2018年2月24日土曜日

立憲民主党の「原発ゼロ法案」、自民党「受動喫煙対策」どちらも「大衆迎合」政治にしか見えない。

理想は高ければ高いほどいいのだろか。それともただ、支持者へのアピールでしかないのか。
立憲民主党の「原発ゼロ法案」の内容には、がっかりだ。まあリベラル政党として、その支持者にむけて「アピールしました」というだけに見えてしまう。

印象としては、高い理想を「基本理念」として掲げる一方、法案としての体裁を整えるために、〇〇を推進、〇〇の措置を講ずる という表現で、いかにも政策推進を促す構成になっている。しかし内容としては、ひとことで言えば稚拙としかいいようがない。

基本理念で「電気の安定供給を計りつつ・・」「原子炉を効率的に全て廃止」、「電気の需要量を減少させるとともに」「再生可能エネルギーの電気割合を増加」と謳っている。

では、どうやって、「地球温暖化に配慮しつつ」電気の安定供給を計るのか。そのためのどうやって政策を推進すのか、さっぱり見えてこない。

 大きく言えば、地球上の様々な課題の中で、非原発だけを取り出して論じているとしか見えない。
政策とは、法律によって民間の動きを誘導してうくことであろう。その体裁をとっているが、とても実効性ある法律には、私には見えない。

原発を「効率的に」ゼロにするのは、ある意味では簡単だ。安い石炭、また石油や天然ガスの火力発電を自由に行えるような規制緩和を行えば、原発なんてなくても十分必要な電気は賄えるだろう。当面はね。化石燃料がダメだというなら、太陽光や風力発電を優遇する措置は補助金をたくさん出せば、それも進むかもしれない。日本じゅうの畑や水田をつぶして、また休耕田を政府が高く買い上げて、そこに太陽光パネルを敷き詰めれば電気はたくさんできるかもしれない。
同様の政策は現政府もさまざまやってきてはいる。ここでは詳細は書かなけけど、推進にはさまざまな課題も見えてきて、そうそう加速度的には進まないのも確かだ。
 
  高い理想は、それはそれでよい。しかし現状の冷静な理解や国民の“豊かさ“への渇望など様々な要素を斟酌した上での法律でなければ実現化への意味はないだろう。これでは、自分たちの支持者=リベラル派、非原発派へのアピールでしかないように思う。多くの国民への支持は広がらないだろう。だからメディアも、野党第一党の法案でもあまり多く取り上げない。なんとなくこの稚拙さを感じ取っているのだと思う。
  枝野さん、どうでうすか?

一方、自民党の部会が了承した「飲食店の受動喫煙対策」にも驚きだ。客室面積100㎡以下、資本金5,000万円以下の「中小企業」は「喫煙可」とするらしい。
100㎡の店といったら結構広い。と思いますけど。資本金5,000万円の飲食店といったら、それもまた、いち市民からみると結構おおきなカイシャに見えますけど。これでは、大資本が運営するチェーン店以外はほとんど「喫煙可」としているようにしか見えない。世界の動きへの逆行でしかないし、中小企業に配慮しすぎとしか見えない。これが「受動喫煙対策」なのだろうかね。「不満はあるが前に進めることが大事だ」という意見があり、とにかく部会が了承したという。へんなの。
 タバコの煙が大嫌いな私にとって、ほとんど無意味な法案だ。これもまたがっかりだ。
まあ、喫煙室のある飲食店にはいかないだけだけど。まして喫煙可の飲食店には絶対行かない。

喫煙者という「病気の人々」対策。もっと推進したら。それは医療費の抑制につながると思いますけど。喫煙は病気です。(かつて私も病気でしたが、この病気はなんとか40で克服しました)

「原発ゼロ法案」「受動喫煙対策」どちらも、支持者への「大衆迎合」政治にしか見えない。

(参考)
<立憲民主党 「原発ゼロ法案」>骨子(朝日新聞デジタルより“引用”)
第1 目的(略)
第2 基本理念
・電気の安定供給の確保を図りつつ、商用発電用原子炉を計画的かつ効率的に、全て廃止
・電気の需要量を減少させるとともに、電気の供給量に占める再生可能エネルギー電気の割合を増加
第3 国等の責務
・国は、これまで原子力政策を推進してきたことに伴う国の社会的な責任を踏まえ、原発に依存しない社会を実現するための改革を推進する責務を有する
・国は、改革に当たって生じ得る発電用原子炉設置者等の損失に適切に対処する責務を有する
第4 法制上の措置等
 政府は、基本方針に基づく施策を実施するため必要な法制上、財政上、税制上または金融上の措置その他の措置を講じなければならない。法制上の措置は、法律施行後2年以内を目途
第5 基本方針
(1)発電用原子炉の廃止
1.政府は、速やかに全ての商用発電用原子炉廃止を目標とする
2.政府は次に掲げる措置を講ずる
①発電用原子炉を運転することができる期間の延長を認めない
②商用発電用原子炉の運転は、原子力以外のエネルギー源を最大限に活用してもなお電気の安定供給の確保に支障が生ずる場合で、かつ有効に機能する地域防災計画が作成されている場合に限る
③商用発電用原子炉の設置の許可及び増設を伴う変更の許可を新たに与えない
④廃止するための国の関与の在り方について検討
使用済み燃料の再処理は行わない
再生可能エネルギー可燃性天然ガスその他の原子力以外のエネルギーの利用への転換を図るために必要な措置
⑦商用発電用原子炉等を廃止しようとする事業者に必要な支援
⑧立地地域における雇用機会の創出及び地域経済の健全な発展
廃炉等に関する研究開発その他の先端的な研究開発の推進支援
(2)電気の需要量の削減及び再生可能エネルギー電気の利用の拡大
①1年間における電気の需要量について、2030年までに10年の100分の30に相当する量以上を減少させる
②30年までに1年間における電気の供給量に占める再生エネルギー電気の割合を4割以上とする
第6 推進計画(略)
第7 本部
 内閣に首相を本部長とする「原子力発電に依存しない社会を実現するための改革推進本部(仮称)」を置く
第8 改革の推進を担う組織の在り方に関する検討(略)
第9 年次報告
 政府は毎年、改革の実施状況に関する報告書を国会に提出


2018年2月17日土曜日

英語版フリーペーパーまで出している八方尾根スキー場の生き残り策。蔵王は負けるね

 スキーヤーには知られた、Mt.6=蔵王、野沢、草津、八方尾根、妙高赤倉 の5か所が登録されている。(どういう訳は志賀高原は入っていない。独自路線を行っているのだろうか。)
 景気のよさを受けて、ここ数年は少しずつスキー人口も増え始めているらしいが、それでも、あのバブル時のことを思えば半分以下だろう。どこのスキー場も生き残りをかけて必死だ。
 で、田舎の蔵王と、子どもの合宿所があったことから八方尾根をホームグラウンドにしている身として、今シーズンの「観察結果」を少し記したい。

 蔵王は火山性の温泉、樹氷など魅力、八方は北アルプス(後立山連邦)を眺めながらのアルペンムードある所、ということだろうか。(八方の温泉は、深層熱水型で、地中深く掘ったら熱い湯が出てきたというものだ。(と思う)硫黄分たっぷりの蔵王の温泉とはちょっと違う。)

 先週八方に滑りに行って、英語の分厚いフリーペーパーが置いてあるのに気が付いた。ラーメン屋から、しゃれたバー、蕎麦屋までが、八方だけでなく栂池~五竜の一体のエリアが英語で宣伝されている。こういうのがあってこそ外国人も何度もやってくるのだろう。資本力がない小さな店が多いところでこういうものを発行できるのは、地域をあげて危機感があり、なんとかしようという機運があるからなのだろう。

 ただ、それだけのこと。かもしれないけど、地域をあげてリゾート地を守ろうという意気込みはなんとなく伝わってくる。オーストラリア資本の宿が増えたという事情もあるのかもしれないけどね。宿も、外国人の嗜好に合わせて「素泊まり」が可能な所も増えてきたように思う。また行こうという気にはなる。

 八方尾根スキー場は、もともと東急グループが経営していた。(という認識だけど間違っていたらだれか訂正して)。だからスキー場の中心・兎平のレストハウスは、「101」(トーキュー)と言った。それがおそらくバブルが弾けてから、八方尾根開発が運営している。これは(株)日本スキー場開発(ナスダック?に上場)という会社の子会社で、日本スキー場開発は、また(株)日本駐車場開発という東証1部上場の会社の子会社だ。東急ほど資本力はないだろうけど、なんとか頑張っている。
(余談だけど、ふもとの「おひょっくり」という居酒屋も八方尾根開発の経営。ここにも外国人客が多い。手頃な値段で夕食をとることができるお店)

 蔵王の残念な現状を、前に書いたけど、少しは他の頑張っているスキー場を視察して参考にしたらいいのに。
 蔵王は一体として頑張れない事情もある。(株)蔵王観光開発のロープウェイ、リフトと、樹氷原に行くロープウェイは東武鉄道グループ経営(ポスターにそうあった)。昔はや山形交通(ヤマコー)リフトというのもあったけど、今はヤマコー資本はないのかな。まあ、バラバラにやっていたのでは、八方や野沢に太刀打ちできないだろう。かわいそうだけど。



2018年2月10日土曜日

NHKの五輪報道には、辟易する。本当に。公共放送だけは品位を保ってほしいよね。

 韓国での冬季五輪が始まった。
テレビジョンも新聞も、当然のことながら五輪報道に厚みを増している。それはそれでよい。もともと五輪スポーツは“見世物”なのだから、それに乗ればいいけど。
公共報道の五輪報道を見ていてると、また始まったかと思ってしまう。

どの時間帯でもアナウンサーやキャスターと言われる人、また解説委員までもが、「メダルの期待がかかる」「活躍が期待される」という常套句のオンパレードだ。何の疑問も待たず、ノーテンキに口をつくアナウンサーを見ていると、テレビを消して、AvemaTVの将棋中継に行ってしまう。(実際我が家ではテレビとPCは反対方向にありPCを観ることはテレビに背を向けることになる)。

 これだけ国というものがボーダーレス化しているのに、いまだに国(国民)の競争ということを前提に報道するスポーツ報道は、化石に近い。

 個々人のスポーツ選手(最近はアスリートと言うらしいけど、すべてのスポーツ選手に当てはめるのは違うのでは?)が努力の結果、好成績を出す姿は美しい。それを観ることは有意義だし伝える意味あある。しかし五輪史上主義、メダル史上主義が報道にまで蔓延していることには相当な違和感を覚える。

 前にも書いたかもしれないけど、女子のソフトボールは五輪種目からはずれた途端、ほとんど報道されなくなった。まるで日本から消えたように。五輪以外でどんなにすばらいい試合をしてもそれはごく一部の人々しかしらない事実となる。(どうでもいいけど)。

 私自身はスポーツ観戦の趣味がないので、よく分からないけど、熱狂する人びはスポーツとして純粋に楽しみたいのか、それともひいきの人々のために熱狂したいのか、よくわからない。

 こんな中でスケートの小平や高木が「メダル」ということを一切口にせずにベストを尽くすことだけを言うのは非常に好感を持てた。こいう人々を応援したい。結果がなんであろうと。以上。

2018年2月3日土曜日

地球温暖化。「原発ゼロ法案」より「火力発電ゼロ法案」の方が先だ。

 化石燃料の消費をどう抑えるか。そのことを第一に考えるのが「安心社会」の構築の第一歩だ。 
 
火力発電所(東電広野火力)
先の総選挙で1,100万票を獲得したことを背景に、立憲民主党の鼻息が荒い。反安倍政権の“受け皿”として、一定の支持を得たことは確かだ。
 そのリベラルは姿勢から、また枝野氏自身が東日本大震災時に官房長官をやっていたこともあり、「脱原発」には熱心だ。長期的将来像として「脱原発」は賛成だ。少しでもリスクを低減させることは必要だ。しかしその前にまずやるべきことが多々あるだろうというのが率直な感想だ。
 
 野党は多かれ少なかれ「ポピュリズム」に陥らざるを得ない。人気がなければ選挙民の支持を拡大できないから。だから彼らのある種の極端な言説は大目に見る。そのことを差し置いても、でもやはり、「原発ゼロ法案」に固執することは支持できない。
電気スタンドの「その先」に想像力を働かせよ
放射能という目に見えないリスク、またどんな影響があるのかはっきり分からないことへの恐怖心。原子力というと、日本でまず思い出されるのが、当然ヒロシマ、ナガサキの悲惨な映像であり、実際、被曝者の方はまだ多くが存命で、その恐ろしさを語り継いでいる。だから大衆(=物事を深く考えずに、直感で判断する人々)が「原子力」に対して、得体のしれない恐怖心を抱くのは当然かもしれなし。
 
 交通事故で年間5,000人前後が死亡することや、自然災害で何十人も犠牲になることは、いわば目に見えることであり、直接カンケイない人々にとっては、1回見てしまえば心のどこかで、「なーんだそんなことか」と安心してしまうのは人間のいわば性(さが)だろう。

 化石燃料を燃やし続けることがどれほど怖いことなのか、特に石炭は地球環境への悪影響が大きい。それをまず止めることが、そのために自然エネルギーへの転換を促進するのは理にかなっている、と思う。

 寒波がきても暖房は着けないで我慢して。外灯はムダだから暗い道を歩くことに慣れてください。エスカレーターは動かさないので階段を歩いて。電気製品はなるべく使わないで生活して。ということを国民に呼びかけるのでしょうか。「原発ゼロ法案」を促進する人々は。まあそういうことの国民的合意(何割賛成すれば合意されるのか、その定義はないけど)があれば、それはそれで進めてください。

 しかし人間は一度手に入れた便利さをなかなか手放すことができない。それはそれ、脱原発は別問題です。と言うのは無責任な主張としか思えない。

 企業は省エネの技術革新の努力を続けてきたし、今後も続けていくだろう。そのことには敬意を表したい。しかし省エネにも限界がある。電気を使うものは使うのだ。そのことを抜きにエネルギー政策は進められない。他の項目でも書いたけど、電気自動車の普及には大量の電気が必要だ。その、当たり前のロジックを抜きにしてはエネルギー政策は語れない。

水素自動車の普及の可能性は?
冒頭に記したように化石燃料の消費を抑えることを第一に考えるのが「安心社会」の構築の第一歩だ。だから原子力を推進しろとは言わないし、そんなことを主張している訳ではない。冷静に見積もって、原子力をなくす道程は、それまでにするべきことが多くあり、息の長い取り組みが必要だということだ。

 

 リベラル派の「受け皿」になった立憲民主党だが、政権政党を目指すのなら、冷静な議論が必要ですよ。

(追伸)
「リベラル派の『受け皿』になった立憲民主党だが、政権政党を目指すのなら、冷静な議論が必要ですよ。」と、1週間前は結語としたけど、改めて考えた。
 政治・政党についてこう突き放しても、何の発展的発想にはならない。憂うべきは、野党が票を獲得するために、ポピュリズムにならざるを得ないこの大衆社会そのものだろう。彼らも実は分かっている。しかし票を獲得するにはこれしかないと開き直っているようにも思う。
 でも自民党に投票した人々の票を“奪う”には、もっとまっとうな議論で正面突破するしかない。原発に心底反対している人。消費税は上げない方が日本がよくなると心から思っている人。憲法は絶対変えない方がいいと考える人。それぞれのカテゴリーについて、メディアの政治報道はもう少し、整理して、その集団をあぶり出す努力をしてほしい。表面的な既存の政党や派閥の動きを伝えるだけが政治屋報道ではないでしょうに。それができるのがネットではなく、あえて言えばマスメディアができる調査報道そのものではないでしょうかね。