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2018年4月21日土曜日

路上喫煙対策も一緒に進めないと意味がない。東京都の受動喫煙防止条例について。

 国の受動喫煙防止対策「健康増進法改正案」は、骨抜き法案になり、事実上ほとんどの飲食店で喫煙が可能になった。「前に進めることが大事だ」などど屁にもならない言い訳で自民党の部会を経て法案が提出されている。ほとんど意味のない法案だ。
 
 そこに東京都は独自の条例制定を目指して、受動喫煙対策に乗り出した。飲食店の禁煙を面積を問わず禁止するという内容であり、そのことは一定の評価をしたい。
 
netより「引用」
 しかし飲食店の禁煙対策は、路上喫煙対策もいっしょに行わなければ意味がない。建物での禁煙が進むに比して、路上で喫煙する輩が目立つ。渋谷区には路上喫煙防止の条例があるが、まったく機能していないため、ほとんど野放しだ。渋谷区区役所は、ご丁寧にモヤイ像のところに喫煙所を設けたが、これが中途半端な施設で、近くを通ると煙がすごくてむせ返るほどだ。東急デパートの入り口がすぐ近くにあり、扉を開けは放っておくと、建物内部にも紫煙が入りこみ、大変だ。入り口脇近くの案内嬢はさぞかし苦しかろう。「煙が入りますので常はお閉めください」と張り紙がしてあるほどだ。

 人間なんて、皆 ご都合主義だ。喫煙者は煙が嫌いな人間のことなんか考えないし、受動喫煙被害なんと想像できないんだろう。ペット愛好家といっしょだ。何メートルも長いリードで(東京とは条例で確か4m以内と定められている)平気で犬を連れまわす輩、路上を自分たちの縄張りと言わんばかりに占拠して歩く輩たちは、ペットに対する感情を自分たちに都合のいいようにしか考えない。
netより「引用」

 話がそれたけど、路上喫煙対策は、重要だ。もはや条例の周知くらいでは意味がないレベルに来ている。渋谷区の場合、要は条例をきちんと適用・運用することだ。
 ポイ捨ては2万円の罰金としているのに、きちんと徴収しているのかいな。朝、出勤でセンター街を歩くと落ちている吸い殻は100や200ではない。徴収コストがたとえ9割かかったとしても、きちんと違反者から金をとり厳格に運用しなければ意味がない。

2018年2月24日土曜日

立憲民主党の「原発ゼロ法案」、自民党「受動喫煙対策」どちらも「大衆迎合」政治にしか見えない。

理想は高ければ高いほどいいのだろか。それともただ、支持者へのアピールでしかないのか。
立憲民主党の「原発ゼロ法案」の内容には、がっかりだ。まあリベラル政党として、その支持者にむけて「アピールしました」というだけに見えてしまう。

印象としては、高い理想を「基本理念」として掲げる一方、法案としての体裁を整えるために、〇〇を推進、〇〇の措置を講ずる という表現で、いかにも政策推進を促す構成になっている。しかし内容としては、ひとことで言えば稚拙としかいいようがない。

基本理念で「電気の安定供給を計りつつ・・」「原子炉を効率的に全て廃止」、「電気の需要量を減少させるとともに」「再生可能エネルギーの電気割合を増加」と謳っている。

では、どうやって、「地球温暖化に配慮しつつ」電気の安定供給を計るのか。そのためのどうやって政策を推進すのか、さっぱり見えてこない。

 大きく言えば、地球上の様々な課題の中で、非原発だけを取り出して論じているとしか見えない。
政策とは、法律によって民間の動きを誘導してうくことであろう。その体裁をとっているが、とても実効性ある法律には、私には見えない。

原発を「効率的に」ゼロにするのは、ある意味では簡単だ。安い石炭、また石油や天然ガスの火力発電を自由に行えるような規制緩和を行えば、原発なんてなくても十分必要な電気は賄えるだろう。当面はね。化石燃料がダメだというなら、太陽光や風力発電を優遇する措置は補助金をたくさん出せば、それも進むかもしれない。日本じゅうの畑や水田をつぶして、また休耕田を政府が高く買い上げて、そこに太陽光パネルを敷き詰めれば電気はたくさんできるかもしれない。
同様の政策は現政府もさまざまやってきてはいる。ここでは詳細は書かなけけど、推進にはさまざまな課題も見えてきて、そうそう加速度的には進まないのも確かだ。
 
  高い理想は、それはそれでよい。しかし現状の冷静な理解や国民の“豊かさ“への渇望など様々な要素を斟酌した上での法律でなければ実現化への意味はないだろう。これでは、自分たちの支持者=リベラル派、非原発派へのアピールでしかないように思う。多くの国民への支持は広がらないだろう。だからメディアも、野党第一党の法案でもあまり多く取り上げない。なんとなくこの稚拙さを感じ取っているのだと思う。
  枝野さん、どうでうすか?

一方、自民党の部会が了承した「飲食店の受動喫煙対策」にも驚きだ。客室面積100㎡以下、資本金5,000万円以下の「中小企業」は「喫煙可」とするらしい。
100㎡の店といったら結構広い。と思いますけど。資本金5,000万円の飲食店といったら、それもまた、いち市民からみると結構おおきなカイシャに見えますけど。これでは、大資本が運営するチェーン店以外はほとんど「喫煙可」としているようにしか見えない。世界の動きへの逆行でしかないし、中小企業に配慮しすぎとしか見えない。これが「受動喫煙対策」なのだろうかね。「不満はあるが前に進めることが大事だ」という意見があり、とにかく部会が了承したという。へんなの。
 タバコの煙が大嫌いな私にとって、ほとんど無意味な法案だ。これもまたがっかりだ。
まあ、喫煙室のある飲食店にはいかないだけだけど。まして喫煙可の飲食店には絶対行かない。

喫煙者という「病気の人々」対策。もっと推進したら。それは医療費の抑制につながると思いますけど。喫煙は病気です。(かつて私も病気でしたが、この病気はなんとか40で克服しました)

「原発ゼロ法案」「受動喫煙対策」どちらも、支持者への「大衆迎合」政治にしか見えない。

(参考)
<立憲民主党 「原発ゼロ法案」>骨子(朝日新聞デジタルより“引用”)
第1 目的(略)
第2 基本理念
・電気の安定供給の確保を図りつつ、商用発電用原子炉を計画的かつ効率的に、全て廃止
・電気の需要量を減少させるとともに、電気の供給量に占める再生可能エネルギー電気の割合を増加
第3 国等の責務
・国は、これまで原子力政策を推進してきたことに伴う国の社会的な責任を踏まえ、原発に依存しない社会を実現するための改革を推進する責務を有する
・国は、改革に当たって生じ得る発電用原子炉設置者等の損失に適切に対処する責務を有する
第4 法制上の措置等
 政府は、基本方針に基づく施策を実施するため必要な法制上、財政上、税制上または金融上の措置その他の措置を講じなければならない。法制上の措置は、法律施行後2年以内を目途
第5 基本方針
(1)発電用原子炉の廃止
1.政府は、速やかに全ての商用発電用原子炉廃止を目標とする
2.政府は次に掲げる措置を講ずる
①発電用原子炉を運転することができる期間の延長を認めない
②商用発電用原子炉の運転は、原子力以外のエネルギー源を最大限に活用してもなお電気の安定供給の確保に支障が生ずる場合で、かつ有効に機能する地域防災計画が作成されている場合に限る
③商用発電用原子炉の設置の許可及び増設を伴う変更の許可を新たに与えない
④廃止するための国の関与の在り方について検討
⑤使用済み燃料の再処理は行わない
⑥再生可能エネルギー、可燃性天然ガスその他の原子力以外のエネルギーの利用への転換を図るために必要な措置
⑦商用発電用原子炉等を廃止しようとする事業者に必要な支援
⑧立地地域における雇用機会の創出及び地域経済の健全な発展
⑨廃炉等に関する研究開発その他の先端的な研究開発の推進支援
(2)電気の需要量の削減及び再生可能エネルギー電気の利用の拡大
①1年間における電気の需要量について、2030年までに10年の100分の30に相当する量以上を減少させる
②30年までに1年間における電気の供給量に占める再生エネルギー電気の割合を4割以上とする
第6 推進計画(略)
第7 本部
 内閣に首相を本部長とする「原子力発電に依存しない社会を実現するための改革推進本部(仮称)」を置く
第8 改革の推進を担う組織の在り方に関する検討(略)
第9 年次報告
 政府は毎年、改革の実施状況に関する報告書を国会に提出


2017年1月21日土曜日

ガラガラ族にちょっと一言 音に対する懸念

 一昔前、「ガラガラ族」などという言葉が流行った?。若い女性がキャスター付きの小型のカバンを引いてあるく姿だ。(「ガラガラ族」でgoogle検索したけど、それらしいものは出てこなかった。違う呼び名だったっけ!)

 最近は外国人観光客も増えたせいか、このカート式の大型カバンを引いてあるく姿がけっこう目につく。私の通う都心の公共スポーツ施設でも、大きな荷物をボストンバックでなくガラガラで引っ張っている人が目立つ。
 
 このスポーツ施設には、目の不自由な人もけっこういる。マッサージで勤務しているいつも見かける人、施設を利用する人など立場は様々だけど。

 JRの駅から、この施設に行くには信号を渡る必要がある。目の不自由な人にとって、おそらく一番緊張するところだろう。信号が変わったかどうかは分かりにくいからだ。音だけが頼りの瞬間かもしれない。
 ガラガラ族がカートを引く時の音は、結構でかい。点字ブロックがあるようなところでは、それが一層増幅される。街中の喧騒の中にあっても、その音さえもかき消すくらいだ。

 ここまで書けば、この文章の「結論」は書かなくても分かるだろう。そういうことだ。
ガラガラ族には、悪意もなにもない。自然体だ。しかし彼らの出す音は目の不自由な人にとっては、大きな「障害」になっている。

 いつも見かける施設のマッサージの人でさえ、慣れている道だろうが、ガラガラが横を通り抜けるとき、立ち止まり、戸惑いを見せていたのを見かけた。(気のせいで、杞憂であればいいけど)

 悪意なきことほど面倒なことはない。悪意あることであれば、止めろを言えるけど、そうでないことは、どうしていうのか。難しい問題ですね。
 
 

2016年12月28日水曜日

マクドナルド化、アマゾン化する公共図書館。で、再度訴える「年末年始は開放せよ!」

いま、公共図書館(都内の区立のいくつかのことだけど)の窓口対応はマクドナルド化し、予約・配送・受け取りはアマゾン化している。

  大田区や目黒区の図書館で言うと、とにかく窓口が混雑しないよう、要員を配置している。バカ丁寧なトーク。きびきびした行動は、マニュアル化されているように思える。
 他の図書館にある蔵書を予約すると、貸し出しがなければ、早い時にはその日のうちに利用図書館まで届いている。ネットで検索して予約して借り出す一連の動きはほとんどアマゾンで欲しい物を買う行為に近い。

 マクドナルド並みの窓口対応とアマゾン並みのクイック配送。私の利用する図書館はすべて指定管理者による業務委託で、民間企業が運営している。だからなのだろうが、あまりに窓口対応と配送業務に経営資源を注ぎすぎていないだろうか。またそうすることが「行政サービス」の充実と考えているのだろうか。
 もしそうなら、少しお門違いだ。

 多少窓口で待ち時間が長くなっても、また、予約から本が届くまで2,3日かかったとしても、その原資をもっと広範囲に利用できる手立てとしてシフトすべきだと思うけど。

 かつて書いたことだけど、港区の図書館で、窓口の人が利用者を「お客様」と呼びとめていた。これも、どう考えてもオカシイ。「お客様」などと言うから利用者は消費者として振る舞い、借りた本を粗雑に扱っても何とも思わなくなるのだ。公共サービスを受けるのは「お客様」とは違う。税金を使った公共サービスに対して「お客様」と言うことに、管理者側も違和感がないとしたら、感覚がマヒしている。

 内田樹さんが何度も書いているけど、教育や医療に対して、利用者が消費者的振る舞いをすることのおかしさ、害悪。同じことが公共図書館でも起きていると言えるだろう。

 本を汚して返しても弁償させない。書き込みがある本など、消費者的振る舞いで公共の財産である書籍や音源がどんどんすり減っている。紛失による損失も相当だ。(かつて大田区の情報後悔で調べたけど、資料が手元にないので割愛)

で、再び訴える。年末年始こそ図書館を開放すべきだと。

私の行動半径にある身近な図書館、大田区立、目黒区立、渋谷区立、港区立の図書館を見ると、おしなべて年末年始29日から1月3日まで(目黒区は4日まで)、「全館閉館」だ。

この時期こそ図書館をオープンすべきたと主張するには2つの意味がある。

①日本の学制では1月から入試が始まる。様々なレベルの受験生にとって、年末年始は最後の追い込みだし、ここでしっかり勉強したい。普段図書館で勉強する人は、いったいどこに行ったらいいのか。自宅に勉強部屋があって、静かな環境でじっくり取り組める人ならいい。そういう環境下にないから図書館で勉強するのではないか。(もちろん自宅に勉強できる環境があっても、気分転換で図書館に行く人はいるだろうけど)。
世間が騒がしい時、また家庭でも何かと慌ただしかったりする時期にこそ、学習する場を確保するのが、「正しい」行政の施策だ。何も貸し出しなどの業務をフルで行えと言っているのではない。せめて学習室くらい開けてあげてくれ。
 湯浅誠さんが講演で言っていた。自分が東大法学部に入った時、その時は「自分は頑張った」と思った。しかし「今にして思えば、自分には静かな勉強部屋というy恵まれた環境があった」そのことに当時は思いが至らなかった、と。貧困世帯にある子どもたちは勉強する環境というスタートからアドバンテージを負っている。せめて、せめてそれを少しでも解消していくのが行政の役目だろうに。
 調べた限りでは、都内のどこの区も「年末年始はお休み」とハナから決めてかかっているとしか思えない。教育委員会(図書館の所管)はやはり紋切型の行政機関なんだろう。

②年末年始こそ、ふだん図書館に行けない人々のために。
杓子定規に言うと、行政サービスは市民(住民)に等しく提供されるものでなくてはならないだろう。一部の人にしか利用できないサービスは基本的にオカシイ。図書館のオープン時間は通常9時~19時くらいだ。(目黒区では一部21時まで週日はやっている。)
 仕事が多様化する中、また東京のように通勤時間の長い地域で、9時ー19時のオープンでは、平日は図書館を利用することはまず不可能だ。せめて21時まで開けてほしい。
 平日に行けない人は土日に行けというだろう。確かに土日は行けるけど、週末は週末でさまざまな用事がある人も多いだろう。結局、いわゆる通勤サラリーマン(ウーマン)は図書館から足が遠のく。普段から行く機会が増えればもっと図書館の蔵書が有効利用されると思うけど。

 武雄市のTSUTAYA運営が良いとは言えない。(正確に言うと行ったことないから分からない)。でも年中無休でオープンする姿勢は評価できる。

 年末年始のオープンや時間延長は、コストがかかると行政は考えるだろう。しかしやり方次第だし考え方次第だ。
 マクドナルド並みの窓口対応をやめ、予約・配送の要員を1人減らして、その分を時間延長の要員に回すという工夫もできるのではないか。そうしたことを十分に利用者に説明して実施すべきだ。
 そうしないのは内田樹さんの言葉を借りれば、図書館を運営する側も利用者を消費者とみなしている証左なのだろう。

 何度でも言う、図書館利用者は消費者ではない。税金を使った行政サービスを受ける住人でしかない。そのことを図書館の入り口に大書しておいてほしい。

2016年11月12日土曜日

小池百合子はあまり好きじゃないけど、今彼女が闘っていることは支持する。

戸田ボート場
悪いけど、ボート競技はどれほど日本の皆さんに親しまれているんだろうか。応援に行く人が周囲に大勢いた、スポーツニュースで大々的に取り上げられたという話は聞かない。もちろん、だからって、昔から五輪種目のこの競技を軽んじていいと言っているのではない。
 レガシー(遺産)だと言って、数百億円の施設を台場に作ることに、その費用を負担する納税者は納得できるのだろうか。なぜ波が多少立つところではダメなのかという程度問題の話だ。

 小池百合子さんは、そんな人々のホンネをすくい上げようとしているように見える。

 ボート競技の当事者たちにとっては、それは立派な施設で快適な環境で競技することは望みだろうけど、全体最適から行って、それ相応の費用対効果があるのかどうか当然斟酌されるべきことだ。

 人にはアンビバレントな考えはつきものだ。東京五輪で日本人が活躍してメダルをとる姿を見たい。(それがある種のナルシシズムであることは置いておいてね)。一方でそのための費用を、オマエが出せと言われたら、「ちょっと・・・」と躊躇するだろう。そういうものだ。身勝手なのが人間の「本性」なのだから。
 
 ボート連盟?の人たちに、税金から支出する費用を多くの納税者はどう思うと思いますか?今後その施設どうやって維持するんですが?と聞いてみたらいいと思うけど。メディアは決してそうした不躾な質問はしないよね。


横浜国際水泳場
水泳競技場も、レガシーと言うならば、五輪後に一般の人々が水泳を楽しめる施設でなくては、なるまい。東京湾の埋立地の先端に作られても、交通の便を考えると、あまりいい場所とは言えない。作るならば、より多くの人が利用できるような場所に作るべきでしょう。

スポーツは市民に広く親しまれてこそ価値がある。メダルを取るという一時的なナルシシズムのために施設が作られることにはちょっと疑問を感じる。

 横浜国際プールは何度も通っているけど、立派な施設だ。ここが現状のままで『国際大会標準』に合致しているかどうか知らないけど、改修で対応できるんじゃないの。
 辰巳の水泳競技場はいささか古いけど、こちらでも十分でしょ。

 辰巳に関して言うと、ここは一般市民に、十分開放されているとは言い難い。競技大会が優先されるのはいいとしても、もう少し一般の利便に応えた設備にならないだろうか。

辰巳プール
水泳は日本では多くの小中学校に施設があり、健康的なポピュラーなスポーツだ。それは非常にいいことだと思う。そのすそ野をいっそう広げる一助になる施設であってほしいよ。

 五輪誘致の際のお金の不透明さ、(これは長野の時もあったけどついにうやむやで終わった)から始まり、競技場の建設問題、エンブレム問題。余りにもオカシなことが多すぎる。小池氏はそうしたことへの素朴な疑問を問いかけているだけだ。

 この人のことはそれほど好きではない。けど、いま彼女がやろうとしていることは、支持しますよ。森喜朗と闘ってください。






2015年12月30日水曜日

図書館を開放せよ! 年末年始こそ開けるべきだ。武雄市を見倣え

 クリスマスから年末年始にかけては、世間は華やいだ気分になるのは、世界多くの国で同じかもしれない。紛争地域(キリスト教の地域)では「クリスマス休戦」があることもあるし、日本に「年忘れ」という言葉があるよう、まあ悪いことも年があけるのだから忘れて、いわば「前向き」に生きようというメッセージなのだろう。それはそれでよい。
 反対に、ひとりの人、生活が苦しい人にとっては、年末はイヤな時期なのかもしれない。「年越し派遣村」が社会で注目を集めたのは記憶に新しい。

 前置きはそのくらいとして。
年中無休の武雄市の図書館(netより「引用」)
年末年始は誰でも休みたい。客が少なくなるという事情もあるのだろうが、普段は朝7時から空いているカフェも開店が1時間繰り下がったり、閉店が繰り上がったりしている。ビジネス街のカフェは需要がないのか年末年始を閉めるところも珍しくないだろう。またこれも、それはそれでよい。経済は需要と供給の関係で市場原理で動くことを否定はしない。

 しかし公共施設は、少し性質が違う。市場原理ではない「判断」があってしかるべきだ。
ジモト、大田区の図書館は12月29日~1月3日まで全館休館だ。もうひとつ利用する目黒区の図書館に至っては4日(月)まで休み。ネットで調べると世田谷区の図書館も29日から3日まで、一部は4日まで休みだ。これが公共サービスと言えるのだろうか?お役所仕事の極みだ。

 役所の事務が年末年始が休みだから、同様にお休みします。4日は月曜日で通常休館日にしているところがあるから休みます。という通り一辺の「扱い」でしかない。
年末年始こそ、まとめて勉強したい人、本をゆっくり読みたい人、またセンター試験が近い時期でもあり、最後の追い込みで集中して勉強したい人が大勢いる。こういう人々=「学びたい人」たちを支えるのが行政の大事な役割ではないか。誰しも家庭に静かに勉強できる環境がある人ばかりではない。そしたことに思いが巡らないのか、お役所の人々には「そんなのカンケイない」ということなのだろうか。自分たちが年末年始をゆっくり休めることが第一なのだろう。
何も、年末年始も通常通りの貸し出し業務を行えとは言わない。
「通常の貸し出し業務は停止するが雑誌・新聞の管内閲覧と学習室は開放します」というような経営上の“工夫”があってもいい。

 何も図書館で働く指定管理者の業者(最近はほとんどの図書館が「下請け」だ。)は年末年始もなく働けと主張しているのではない。業務を絞り込めば、交代で勤務することも可能だろう。はたからはやる気がないだけにしか見えない。
そもそも役所関係の人間には、土日や年末年始・お盆など多くの人がお休みする時期に働いでいる人が結構いることに対して想像力がない。交通機関やデパート、スーパーなどの店舗で働く人だけではない、介護など福祉の現場でも業務がお休みすることはない。大規模工場など高度成長時代の感覚を引きずっているのか、第3次産業の人口がいちばん多いことにもう少しアタマを働かせてほしい。

ちなみに武雄市(佐賀県)の図書館は365日無休で朝9時~夜9時まで開いている。TSUTAYA図書館には、選書などを巡って批判もあるだろう。しかし少なくとも住民サービスを第一に考えた運営を行っているのは確かだ。
よいところは見習ったらどうか。多くの自治体は。

*図書館サービスはそれなりに進化していて、ネットでの検索、同じ区内であれば取り寄せもすぐ行ってくれる。都内であれば区内にない書籍も時間は多少かかるが普段使用する図書館の窓口で借りられる。それはそれで喜ばしいことだ。だからこその提言である。


2015年9月26日土曜日

消費税の軽減税率はむしろ金持ち優遇だ。財務省案の還付方式はまっとうだ。

○食料品への軽減税は、お金持ちほど得をする 
 消費税10%時の食料品などの軽減措置として、財務相は還付方式を打ち出し、これに対して反対の声が上がっている。政策決定の鍵を握る公明党も「反対」の動きだ。(9月26日付新聞)。
以前にも書いたが、食料品などへの軽減税率は、愚民対策としては喜ばれるだろうが、まさに愚策でしかない。
財務省(netより「引用」)
そもそも消費税は等しくすべてのものに一定の税を課すことに意味がある。かつて物品税などと言って、いわゆる「ぜいたく品」に課税していたが、時代が移り、何がぜいたく品かは定義できなくなった。だから「等しく課税する」という消費税という発想が出てきた。
多くの国で取り入れられている制度だ。
 食料品など日常消費するものに、低所得者への「配慮」として税を軽減するという発想は、一見まっとうに見える。はたしてそうだろうか。
 お金持ちは(どちらかというと)高額な食品を購入し、高額なレストランで外食する。(という傾向があるだろう)。だから、食料品への軽減税は、お金持ちにもメリットがある。いや、むしろ高級食材を購入する層ほどトクをすくことになる。
 食品にあまりお金をかけない低所得者層は、お金持ちの得に比べればわずかでしかない。この事実に着目すれば、「税の公平負担」から明らかにズレている。
大衆はなぜ小学生でも分かるこうした事実に目を向けないのだろう。“大衆政治家”も同様だ。

○低所得者対策は別の政策で臨むべきだ
そもそも年金は、物価にスライドすることになっている。消費税率が上がって、物価が上がったら、年金もスライドして上がる。だから年金生活者は消費税10%を基本的に心配することはない。もちろん十分上がらないのではないかという心配もあるだろうが、それは別の政策で応ずるべきだ。
金持ちを利する(という言い方はちょっとイヤらしいが)軽減税率より、有効は方法はある。

○軽減税率導入のコストは厖大だ。
食品の何に軽減税率を課すのか、どこに線引きするのか、だれがどうやって決めるのだろうか、どう決めようと、必ず誰かの不満が残る。また小売業者などでは、軽減税率のための手間と作業は大変だ。リンゴを売るのに、リンゴそのものは軽減税率だが、それを入れる箱は普通の税率などということが起きる。そうした社会的コストは見えにくいが、非常な損失である。

○複雑な仕組みはかえってモラルハザードを起こす
仕組みが複雑になると、それを処理する人間は負担を感じて、かえっておざなりになり、次第に形骸化していく。これは火を見るより明らかだ。面倒くさくなると、どうしても誤魔化しや不正が起きやすくなる。持続して税を納めてもらうにはできるだけシンプルにすることが必要だ。

どうしてこんな単純なことが“大衆政治家”には理解できないのだろう。もっとも愚民が選出する代表だからしょうがないけど。

財務省の「回し者」でも「お味方」でも「応援団」でも何でもない。純粋に消費税を考えた場合、10%程度の税率で軽減税率を導入する愚策に反対するだけである。
有権者も国会議員もこんなことにエネルギーを使うより、どうしたら歳出を抑え、限られた国家予算をどう使うか考えた方がいい。以上。

追伸:今週号のアエラに同趣旨の記事が載っていた。たまにはまっとうな指摘をすることもある。この雑誌は。

2015年9月10日木曜日

NHKのBS放送から、囲碁名人戦が消えた


囲碁名人戦のBSでの放送を、「公共放送NHK」はやめたらしい。

井山祐太名人と高尾紳路天元というファン垂涎のタイトル戦は9月4日から第1局が始まったが、NHKのBS報道はいつものような放送をやめてしまった。

これで衛星放送から囲碁将棋関連の放送を徐々に撤退していた方向性が一層はっきりした。

残念というか、もったいない。
 
 かつてNHKのBS番組に「囲碁将棋ウィークリー」というのがあった。 確か土曜日の正午から1時間半くらいたっぷり時間をかけた番組だった。
内容は、囲碁も将棋も、1週間の主な対局結果を伝え、そして「注目の1番」の解説をじっくり行う。
毎回ゲストがきて、普段なかなか素顔が分からない棋士の方々の話に接することができた。そして私はこの番組が大好きだった。注目の一番では、単に対局の過程を追うだけでなく、なぜその1手が指されたか、その手の背景にはどういう意味があり、その時棋士は何を狙いにどうしてその手を指したか、ゲスト棋士がその人ならではの解釈を交えて解説する。
これがたまらなく好きだった。

 そうか、この対局者はこの1手を打つのにこんなことを考えていたんだと、知ることは、観戦ファンとしてはたまらなく知的好奇心を刺激され、感心するばかりだった。
しかし私の棋力は将棋で10級、碁にいたってはほとんど計測不能なくらいの弱さだ。しかし観戦するのはたまらなく面白い。

 「ウェブ進化論」で注目された梅田望夫さんは、私と同じような「観戦ファン」だ。(もちろん棋力は私よりはるかに上だろうが)。
「ウェブ・・・」で書かれたようには世の中は(まだ)ならなかったかもしれないが、彼の将棋に関する一連の著書は、なかなか面白い。将棋観戦ファンとして共感するところ多々あった。

 彼もどれかの著書で書いていたが、「観戦ファンだと言うと、お強いんですか?と必ず聞かれる。そうではなくて、将棋を観るのが好きというのがなかなか理解されない」と。

 野球ファンやサッカーファンは必ずしも野球やサッカーを実際に行う人ではないだろうし、行う人にしても、必ずしも得意ではないだろう。「観ることの方が好き」という人々が沢山いるはずだ。にも拘わらず将棋や碁では理解されないのはなぜか。
スポーツファンには申し訳ない言い方かもしれないが、スポーツよりずっと知的で奥が深いと思いんだけど。


 衛星放送だけではない。公共放送から将棋や碁の放送がどんどん消えている。
くだんの「囲碁将棋ウィークリー」はBSから衣替えして日曜日午前中教育テレビのNHK杯囲碁と将棋の間に短時間で放送していたが、それも今は「囲碁フォーカス」「将棋フォーカス」という30分番組で、講座と話題中心で「注目の1局」を取り上げた観戦ファン向けではない。

 タイトル戦中継は、将棋は竜王戦と名人戦、碁は本因坊戦と名人戦を行っていたと思うが、先日始まった囲碁の名人戦はBSの中継をしていなかった。

ついでに言うと、3月1日の将棋のA級順位戦最終局「将棋界の一番長い日」も中継をやめ、後日編集したものしか放送していない。

どうして、「公共放送NHK」から棋道が消えていくのだろうか。

ひとつはニコニコ動画で中継を行っていることもあるかもしれない。しかし例えばテニスではWOWOWで放送していても、NHK-BSで放送している。
棋道を愛する人が少ないということなのだろうか。

 NHKの2つのBS放送は、今やスポーツ中継、旅、自然、歌、ドラマ、モノ(あからさま商品紹介はできないから、紀行風にアレンジして)ばかりだ。
確かにそれも悪くない。しかしいくらなんでも「多様性」がもう少しあってもいいのではないか。24時間放送しているのに、

囲碁将棋番組は、そんないオカネのかかる番組ではないと思う。俳優さんを連れていく海外の旅ものひとつ作るのに比べたら安いものだろう。

将棋や碁を愛する年配者はまだまだ多いと思う。そういう「お客さん」を逃していることに気付いてほしい。作り手や番組編成を行う人々に棋道を理解できる人がいないということなのか。
囲碁や将棋の観戦は、知的好奇心を刺激する非常にいいソフトなのに。

学校教育でも棋道を取り入れるところが出てきている。日本で進化し深化した将棋。碁は中国・韓国にちょっと遅れをとっているけど、それでも東アジアに発展する「すごいゲーム」だ。

NHKの衛星放送の番組の並びを見ていると、ここにも「大衆化」の流れが押し寄せいるように思う。何とかならないのかね。梅田さんもこの状況を泣いていると思います。



2015年9月3日木曜日

「無駄」とどう向き合うか。西成活裕さんの著書から考える。


世の中、突き詰めると、「『無駄』」をどうするか」のために生きているような気がする。
 カイシャでは経費節減、業務の効率化、経営資源の有効活用などという言い方で、日々「無駄」と闘うことが日常業務だ。ヘタすると、社会的価値を生み出すという企業本来の目的がどこかに消えて、無駄をなくすこと自体が目的になってしまった錯覚に陥りかねない。

 ともあれ、無駄はなくしたいというのが、私生活でもあることは確かだ。ムダなお金は使いたくない。時間のムダもいやだ。日々、無意識に「無駄」と闘っている。

 なぜか、2008年刊のこの、西成さんの書籍を買って読んだ。「渋滞学」のあの人だ。夏前に新潮選書の書籍目録が新宿紀伊国屋に置いてあって、それを家のソファーに寝転がって、何かいい本なないか“物色”している時に気に留めた1冊だったからだ。
 
 もちろん「無駄」ということに、ことのほか関心があり、「合理的」であることをこのやく愛する性格も作用した。
 一読して「う~ん」とうなってしまった。「学問」と言うには、有名な「渋滞学」の域に届いていなかった。前半は「学」になろうとして言葉の定義や論理を展開し、中盤は「トヨタ生産方式」の具体的な紹介。後半は西成さんの社会に対するエッセイだった。
 
 決して内容が「無駄」だった。読んで時間を「無駄」にした、ということではない。トヨタ生産方式をこれほど具体的に読んだことはなかったし、エッセイも「無駄」という視点から、エンデの「モモ」から、「成長の限界」まで、さまざま知識人の著書が簡潔に紹介されているという点では、「無駄」を再認識するきっかけにはなった。

 でも一番印象に残った、実用的な記述は、結局「高速道路で車間距離を40メートル以下にすると渋滞が起きる。だから車間距離を詰めないことが肝要だ。」ということだったかもしれない。

 西成さんは「直観力」についても述べていて、これはこれで参考になる話だけど、直接「無駄学」とは関係ないお話だった。

断わっておくが、この書籍をけなしているのではない。とにかく最後まで読んだ。でも「渋滞学」のように後世まで残るテキストではなかったということかな。無駄について改めて深く考えるきっかけにはなったけど。


2015年7月30日木曜日

タバコを巡って② 受動喫煙の健康被害を軽んじる渋谷区

 いわゆる「シブヤ」=ハチ公のいるスクランブル交差点を中心とする繁華街とその周辺部は、渋谷区の一部かもしれない。が、同時に渋谷区のカオでもある。以下、このシブヤでの話し。

  この7月から再び渋谷区内に通勤するようになって、改めて気付いたことがある。いわゆる若者(バカ者とも言う)は、人の迷惑に無頓着な輩が多いということだ。しょっちゅう歩きたばこに遭遇する。そのたびに、有害紫煙に恐怖して避けて歩かなければならない。

 渋谷区に喫煙条例はないのだろうか。調べてみたら、なんと、ないのだ。
あるのは単に吸い殻を路上に捨てるのは禁止」というだけだ。そしてその罰金は「2万円以下」

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【参考】 きれいなまち渋谷をみんなでつくる条例    平成九年一二月二日
(禁止行為)
第十一条 何人も、公共の場所等にみだりに吸い殻、空き缶等を捨ててはならない。
2 何人も、落書きをしてはならない。
3 犬の飼い主又は管理する者は、公共の場所等で、犬のふんを放置してはならない。
(吸い殻入れ等の設置及び管理)
第十二条 たばこ及び飲料の自動販売機を設置し、又は管理する者(以下「自動販売機設置者等」という。)は、吸い殻入れ又は回収容器(以下「吸い殻入れ等」という。)を設置し、これを適正に管理しなければならない。
(罰則)
第二十二条 第十一条各項の規定に違反した者は、二万円以下の罰金に処する。
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つまり、渋谷区では吸い殻を捨てることは罰金2万円以下の禁止行為だけど、路上喫煙は、条例
では何も制限されていない。条例に従えば、どこでも携帯灰皿を持っていれば歩きタバコもOKとい
うことだ。
なーんだそうんだったのか。これでは、路上喫煙がなくならいはずだ。

こう書くと、渋谷区の役人から反論を受けるだろう。

区は「渋谷区分煙ルール」を定めて「歩行喫煙はしない」「たばこは決められた場所で吸う」という運動を“推進”している。しかしそれは条例でない。だから罰則規定もない。
この「決まり」って何なの?。どうやってこれを守ることが担保されるのか。
しかもこの「分煙ルール」は、ご丁寧に、主要駅から半径300m以内を「重点地区」と定めている。半径300mをどうやって定義するのか。大平原でもあるまいし、どこからどこまでが300mなのか、分かりようがない。
また重点地区を定めるということは、重点地区以外は守らなくてもいいと言っているに等しいということではないのか。重点地区では何か特別に行政マンを配置するなど施策をしているのだろう
か?。さっぱい理解できない。
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/env/en_eventact/bunen2.html
確かに、条例でなくてもルールを設ければ、多くの“こころある”人はそれに従うだろうし、その意味では一定の効果があることは否定しない。しかし問題は「少数かもしれないが、ワルをどうするか」ではないのだろうか。そのために法律や条例というものがあり、抑止力として罰則規定もある。法治国家なんだから。

 卑近な例を出そう。
 殺人罪がなくても、大多数の“善良な”人々は人を殺したりはしない。窃盗だって同様だ。多くの人は、法律がなくても人様のものを盗み出したりしないだろう。それは殺人や窃盗がフツーに行われる世の中だと安心して暮らせない。それは自分たちの社会が成り立たないということを「理解」しているからだ(と、思いたい)。

 しかし、「殺人罪」という法律があるのは、多くの理性的な人々の中に、ごく少数だが殺人を犯す人がいるかもしれないからだ。実際、いる。だから罰則を設けて「禁止」している。

1000人が暮らす町で、999人が善良な人々だとしても、1人だけ殺人を犯す人いたら、この町は「怖い所」になってしまう。たったい1人、0.1%が、すべてをブチ壊す。だから「禁止のルール」は「少数者」のために存在する。

渋谷区の施策に話をもどそう。
ルールはなぜ存在するか、という原理的なことを斟酌せずにただ「禁煙ルール」を定めましたと言っても、それは実効性が担保されないし、そもそも説得力も何もない。

 おそらく、条例を策定する際に、愛煙家の区議や役人が「たかがタバコ、そんなに厳しくしなくても」「まあ大目に見て・・・」などと考え、ブレーキをかけたのだろう。そして妥協案として、なんら法的バックボーンがない、曖昧な位置づけの「禁煙ルール」みたいなことを決めた。

喫煙所からいつもはみ出ている。ちゃんと中で吸え!(netより引用)
役人も区議も、彼らはそのルールの実効性などどうでもいいと思っている。ただ、自分たちはちゃんとルールを作り、タバコの害から「区民等」を守りましたと、言い訳の材料にしただけだ。
健康を害する、また子どもなどの目の高さにあり危険とさえいえる「歩きタバコ」問題は、こうして処理された。バカにされたものだ。

ついでに言っておく。本日、悪名高いセンター街を歩きながら、吸い殻がどのくらい落ちているか数えた。スクランブル交差点までおよそ30メートルの距離だけだが、概算で50は下らなかった。条例の罰則の最高額2万円が課徴されたとしたら、これだけで100万円分だ。

渋谷区の役人は条例をどう生かしているのだろうか。この条例を駆使すれば、毎日数千万円の収入があるだろう。それをまったくやらない渋谷区は、もはや条例すら形骸化させているということだ。

性的少数者(同性愛者)を認めるのもいいけど、「区民等」の健康と安全を守るためにもっとやるべきことがあるんじゃないの。シブヤ区は。
斉藤 環さん(精神科医・評論家)の言葉を借りれば、渋谷区はそこにたむろする若者だけでなく、
区役所の職員、区議も「ヤンキー化」しているんだろう。



ちなみに隣の新宿区では、
「新宿区空き缶等の散乱及び路上喫煙による被害の防止に関する条例」で、
(路上喫煙の禁止等) 第 8 条 区民等は、路上喫煙を行ってはならない。ただし、区長の指定する場所においては、 この限りでない。と、
はっきり路上喫煙の禁止を謳っている。ただし罰金などの罰則規定はない。

一方、第 7 条では「 区民等は、道路、公園、広場、公開空地その他の公共の場所に空き缶等をみだりに捨 ててはならない。」と言い、2万円以下の罰金も設けている。

空き缶を捨てるのは2万円以下の罰金だけど、吸い殻はいいらし。
新宿も渋谷も目くそは鼻くそだね。これ以上、バカらしいから調べるのはやめるけど、まあまともな条例があるのは千代田区くらいかもしれない。 以上、バカらしい話を延々書いて疲れた。




2015年3月4日水曜日

東急電鉄という体質③ 「マナー対策」考

東急電鉄発行の冊子を「引用」
  「東急電鉄という体質」という論考は、過去ブログを見てみると、2011年7月以来だ。

 今回は「マナー対策」を考えてみたい。
 どこので鉄道会社でもそうだろうが、マナーの悪い乗客対策には頭を悩ましていることだろう。おそらく苦情が一番多いのではないか。私自身もしばしば「アタマにくる」ことがある。(まあ、かといって鉄道会社のお客様相談室に電話をかけてみても事態が変わることはないので、行動は起こさないが)。

 鉄道会社の対策で一番優先順位が高いのは、言うまでもなく「人身事故対策」だ。これで列車が遅れると、振替輸送などの経費がかかるし、ラッシュ時であれば混乱もする。だから、山手線も、私鉄も、「お客様の安全のために」ホームドアの設置を進めている。
これが整えば、経費のかかる人身事故が減るだけでなく、朝夕のラッシュ時に駅員や警備員を配置する人件費を削減できる。どの会社も費用対効果を見据えながら設置を進めている。それはそれでいい。

  では「マナー対策」はどうか。冒頭に書いたように苦情が多いので、何等かの対策を講じる必要性は感じているのだろう。
啓蒙のポスターも毎年のように更新されている。

 半年ほど前に東急線の駅に置かれるようになったのが、この「マナー&安全ブック」である。A6版のコンパクトなもので、中味もソフトな語り口ながらストレートな「マナーの呼びかけ」になっていて、よくできていると思う。マナー対策に力を入れてますよ、というアピールにはなっている。

東急「マナー&安全ブック」より“引用”


 しかし、ここに(東急電鉄に限らず)大きな組織の陥穽を見た気がした。

 ここからは推測が入るが、おそらくこの冊子を作成したのは、本社の広報などの部門だろう。苦情が多いマナーについて、「お客様」相談室などの要請を受け、ポスターだけでは周知が不十分だからと予算をつけて作りあげた。そして各駅の窓口などに配備し、乗客にマナー向上を呼び掛けたのだ。

 このことに何ら業務上の瑕疵はないし、担当者は一仕事やったと思ったことだろう。
 しかしその効果があるかというと疑問だ。もともマナーの悪い「民度の低い」人々は、こんな冊子を手にとって見るという行動にはでない。イヤホンをしてスマホを握りしめて夢中になっている輩に対して、ほとんど冊子を読んでくれという要求は、無意味だ。
実際、私の使う駅では、いまも窓口に置かれていて、あまり減ったようには見えない。


マナー対策で一番効果がありそうなのは、毎日、車内で呼びかけることだ。「足を組んだり、投げ出さないでください」「ドア付近は広く開けて下さい」「歩きスマホは他のお客様の迷惑になります」と。ひつこいくらい、繰り返すことでしか、民度の低い人々の意識は変わらない。

しかし、そうした呼びかけは、時々思い出したように、しかもマニュアル通りにしされているに過ぎない。これが現実だ。なぜか。

 車両運行の現場部門にとって、一番大事なのは、安全運行・定時運行だ。日々車両を動かしたり、車掌業務に就いている方々にとって、事故が起きないことと時間に遅れないことに心血を注いでいる。だから、車内のマナー対策のためにアナウンスすることなど、余裕がある時にしかできないし、そのことが運行の現場で「評価」の対象にもなっていないだろう。
 車内での呼びかけが時々行われるのは、おそらく、運行マニュアルにやるように書いてあるからだろうが、安全や定時運行をおろそかにしてまで行うという「業務」ではない。

 だから日常的な呼びかけは行われないし、マナーの悪い乗客は減らない。広報部門も運行の現場で一番大事なのは安全と定時だということは当然分かっているので、「もっと呼びかけろ」とは言えない。だからせめてという思いで「冊子」を作った。

それぞれの部門にとって一番大事なことは違う。大組織になればなるほど、各々の連携が難しくなる。みな使命感を持って鉄道運行に関わっているのだが、「マナー対策」に関して言えば、事態はよくならない。「合成の誤謬」とは、まさにこういうことではないか。難しい問題ですね。

これは何も「東急電鉄の体質」でなく、多くの大組織に言えることだが、とりあえず身近な事例として考えてみた。私にとって、車内でマナーの悪い乗客を見るのが日常で一番ストレスがたまることだから。


東急「マナー&安全ブック」より“引用”

東急「マナー&安全ブック」より“引用”

東急「マナー&安全ブック」より“引用”

2015年2月28日土曜日

図書館とのバトル② 構造化されている「モラルハザード」

 公立の図書館は「無料」だ。原則だれでも無料で出入りでき、その地域に住んでいて登録さえすれば無料で借り出しもできる。それは使用する者の「善意」に支えられている。使用者は蔵書を丁寧に扱い、盗むこともなく期限までにきちっと返す。少なくともその建前で成り立っていて、税金で運営されている。

 しかし“大衆社会”の現実は違う。図書館の蔵書を利用する者は、無料貸本屋感覚だ。そして利用者は“神様”である「お客様」だ。だから本をぞんざいに扱おうと、破損させようとまったく関係ない。それは「図書館側がなんとかするでしょ」ということなのだろう。

結果、どういうことが起こるか。巷間よく言われているのが図書館側の「無料貸本屋状態」と、慇懃無礼で不遜な利用者の増大だ。税金で賄われている公共財という、当たり前のことを小指の先ほどにも思わない多くの利用者が「地域の皆様」になっている。

 いま多くの図書館で、運営が「指定管理者」に委ねられている。受託した業者は、利用者拡大と「お客様へのサービス向上」で必死である。サービスが悪くてクレームが来ると、委託元の地方公共団体から「ちゃんとやれ」と言われる。利用者が減ると、「運営が悪いいんじゃないか」と言われる。

彼ら(受託業者)にとっては、「マナーの悪い利用者」は、「そういう人が居て困るんです」と言えば、委託元の自治体も、業者の努力不足とは「認定」できないから大目にみる。業者は、書籍がどうなろうとそれは受託費に関わらないからカンケイない。それは自治体予算でなんとかしてくれる。と、思っているのだろう。決して「悪意」ではないだろう。利益第一の業者にとって「カンケイないこと」に分類されるのは構造化されているということだ。

公共の図書館で起こっていることは、そうした「無責任の態勢」によるモラルハザードだ。
図書館の受け付けでは、利用者を「お客様」と呼び、利用者は「タダの商品」をぞんざいに扱う。

 普段利用する大田区の図書館では、借りた蔵書をムキ出しのまま自転車の買い物カゴに入れて返しに来る輩を何度も見た。中には小雨の中を平気でそうして返しにくる者も見かけた。「お客様」にとって、読んでしまった書籍はもはや「廃棄物」でしかない。だから平気でぞんざいに扱う。返さないと次に借りれないから仕方なしに返しにくるだけだ。

指定管理者「制度」は、こういう人を増やし続けている。指定管理者制度そのものが、業者をそう仕向けるようにしているのだ。少なくとも大田区のある図書館では、そうだった。
だからこそ、委託元となる自治体は、管理について細心の創意工夫が求められる。しかし、そうした意識はほとんど感じられなかった。

 (以下 次号)


2014年10月18日土曜日

大田区立図書館とのバトルの記①。 「公共物」について考える

大田区立図書館でのできごとから考える。

洗足池のほとりに立つ大田区立の図書館
先日(と言っても3か月も前になるけど)、大田区立のある図書館で新書を借りた。
(「こどもの貧困」(岩波新書))。初めから借りることを決めていたので、書庫から取り出しそのまま借りて帰って家で開いてみたら、なんと書き込みがあるではないか。鉛筆書きだったが、いたるところに線が引いてある。

書籍の内容からいって、おそらくボンクラ学生かなんかが、やっつけでリポートをまとめるのに借りて「引用」(要するにアナログ的コピペ)をするため、線を引いたのだろう。前半3分の1位まで、“要所”にマーキングされていた。

本の損傷としてはたいした部類にならないが、かねがね思っていた図書館運営に対しての不信と不満が湧いてきた。

 まず窓口に行き、なぜ「破損」した書籍を書庫に置いてあるのか。、いつ誰に貸し出されたのか、返却時に確認したのか等々質した。
しかし、「書庫から自分で出して書き込まれると分からない」と言うだけだ。

 あえて執拗に質したのは訳がある。
 書籍や雑誌、CDを借りると、染みていたり破損していたり、またCDなどは歌詞カードがないものも多い。もちろん一義的には利用者の方に問題があるが、問題ある利用者に対して「啓蒙」して税金で賄われている公共財を守るのが、管理・運営する人の役目だろう。それがきちんとなされていない事実に不信感があったからだ。

 この図書館に限らず、いま公共の窓口は、「お客様」の不満が出ないように、迅速な対応を心掛けている(ようだ)。 「お待たせしました」「少々お待ちください」「ありがとうございます」等、時にはバカ丁寧な対応が、フツーだ。
この図書館も例外ではない、利用者を「お客様」と呼び、そのお客様を窓口でお待たせしない対応には心血を注いでいるよに見える。しかし反面、返却された図書をきちんと確かめるという必要な作業を怠っていると感じていた。

これでは、借り手に、公共物を丁寧に扱おうというインセンティブが働かない。
平たく言えば、「どうせ見ていないんだから、少々汚しても、敗れても平気」という気分になるというものだ。大衆は。

この図書館の運営を担っているのは○(株)TRC・図書館流通センターだ。
http://www.trc.co.jp/

たまたま同じ指定管理者が運営を行っている港区のさる図書館では、扱いが違っていた。返却時には必ず、ページをめくり破損等がないか確かめていた。また汚れが見つかった場合、利用者に「指摘」をし、注意を促していた。
小さなことだがこうした積み重ねが、利用者の意識を変えさせる。それが大田区のこの図書館ではなされていなかった。
つまり、会社に問題があるというより、個々の図書館の運営方針に問題があると感じたのだった。

ここで朴念仁ジジイのしつこさを発揮することになった。
窓口に「責任者」を呼んでもらい、破損した図書を放置していることに対して文書で回答するようにお願いした。

数週間待って得た回答は、お粗末なものだった。突き返してしまったのでその時の文書は正確には覚えていないが、よくある謝罪文と「適正な運営に努めてまいります」というお粗末なものだった。

そこで次の手に出た。区役所に行き、条例に基づいた情報公開請求で、指定管理者との業務委託契約書、大田区内での図書等の破損と弁済状況の文書を求めた。
日程を合わせて、公開文書を閲覧できたのは1か月後くらいだった。
その結果、さまざまなことが分かってきた。

(長くなりそうなので、以下別項で、)