2017年2月18日土曜日

フリーズドライ食品にハマる。ためしてみましたアマノドライフーズ

 齢50を越し、運動(ランニング・水泳&筋トレ etc.)を続けるようになって外食を余り好まなくなった。体重の増加が走ることの“致命傷“になるし、身体を健康に保つことは気持ちがいいことが、文字通り(身を持って」体感しているからだと思う。
 で、仕事中の昼飯は「中食」ということになる。毎日心掛けているのは、ヨーグルト(無脂肪)とリンゴ、ゆで卵を食べてから、「食事」をすること。これだけ食べたあとに食べるのだから、そう多くは入らないし、カロリー過多にならないようにしなければならない。
 そこで目を付けたのがフリーズドライの食品だ。お湯さえあればすぐ食べられる手軽さと、カロリー表示があることがなんといってもいいし、味も悪くない。

雑炊系、リゾットパスター系、カレーと、昼ごはん向きに種類も多い。今後、山行に持っていく食料の参考にもなる。また我が家ではあまり熱心にやっていないが、非常災害時の備蓄食料としても、いい。
(言っておくけどアマノからお金をもらって宣伝している訳ではありません。)
最近、急に種類が増えたように感じる。
実はこのフリーズドライ食品の出始めのころ、WBSか何かのテレビニュースで、丸の内にアンテナショップがあることを知り、(確かKITTEだった)、何かのついでに行ってみたことがある。(もう4年くらい前かな。)
 その頃は味噌汁などが中心で、あまり種類がなかった。最近、あまり行かないけどイオンの店にアマノフリーズドライが結構多く置いてあることに気付き、試しに買うようになった。
カレーは200キロカロリー以上あるけど、リゾットや雑炊、牛丼や親子丼はほとんど120~150キロカロリーだ。
これで午後からの仕事に体がもたない時には、夕方バナナを1本食べる。
 
 ヘンは話し、トシをとってからも、外食中心に炭水化物もモリモリ食べている人で健康そうな人が周囲にいる。それはそれですごいと思う。自身は、食事に細心の注意を払っていないと、健康が保てない…カラダになってしまっている。
 夕食はゴボウとニンジンを最低コブシ1個分、ワカメかモズクの酢の物、青菜のお浸し、ヒジキなどを食べてから、魚か肉を食べ、最後は納豆とごはんを軽く1杯で〆る。
 何年もこういう食生活を続けていると、ごくたまに、飲み会などで違う食事をすると体が調子悪くなる。それだけデリケートになってしまっている。
(育ちが貧しいのか飲み会でコースで食べると残さずすべて食べてしまう。)

 これが得なのか、外食中心でも平気な方が得なのか分からない。少なくとも生来の人付き合いの悪さがますます増幅されて、孤食化が深化しているのだけは確かだけどね。




2017年2月11日土曜日

リスクとは。あなどれない飲酒を放射線被ばくから考える。

とにかく昨今は「リスク」という言葉をよく見聞きする。
原発問題、自衛隊のPKO活動、健康問題、等々、なんでもかんでもリスクがどうのこうのというのが、「高尚な議論」らしい。
誰だって多かれ少なかれリスクと付き合って生きている。リスクなどということを特に意識しなくても、『経験値』が無意識にリスクを回避してくれ、なんとか生き延びてきた。そんなもんだ。

うろ覚えだけど、内田樹さんが、分かりやすい解説をしていた。
リスク(risk)とは回避できる危険のことで、デインジャー(danger)は回避できない危険のことだと。

週刊エコノミスト(2011年10月11日号)より「引用」
今週忙しくて1週間ぶりに開いたこのPCのフォルダを整理していたら、面白い資料が出てきた。

 2011年10月の週間エコノミストに掲載されていたがんリスク比較の表だ。2011年は言うまでもなく東日本大震災のあった年であり、福島第一原子力発電所の事故と放射線漏れがあった年だ。10月というと、震災から半年余りで、放射線に関する報道でも、まだまだ混乱が続いていた頃だったと思う。今から思うと、本当に極論ばかり(左右とも)がクローズアップされて、冷静な判断能力が“市民”もメディアもまだ持ち合わせていなかった時期かもしれない。
 表を見れば、それこそ「一目瞭然」だけれど、200㍉シーベルト程度の被曝は、喫煙や大量飲酒、肥満と比べて、リスクは高くない。運動不足とほぼ同じくらいのリスクだ。100㍉シーベルトにいたっては検出不能と出ている。
 言うまでもないが、もちろん、これをもってして、原発は安全です。福島の放射能汚染はたいしたことはない。などと短絡的に言うつもりはない。太っている人、大量飲酒をする人は放射線被ばくのリスクについて語る資格はない、などとも言うつもりはない。冷静な議論が大切だということに尽きる。

 改めてこの表を見て思ったのは、アルコールのリスクだ。
こちらは公益社団法人アルコール健康医学協会のサイトに掲載されているアルコール換算表だ。
これを見ると、飲酒のリスクはあなどれないということを改めて認識する。

例えば、ワインを毎日3杯程度飲むとすると、180ml=アルコール20gなので
20g×3杯×7日間=420gとなる。
これは放射線被ばく500~1000㍉シーベルトと同等のリスクということになる。
喫煙に比べればまだ低いけど、これをどう見るか。

がんに罹患する人が人口のどのくらいいるのか知らないけど、たとえば20人にひとり(=5%)のリスクとすると、1.4倍のリスクだからこれが7%になるという理解でいいのだろうか。
もしそうだとすると、ワインを1日平均3杯飲む人に対して、「あなたは(飲まない人にくらべて)がんにかかる確率が5%から7%に上昇しています」と言ったとして、どれほどのインパクトがあるのか。
こういうことを言うと、がんのリスクを訴えてる学会の方々に叱責されそうだけど、まあそういうことなんだろうと、一般の人の多くは受け止めるだろう。
飲酒を習慣にしている人が7%のリスクを5%に下げるために、飲酒をやめるとはとても思えない。

でもこの論法を放射線被ばくに当てはめて、福島の方々に、同様に5%が7%に上がっただけですと言ったら、相当な非難を浴びることだろう。
要は絶対値ではなく、相対的で体感的、感情的な問題だということだ。
だから難しい。

ちょっと中途半端になったけど、もうすぐ9時で時間切れ。取りあえずアップします。


2017年2月4日土曜日

『トランプ現象』は面白い。自らの邪悪さを見つめ、心の「つじつまを合わせる」

寅さん「それを言っちゃおしまいよ」。

誰かがどこかで書いていたが、トランプ現象を見ていてこのセリフを思い浮かべた人は多かろう。
それほど寅さんフリークではないけど、やはり、これを思い出していた。

「一番怖いのは、誹謗中傷や罵詈雑言ではない。『本当のこと』を言うことだ」と言った要旨の言説もどこかにあったな。

本音と建て前という、心のウラオモテとはまた違う。
皆分かっているけど、それは口に出して言うことではない。というのが大人の対応だろう。でも「口に出さない」ということが、人によっては溜まりすぎるとストレスになり、発信することで発散したくなるのもまた人間だ。

 いまさら指摘するまでもなく、不寛容な社会、ネット炎上、「ホンネトーク」など、日本でもトランプと通底する現象は、いくらでもある。

 トランプのフェイク発言にマスコミは当然反応し、トランプ批判を強める。しかしマスコミ自体を既得権者、「われわれを代表していない人たち」と見なす人にとっては、それはかえってトランプを強化する方向に動くのだろう。
行動経済学の入門的な新書「『こころ』の経済学~行動経済学から読み解く人間のふしぎ」(依田高典)を読んで学んでいると、改めてそうした人間の「性(さが)」を認識する。

トランプとマスメディアの闘いが、行動経済学の『認知的不協和』に当たるのかどうかは分からないが、少なくともマスコミとのバトルが続くたびに、トランプ側は、より極端に振れているように見える。

「大人」(自分も一応オトナと思っているけど)であれば、口に出す出さないという以前に、無意識のいちに、そういうことは考えてはいけないこと。“正しくない”こととして、自分のココロの中で処理していることがあるような気がする。それは日常のちょっとしたことから、社会の大きな現象まで様々だ。
 邪悪なことが一瞬脳裏をよぎると、もうひとつ別の「自分」が、そんなことを考えちゃいけない、とささやき、思考を止める。といった過程だろうか。思ったことをポンポン口に出す(少なくともそう見える)トランプ大統領を見ていると、そんな自分に気付かされる。

トランプ現象が面白いというのはそういう意味です。

では、どう振る舞って生きるのがよいのか。それはなかなか難しい。あまりに「正しく」していると、それはストレスになり、ココロが折れることもあるからだ。
多くの人は趣味に打ち込んだり、お酒を飲んだり、騒いだり、買い物したりして、他のことで発散してココロのつじつまを合わせるのだろう。

そう「心のつじつまを合わせる」ことを論じるのが、この拙文のテーマだということが、ここまで書いて気が付いた。(この時点でタイトルを書き替えた)。

職場で難儀する問題に当たっていて、人を説得するのに苦労している時、その人のココロのつじつまを合わせてあげられる方向に持っていくことが、近道なのだろう。しかし、それってどうなの、というのが一方で思うところだ。
 論理的、演繹的に説得しても絶対考えを曲げない人をどうすか。日々、トランプ発言を見ていて、悩みを深くしてしまった。かえって私自身の「心の辻褄」が合わせられない。トホホ。