2016年11月5日土曜日

後ろを振り返るということ。それは自己を見つ直すことだ。

物事をやりっぱなしにする風潮は、最近のことなのか、それとも「昔から」そうなのか。
最近いやなことが続いた。モノゴトをやりっぱなしにする輩は、なんかここのところやたらと目につく。
○その1:
マンションのエレベーターというのはどこもそうだと思うけど、ウラに「開延長」のスイッチがあって、たとえば引っ越し荷物を運ぶ時や棺を乗せる時などに、すぐには扉が閉まらないような設定ができる。これをオンにすると1分くらい扉は自動では閉まらない。
 拙宅のマンションで引っ越しか何かがあったのだろう。
ある日曜、夜に帰ってくると明らかにこのスイッチがオンになっていたようだ。一度上に行っていったエレベーターが5階で止まったままなかなか帰ってこない。
 以前同様のことがあったので、開延長のボタンのことを聞いていて知った。このまま月曜朝を迎えると、出勤・通学する住人で混乱するのは目に見えている。エレベーターの箱の中でスイッチはどこかちょっと見たけど分からなかった。家に帰るとマンションのサポートセンターに電話した。しかし対応されたのは月曜日になってからだったようだ。朝、やはりエレベーターは、一度人が乗降して開くとなかなか戻ってこなかった。
○その2:
いつも通うスポーツジムの洗面台。誰でも使えば回りに水がこぼれる。髪の毛も落ちる。それは仕方のないことだけど、多くの人がそのままだ。次に使う者はあまり気分のいいものではない。備え付けのティッシュを何枚もとって拭くことになる。もったいないのお。せめて施設の方がタオルひとつ備えておけば、こういうこともないんだろうけど。(ちなみに東京体育館の洗面台とその脇にならぶドライヤー台にはいつもタオルが置いてある。)
いずれのケースも物事をやりっぱなしにする人がいて、それが後から使用する人を不快にする。

ちょっとケースは違うけど、プールでもスポーツジムでも、シャワー室やプールへの出入り口の扉で、バンッ!とあけて、後ろを振り返ることもせず、出入りする人も多い。後ろに人がいることをまったく意識しないのだろう。

 これは想像力の問題だろう。混雑する電車でザックを背負ったままの者。出入り口に突っ立ってスマホをいじりに夢中で乗降の妨げになっていることを気づかない者。歩きタバコで煙を後ろにまきちらしていることが分からない者。挙げだしたらきりがない。

 でも、齢を重ねると、様々な意味で「後ろを振り返る」ことが大事だということを実感する。電車やカフェ、図書館で席を後にする時、忘れ物はないか、落し物はないか必ず振り返ることにしている。長い人生で振り返ることを怠り、忘れ物や落し物をした経験が少なからずあるから、自然と身に着いた。それでもウッカリ、振り返ることを忘れることもままあるけど。

 「振り返ること」は自己を見つめ直すことでもあろう。常に自己点検し、直近の行動が「正しかった」のかどうか、他に方法がなかったどうか。それは次に生かす糧だ。確かに若いころは、そんな意識も希薄だったかもしれない。
 若者には「振り返ることは大切だよ」と言えばよい。学んでくれる人、気付いてくれる人はいるだろう。でももうかなり年配なのに、振り返らずやりっぱなしの人は、しばしば見かける。

 そういえばカイシャでもいるな。次々ルールや規程をつくって、社員に「守れ」と号令をかける人。そのひとつひとつは「正しいこと」なのかもしれないが、それがどう実行上、どう担保されるのか、社員に浸透するのか、また社員はどう受け止めるかなんてことはお構いなし。「正しいこと」を推し進めることが「正しいこと」だと勘違いしている執行役が。
 
 冒頭に記した、小さな、日常の出来事を振り返えらない人は、おそらく自分自身のことも振り返ることができないだろう。換言すれば「想像力が欠ける人」なのかもしれない。

 
 いきなり「大衆論」を持ち出すのも違和感があるかもしれないが、米大統領選挙の世論調査の動向を見ていると、直近の出来事、また報道されたことに判断を左右される人が結構多くいることが分かる。トランプの女性蔑視問題が噴出すると途端に支持率は下がり、クリントンのメール問題が出ると、こんどは彼女の支持率が下がる。どちらも褒められたことではないけど、もともと分かっていることではないのか。
 考え方でも、ある人物を評価するのも、その時のことしかアタマにないと報道や扇動、プロパガンダによって左右される。振り返る=じっくり見つめ直すことがあれば、もっと違った判断もありうるだろう。

 話がちょっと逸れてきた。(いつものことだけど)。
「人のふり見て我がふり直す」と、昔の人はよく言ったもんだ。振り返ることの大切さを、日々不快な出来事から改めて認識した次第だ。


追記:ちょっと関係あるかもしれないこと。
昔のフォークソングで「風」というのがある。確か北山修の詩だと記憶している。
「人は誰もただ一人旅に出て、人は誰もただ一人振り返る。・・・・」だったっけな。
今度、聴いてみよう。

追記2:だいぶ以前のアサヒ新聞の夕刊コラムで「後ろにも人がいる」という秀逸な文章があった。


追記の追記
「風」はシューベツルという、“はしだのりひこ”を中心としたフォークソンググループの歌で、やはり歌詞は北山修さんだった。歌詞には著作権があるのでここには再掲しないけど、どっちかっというと余り振り返らず=後悔せずに、前を見てすすめという歌だったんだな。それはそれで大切なことだけど。実際浪人した息子に、「前だけを見て進もう」と言ったっけ。

追記2の追記
朝日新聞の夕刊コラムは、美術館で絵画を少し離れて見ていると、近くから絵を見ようと間に割って入ってきた集団の、いわば無神経さと、日本が高度成長で先進諸国のことばかり見て、後ろ=発展途上国について顧みない姿勢に苦言したような内容だった。コラムの内容はそれはそれで印象深かったけど、それにも増して、わずか600字余りで伝わる文章にまとめていた、名文に感心したことが記憶に残っている。自分もああいう文章が書ければなと。
 


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