2012年5月25日金曜日

走ることについて語る④ 「手段」が「目的」に変質する時

「山と渓谷」4月号の「単独行」の特集記事を読んでいて、以前は年に100日近く山に入ったが、いまはランニングが主になり、山行が格段に減ったという女性が対談記事で載っていた。(記憶で書いているので、日数などは不正確です。)

これを見て、「やっぱり」と思ってしまった。
ランニングを始めたきっかけは、加齢による体力を補い、スキーや登山をより快適にできるようにするため、つまり「手段」だった。だから、格好から入るということはなく、Tシャツに山用のハーフパンツ、安売りのズック靴で始めたのだった。

しかし、回を重ねるうちに(それまで、思ってもみなかった膝の痛みやスタミナ切れなど自分にとってはタイヘンな経験をしたが、そのことは割愛)、ちゃんとした靴を揃え、ウェアーもそれなりのものを購入し、そして本屋やジムでランニング雑誌を見るようになるにつけ、大会にも出たいという意欲がふつふつと沸いてきたりしてきた。

図書館で借りてペラペラめくったが、
あまり面白いとは思わなかった。
山行の計画を立てた時、ふいにあたまの中に「山に行くとその日は走れないな」なんで思ってしまって、走ることが、いつのまにか自分の中で「目的」化しかかっていることに気付いた。いけない、いけないと、誘惑を振り払うように「山を捨ててはいけない」と言い聞かせた。

トレイルランはもともと山ヤだった人が多いのだろうか。実情は知らないが、なんだかそんな気がする。私は“まだ”その境地まではいってない。

ランニングがそうであるように、「手段」が「目的」に変質していいものはある。しかし、その変質が弊害を生むことも多い。


例えば、防衛は一国の身の処し方の問題であり、外交など他の要素との兼ね合いで決まる。防衛は国にとって「手段」でしかない。しかし防衛省の当事者にとっては、どの装備をどう充実させるかというディテールが大事になり、それは「目的」と化す。

こんな例は枚挙にいとまがない。お役所でなくても大きな組織だと、「部分最適」が採用されて、全体のリソースを眺めまわして「全体最適」を決定することができなくなる。経済で言う「合成の誤謬」というやつに似ているのではないかな。どんな組織でも、悪意をもってコトを進めている人はそういない。みな立場上よかれと思って行動している。しかし全体を見渡すと、本当にそれでいいのかということになる。

ちょっと話しが逸れた。
人は「走るために生まれてきた」のかもしれないが、「走ることだけ」が「生まれた目的」ではない。あたりまえのことだが、走ることが「目的」になっていく。そう誘因される「何か」が走ることにはあるのかもしれない。

2012年5月24日木曜日

団塊世代サラリーマン リタイア後の正しい過ごし方考え方。

まだ60代前半。体力も知力も、多少の財力もある。そして仕事がない分、時間だけがたくさんある。40代で建てた一軒家のローンも終わった。子どもは独立した。妻は地域活動や友人との交友に忙しい。家にいるとうっとおしがられる。そこで、地域のスポーツクラブに入会した。月会費は9,800円。で、毎日行く。元を取ることが、若いころから身に付いた習性だ。

若い女性のインストラクターがウェイトトレーニングの器具の使い方を教えてくれる。筋トレをすると、最初は筋肉痛に悩まされたが、慣れてくると結構気持ちいい。腕も幾分太くなった。マシンでのランも苦でなくなった。
密かに携帯音楽プレーヤーを買った。パソコンから昔のCDの音楽を流し込み聞いている。財津和夫や井上陽水、小田和正、よしだたくろうだ。ユーミンも入っている。家で聞くとバカにされそうで恥ずかしくて聞けない。運動用のイヤホンをつけ思う存分音量を上げて走りながら聞く。ヨコで走っているヒトが迷惑だと視線で訴えていることなんか気がつかない。気にしない。

終わったあとはジムの風呂でくつろぐ。サウナもある。洗い場にはシャンプーもボディソープも完備されている。たっぷりつけて泡立てる。なにしろタダだからいくら使っても気にならない。タダのものは使いたいだけ使う。シャワーの湯も勢いよく流しっぱなしで使う。家では「もったいない」ので、チョロチョロしか使わないので、ジムでは遠慮しない。石鹸の泡が周囲に流れ出しても気にしない。

ジムでひと汗かいてゆっくり風呂につかって、出てきたころは丁度昼だ。ジムのあるターミナルには昼食場所は事欠かない。安い蕎麦屋やうどん屋がいくつかあるし、カレー屋やラーメンもある。サラリーマン時代から外で昼処を見つけるのは手慣れたものだ。

現役サラリーマンで混雑するが、お構いなしだ。たっぷり時間をかけて席に居座る。
午後から行くところは地域の図書館に決まっている。各種週刊誌が何曜日に発売で図書館の閲覧室に並ぶかアタマに入っている。たっぷり時間をかけて読む。これもタダだ。
時には気晴らしにチェーン店のコーヒーショップに行く。ここでも粘る。4人掛けをひとりで占領して何時間いても平気だ。

夕方帰宅すると、5時頃から民放ではニュースショーというバラエティ番組をやっている。どこもグルメ企画が目白押し。チャンネルをザッピングしながらあれこれ見ていると、じきに夕飯だ。一杯飲んで気持ちよくなってあとは寝るだけ。

これが「正しい時間の過ごし方」だ。ジムで鍛えているから、すこぶる健康だ。

世の中では消費税の増税が議論されている。冗談じゃない。消費税増税はごめんだ。われわれは、ベビーブームの申し子として生まれ、義務教育は1クラス50人以上もの過密状態で過ごし、高校、大学と受験戦争を勝ち抜いてきた。そして高度成長の先兵として、これまで働いてきたんだ。年金はもらえるだけもらうが、払うものはできるだけ少なくしたい。

将来世代のことなんか関係ない。ユーロ危機なんて対岸の火事だ。子ども手当なんかやめてしまえ。われわれはそんなんのなくてやってきたんだ。若い世代にはわれわれのために働いてもらえばいいんだ。自分の子どもだけは、いくばくか財産を残してあげて守ってあげるけど。他の若い盛大の人々は関係ない。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

明け番業務のあと、平日の午前中 ジムへ行くと、60代とおぼしき男性は多い。振る舞いを見、ロッカーでの会話に耳を傾けると、こんな姿が浮かんでくる。
体力も知力のありそうな方々。そのエネルギーをもう少し社会に役立てる手立てはないものだろうか。

2012年5月23日水曜日

世田谷プールの「構造問題」 東京プール難民、番外編

世田谷総合運動場 温水プール 外観


 東京体育館の50mプールが休止になって、首都圏近郊の50mプールを探訪するシリーズ。
辰巳の国際水泳場、横浜国際プールと見てきたが、最後は世田谷温水プール。
ここにはかつて、小学生の子どもを連れてよく通った。何しろ元旦から開いている(年末は休止)ので、3年続けて1月1日に一家3人で泳ぎに行ったものだ。今回訪れたのは5年ぶりくらいか。5月19日(土)の午前中、そんなに混雑はしてはいなかった。

東京の区の設置で50mプールを持っているところを他に知らない。おそらくないだろう。

世田谷区の人口837,185人(市町村便覧 平成24年度版)。千葉市・936,809人(同)よりも少ないが、堺市・837,977人とほぼ同等、新潟市・803,072人より多い。
県でも、山梨県 857,690人(41位)、佐賀県 846,922人(42位)、福井県 803,216人(43位)〔いずれも2012年〕に匹敵する、世田谷区は、大規模自治体だ。もちろん東京の区で一番人口が多い。

(この機会に予算規模も調べてみたが、世田谷は2,800億円余りに対して、今年度、山梨県は約4,600億円、新潟市は3,573億円と、いずれもはるかに大きい。教職員や警察は都道府県職員だし、地理的なさまざまな条件などもあるだろうから単純には比較できないが、地方に手厚い予算が透けて見える。)

さて、まずプールの一般的な状況を報告。(後段で、この施設の構造問題を論ずる)
「世田谷総合運動場温水プール」は、運営母体が“指定管理者”の「世田谷区スポーツ振興財団(公益団体法人)」だ。財団としてのHPもちゃんと持っていて
http://www.se-sports.or.jp/index.php
区の外郭団体としてはなかなかのものだ。
役員・評議員名簿(http://www.se-sports.or.jp/pdf/about/index_meibo.pdf)や
職員、理事長の給与まで載っている。

「世田谷区スポーツ振興財団」では、運動場とプール6か所、体育館3か所、トレーニングルーム1か所の運営を行っている。(HPより)。

●コース設定
プールは50mと25mの2種類。
25mは水深が90㌢程で主に子ども用だ。自由遊泳が4、往復コース1、ウォーキング1。
50mプールは片道コースが2、往復コースも2、ウォーキング1、自由遊泳3の構成だ。(土日の場合)。平日は貸し切りが入り設定が異なるようだ。
驚いたことに(忘れていたのだろう)、ここも横浜国際プールと同様、「追い越し可」なのだ。スピードによるコース分けをしていないので、往復コースでも、真ん中をどんどん追い越していく。これはこれで、結構合理的なのかもしれない。「追い越し可」については、あとで考察する。

●休憩時間
休憩時間は2時間ごとに設けられている。
最初は9時50分から10時。オープンが9時なので、オープンと同時に入って着替えてなんやかなと
やって泳ぎだすのが10分すぎだど、わずか40分で1回目の休憩時間がきて、中断させられる。

プール入口は階段を下りた地下1階
●シャワー室
公立のプールはたいていそうだが、ここもシャワー室でのシャンプー、石鹸の使用禁止だ。「サラリーマンが勤務前にひと泳ぎ」なんていうのは想定していないのだろう。

●ロッカー
比較的大きめのボックスも相当数あるが、更衣室は狭い。シャワーはブースが4つあるだけ。ドライヤーも固定式の簡易なものが4,5台あるだけだ。洗面台にコンセントはあるので、髪を整えたい人はドライアー持参であyるしかない。

●客層、運営状況
HPによると結構厳格に「集団指導」を規制しているので、いわゆるもぐりの水泳スクールはないようだ。(東京体育館はひどかったヨ) 場所柄子どもの数は多いがほとんどは25mプールか50mでも自由遊泳エリアにいるので、あまに気にならない。

●コース設定について
片道コースは、2人が並んで泳げるが、どちらが“追い越し車線”なのか指定はないので、ゆっくり派はどちらを泳いでよいのか分からない。で、往復エリアで泳ぐことに。一番端のコースを泳ぐ。
追い越されててもいいように、なるべくコースロープ、又はプール側壁ギリギリで泳ぐ。
速い泳ぎ手が時々左側を抜いていく。追い越し組みはほぼクロールなので、狭くても手足がぶつかるような心配はない。スムーズな流れだ。「追い越し可」も、この意味では合理的設定だろう。
問題はこちらが追い越したい時だ。私が追い越すのは、あまりにスローなご老人やビート版を使ってバタ足でコースを泳ぐ子だ。コース半分(往路)の幅いっぱいを使って、時には蛇行しながら泳いでいるので、追い越すのも、ちょっと怖いくらい。こういう人に気を遣えと言っても無駄なので閉口する。監視員の「指導」が入ることはない。少なくともそうした状況には遭遇しなかった。

どこまで細かく規則を作るか、は実は悩ましい問題だ。あまりに規定しすぎては運営する方がタイヘンだし、泳ぎ手にも多少の自由度はほしい。しかし「常識はずれ」の輩が無神経にコースを独占していると、何とかしてほしいと思うことも多い。

●アクセスは悪セスだ。
世田谷温水プールの最大の難点は、交通の便が悪いこと。公共交通機関はバスで行くしかない。利用したことないので詳細は知らないが、成城学園(小田急線)や二子玉川(東急線)がバスの最寄駅だろう。しかしいずれも時間がかかる。
また自家用車で行くにしても、駐車場が施設全体の規模に比して狭く、すぐ満車になる。また何か大会があると貸し切りになり、一般車は駐車できなくなる。これでは近隣の住人以外来るなと言っているようだ。以前行った時は駐車場に何十分も並んだ覚えがある。

●総括 「撮影禁止」から考える、規制とサービス向上
プールの建屋の構造は洒落ている。1階の入り口から吹き抜けになっている地階に下りたことろが入口。1階からも、また入口近くからもプールがよく見える明るいガラス張りになっている。
当然のことながら、「撮影禁止」。ヘンな輩が多いので、禁止にするのは、変質者への対応の未然防止然という観点からはやむを得ない措置なのかもしれない。しかし子どもと行った時に感じたのは、親心としてはわが子の泳ぎがうまくなる姿を撮影したいと思うし、記録に残したい。そうした機会をすべて奪ってしまうのは寂しい。なんとか、折り合いの付く方法はないものか、他の公的な施設でも感じたことだ。

一般に管理者は事故や特異な目的の撮影者などの行為を防ぎたい。当然だ。だから、運営者の責任に帰するおそれのある事については、規制は厳しくするしそれを厳格に守ることが使命になる。しかし利用者は、納税している区民(が主)なのだから要望にも耳を傾ける必要があろう。しかしたいていの場合そうはならない。公的機関の管理者には「サービス」という感覚が皆無だからだ。利用者の思いなど二の次だ。とにかく事故・不祥事なく平穏に運営されて責任が来ないようにするだけだ。

サービス感覚がないのは、なにも「撮影禁止」だけではない。使い勝手の悪い更衣室や休憩時間の設定など、このプールだけでも様々な改善点はある。しかし、少なくともこの7、8年だけでもそれは変わっていない。

休憩時間についても最初9時50分にあることは、なんとも理解し難い。HPには「お客様の健康管理と安全管理のため」と記してある。最初は50分弱しか泳げないのにそのあとは2時間間隔。合理的理由があるとは思えない。単に規則をそう決めて、なんの思慮もなく、それを守っているだけだろう。そもそも「健康管理のため」という休憩時間が必要なのか。休憩時間を設けていたらそれが守られて、設けていないと健康が損なわれる事態になるのか、根拠は何もないと思う。

それなりに利用者がいるから、駐車場の整備や快適な更衣室を整備などという発想は出てこない。公営施設の弊害が随所に出ている。

お客様の「苦情・要望」への回答書 ファイルにもなっている。
入口近くには、ご意見箱が置かれて、「利用者様のさまざまなご意見・ご要望にお答えします」という姿勢を見せている。これがまたクセものだ。公的団体として、行政サービスの一貫だからこうした目安箱を設置しているのだろう。しかし用紙には、ご丁寧に「名前やメールアドレスは書かないでください」となっている。匿名が条件だ。この姿勢は、施設側の逃げでしかないだろう。匿名性を強要しておいて、公表する回答方式にしている。あくまでも個人(のクレーマーと言いたいのだろう)には個別にお答えしませんという、装置と化している。中身をいくつか読むと、ハンで押したような紋切形の回答ばかりだ。
要するに、「お客様のご要望はよく分かりました。」とまずクレームに理解を示しておいて、「しかしながら、○○××の理由により、現状のようになっているのでございます」と言った具合だ。さすがお役人主体の組織だ。あっぱれ。最初から、クガス抜き装置になっているだけだ。



そしてここからが、本項の本題。サービス精神がないのは、運営主体の構造問題だからだ。

◇◆◇プール運営の構造問題◆◇◆
「世田谷スポーツ振興財団」のHPを見ると、いろいろ興味深いことが分かる。
「沿革」を見ると平成11年に財団設立、平成23年4月から「公益団体法人」に以降している。そして
平成24年4月、「総合運動場で3度目の指定管理者開始」としれっと書いてある。
つまりこの財団が言いたいのは、公平な競争によって「指定管理者に選ばれました」ということだ。
この2階に「財団」の事務所が入る

公正な競争原理が働いたかどうかを検証するのは非常に難しい。発注する側が様々な条件をつけて、事実上「参入障壁」を作るのはたやすいからだ。これからもこの財団が世田谷区の「指定管理者」であり続けるだろう。なにしろ理事長は元世田谷区の教育委員長。会計監事には現役の世田谷市役所職員がなっているのだから。ちなみに教育委員長は通常、教育行政側のトップのポストだ。ということで、ほとんど事実上、独占請け負いの事業だ。競争原理が働かない分、サービス向上など考えるインセンティブは働かない。


※東京体育館はセントラルフィットネスが指定管理者になって、更衣室やふろ場の改装など(どちらが先かは知らないが)が行われ、確かに“民営”のメリットが実感できている。

そしてもうひとつ、財団のHPにか記されていない事実をつかんだ。プールで実際に運営にあたっている人たちは「トーリツ」という会社の人々だ。おそらく財団の正職員はプールサイドにはひとりもいない。
トーリツとはどういう会社か。HPがちゃんとある。http://www.toriz.co.jp/
元々、ビル清掃の個人事業を大きくしてきた会社だ。清掃から始まって、ビルの空調管理や運営管理に手を広げ、いまでは公共施設の管理運営を手広く行っている。HPで、最近横浜国際プールの「指定管理者」(のひとつ)になったことを宣伝している。しかし「主な取引先」に他の区は載っているが世田谷区の名はない。これは財団から業務を請け負っているからなのだろうが、意識的にそれを隠していると受けとれる。だって、普通、企業にとって公官庁との取り引きは信用の指標になるし積極的に公表したいことだ。実際、他の区の名前は列挙されている。

この会社の概要を見ていて驚いた。常勤職員は、事務職5、技術職8、一般職(営業・業務)40、非常勤(パート・アルバイト他)が682人となっている。トーリツには支店・営業所が9か所ある。ということは、現場で運営している人間のほとんどは、パートやアルバイトということだろう。

世田谷温水プールで監視業務にあたっている者のシロウトっぽさが気になって「あなたはは世田谷スポーツ振興財団の職員ですか」と聞いたら、「運営会社のトーリツの者です。」という答えが返ってきて、カラクリがわかったのだった。

財団は、プール(だけじゃなくて、おそらく施設管理全般を)の管理をほとんどトーリツに業務委託という形で丸投げしている。そのトーリツも実際に働いているのは、非常勤。これでは、関越道で事故を起こした、どこかの旅行会社とバス会社と同じではないか。だから彼らには顧客へのサービス
向上という考えは発生しない。

断っておくが、私は「下請けがいけない。パートやアルバイトは能力が低い」と言っているのではない。非常勤でも優秀な人はたくさんいる。区の職員ならばよいということでは決してない。言いたいのは、サービス向上へのインセンティブが働かないことが、構造化されていることだ。
おそらく財団の人間はこう言うだろう。「これまで運営してきて、だいたい利用者に満足頂いている。特に運営に問題になっている所はない」と。民間のように、よりサービス向上を目指そうという気は、発想からして存在しないのだ。競争原理が働かない限り。

明らかになったこのプールの下請け構造で一番悪質なのは、こうした請け負い構造事態を財団が隠していることだ。財団のHPにはトーリツのことはいっさい書かれていない。

世田谷区長さん。脱原発、脱東電に熱心ですが、もう少し足元の構造と、その状況に目を向けることに限られたエネルギーを使ったらどうでしょうかね。

2012年5月21日月曜日

武田徹氏と永江朗氏 2人の言論人について

○武田 徹(たけだ とおる、1958年9月27日生まれ)東京都出身。
○永江 朗(ながえ あきら、1958年5月9日生まれ )北海道旭川市出身。
永江朗氏(netより引用)
武田徹氏((netyより引用)

(この項は、4月に書き始めましたが、いろいろあって本日までupがずれ込みました。)

これまで、シロウトなりに多少、論壇誌などを読んできたが、武田徹さん、永江朗さんの著作を読んだことがなかった。それは、避けていた訳でも、嫌っていた訳でもない。単にあまり読書量が多くない私にとって、そこまで行き着かなかっただけである。

武田さんについては「NHK問題」で知った。しかし読まなかった。東日本大震災のあと、ほどなくして「私たちはこうして原発大国を選んだ」が出版されたが、手に取ることはなかった。それは、非常に多くの「原発本」が次々と出されるなかで、新聞各紙と週刊誌の書評を読むのが精いっぱいで、その中からこの1冊を選び取る力量が、私にはなかったからだ。

永江さんは、新聞の書評で「そうだ、京都に住もう」を知って、図書館で借りてきたのが最初たっだ。永江さん自身が書評をよく書かれている。新聞書評はわりとよく読むので、無意識にこれまで永江さんの文章には触れているかもしれない。「不良のための文章術」などを図書館で借りて、斜め読みした。
今年、春の陽気になった頃、既存の書き手に少々飽きて、竹田徹さんと永江朗さんの著作を読んだ。(「既存」というのは、自分の好みの著者ということで、メディアの常連ということではない。)

武田徹さん「殺して忘れる社会」。永江朗さん「新・批評の事情」
●文章がうまいとは、どういうことか
この方々の著作を読んで、まず感じたのは「『文章がうまい』」とはどういうことなのか」ということである。
シロウトのわたしが言うのは僭越だが、率直に言ってこの方々の文章は読みやすい。平易な言葉でわかりやすい構成で書かれている。それだけではない、どちらも豊富な読書量に裏打ちされた確かな知識とその考察がなされている。
うまい文章、読みやすい文章、読んでいて心地よい文章とは、単に言い回し(文体とはあえて言わない)や文節の構成が分かりやすいということだけではないことに気付く。
説得力ある内容があって初めてその文章は「いい文章」なのだろう。そんな、いわば当たり前のことを改めて認識した。


武田さんの「殺して忘れる社会」は、産経新聞大阪版に連載されたものだが。様々なテーマについて、豊富は情報量に支えられた考察が毎回書かれている。この人の言説は極めてまっとうで説得力がある。
タイトルにもなている「殺して・・」は前書きで書かれている。
平たく言えば、いわゆる「熱しやすく冷めやすい」と言われる日本人のメンタリティを現代の事象に即して分析している。

震災の起きる前に書かれている原発に関する文書は、今の事態を予想したかのように鋭い洞察力で書かれている。
(「私たちはこうして原発大国を・・・」は、「核論」のタイトルで震災前に出されていたことはあとで知った。)。

原発について書かれた文章
この人のすごいところは、常に冷静に落ち着いた文章で書いていることだ。武田さんも大方の知識人と同様、いまの(大衆)社会に、ある種「苛立っている」ことは間違いないだろう。しかしその苛立ちを露わにすることなく筆を進めている。だから説得力がある。こうした書き方を見習わなければ・・・。

この人の仕事を少しづつ読んでいこうと思う。







永江さんの「新・批評の事情」は、面白い。著作から見た言論人評なのだが、この人の読書量も半端でないだろう。よくこれだけの人の多くの著作を読んでいると感心してしまう。また、読んでいるだけではなくて、読んだことが、アタマの中でよく整理されているのだろう。でなければ、これほど、引用をうまく使った評論を、これだけの量、書くことはできない。(と、思う。)

この人は決して人をけなさない。実に巧みに批評対象者の著作を通して、その人物像を浮かび上がらせている。こうした本をこれまで見たことがなかったほどだ。

永江さんは、「不良のための読書術」(NHK出版)の冒頭で、ヒトに読まれる文章について、こんな主旨のことを書いている。「老人に席を譲りましょう」と、あたりまえのことを書いても誰も読まない。「健康のため老人は立たせておくべき」と書かなければヒトは読んでくれない、と。(記憶での引用なので不正確かもしれません。)
しかし永江さんご自身の文章は、そんな斜に構えた文章ではなく、けっこう直球系かもしれない。

日本のマスメディア(何が基準なのか分からないが)では、必ずしも「著名」でないかもしれない武田氏と永江氏。しかしこうした人の文章がもっと読まれる“べき”だと思う。
偶然にも同年代の私。学ぶことの多い、武田氏と永江氏だ。
しかしこのくらい文章が「うまく」なければ、文章で身を立てることなんかできないんだろうな。

なぜ京都なんだろう、なんて思ってしまった。
原子力問題がここまでこじれた日本
きっとこの本にはヒントがあるはずだ
これから読みます
 
○追記
ちなみに武田さんは最近アサヒのwebRonzaにも書いている。(「一県平和主義を超えて」など鋭い考察をしているが、無料で読めるのは途中までなので冒頭部分しか読んでいませんが。)

2012年5月18日金曜日

復帰40年。「沖縄は独立を目指すべきだ」というのは暴論か

沖縄の日本復帰40年の今月、論壇各紙も沖縄“問題”を取り上げている。(沖縄側に「問題」がある訳ではないので、カッコにした。誤解のないように)

いくつか読んだ中では「世界」6月号、山田文比古東京外大教授の論文「沖縄『問題』の深淵~むき出しになった差別性~」が、本質をよく説明してくれている。

山田氏は外交官、沖縄サミットの時期に沖縄県庁に政府との連絡役として出向している方だ。
○普天間基地の移設問題は鳩山首相(当時)の「最低でも県外」発言で沖縄の期待が高まっただけに結局辺野古に逆戻りし、県民の味わった落胆た怒りの大きさがあり、そうした批判の先鋒になったのが野党自民党だと断罪する。
○民主党は、野田政権になってなんとか以前の状態に戻すべく、野田首相が低姿勢で臨んでいるが今のところ功を奏していない。

○しかしコトは以前の状態に戻せばよいという単純なものではない。沖縄には無視できない変化が起きている。基地問題に関し、内部が一本化し、一枚岩になった。

○沖縄にはもともと。米軍基地の存在そのものに反対する勢力と、沖縄振興のためには現実的な対応が必要で、県内移設もやむを得ないと考える宥和(融和)的勢力の2つの潮流があり、前者は「革新」、後者は「保守」として、保革のひとつの対立軸になっていた。
普天間基地(宜野湾市HPより)
○しかし民主党政権以来、両勢力のいずれもが、県外移設で一致するに至った。これまで革新の大田昌秀、稲嶺恵一、知事は県内のこの対立軸に悩まされたが、仲井間知事は少なくともそれが除かれた。鳩山氏のおかげて県内に平穏をもたらしている。

○そかしそれに伴い沖縄と本土の間には深刻な問題が生じた。これまで融和的な現実派が、革新側と本土との間に介在することによって果たしていた、緩衝材の機能が薄れ、沖縄と本土は対立の構図がむき出しになった。

○その結果、沖縄と本土の間にある深刻な認識ギャップ=「差別」という問題が顕在化。米軍基地が日本に必要というのであれば、そのコストは日本国民が等しく負担すべきというのは、今や沖縄全体の総意になった。

○こうした被差別感情が広く共有さるのは、単に基地の過重負担にとどまらない。琉球処分、沖縄戦など差別的な扱いを受けてきた歴史の記憶が認識ギャップを根深いものにしている。

○沖縄では安全保障においても本土と認識ギャップがる。武力による均衡というパワーポリティックスの考え方にはどうしてもなじめない、むしろ武力があるからこそ、沖縄は悲惨な戦闘の巻き添えになったという認識がある。米軍の駐留の正当化の理屈も沖縄では理解されない。むしろ歴史的に中国に一定の親近感こそある。尖閣列島の危機意識も石垣島など直接関係のある地域を除けばそれほど高くない。

○ここ2,3年で起きた変化は、沖縄に「先祖帰り」をもたらしたと言っていいほど根源的。差別の解消こそ真の安全保障であり、時間はかかっても、本気で県外移設を考えるしか出口はない。

というのが概要である。

米軍 嘉手納基地
  一枚岩になった沖縄世論。確かに保守の仲井間知事が、県民世論を背景に中央政府に対して頑なになったことは大きい。ちょとキツイ言い方をすれば、保守が「基地反対」を唱えても、政府の交付金は増額してもらえるという「現実」も、今年度の政府予算で証明された。これまでのように宥和的態度に出なくても予算はもらえるという「学習」がなされたと言ってもよい。
ただ、この事態はますます本土と沖縄の意識を分断する方向に向かうだろう。悲しいけど。
朝日の記者有論に掲載された「沖縄は『わがまま』なのか」という沖縄タイムズから朝日に出向しているという比屋根万里乃(ひやねまりの)記者のコラムがその一端を表していた。(下段参照) 本土の一般市民だけでなく、日々政治を取材している本土記者にとっても、沖縄は「ごね得」だと映るのだ。
中央政府は、おカネによって、沖縄の“加重な負担”を埋め合わせようとしえいる。しかし沖縄が求めているのは、おカネによる「賠償」でなく、本土との“平等な扱い”なのだ、とこの記者は訴える。
それはわかる。ただ本土の人間が考えるのは、おカネはもらっといて、なおかつ加重な負担も「県外、国外」と言うのはどうしてか、となるのだ。おカネは拒否します。だから基地を外にもっていってほしいというのでなければスジが通らないというのが、本土の人の多くの見方ではないか。(こう言うの沖縄の人にそうとう失礼なのは重々分かっている。)
  前項で示したとおり、沖縄問題の本土新聞の主張は割れている。辺野古移設で我慢してもらうというのが産経、読売、日経もそうは書かないが主張はその方向だ。
これに対して朝日、毎日、東京は辺野古をノーと言い、「本土も等しく負担を」という主張だろう。しかし、ではどこにどのくらい移設するのがいいのかは示していない。示すことなんかできはしない、示した途端そこでは、その新聞が売れなくなるだろうから。だから「空論」を主張するだけだ。
米軍は必要ない、またはここまで縮小できるという具体的主張をするなら、スジは通るが、それにはあまり言及せず、あてもなく単に「県外」や「国外」という主張はずるいというほかない。朝日や東京のいつものパターンだ。
辺野古の海(netより)
海兵隊の必要規模や嘉手納基地の空軍の必要規模について、少ない資料から分析して検証しているのは我部政明琉球大教授くらいしか見たことがない(世界4月号「限りなく実効性の低い米軍再編見直し合意」)

沖縄サミット(2000年7月)の年の5月。沖縄で仕事をした。嘉手納基地近くの小学校に夕方先生を訪ねた。もう薄暗くなりかけた時間(18時を回っていたと思う)だったが、ジェット機の騒音はすさまじかった。子どもたちは、おそらくこれでいつも、先生の話しが中断したり、お互いの会話が途切れることを日常的に経験していることを身をもって実感したのだった。
その事態はおそらく10年以上たった今も、いや1945年以来変わっていないのだろう。
沖縄の置かれている状況をなんとかしたい。それが本土に住む者の責務だという意識は、私自身強い。たからこそ復帰40年で新聞や論壇の言説を読んで、考える材料にしている。

「差別性」という言葉には、少々違和感を覚える(それは毎日の社説でも同様のことを感じた)が、過剰な負担、それも直接的で日常的な負担と、事故などの危険への確率の高さがあることは紛れもない事実であり、それをいかに取り除くかは最重要の課題であることには変わりはない。
しかし本土との認識ギャップが広がりこそすれ一向に縮まらない現状では膠着状態が永遠に続く。山田氏が論考で「時間がかかっても県外移設へ」と言う気持ちはわかる。が、それは100年後200年後地球資源が枯渇して国同士が争っていられなくなる事態でも来ない限り実現が難しいと思う。
一番の近道は、中国や北朝鮮の「脅威」が取り除かれることだ。つまり日米の友好国になることで、基地がパワーバランスを保つ拠点になる必要がなくなる状況になるほかない。それも今の国際状況を考えると少なくとも20年30年は難しいようにも思う。
■「差別性」を解消する手立てはあるのか。
自分たちのことは自分たちで選択する、自主権こそが大事だという立場に立つと、米軍が必要かどうか、どこまで負担を引き受けるのか、または引き受けないのかを沖縄自身が決めることでしか「差別性」は解消されない。

それは沖縄が原点に返る、すなわち独立性を取り戻すことではないか。沖縄が独立したひとつの国であれば米国とも直接交渉できる。日本と友好国になるか、それとも台湾と組むのかあ、あるいは中国の友好国になるのかも自主的に決められる。それが沖縄の自己決定であり、真の自立だろう。
独立しても日本の友好国としてやっていくのなら、日本は地方自治体への交付金でなく、ODAとして援助すればいい。相互防衛協定を結ぶなら自衛隊の駐留も、引き続きありえるだろう。もちろん観光地としてこれかも日本人は訪れる。
一方米軍基地に関しては、沖縄の自主的判断で米国と交渉する。そうなればアメリカもこれまでのように日本政府に解決策を押し付けるのではなく、本腰を入れて取り組むことになるだろう。

こうした考え方ははたして「暴論」だろうか。少なくとも主な論壇紙では「独立」の文字はみかけなかったし、実現可能性としては小さいと言われてしまえば、確かにそうだ。しかし独立を目指すという本気度が、さまざまな意味で沖縄を強くするのではないか。日経などが主張するように沖縄の経済的自立はまだほど遠い。補助金、交付金頼りの公共事業だけでは自立できないのは目に見えている。独立(=自主自立と言ってもよいかもしれない)を宣言してこそ、自らが鍛えられ、それが結果的に、いまある「差別性」の解決を導くのではないか。

沖縄が好きだからこそ、沖縄が独立を目指すことを、あえてすすめたい。

(付録1)
おもろまち(那覇新都心)
那覇新都心は1987年(昭和62年)5月に全面返還された米軍牧港住宅地区の跡地を造成した地区。大型ショッピングセンターやマンション、総合運動公園などが設置されている。
しかし本土の地方都市でよく見かける、郊外型の店が目立ち
その意味では「沖縄らしさ」がさほどない平凡な町になっている。
観光客にとってはがっかりだ。
今後、順次嘉手納以南の米軍用地が返還されていったとき、沖縄はどんな町づくりを進めていくのだろうか。
本土の人間がイメージする「沖縄らしさ」など、うちなーんちゅにとっては幻想でしかないのか。「本土並み」の平凡な郊外が、沖縄の人の選択であるのなら、本土の人間はとやかく言うことは控えたい。
カジュアルにはユニクロを着て、会社勤めには青山の清涼スーツ。休日はTUTAYAでCDやDVDを借り、マックやケンタッキー、またガストやサイゼリアでご飯を食べる。ショッピングセンターにはイオンやイトーヨーカドーに並んでいる「本土並み」のインスタント食品やレトルト食品が豊富にならんでいる。全国どこでも見られる「郊外の風景」だ。もちろんスタバやモスバーガーもそのうち出来る。

(付録2)
 岩波ブックレット「沖縄・読谷村の挑戦」を読んだのはもうずい分前のことだ。
現在参議院を務める山内徳信さんが、読谷村長だった時、村内の米軍施設(飛行場滑走路)を次第に村で使えるようにしていく話しだったと記憶する。また、いわゆる「黙認耕作地」の話しも出てくる。沖縄戦で米軍の上陸作戦が展開された読谷村。その地でしたたかに米軍と渡り合って権利を取り戻してきた山内氏の行動力には力強さを感じる。そしてだからこそ、何もしてくれない本土(中央政府)への不信は、われわれの想像を超えるものなのかもしれない。
こうした事実をひとつひとつひも解いて理解していくことからしか、本土と沖縄の溝は埋められないだろう。
読谷村役場の前のまっすぐで妙に長い「道」は、実は滑走路だった。本を読んでから訪れたので興味深く車を走らせたのを覚えている。 


2012.3.27 朝日新聞より「引用」

2012年5月17日木曜日

復帰40年。沖縄は本土の新聞社説でとう扱われたか

2012.0515-16 各紙の社説

復帰40年。沖縄問題、基地問題、そして本土とうちなーんちゅの「断絶」は非常に難しい問題だ。「こうすればよい」という解決策などない。かといって放置していいことでもない。

5月15日(一部16日)の新聞各社の社説は、方向性の温度差こそあれ、どの紙も本土からの主張に「迷い」が見て取れた。

そのことが、この沖縄“問題”の難しさを物語っているように思う。

読み比べてみることで、今後の沖縄を考える糧としたい。








○読売「沖縄復帰40年 経済と安保を両立させたい」

日本米軍施設の74%が集中することを“加重な負担”と規定。尖閣列島問題など中国の動きを踏まえて、沖縄は地政学的に安全保障の面では一層重要だとし、経済振興と安全保障の両立を問う。
一括交付金で沖縄の振興計画を県主体に移した政府の施策を評価。そして普天間の辺野古への移設を「粘り強く取り組むべき」ことしている。

○朝日「沖縄復帰40年 ①まだそこにある不条理、②めざせ、環境先進地」と2つの社説を掲載

①米軍基地が減らないのは「本土による差別だ」という回答が50%の世論調査を紹介。米海兵隊の移転先を政府が、辺野古に固執していることを批判し、そもそも海兵隊が必要なのかと疑問を呈する。基地のもたらす「猛烈な騒音被害も、事故への日常的な恐怖も本土の人々は共有しようとしない」と指摘。尖閣列島では敏感に反応する本土人を「安全保障をめぐる国民世論のいびつさ」と言う。
経済的な支援策では埋めきれない不条理なまでの重荷を沖縄に本土の人々が負わせていることを指摘。

②沖縄県のひとりあたりの県民所得は全国最小で失業率も高いが、90年を起点に直近のデータと比すと個人所得は1.4倍、小売り販売は1.2倍を超える。県民の平均年齢の若さ(40.5歳)や出生率の高さなど意外に元気であるとしている。EV自動車など環境先進地への挑戦を「脱基地経済への足掛かり」と期待する。

○日経「復帰40年の沖縄は自立へ向かえるか」

40年前に掲げた「本土並み」には程遠い現実を認めつつ、復帰時に95万人だった県民人口が140万人を超えたこと。毎年2万人前後が本土から移り住むこと。500万人を超える観光客など、意外に元気であると指摘。しかし、これまで投じられた10兆円超の振予算に見合った成果が得られていないこと、建設業が主体のいびつな経済構造、公共事業の大盤振る舞いなどをあげる。そして「基地経済」は40年で半減したが、広い意味での基地依存はむしろ深まっているようにみることもできると言う。経済はどうすれば自立できるか沖縄自身の努力を促す。安全保障に関しては、「安易に米軍を減らせば沖縄、ひいては日本の安全保障を損ないかねない」とする。


○東京「いまだ『復帰』なし得ず 沖縄施政権返還40周年」

米軍基地が減らないのは様々に理由づけがなされてきたからだとし、「沖縄県民の苦悩に寄り添って現状を変えようとする姿勢が日本政府にも本土にすむ日本国民にも欠けていた」と言う。
毎日と琉球新報の合同世論調査を引いて、本土人が沖縄の厳しい現状に目を向けようとしない身勝手な意識だとする。そして「沖縄が日本の不可分な一部」なら「負担は日本国民ができ得る限り等しく負うべきだ」とする。そして政府のウソ体質を糾弾し、沖縄米軍の抑止力を真実かどうか自ら考えるべきだとする。

○産経「安保激変乗り切る要石に」

大戦時の大変は犠牲など悲しい過去に言及しつつ、安全保障では沖縄の戦略的重要性もますます増大している」とする。そして「安保も経済も」と両立を目指したい、と。日本の安全が守られてこそ沖縄の平和が維持されると指摘。そのためにも地元振興を図ることが大切だと説く。

○毎日「沖縄本土復帰40年 『差別』の声に向き合う」

沖縄には4度の「差別」があったと。明治維新直後の、いわゆる「琉球処分」、大戦末期、本土の捨て石にされた沖縄地上戦。1952年のサンフランシスコ講和条約発効で米国統治下に置かれたこと。そして1972年の本土復帰。領土返還という最も難しい外交課題を粘り強い交渉によって成し遂げたことは正当に評価されるべきだとしつつも、期待した「基地のない本土並みの暮らし」と現実の落差の大きさを嘆く。また世論調査から米軍基地の集中に対して本土とうちなーんちゅの意識の隔たりを指摘する。一方厳しさを増す東アジアの安全保障環境を考えると、在日米軍をただちに大幅に削減することは難しいとし、本土が負担を引き受けるしか選択肢はないとする。また自衛隊が役割分担をすることもいち方策とする。

東京ですぐ読める全国紙、ブロック紙、計6種の社説はざっとこんなところだ。
今後の沖縄について、現実的な提言を行っているのは「日経、読売、産経」だろう。政府の施策の追認だとも読めるが、現実に「選択肢は限られている」(毎日)中で、振興策と基地負担をセットで沖縄に「提示」するしかないということだ。簡単に言ってしまえば。もちろんそれで言いとは思えないので各紙ともエクスキューズを付けている。それは沖縄の自立だ。一括交付金という使い道の自由なお金を政府があげたのだから自ら考えてください、と。

朝日、東京の主張は、あいかわらず「ご都合主義」に読める。本土の人々が等しくもっと負担を分かつべきだと、苛立ってみせるが、朝日、東京新聞自身も本土の新聞として当事者ではないのか。この2紙の言い方には「私たち、いつも沖縄苦しみを考えてきていましたヨ」と言う、ある種いやらしさが、どうしても付きまとう。本土が負担と言っても、それもいかに大変なことかは、この新聞社でもわかっているはずだ。震災被災地のがえれきひとつ受けれるのに大騒ぎする「本土人」が、基地受け入れ負担をどう「等しく」受け入れることができるのか。理想論というか空論を掲げるだけに過ぎないだろう。

朝日の「めざせ、環境先進地」は、この日の社説としてはちょっと毛色が変わっていて目立った。環境にひとつの可能性を見出すことは、具体的な提言であろう。しかしここにも触れられていない課題が隠されている。EV自動車など「環境にやさしい」電気は、実は原子力発電とセットだということだ。化石燃料を燃やして電気を作ってもエネルギー効率から考えたらあまり割に合わない。これにはもちろん反論もあろうがここではこれ以上触れない。

朝日など「革新」側の論調でいつも気になるのは、一見よさそうな施策を提言していながら、実は課題や反作用に触れないことだ。「理想論のまやかし」とでも言うのだろうか、リアリズムなき計画で読者を惑わしているとしか思えないこともしばしばだ。

毎日の主張には、すこし「おやっ」と思った。朝日、東京に近いお考えの新聞だが沖縄米軍の抑止力の重要性は認めている。もちろん現状で言いとは言っていなが。それにしても「差別」という言葉をあまりに安易に使ってはいないか。確かに仲井間知事が米軍基地負担を差別と呼んだが、それを受けて、サンフランシスコ講和条約や本土復帰まで「差別」のひとつとするのはいささか違和感を覚えた。安易にすぎる言葉のこじつけだ。沖縄がその時々で犠牲になり、あるいは捨て石にされてきたことは確かだし。そのことは読売、産経、日経も認めている。

差別という言葉は、私はもっと「重い」言葉だと思う。ある人間、または行政や政府や企業などある種の「主体」が、他を不当に区別して忌み嫌う、避けることである。地政学的に「運命づけられた」ことを「差別」のひと言で片付けるのはどうか。もちろん運命だったから「仕方なかった」などと言う気は毛頭ない。思考の出発点として、「差別された沖縄」という発想が、はたしていいのかどうかを問いたい。毎日新聞には。


2012年5月14日月曜日

東京 プール難民はどこへ(その2)。「横浜国際プール」探訪記

東京体育館の1年間休止に伴う、50mプール難民のための探訪記。その2である。
5月12日(土)に横浜国際プールへ行った。
http://www.waterarena.jp/

HPによると、ここは設置母体が横浜市体育協会で、実質運営はコナミスポーツクラブが行っている。
実際、受け付けその他の場所で職員はおなじみのコナミのポロシャツを着ていた。
横浜国際プールはメインプールとサブがあるが、メインは冬場はやっていない。4月下旬にオープンである。しかし、50mプール愛国者、じゃなかった愛好者にとって不運は重なる。サブプールは天井の改修とかで半年間、こちらもお休みだ。

メインプールは10コース。そのうち2コースは団体利用(スクールのようだった)。2コースはウォーキングと子ども用の自由遊泳になっていた。従って、コースとして泳げるのは計6コース。このうち2コースは一方通行。残りの4コースがUターン泳ぎだ。2コースづつ「ゆっくりコース」と「速いコース」(正確な表記は失念した)と表示されていた。

プールも場所が変わればルールも変わるのか。Uターンコースでゆっくり泳いでいると追い越していく人がいる。特に注意もされてないようなので、これがルールらしい。ちょっと????だった。

水深にも驚いた。腰くらい、90㎝くらいに設定されている。クロールで手を真下にかくとくっつく程だ。
なぜかと、いぶかりながら泳いでいて分かった。子どもがいるからだ。プールの水深は左右半分づつは変えられるが、コースごとには変えられない。だから全体が浅くなっている。トホホ。泳ぐ実行上は問題ないのかもしれないが、ちょっと物足りない気がする。浅いプールは。

○立地
港北ニュータウンにある。横浜市営地下鉄の上山田駅から徒歩。都内からだと少し不便だ。拙宅からだと、池上線、大井町線、東横線、横浜市営地下鉄と4路線に乗らなければならない。で、車で行った。そうしたら意外にも10㌔ほどで近かった。中原街道をずっと進み、多少渋滞もあったが30分で到着。

○営業時間
土日は午前7時30分から営業している。これはウレシイ。今回は、7時40分過ぎについた。50分ごろプールサイドに行くと、すでに50人ほど人がいた。出てくる9時すぎには150人くらいになっていた。

○ロッカー
ロッカー
フローリングがきれいで、清潔感がある。しかしロッカーはほとんどが3段の小さなもの。プールサイド近くにひと島だけ、50個ほどが2段ロッカーになっていた。
洗面所にドライアーは2つだけ。それも古いタイプだ。ほかにシャワー近くに固定式のドライヤーマシンが3台あった。

○小物入れ
気の効いたサービスとしては、小物を入れるミニカゴが置いてあること。みなそれにシャンプーやタオルを入れてプールサイドに持っていく。
洗面所にドライヤーは2台のみ
○シャワー
温水、シャンプーも使用OKだ。シャワーの位置が変えられるし物置きもあるので使い勝手はよい。風呂はない。
○駐車場
けっこう広く、余裕がある。不便な場所(都心などからはという意味です。)なので車使用はしやすい。2時間300円。

○エントランス
広くて、ベンチもある。自動販売機も充実。まだ営業していなかったが、レストランも併設(11:00~)。ミズノ製品を扱うテナントも入っていた。ゴーグルを忘れていってもすぐ買える。レジに綿棒が置いてあり。自由に使える。(ちょうどよかった)

小物入れのミニかご
○まとめ
サブプールが稼働していないので普段のシーズンの状況は分からないが、少なくとも現状では、子どもや中高生が多い。それでも清潔な50mプールは総じて気持ちよい。2.4㌔、1時間とすこしかかって泳いだ。公認プールだけに大会も多い。スケジュールを見ると結構埋まっている。それでも泳ぐ価値はあるプールではある。


駐車場は広いし、プール受付からも近い
改修中のサブプール





2012年5月7日月曜日

規制緩和の「罪とバス(罰)」 起こるべくして起こったツアーバス事故

関越道のツアーバス事故(netより引用)
クルマの運転は、常に事故と紙一重だということは、運転をする者は誰でも知っているだろう。

たとえヒヤっとした経験がなくても、もしハンドルを握る手が滑って方向が狂ってしまったらどうなるか。もし走行中にくしゃみが出て、その一瞬目をつむる間に前に人が飛び出したらどうなるか。考えだしたらきりがない。それは睡眠不足だとか、体調が不良だとかあまりカンケイがない。万全の体調でも人間の行うことだから、いくばくかの確率で起こりうることなのだ。ただ、それがこれまで“自分”に起こっていないだけだ。
もちろん慎重な運転をしていれば、事故の確率は格段に下がるだろう。しかしゼロではない。自己責任で、自らのクルマを運転することと、おカネをとって人様を運ぶのは別のものであり、それだけより安全が求められるのは言うまでもない。だから法律もある。
より安全を求めるけれども、運転というひとりの人間のする行為である限り、事故の確率は下がってもゼロにはならない。その意味では関越自動車道で乗客7人が死亡したツアーバスの自損事故は、俗人的な問題でもある。

運行会社の安全管理の問題はどうか。どんな問題があったかはいずれ明らかになるだろうが、お上(国土交通省)が、様々な安全対策の指針を作ったとしても、(もちろんないよりはいいかもしれない)ツアーバスの運行そのものがこれだけ甘く規制緩和されていれば、守らない業者が出てくるのはいわば必然である。「規制緩和」の「結果」、ツアーバスの事故の確率が上がったことだけは確かだろう。
中国の慣用句に「上に政策あれば、下に対策あり」というのがある。お上がいろいろ規則を作っても、下はその抜け道や方策を考えるというものだ。今後、安全運行のためにお上が様々な「規則」(指針)を作るだろうし、法律改正も目指すかもしれない。しかし守らない業者は必ず出てくる。
それは、様々な事象に私たちが経験的に知っていることだ。過度の競争に参入した(せざるを得ない)業者は、そうなることが構造化されているからだ。
規制緩和がイケナイだとか、バスの運行会社に問題があったとか、なかったとか、下請け構造に問題があるとか指摘したいのではない。
言いたいことはひとつ。クルマの運転は、非常にパーソナルな行為であり、フェイルセーフ【fail safe】が効かないということだ。交代の運転手を補うことはできても、2人では運転しない。ドライバーが突然トラブルに見舞われ、運転に支障をきたしたらそれで終わりである、ということである。

2人で操縦する(できる?)、旅客ジェット機にはフェイルセーフが効いている。新幹線など鉄道にも「自動列車制御装置」がある。原子力発電だって必ずフェイルセーフがあり、はるかに安全に「配慮」されている。しかし自動車には、ない。(アイサイトなど様々な技術が出てきてはいるが、まだ通常装置にはなっていない)

車の運転というのは、そういうもの。実は非常に危険な行為なのである。それも紙一重の危険だ。

バス事故に話しを戻す。事故をなくすにはどうしたらいいか。事故の確率を下げるために、ツアーバスの規制を元に戻せばいいのかというと、そう簡単な話ではないように思う。すでに緩和された規制は、そこに群がった業者や人々がすでにいる。ハシゴをはずすような行為はフェアーではない。しかもそこに需要がある。率直に言って難しい問題だ。


確率の問題として、ツアーバス事故がどの程度危険なのか。ちょっと計算するとおもしろいことが分かる。

ニュースによると、ツアーバスの利用者は年間600万人だ。今回の事故で亡くなったのは7人。単純に言うと、85万7千人に1人の割合で事故で死亡するということだ。人口で言うと高知県で一人ということになる。
一方、交通事故の年間死亡者数は、ここのところ減少傾向で、一昨年は約4,800人。日本の人口はおよそ1億2,800万人だから、交通事故で死ぬ割合は、大雑把に言うと2万7,000人にひとりということになる。
○85万人にひとり(0.000117%) と ○2万7,000人にひとり(0.0038%) 
こうして見ると、バスツアーで死ぬ確率は、交通事故で死ぬ確率に比してはるかに低いことが事実として浮かびあがる。(他にツアーバスで死亡事故が起きているかもしれないが、それはわからない)
つまり、ツアーバスに乗るより、歩道やガードレールのない通学路を行く小学生の方がはるかに、危険だということだ。(もっとも 0.000117%と0.0038%に統計的にどれだけ優位差があるかどうかは疑問だが。どちらも無視できる確率だろうから。)

結局リスクをどう見て、選択するかという問題だ。原発のリスクについては別項で考えをまとめたい。
ところで規制緩和の旗振り役は誰だったか。
このことは思い出しておく必要があろう。悲劇の根源はこういうところにあるのだから。

学者では、八代尚宏(元ICU教授)、財界では宮内義彦(オリックス会長)だろう。


八代尚宏(netより引用)

ほとんど宗教がかった信念で、「自由放任主義」を唱える八代は置くとして、宮内は、自分の会社の利益ために規制緩和を最大限に利用した諸悪の根源だ。



宮内義彦(netより引用)


規制緩和がなんでも悪い訳ではない。過度の規制が経済活動の活性化を阻害しているものもある。が、宮内の旗振りで、反作用・デメリットを十分検討することなくなされたものは多い。労働者派遣法なんかもその代表例だろう。