感はある。でもこれを味わいたいがために走り始めるということはない。
 そうしたイヤイヤ走っている自分を起動させているものは、何か。それは「不安」なんだと考えが行きついた。老いることそのものへの不安、老いて身体が動かなくなることへの不安、そして体型が醜くなることへの不安、何よりも健康への不安。読書も、知識欲(もちろんこれもあるけど)というより、知識がない教養がないことへの恥の気持ちへの不安。すべて不安という言葉がよくあてはまる。食事に気を付けているのも同じだ。
 まあこう言ってしまうと身もふたもないけど、自分自身が一番納得してしまうから仕方ない。ムラカミさんはなんで走るんですか。改めて聞いて(読んで)みたい。

だだひとつ言っておくと、少なくともムラカミさんの著書を読むのは「不安」からでなくて、純粋に読みたいからという気持ちからです。
 「孤独なボウリング」はパットナムの大著だけれど、それをもじって、自分を「孤独なランニング」と言うことにした。
 こう書くと、なんだかスッキリして、かえって走り始めることに抵抗が少なくなったかもしれない。自分は不安から走っていると言い聞かせればいいいんだから。

2016年6月25日土曜日

村上春樹をひっぱたきたい。その2・・・癒しのエッセイ

かつてブログで「村上春樹をひっぱたきたい」と書いた(と思う。)よく覚えていないけど。
新潮文庫「村上ラヂオ3」を読んで、思わずその1、2も買ってしまった。
 繰り返しになるが、どうしてこの人は、自分が考えていること、思っていることを先取りして、エッセイにしてしまうのだろう。トホホと言うしかない。まるで自分の頭(心)の中を密かに覗かれて、私だけのためのエッセイにしたと考えてしまうほどだ。これほど考え方や思いに共感する人は他にいない。
 もちろん、「高い所がきらい」や「猫との生活」、「オープンカー好き」など、まったく逆のところもあるけど、逆に言うとこれ以外はすべて共感してしまう。
 「村上ラヂオ」を3→2→1と、いつも仕事の帰りの電車で読んで、村上さんのゆる~い感じで頭の疲れ癒していた。
 サラリーマンとしてこれまで32年間、まあ一応働き、今も生活のために給料が半分になっても働いていると、村上さんのような生き方は、憧れだ。それを目指してもかなわないし、小説も書けない。だからこそというのか、ゆる~いエッセイに垣間見える村上さんの日常を、自分の生活に重ね合せてリアリティを持って感じられるのかもしれない。
 またフィールドが東京の千駄ヶ谷や青山だといのもある。毎週必ず1回は泳ぐために千駄ヶ谷に通っている。将棋会館にも、何度か行った。青山には、それほどなじみはないが、よく通るので地理的な認識は確かだし、まちの雰囲気もわかる。
 旅行好き、料理好き、走ること。ゴルフ“嫌い”、鰻好き、等々、いちいち自分に「近い」感覚の持ち主が感じたこと考えたことを記す短文は、まさに「癒しのエッセイ」だ。

 ぜんぜん話は飛ぶけど、小熊英二さんの「癒しのナショナリズム」という著書を思い出した。そうなんです。疲れた心には癒しが必要なんです。
 村上さんは、彼の小説を読んでオウムから抜けることができた青年の話をを引き合いに、自分の書いた小説で救われる人が1人でもいれば、自分は小説を書く意義があるという趣旨のことをどこかで書いていた。社会が人々にどんな「癒し」を提供できるのか。それで社会のあり方がひどく変わってしまうのだろう。
 「社会」というと何かマスでとらえがちだけど、そうではなくて村上さんの小説のような作用が、幾重にも積み重ねられるという意味で。

2016年6月18日土曜日

蓮舫さんもいいけど、都知事が務まる能力があるのは『湯浅誠』さんを置いてほかにいない。

 1200万人の人口と16兆円の予算。よく言われるように、都知事という存在は1国の首脳に匹敵する存在だ。
 これまで「タレント知事」で務まってきたのは、知事を支える都庁職員のエリートたちた=いわば地方自治の優秀な官僚たちがいたからだろう。まがりなりにもGDP上位国の日本の首都の行政が(細かいところは別としても)成り立ってきたのは、彼らの働きがあったからだ。それは“日本という国”も同じかもしれないけど。

 知事は良きにつけ悪しきにつけアジテーターでいいという考え方もあろう。ディーゼル車の排ガス規制をアジテーターとして進めたのはその典型だ。旗を振ればあとは優秀な官僚たちが何とかしてくれるという構図だ。
 しかし旗振りにしても、かなり高い見識がなければヘンな方向に行ってしまう。ディーゼル車の排ガス規制はたまたま、あの知事の嗜好にはまっただけだったのかもしれない。真相は知るよしもないが、あの政策を彼に進言した優秀な都庁職員がいたから実現したと考えるが自然だ。

 いつものように前置きが長くなったが、アジテーターでいいとしても、トップを支える副知事の人事権や予算を差配する権限があることは確かだ。だから都知事という存在はそれだけに大きい。そこであまた候補に名前が挙がっているが、ふさわしいと思うのは「湯浅誠」さんが一番だと思う。鳥取県知事を務めた片山善博氏もいいが、ここは若い湯浅さんを是非推したい。

 1200万人の生活に関わる厖大な政策すべてに知事が関わる訳ではないだろう。しかし都知事に求められるのは、施策に対する深い理解と、良識、見識、そして規模が大きいだけに調整能力が求められる。
 
 あの「年越し派遣村」がなぜスムーズに進んだか。それは湯浅さんの能力と人柄があってこそだった。もちろん彼の東大法学部時代の同級生の多くが官庁にいてその人脈を生かしたということもあるだろうが、それだけではない。年越し派遣村だけではない、湯浅さんの地道な社会活動は、非常に忍耐強いものだ。
 
 よく「強い指導力」などがリーダーの条件などと単純に書き立てるメディアもあり、政治家としてリーダーを目指す輩は、それを鵜呑みにして、強いイメージを打ち立てる。しかし実際に必要なのは、深い見識に裏打ちされた洞察力と調整能力だ。リーダーに必要なのは。決断力ももちろん必要だがそれは最後に使う政策手段のひとつにすぎない。

 都知事は「人気投票が宿命」と新聞でどなたか“有識者”が言っていたが、それでいいの?
反知性主義の大衆社会に対するあきらめもあり、こうした刹那的な言説が当たり前のように流れること自体に、「刹那的になる」。

 蓮舫さんでもいいけど、その時は湯浅さんを副知事なりブレーンにすることをお勧めします。でないと孤立し浮き上がって、結局は足元をすくわれる。それでなくても、早くも「差別的デマ」を流す国会議員までいるんだから。賢い蓮舫さんのことだから、その辺のことも十分分かった上で考えるだろうけど。

 湯浅さんの「決断」を期待した。



2016年6月11日土曜日

AKB48の「桜の花びらたち」を2016年の3月まで知らなかった。

朝日新聞より「引用」
 恥ずかしい話し、この2016年3月まで、『桜の花びらたち』というAKB48の歌を知らなかった。いい歌だと思う、素直に。特に卒業ソングとしては、知っている限り私の中では1番いい曲だ。

 これまで「AKB48」という存在に関してほとんど関心を持っていなかった。すでに10年になるんですね。
 どうせ・・・(という言い方はわれながら傲慢ですけど)、オチャラケのアイドルグループでしょ、というくらいにしか思っていなかった。あえて無視するまでもなく、自分の生活圏の視野にはなかった。
 かつで職場の同僚が(5,6年前くらいだった)、「AKBの(戦略はすごい)。だって秋葉原に行けば必ず会えるようになっているんだから」と言っていたのを思い出すくらいだ。

 それはともかく、まったく視界になかったAKB48を多少、気に掛けるようになったのは、「恋するフォーチュンクッキー」で、多くの老若男女が踊っているというニュース(というか話題)を見てからかもしれない。
 その後、高橋みなみさんがNHKの教育テレビのいじめを考える番組に出演しているのを見て、なかなか賢い子だと感じた。
 そしてNHKの朝のドラマで「人生は紙飛行機・・・」と歌っているのが、毎日のように耳に入ってくるよになった。
 
 と、いろいろ“個人的な経緯”を書いたけど、別にそれで?何というレベルでしょう。まあそんなこんなで、今年の3月にその高橋みなみさんが卒業するというので、金スマをという番組を見ていたら最後に歌っていたのが「桜の花びらたち」だった。
  ちょっとだけ旋律を聞いただけで、一瞬で、これはいい曲だと感じた。ネットで調べると結構古いもう10年近くなる曲なんですね。歌詞も振るってる。
 
 AKB48は現代の「少女合唱団」なんですね。だから総選挙や卒業でメンバーが入れ替わっても存在感は持続しつづける。なかなか考えられたシステムだ。「桜の花びらたち」も2008年バージョン、2015年バージョンなど受け継がれている。

 食わず嫌いだったAKB48の歌を日々通勤電車で聞いて少し研究(大袈裟か)している。まあトシなのでガチャガチャした曲にはちょっとついていけないけど、そうでない曲は結構何度聞いてもいい。
 秋元康さん(同世代なんですよ)の作詞についても少し考えるようになった。
 批評家の宇野さんは朝日紙上で、美空ひばりの「川の流れのように」とAKB48の「RIVER」を取り上げて論じていたけど、もちろんそれだけではない秋元康さんの戦略や思いや考えがもっともっとあるのだろう。これかも、もう少し見守っていきたい。

 「桜の花びらたち」を知ったのが、丁度、愚息が高校を卒業する頃だったので、まあそういうこともあり、妙に印象に残り気に入ってしまった。その息子に図書館で借りてきたAKB48のCDをついでに返してくるよう頼んだら、「こんなもの恥ずかしくてオレが返せるか」と言われてしまった。けど返してきてくれたけど。



2016年6月5日日曜日

電車では“必ず”優先席に座ることにした。マタニティマークを巡って

 通勤電車の中(通勤に限らずだけど)というのは、おそらく最も「分断された社会」のひとつだろう。分断されたと言うことの意味は、相互につながりのない個々の集合体としての社会だ。(これを社会と言うのかどうか知らないけど)。
 それでも毎日同じ電車に乗るとなると「いつもの人」がいたりするが、お互いそう思ってもそれ以上に親しくなる訳でも、もっとお互いのことを知る訳でもない。
 
朝、通勤電車の始発駅から乗るとすでに「普通席」は埋まっていて、いわゆる「優先席」に座ることが多い。たまに途中駅から、妊婦さんが乗ってくる。 前に立ち、妊婦マークに気が付けば、当然「座りますか?」と聞いて席を譲る。自分の中ではそれはフツーのこととしてある。

 ところがきょう日はそうでないようだ。つい1週間前にもそうしたことがあった。通勤に使用する私鉄駅で、それらしき人(お腹がふくらんでいる人)が乗ってきて、優先席の一番ドア側の前に立った。自分はその優先席の奥から2番目に座っていた。(この電車は優先席は4人掛けだ。)妊婦さんかな?と思ってカバンを見たけど腕の影になって妊婦バッジがすぐには確認できなかったが、電車が動きだしてちょっと体の向きが変わったときに、それが見えた。彼女の前に座っていた若者(背広を着ていた)はスマートホンをいじっていて、まったく気が付かない。そこでちょっと離れていたけど、「座りますか?」声をかけて立ち上がり席を譲った。席を譲って前に立ち最初に妊婦さんが立った前に座っている人間とそのとなりの人間を観察した。端に座っていたのはサラリーマン風の若者。ずっとスマホをいじりつづけていた。気が付かないフリをしているのか、本当に気が付かないのかは知らない。その隣は40代くらいの女性だった。左手薬指にはリングはしていない人だった。目をつぶっていた。
 
「自分は座ったのだ。その権利は自分にあり、他人に譲る筋合いではない。」と主張するように、たいていの輩はそのままだ。(時々、気が付いてバツが悪いのか寝たフリをして目を閉じているヒトもいるけど。)

 電車内空間という分断された社会では席を譲らない人ばかりなのは当然だろう。そういう世の中なんだと納得するしかない。他人に対してあれこれ言いたくはない。

 で、これからは席があれば必ず優先席に座ることにした。前に妊婦さんが立った時に譲れるようにするためだ。座りたいと思う妊婦さんはだいたい優先席の前に来るからだ。

 ちなみに、私は、少々年齢のいった(くらいの)高齢者には席は譲らない。高齢者は立って足を鍛えることの方が健康長寿にはいいからだ。頑張って立っててくださいと、心の中で念じていますけど。

追記:この電車が終点について、私を含めて乗客が一斉に下りる、チラッと席を譲った妊婦の方を見た。一瞬目が合い(というか向こうがこちらを見ていた)、軽く会釈するように目でお礼を言っていた。(ように見えただけかもしれないけど)。でもこういう時って文句なく気持ちが晴れやかになりますよね。その目線にこちらこそ「ありがとう」と言いたいくらいです。

追記2:7月14日のNHKおはおう日本で、マタニティーマークを付けることをためらう人が増えているというリポートをやっていた。「電車なんか乗らずにタクれ!」と言われたり、お腹を蹴られたという証言もあった。ごく一部なんだろうけど、あまりにもひどい話で、考えただけで具合が悪くなりそうだった。
 


2016年5月28日土曜日

コンパクト蛍光灯のダウンライトを自分でLEDに変える。

コンパクト蛍光灯のダウンライト
三井系の分譲マンション(パークホームズ)に住んで10年。10年前はまだLEDの普及が進んでいなかったこともあり、照明器具は蛍光灯用か電球用スポットライトだった。

 電球スポットライトは、電球を口径の合うLEDに変えれば済むので、まあ簡単だ。しかし蛍光灯用のライトをLEDに変えるには、蛍光灯用の安定器を取り除く必要がある。(そのことすらネットで調べて分かったんだけどネ)。

 安定器を通しても使用できるLEDもあるが、高価なのと、いつも安定器の電力を消費するのであまり薦められない。

 さて、コンパクト蛍光灯のタウンライトをどう取り替えたらいいのか。以下は電気工事のシロウトがない知恵をしぼって、ネットの力を借りて行った我が家のLED化報告である。

配線図の青焼き 読み解くのはちょっと大変だけと・・
①配線図面を取り寄せる。
まずマンションの管理会社に連絡して、配線図を取り寄せた。実際は管理人室にB2サイズの大きくて重い分厚い青焼き(今の人は知らないかもしれないが、昔はコピーはこれだった)の冊子が置いてあり、これを貸してくれた。とても自宅の小さなスキャナーでスキャンすることもできないので、床に置いて真上からデジカメで撮影。パソコンに取り込んでpdfに変換してじっくり配線を“研究”した。

配線図の説明が書いてあり、理解の助けになる
一見するとシロウトには分かりにくいが、何度も見ていると、どこのコンセントや電灯がどこのブレーカーに連動しているかは分かってくる。ブレーカー側にも、つながっている箇所が簡単に記してあるので、配線が次第にわかる。

 そしていくつかブレーカーを切って、図面の配線が正しいか確かめる。図面が間違っていると思わぬ感電をするので要注意だ。簡単なテスターがあると便利だ。
 我が家には20年近く前に買ったテスターが確かあったはずたど、探し回り。1か月たってやっと借りている倉庫から見つけ使用した。
 しかしテスターがなくてもコンセントは、簡単な電気器具をつなげてみれば切れているかどうかは確かめられる。これは安全のためには重要だ。



取り外したコンパクト蛍光灯型ダウンライト 結構重い

②ダウンライトをはずしてみる。
 ここが、結構試行錯誤だった。だいたい電燈器具がどうやって天井に着いているかも知らない。ネットでいろいろ調べてみた。電灯には『ダウンライト』という範疇があることも今回初めて知った。

 ネットでダウンライトがどう天井に設置されているか構造を見て、単に天井板にはまっているだけだとわかり、隙間にマイナスドライバーの大き目のものをはさんではずした。安定器が結構重いのにはびっくりした。ダウンライトはもちろん電線とつながっている。その電線もシロウトにはなじみにない太い1本の銅線。テーブルタップのように細い糸状の電線が束になったものとちがい、容易にはまがらいない。器具への固定はラクで、穴に押し込めばつながる。

数年使用したコンパクト型蛍光灯 もう寿命だ
器具からこの銅線を抜くのは少々力とコツがいる。小さ目のドライバーで抜くための箇所をおさえて引っ張るのだが、シロウトにはなかなか難しい。たいていプラスチックでできているので強く押さえすぎると壊れてしまう。今回はもう古い器具は使用しないことが前提だったので、力任せに取り外した。安定器が結構重いのには驚いた。よく天井に張り付いていたと思えるほどだ。

「出」「入り」はダウンライトには明記してある



 ここで気を付けることがある。はずしてみて、そうかとガテンしたのだが、電灯は3連でつながっているので、1番目と2番目の電線には「入り」と「出」がある。器具を付け替えるときこれを間違えると大変だ。幸い、ダウンライトには電源の入り出の表示があるので、はずす際にどの電線から電流が来ているのかビニールテープなどで目印をつけておくのが無難だ。



③LEDダウンライトを手に入れる。
さて、後さきになるが、予め新しい電灯器具を購入しておく必要がある。結論から言うと、NETで買うのが一番安価で手間もかからなかった。この結論に至るにはホームセンターやヨドバシカメラなど電気店をまわって結構時間がかかった。

ホームセンターなどにはダウンライトも置いてあるが、種類が少なく適当なのがない。一口ににダウンライトと言っても、大きな居間やホテルの部屋に合うような高級なものから安価なものまでイロイロだ。
メーカーはパナソニック、コイズミなどいくつかある。またLEDダウンライトは寿命が長いことを見越して器具と一体となったものが種類としては多い。10年たては器具も取り替える必要があるということなのだろう。
 しかし器具一体式のものにすると、明るさや色が合わなかった場合、またそれごと変えなければならない。ここがシロウトの泣き所だ。経験・蓄積がないから分からない。そこで器具一体式ではない、LED取り替え可能型を買うことにした。

 サイズ、色、ワット相当の明るさなどを選ぶ。天井の穴は計ると15センチだった。ダウンライトには一般的な大きさに12センチ、15センチなどあるから、穴の大きさは計っておく必要がある。

メーカーのウェブサイトはよく出来ていて、必要なサイズやワット相当数などを入れていくと商品が絞り込まれる。これでおおよその目安をつけて製品番号を控え、今度はヨドバシカメラなどのネットショッピングサイトを見る。
ヨドバシカメラでも扱っているがだいたいはお取り寄せで、値段も高め。アマゾンなどに出品しているショップから購入するのが賢明だ。

さて、いろいろネットで見て購入したのが、リンクをつけたこれ。オーデリックの取り替え可能型のダウンライトだ。メーカー希望小売価格は5,800円(税抜き)だが、ネット料金は2,300円。送料は700円かかるがそれでも3つ一緒に注文するので遥かに安い。

 話はそれるが、いわゆる業務用の物の「定価」は高くついている。(ということが分かった)。オフィス家具でもそうだけど、職場で実際に購入する時、業者に頼むと3割引きは当たり前だ。以前ある業者が教えてくれた。「カタログ価格はお役所向けなんです。」と。行政機関が実際に高い価格のものを購入しているかどうか知らないが、そういうことなんだろうな。



新しいLEDダウンライトを取り付けたところ
さて、あとは結構簡単だ。前述のように安定器付きの重いコンパクト蛍光灯ダウンライトをはずし、ネットで購入したLEDのダウンライトに取り換えればよい。キッチンは天井が一段低くなっていて、そのためいわゆる天井裏が広い。もちろんどのくらい余裕があるか事前に見ておく必要があるが、新しいダウンライトはすぐにはまる。天板の厚さがあるので、ダウンライトを天板に固定する金具は多少調整しておく必要がある。

 もうひとつ気を付けなければならないのが、配線だ。上記したように「入り」と「出」があるのでこれを間違えるとやっかいだ。はずした電線には必ずマーキングして間違えないようにしておくことをお勧めする。

④総括
 こうしてLEDダウンライトは取り付けられた。さてブレーカーを入れて点灯してみる。予想されたが60ワット相当のライトが60㎝おきに3つあるのでものすごく明るい。料理をするにはいい面もあるが明るすぎると感じる人もいるだろう。取り替え可能式のダウンライトにしたのはこのためだ。明るさや色が合わなかったら、LEDライトを好みの物に代えることが可能だ。家電量販店に行って好きなものを選べばよい。『選択の自由』度があるようにするのが、快適な家の作り方だろう。

分譲マンションのようにある程度規格が決まったのが最初からついているものは、まあほとんどはそれで間に合うが、どうしても気に入らないものがあれば自分で工夫して代えていくのがいいだろう。
お金をかけられる人は業者に任せてしまうだろうが、自分で行うことの手間暇はかかるがこのやり方は、より好みに合わせられるということでは一法だ。

人間の心理上、与えられたものが気に入らないとストレスになるが、自ら選んだ結果となると、それは多少、事前の予想と違っても受け入れられるものだ。