2016年10月29日土曜日

25年ぶりの北岳

広河原から見上げる北岳「意外に近くに感じる」
この夏、25年ぶりくらいで、北岳に登ってきた。
東京から1泊2日で北岳・間ノ岳をゆく「弾丸登山」。(7月31日―8月1日)
朝4時すぎ、自宅を出発。中央高速経由で、北岳登山のターミナル芦安の集落に6時すぎに到着。
 日曜日なので、広河原行きのバス停近くの駐車場はほとんどいっぱいだったが、奇跡的に1台空いていた。朝早くから誘導の人がいて、駐車。バスの時間まではまだだいぶあった。1便は5時半に出ている。往復で2時間はかかるので次の便は7時半台だ。でも乗合タクシーが待っていた。6人先着がいて、私と息子で8人。あとひとり来れば出発してくれる。ほどなくもう一人来て、バスで行くより1時間近くはやく出発できた。幸先いいスタートだ。

 広河原のビジターセンターで用を足して準備を整え、出発。橋を渡る手前で撮った写真がこれだ。(上)

大樺沢を登りきったところ
早くも目前に北岳が迫る。それだけ近いが、急登だということでもある。
川を渡って登山道に入り、**コースを進む。最初は緩やかな樹林帯だ。昨日までの雨のせいか少しぬかるんでいるが、歩きにくいというほどではない。

 大樺沢 左俣コースを行く。例年より雪が少なかったのか、河原の水は少なくガレ場の急登が続く。剱岳以来の2年ぶりの本格登山。この日に備えて普段から筋トレとランニングを行っているが、やはり実戦は違う。明日で58歳になる身体には少々きついというのが正直なところだ。
 それでもまあまあのペースで登っていく。1便のバスで来た人たちを少しずつ追い越していく。
二股でトイレに行こうと思ったけど混雑。あきらめて登り続ける。

大樺沢ルートの後半 梯子が続く
その後愚息にアクシデントが起きた。受験勉強で少々鍛え不足のためか、足(ふくらはぎ)に痙攣を起こす。山岳部で一応部長も務めた息子は、普通に登ればペースははるかに私より早い。ついていけないほどだ。実際、登り始めではどんどん置いていかれ、途中で待ってもらうという有り様だった。しかしその息子も浪人生活で、山は久しぶりだ。水分不足というよりは単に登りの筋肉をしばらく使っていなかったための痙攣のようでった。

 しばらく休めば何とかなると思い、5分ほど休んであと私は先にゆっくり登ることにした。幸い大樺沢は一直線で見通しが利く。息子には十分休んでから来るように告げた。しかし焦りもあって十分回復しないうちに再び登り始めたため、調子がでない。そんなこんなの繰り返しで、ようやく梯子場まできた。
真横から眺めるパッドレスはさすがに大きい
その内息子の痙攣も回復してきた。北岳パッドレスがよく見える。2人ほどテラスにいるのが見えた。行ってみたいという気持ちはあるが、それは単なる憧れのレベルだ。これから多くの時間を費やして訓練してそしてガイドにお願いして登るという人生の選択肢はないだろう。まあ、この目でナマで見上げるだけだ。

 予想に反してこの日は天気はまあまあだった。翌日に通過するが、荷物を乗越にデポして山頂まで往復した。山頂についた時にはガスが濃く何も見えなかった。
そして北岳山荘まで下る。帰るだけなら肩の小屋に行けばらくだが、翌日は間ノ岳にも行くつもりだから、来た道をもどった。
北岳山荘はメチャクチャ混雑していた。手続きをとるのも30分近く待たされた。この日はカレーしか用意できないということで、値段も少し安かった。

一度目の“登頂”
当てがわれた場所は屋根裏。布団の幅は確保されたが、何しろ天井まで60㎝くらいしかない。ほふく前進と言うのだろうか、はいつくばってザックをずらしながら行くしかない狭いところだった。フトンを敷いて横になるとまだ4時半だがすぐウトウトして眠りについた。息子も同様だ。1時間近く寝てから荷物を整え、ヘッドライトを出して夕食への準備をする。そして妻にメール。便利になったものだ、ちゃんとメールできるんだから。

夕食はやっぱりカレーライスと味噌汁。少々物足りないけどそんなもんだ。我々のテーブルは他は韓国からの登山客だった。南アルプスでなくわざわざ北岳に来るのだから、山好きだというだけでなく、それなりに日本の山や山小屋にも慣れている人たちだろう。味噌汁をこぼして大騒ぎしていたけど漬物をまわしてくれたり親切な人々だった。

夕食はちょっと貧弱。
夕食ちょっと外に出てみた。星は見えなかったけど天気が悪いというほどではなかった。考えてみると私にとっては2年ぶりの登山だ。息子も同様だ。受験勉強という通過儀礼は大きい。
人生の残り少ない身にとってはあまりにも長いブランクのような気がした。

寝床に戻るとそんなことを考える余裕もなく、8時前にはほどなく眠りについた。夜中なんども目が覚めるが身体がくたびれているのでまたすぐ寝る。3時ごろには目が覚めたら、3時半に電灯が付いた。間ノ岳、農取岳と縦走する人たちはそそくさと出ていく。我々も4時過ぎには準備を始め、荷物をまとめてから食堂に並んだ。小屋に荷物を置き、6時すぎに空身で間ノ岳に向かった。意外なほどアップダウンがあったけど2時間ほどで往復した。

8月1日朝4時ずぎ、小屋から富士山が見えた
少し休んでからザックを背負い、今度は北岳山頂に登り返す。天気はさほどよくないが気持ちのよい登りだった。9時半ごろだったろうか山頂で記念写真をとって、下りに入る。

 2年のブランクで一番つらいのは、やはり下りかもしれない。前に足を出すのは普段のランニングや筋トレでなんとかなったが、足でブレーキをかける運動は普段はあまりできない。ストックを出して支えながらの下りとなった。結構シンドかった。

 途中小雨にも降られたけど、それでもまあ順調に下り、2時すぎには広河原まだ戻ってこられた。運よく乗合タクシーもあり、無事、登山終了。芦安のバスターミナル脇の休憩施設・白峰開館の共同風呂に入った。しかしこれが結構クセモノだった。トホホ。あれで600円も取るのかと思った。湯船も洗い場も狭い、脱衣所も貧弱。2日間の山行の疲れをいやすには少々ガッカリだ。汗臭い身体を洗い流すのが精いっぱいだった。帰り道に「金山沢温泉」というちょっとイイ日帰り温泉施設があった。駐車場も広い。なんだここに来ればよかったと、息子と嘆いて芦安を後にした。
「後悔先に立たず」なんてて、たかが日帰り湯のことで使うのもなんだけと、正直ガッカリだった。知らないというのは恐ろしい。

帰りの中央自動車道は、月曜日だったこともあり、まあ順調だった。

北岳そして間ノ岳。58歳の誕生日直前に息子と登った経験は、自分にとって、それはうれしいひと時だった。


 冒頭にも書いたけど、約25年くらい前に一人で登った時は、秋ということもあり、広河原までマイカーが入れた。確か10月始めごろだったと思う。
 ひとりで車を運転して狭い林道を行くのは少々怖かったような記憶が甦ってきた。北岳山荘には5,6人しか泊まっていなかったと思う。

当時の写真を探してみたくなった。











もう来ることはないだろう・・・。時間があれば違う山に行くから

2016年8月20日土曜日

オリンピック時に毎回思う、報道のいやらしさ

 
ネットより「引用」
選手が、死力を尽くして(自己と)戦い、そして結果として1位になる姿は、美しい。それ自体に何ら疑問もない。ましてその人が「日本の代表」であれば、日本(という国)に長く住む(ここでしか住んだことはないけど)者として、他の国の人より、より親近感を覚えるのは自然なことだろう。
 体操の男子団体、バドミントンの女子ダブルス、水泳の選手たち・・・。皆、多少なりとも“感動”を覚えただろ。反対にこれらを見て、感動するのかオカシイと言う人がいたら、それこそ変人だ。
 しかし、その報道にはいささか疑問を感じるし、出演するアナウンサーやゲストのコメントには辟易することも少なくない。
 メダル、メダルと、日本選手がメダルをより多く獲得することが、美徳であるかのような表現は、相変わらず目立った。もっと純粋に1位になったことを称え、その成果の背景に何があったのかを聞きたいのだけれど・・・。
 メダルの数というのは結果でしかない。それを多く獲得することが目的ではないはずだ。
ついさっき読み終わった「日本的ナルシシズムの罪」(新潮新書 堀有伸)でキーワードになっている「想像上の一体感」そのものだ。
 
 メダルの数へのこだわりとは、何を意味するのだろう。そこの「統一した価値」を象徴化することで、「一体感」という、怪しい空想を醸成しているにすぎないのではないか。
 だって“日本国民”はそんなに、レスリングや柔道が好きなんですか。普段はほとんど見向きもしないのに、五輪でメダルという修飾語がついた途端に、異常なまでの関心を示すというのは、メンタリティーとして貧困だ。
NETより「引用」

 もうひとつ、疑問に思うのが、活躍した選手に対して「4年後」のことを聞く態度だ。そう長くない選手寿命の中で、4年という歳月はある意味で長い。まして年齢がいった選手にとっては自分の限界と闘っている面もあろう。にもかかわらず、無神経に4年後について尋ねる態度は、許せない。
 選手の側にもさまざまな思いを持っている人がいるだろう。ピークでキッパリやめて、次の生き方を考える人。自分が燃焼しきれていないと思ったら敗れるまで続ける人。これしかないという思いで続ける人。
 こうした報道を見てるといつも思い出す。円谷選手(マラソン)がもう走れないと自殺したことを。彼をそこまで追い込んだ日本人の精神性の負の側面は、覆い隠されてきた。

『駅STATION』という映画をご存じだろうか。高倉健主演のこの映画には、円谷選手の遺書が出てくる。この映画は、刑事・高倉健を通じて、日本人のメンタリティーを表した優れた作品だ。
(このことはまだ、別の機会に書いてみたい。書くことは自分の考えを整理することだから)

レスリングの吉田選手が金メダルを取れなかったことに対してずっと涙していた姿には、正直嫌悪した。努力した末の結果を受け入れられない精神性は、彼女に期待ばかりした「日本国民」と煽った報道に起因する。表彰台に立った時もまだ不満げな表情をしていた吉田選手はある意味で、メディアスクラムの被害者だ。
 その姿は、サッカー女子のワールドカップ決勝でアメリカに敗れた日本が、試合直後には涙していたけど、表彰式ではみな笑顔で出てきた姿とは対照的だった。

追記:
 テレビをザッピングしていた、冷静にコメントしていたゲストもけっこういたことは追記しておこう。
山口香さんなどは良かったと思う。
 

2016年7月16日土曜日

「孤独なランニング」。自分を起動させるものは「不安」なのかもしれない


 リースマンの「孤独な群衆」は社会学の古典であり、大学時代に“読まされた”記憶があるけど、内容をすっかり忘れていた。改めて読み返すほどの力量はないのでお気軽にWikipediaで要約を見返す。伝統型社会では人は恥によって行動し、内部指向型社会では罪の意識によって行動する。そして現代のような外部志向型社会では人は「不安」によって行動する。というのが、そのごく簡単な内容。(だと言っていいですかね)

 毎日のように走り、そして最低週に1度は泳ぎ、つたないながらも筋トレをして、そしてさまざまな書籍を読む努力をする。仕事にも一応全力を傾ける。
 そんな自分を起動させているものは何なのか、常々考えていた。
 走る準備をしている時、泳ぎに行こうとする時、そこにはどこかイヤイヤやっている自分がいる。何か、しなくていい理由がないか頭のすみで考えている。雨が降ってきたとか、今日はプールが休みなんじゃないかとか。そうした「期待」を裏切られて、走りはじめても、それほど走ることに喜びを感じない。しかたなく走っている自分がいる。特に走り始めは身体が重く(この現象は加齢でますます大きくなってきた)、調子が出ない。100mくらい走ると思わず歩きだしてしまいそうになるほど足が上がらないことがままある。それでも多少は忍耐力があるからどにかこうにか2,3㎞走り、やっと身体も温まり調子が出て来る。すると今度は必死さだけが全身を覆う。なんとか走らないと自分は追われている身なのだと、無意識(前意識)の中で考えているようだ。こうした時に何を考えるかと言うと、村上春樹さんの『走ることについて語るとき・・・』の一節だ。自分をロバと思う。壊れないぎりぎりのところでロバには荷役を担ぐことが仕事だと体に覚え込まさないと、続かないという趣旨だ。そうだ自分はロバなのだ。走ことは、しなければならない苦役だ。サボるとムチが飛ぶ。エサを食べさせてもらえない。と、自己暗示にかけて必死に走る。泳ぐ時も同じだ。
もちろん終わった時の爽快感や達成感はある。でもこれを味わいたいがために走り始めるということはない。
 そうしたイヤイヤ走っている自分を起動させているものは、何か。それは「不安」なんだと考えが行きついた。老いることそのものへの不安、老いて身体が動かなくなることへの不安、そして体型が醜くなることへの不安、何よりも健康への不安。読書も、知識欲(もちろんこれもあるけど)というより、知識がない教養がないことへの恥の気持ちへの不安。すべて不安という言葉がよくあてはまる。食事に気を付けているのも同じだ。
 まあこう言ってしまうと身もふたもないけど、自分自身が一番納得してしまうから仕方ない。ムラカミさんはなんで走るんですか。改めて聞いて(読んで)みたい。

だだひとつ言っておくと、少なくともムラカミさんの著書を読むのは「不安」からでなくて、純粋に読みたいからという気持ちからです。
 「孤独なボウリング」はパットナムの大著だけれど、それをもじって、自分を「孤独なランニング」と言うことにした。
 こう書くと、なんだかスッキリして、かえって走り始めることに抵抗が少なくなったかもしれない。自分は不安から走っていると言い聞かせればいいいんだから。

2016年6月25日土曜日

村上春樹をひっぱたきたい。その2・・・癒しのエッセイ

かつてブログで「村上春樹をひっぱたきたい」と書いた(と思う。)よく覚えていないけど。
新潮文庫「村上ラヂオ3」を読んで、思わずその1、2も買ってしまった。
 繰り返しになるが、どうしてこの人は、自分が考えていること、思っていることを先取りして、エッセイにしてしまうのだろう。トホホと言うしかない。まるで自分の頭(心)の中を密かに覗かれて、私だけのためのエッセイにしたと考えてしまうほどだ。これほど考え方や思いに共感する人は他にいない。
 もちろん、「高い所がきらい」や「猫との生活」、「オープンカー好き」など、まったく逆のところもあるけど、逆に言うとこれ以外はすべて共感してしまう。
 「村上ラヂオ」を3→2→1と、いつも仕事の帰りの電車で読んで、村上さんのゆる~い感じで頭の疲れ癒していた。
 サラリーマンとしてこれまで32年間、まあ一応働き、今も生活のために給料が半分になっても働いていると、村上さんのような生き方は、憧れだ。それを目指してもかなわないし、小説も書けない。だからこそというのか、ゆる~いエッセイに垣間見える村上さんの日常を、自分の生活に重ね合せてリアリティを持って感じられるのかもしれない。
 またフィールドが東京の千駄ヶ谷や青山だといのもある。毎週必ず1回は泳ぐために千駄ヶ谷に通っている。将棋会館にも、何度か行った。青山には、それほどなじみはないが、よく通るので地理的な認識は確かだし、まちの雰囲気もわかる。
 旅行好き、料理好き、走ること。ゴルフ“嫌い”、鰻好き、等々、いちいち自分に「近い」感覚の持ち主が感じたこと考えたことを記す短文は、まさに「癒しのエッセイ」だ。

 ぜんぜん話は飛ぶけど、小熊英二さんの「癒しのナショナリズム」という著書を思い出した。そうなんです。疲れた心には癒しが必要なんです。
 村上さんは、彼の小説を読んでオウムから抜けることができた青年の話をを引き合いに、自分の書いた小説で救われる人が1人でもいれば、自分は小説を書く意義があるという趣旨のことをどこかで書いていた。社会が人々にどんな「癒し」を提供できるのか。それで社会のあり方がひどく変わってしまうのだろう。
 「社会」というと何かマスでとらえがちだけど、そうではなくて村上さんの小説のような作用が、幾重にも積み重ねられるという意味で。

2016年6月18日土曜日

蓮舫さんもいいけど、都知事が務まる能力があるのは『湯浅誠』さんを置いてほかにいない。

 1200万人の人口と16兆円の予算。よく言われるように、都知事という存在は1国の首脳に匹敵する存在だ。
 これまで「タレント知事」で務まってきたのは、知事を支える都庁職員のエリートたちた=いわば地方自治の優秀な官僚たちがいたからだろう。まがりなりにもGDP上位国の日本の首都の行政が(細かいところは別としても)成り立ってきたのは、彼らの働きがあったからだ。それは“日本という国”も同じかもしれないけど。

 知事は良きにつけ悪しきにつけアジテーターでいいという考え方もあろう。ディーゼル車の排ガス規制をアジテーターとして進めたのはその典型だ。旗を振ればあとは優秀な官僚たちが何とかしてくれるという構図だ。
 しかし旗振りにしても、かなり高い見識がなければヘンな方向に行ってしまう。ディーゼル車の排ガス規制はたまたま、あの知事の嗜好にはまっただけだったのかもしれない。真相は知るよしもないが、あの政策を彼に進言した優秀な都庁職員がいたから実現したと考えるが自然だ。

 いつものように前置きが長くなったが、アジテーターでいいとしても、トップを支える副知事の人事権や予算を差配する権限があることは確かだ。だから都知事という存在はそれだけに大きい。そこであまた候補に名前が挙がっているが、ふさわしいと思うのは「湯浅誠」さんが一番だと思う。鳥取県知事を務めた片山善博氏もいいが、ここは若い湯浅さんを是非推したい。

 1200万人の生活に関わる厖大な政策すべてに知事が関わる訳ではないだろう。しかし都知事に求められるのは、施策に対する深い理解と、良識、見識、そして規模が大きいだけに調整能力が求められる。
 
 あの「年越し派遣村」がなぜスムーズに進んだか。それは湯浅さんの能力と人柄があってこそだった。もちろん彼の東大法学部時代の同級生の多くが官庁にいてその人脈を生かしたということもあるだろうが、それだけではない。年越し派遣村だけではない、湯浅さんの地道な社会活動は、非常に忍耐強いものだ。
 
 よく「強い指導力」などがリーダーの条件などと単純に書き立てるメディアもあり、政治家としてリーダーを目指す輩は、それを鵜呑みにして、強いイメージを打ち立てる。しかし実際に必要なのは、深い見識に裏打ちされた洞察力と調整能力だ。リーダーに必要なのは。決断力ももちろん必要だがそれは最後に使う政策手段のひとつにすぎない。

 都知事は「人気投票が宿命」と新聞でどなたか“有識者”が言っていたが、それでいいの?
反知性主義の大衆社会に対するあきらめもあり、こうした刹那的な言説が当たり前のように流れること自体に、「刹那的になる」。

 蓮舫さんでもいいけど、その時は湯浅さんを副知事なりブレーンにすることをお勧めします。でないと孤立し浮き上がって、結局は足元をすくわれる。それでなくても、早くも「差別的デマ」を流す国会議員までいるんだから。賢い蓮舫さんのことだから、その辺のことも十分分かった上で考えるだろうけど。

 湯浅さんの「決断」を期待した。



2016年6月11日土曜日

AKB48の「桜の花びらたち」を2016年の3月まで知らなかった。

朝日新聞より「引用」
 恥ずかしい話し、この2016年3月まで、『桜の花びらたち』というAKB48の歌を知らなかった。いい歌だと思う、素直に。特に卒業ソングとしては、知っている限り私の中では1番いい曲だ。

 これまで「AKB48」という存在に関してほとんど関心を持っていなかった。すでに10年になるんですね。
 どうせ・・・(という言い方はわれながら傲慢ですけど)、オチャラケのアイドルグループでしょ、というくらいにしか思っていなかった。あえて無視するまでもなく、自分の生活圏の視野にはなかった。
 かつで職場の同僚が(5,6年前くらいだった)、「AKBの(戦略はすごい)。だって秋葉原に行けば必ず会えるようになっているんだから」と言っていたのを思い出すくらいだ。

 それはともかく、まったく視界になかったAKB48を多少、気に掛けるようになったのは、「恋するフォーチュンクッキー」で、多くの老若男女が踊っているというニュース(というか話題)を見てからかもしれない。
 その後、高橋みなみさんがNHKの教育テレビのいじめを考える番組に出演しているのを見て、なかなか賢い子だと感じた。
 そしてNHKの朝のドラマで「人生は紙飛行機・・・」と歌っているのが、毎日のように耳に入ってくるよになった。
 
 と、いろいろ“個人的な経緯”を書いたけど、別にそれで?何というレベルでしょう。まあそんなこんなで、今年の3月にその高橋みなみさんが卒業するというので、金スマをという番組を見ていたら最後に歌っていたのが「桜の花びらたち」だった。
  ちょっとだけ旋律を聞いただけで、一瞬で、これはいい曲だと感じた。ネットで調べると結構古いもう10年近くなる曲なんですね。歌詞も振るってる。
 
 AKB48は現代の「少女合唱団」なんですね。だから総選挙や卒業でメンバーが入れ替わっても存在感は持続しつづける。なかなか考えられたシステムだ。「桜の花びらたち」も2008年バージョン、2015年バージョンなど受け継がれている。

 食わず嫌いだったAKB48の歌を日々通勤電車で聞いて少し研究(大袈裟か)している。まあトシなのでガチャガチャした曲にはちょっとついていけないけど、そうでない曲は結構何度聞いてもいい。
 秋元康さん(同世代なんですよ)の作詞についても少し考えるようになった。
 批評家の宇野さんは朝日紙上で、美空ひばりの「川の流れのように」とAKB48の「RIVER」を取り上げて論じていたけど、もちろんそれだけではない秋元康さんの戦略や思いや考えがもっともっとあるのだろう。これかも、もう少し見守っていきたい。

 「桜の花びらたち」を知ったのが、丁度、愚息が高校を卒業する頃だったので、まあそういうこともあり、妙に印象に残り気に入ってしまった。その息子に図書館で借りてきたAKB48のCDをついでに返してくるよう頼んだら、「こんなもの恥ずかしくてオレが返せるか」と言われてしまった。けど返してきてくれたけど。



2016年6月5日日曜日

電車では“必ず”優先席に座ることにした。マタニティマークを巡って

 通勤電車の中(通勤に限らずだけど)というのは、おそらく最も「分断された社会」のひとつだろう。分断されたと言うことの意味は、相互につながりのない個々の集合体としての社会だ。(これを社会と言うのかどうか知らないけど)。
 それでも毎日同じ電車に乗るとなると「いつもの人」がいたりするが、お互いそう思ってもそれ以上に親しくなる訳でも、もっとお互いのことを知る訳でもない。
 
朝、通勤電車の始発駅から乗るとすでに「普通席」は埋まっていて、いわゆる「優先席」に座ることが多い。たまに途中駅から、妊婦さんが乗ってくる。 前に立ち、妊婦マークに気が付けば、当然「座りますか?」と聞いて席を譲る。自分の中ではそれはフツーのこととしてある。

 ところがきょう日はそうでないようだ。つい1週間前にもそうしたことがあった。通勤に使用する私鉄駅で、それらしき人(お腹がふくらんでいる人)が乗ってきて、優先席の一番ドア側の前に立った。自分はその優先席の奥から2番目に座っていた。(この電車は優先席は4人掛けだ。)妊婦さんかな?と思ってカバンを見たけど腕の影になって妊婦バッジがすぐには確認できなかったが、電車が動きだしてちょっと体の向きが変わったときに、それが見えた。彼女の前に座っていた若者(背広を着ていた)はスマートホンをいじっていて、まったく気が付かない。そこでちょっと離れていたけど、「座りますか?」声をかけて立ち上がり席を譲った。席を譲って前に立ち最初に妊婦さんが立った前に座っている人間とそのとなりの人間を観察した。端に座っていたのはサラリーマン風の若者。ずっとスマホをいじりつづけていた。気が付かないフリをしているのか、本当に気が付かないのかは知らない。その隣は40代くらいの女性だった。左手薬指にはリングはしていない人だった。目をつぶっていた。
 
「自分は座ったのだ。その権利は自分にあり、他人に譲る筋合いではない。」と主張するように、たいていの輩はそのままだ。(時々、気が付いてバツが悪いのか寝たフリをして目を閉じているヒトもいるけど。)

 電車内空間という分断された社会では席を譲らない人ばかりなのは当然だろう。そういう世の中なんだと納得するしかない。他人に対してあれこれ言いたくはない。

 で、これからは席があれば必ず優先席に座ることにした。前に妊婦さんが立った時に譲れるようにするためだ。座りたいと思う妊婦さんはだいたい優先席の前に来るからだ。

 ちなみに、私は、少々年齢のいった(くらいの)高齢者には席は譲らない。高齢者は立って足を鍛えることの方が健康長寿にはいいからだ。頑張って立っててくださいと、心の中で念じていますけど。

追記:この電車が終点について、私を含めて乗客が一斉に下りる、チラッと席を譲った妊婦の方を見た。一瞬目が合い(というか向こうがこちらを見ていた)、軽く会釈するように目でお礼を言っていた。(ように見えただけかもしれないけど)。でもこういう時って文句なく気持ちが晴れやかになりますよね。その目線にこちらこそ「ありがとう」と言いたいくらいです。

追記2:7月14日のNHKおはおう日本で、マタニティーマークを付けることをためらう人が増えているというリポートをやっていた。「電車なんか乗らずにタクれ!」と言われたり、お腹を蹴られたという証言もあった。ごく一部なんだろうけど、あまりにもひどい話で、考えただけで具合が悪くなりそうだった。
 


2016年5月28日土曜日

コンパクト蛍光灯のダウンライトを自分でLEDに変える。

コンパクト蛍光灯のダウンライト
三井系の分譲マンション(パークホームズ)に住んで10年。10年前はまだLEDの普及が進んでいなかったこともあり、照明器具は蛍光灯用か電球用スポットライトだった。

 電球スポットライトは、電球を口径の合うLEDに変えれば済むので、まあ簡単だ。しかし蛍光灯用のライトをLEDに変えるには、蛍光灯用の安定器を取り除く必要がある。(そのことすらネットで調べて分かったんだけどネ)。

 安定器を通しても使用できるLEDもあるが、高価なのと、いつも安定器の電力を消費するのであまり薦められない。

 さて、コンパクト蛍光灯のタウンライトをどう取り替えたらいいのか。以下は電気工事のシロウトがない知恵をしぼって、ネットの力を借りて行った我が家のLED化報告である。

配線図の青焼き 読み解くのはちょっと大変だけと・・
①配線図面を取り寄せる。
まずマンションの管理会社に連絡して、配線図を取り寄せた。実際は管理人室にB2サイズの大きくて重い分厚い青焼き(今の人は知らないかもしれないが、昔はコピーはこれだった)の冊子が置いてあり、これを貸してくれた。とても自宅の小さなスキャナーでスキャンすることもできないので、床に置いて真上からデジカメで撮影。パソコンに取り込んでpdfに変換してじっくり配線を“研究”した。

配線図の説明が書いてあり、理解の助けになる
一見するとシロウトには分かりにくいが、何度も見ていると、どこのコンセントや電灯がどこのブレーカーに連動しているかは分かってくる。ブレーカー側にも、つながっている箇所が簡単に記してあるので、配線が次第にわかる。

 そしていくつかブレーカーを切って、図面の配線が正しいか確かめる。図面が間違っていると思わぬ感電をするので要注意だ。簡単なテスターがあると便利だ。
 我が家には20年近く前に買ったテスターが確かあったはずたど、探し回り。1か月たってやっと借りている倉庫から見つけ使用した。
 しかしテスターがなくてもコンセントは、簡単な電気器具をつなげてみれば切れているかどうかは確かめられる。これは安全のためには重要だ。



取り外したコンパクト蛍光灯型ダウンライト 結構重い

②ダウンライトをはずしてみる。
 ここが、結構試行錯誤だった。だいたい電燈器具がどうやって天井に着いているかも知らない。ネットでいろいろ調べてみた。電灯には『ダウンライト』という範疇があることも今回初めて知った。

 ネットでダウンライトがどう天井に設置されているか構造を見て、単に天井板にはまっているだけだとわかり、隙間にマイナスドライバーの大き目のものをはさんではずした。安定器が結構重いのにはびっくりした。ダウンライトはもちろん電線とつながっている。その電線もシロウトにはなじみにない太い1本の銅線。テーブルタップのように細い糸状の電線が束になったものとちがい、容易にはまがらいない。器具への固定はラクで、穴に押し込めばつながる。

数年使用したコンパクト型蛍光灯 もう寿命だ
器具からこの銅線を抜くのは少々力とコツがいる。小さ目のドライバーで抜くための箇所をおさえて引っ張るのだが、シロウトにはなかなか難しい。たいていプラスチックでできているので強く押さえすぎると壊れてしまう。今回はもう古い器具は使用しないことが前提だったので、力任せに取り外した。安定器が結構重いのには驚いた。よく天井に張り付いていたと思えるほどだ。

「出」「入り」はダウンライトには明記してある



 ここで気を付けることがある。はずしてみて、そうかとガテンしたのだが、電灯は3連でつながっているので、1番目と2番目の電線には「入り」と「出」がある。器具を付け替えるときこれを間違えると大変だ。幸い、ダウンライトには電源の入り出の表示があるので、はずす際にどの電線から電流が来ているのかビニールテープなどで目印をつけておくのが無難だ。



③LEDダウンライトを手に入れる。
さて、後さきになるが、予め新しい電灯器具を購入しておく必要がある。結論から言うと、NETで買うのが一番安価で手間もかからなかった。この結論に至るにはホームセンターやヨドバシカメラなど電気店をまわって結構時間がかかった。

ホームセンターなどにはダウンライトも置いてあるが、種類が少なく適当なのがない。一口ににダウンライトと言っても、大きな居間やホテルの部屋に合うような高級なものから安価なものまでイロイロだ。
メーカーはパナソニック、コイズミなどいくつかある。またLEDダウンライトは寿命が長いことを見越して器具と一体となったものが種類としては多い。10年たては器具も取り替える必要があるということなのだろう。
 しかし器具一体式のものにすると、明るさや色が合わなかった場合、またそれごと変えなければならない。ここがシロウトの泣き所だ。経験・蓄積がないから分からない。そこで器具一体式ではない、LED取り替え可能型を買うことにした。

 サイズ、色、ワット相当の明るさなどを選ぶ。天井の穴は計ると15センチだった。ダウンライトには一般的な大きさに12センチ、15センチなどあるから、穴の大きさは計っておく必要がある。

メーカーのウェブサイトはよく出来ていて、必要なサイズやワット相当数などを入れていくと商品が絞り込まれる。これでおおよその目安をつけて製品番号を控え、今度はヨドバシカメラなどのネットショッピングサイトを見る。
ヨドバシカメラでも扱っているがだいたいはお取り寄せで、値段も高め。アマゾンなどに出品しているショップから購入するのが賢明だ。

さて、いろいろネットで見て購入したのが、リンクをつけたこれ。オーデリックの取り替え可能型のダウンライトだ。メーカー希望小売価格は5,800円(税抜き)だが、ネット料金は2,300円。送料は700円かかるがそれでも3つ一緒に注文するので遥かに安い。

 話はそれるが、いわゆる業務用の物の「定価」は高くついている。(ということが分かった)。オフィス家具でもそうだけど、職場で実際に購入する時、業者に頼むと3割引きは当たり前だ。以前ある業者が教えてくれた。「カタログ価格はお役所向けなんです。」と。行政機関が実際に高い価格のものを購入しているかどうか知らないが、そういうことなんだろうな。



新しいLEDダウンライトを取り付けたところ
さて、あとは結構簡単だ。前述のように安定器付きの重いコンパクト蛍光灯ダウンライトをはずし、ネットで購入したLEDのダウンライトに取り換えればよい。キッチンは天井が一段低くなっていて、そのためいわゆる天井裏が広い。もちろんどのくらい余裕があるか事前に見ておく必要があるが、新しいダウンライトはすぐにはまる。天板の厚さがあるので、ダウンライトを天板に固定する金具は多少調整しておく必要がある。

 もうひとつ気を付けなければならないのが、配線だ。上記したように「入り」と「出」があるのでこれを間違えるとやっかいだ。はずした電線には必ずマーキングして間違えないようにしておくことをお勧めする。

④総括
 こうしてLEDダウンライトは取り付けられた。さてブレーカーを入れて点灯してみる。予想されたが60ワット相当のライトが60㎝おきに3つあるのでものすごく明るい。料理をするにはいい面もあるが明るすぎると感じる人もいるだろう。取り替え可能式のダウンライトにしたのはこのためだ。明るさや色が合わなかったら、LEDライトを好みの物に代えることが可能だ。家電量販店に行って好きなものを選べばよい。『選択の自由』度があるようにするのが、快適な家の作り方だろう。

分譲マンションのようにある程度規格が決まったのが最初からついているものは、まあほとんどはそれで間に合うが、どうしても気に入らないものがあれば自分で工夫して代えていくのがいいだろう。
お金をかけられる人は業者に任せてしまうだろうが、自分で行うことの手間暇はかかるがこのやり方は、より好みに合わせられるということでは一法だ。

人間の心理上、与えられたものが気に入らないとストレスになるが、自ら選んだ結果となると、それは多少、事前の予想と違っても受け入れられるものだ。











2016年5月7日土曜日

熊本地震によて露わになった「支えているもの」

netより「引用」
組織が大きくなればなるほど、またそうでなくても、大勢の人間が“支え合って”、そして“協力して成り立っていると、思いがちなものも、実はごく少数によって支えられていたにすぎないということを、熊本地震は教えてくれた。

 城の石垣は頑強で、一面の大きな石全体が上の建物を支えているように見えていた。しかし違った。実は角のきれいなアーチ状の石が、そのほとんどを支えていたにすぎなかった。写真を見れば一目瞭然である。
netより「引用」

 組織も同様だ。多くは、張り付いているだけで、実はなんの支えにもなっていなかったりする。もちろん“多少の貢献”はされており、城で言えば、中の土砂がくずれてこないような役目は果たしてただろう。しかし、いわゆる屋台骨ではなかったのだ。

 それでは、「全体で支える構造」にする方が、より強固なものになるのか、それともあの角の石をより頑丈にする方が有効なのか、それはシロウトの私にはわからない。

 組織では一部のメンバーの献身的な支えがあって、なんとか持ちこたえているということが、実は多いような気がする。ふだんその周りに連続的に石があるので気づきにくい。

どの石が支えているもので、どの石が単に張り付いているだけのものなのか、組織を運営するには構造をしっかり見定めることが重要だろう。でないと重要な石をうっかり取り除いてしまうし、重要でない石を後生大事にして無駄・非効率を助長してしまう。

かつて「捨て石」について書いた。囲碁は、ほとんどド素人だけれど、将棋と同様、その解説を見るのは大好きだ。どういう思考でどういう戦略で、どうしてその石を打ったのか、自分には想像できない、天才たちのアタマの中を見せてくれるからだ。
シロウトは碁を打つと、どの石も大切にして、ひとつも取られないように頑張ってしまう。そして結局すべてを失う。しかしちょっと打てる人ならば、捨て石が分かる。換言すれば「おとり」とでも言うのだろうか。捨て石を打つことによって、他を活かすことができる。また場面の展開次第では、捨て石が生きることもあり、反対に大切な石を切り捨てることもある。(のだろう。)


2016年5月3日火曜日

震災復興増税には絶対反対だ。誰も文句をつけられない事は間違っていてもすすんでしまう。

NETより「引用」
熊本地震で倒壊や住むことが「危険」と判断されたは家の方々は避難を余儀なくされ、大変な日常を強いられているのは、各種報道で伝えられている。早く、安心して暮らせるようになってほしいと祈る気持ちは、東日本大震災の時とどうよう、自然な気持ちでありこころからそう思う。おそらく多くの人がそのことに同意するだろう。

 しかし、だからと言って、「増税」はまた別問題だ。最近の世論調査(日経)によると安倍首相の内閣支持率は上昇している。その理由は熊本地震に的確かつ十分取り組んでいる姿勢が評価されているという。
逆の見方をすれば、こういう危機に対して、懸命に取り組む姿勢を見せることが(大衆の)支持率アップにつながるという訳だ。それはそれでいいし、何の文句のつけようがない。
しかし「誰も文句がつけられないこと」または「文句をつけにくい事柄」は注意する必要がある。
文句をつけにくいことをいいことに、勝手で不合理な政策が推し進められてしまう。

「震災復興の政治経済学」(齋藤誠著・日本評論社)は、東日本大震災の被害が過剰に見積もられ、それが間違っているにもかかわらず「政策的エビデンス(証拠)」としてその後もまかり通ってきたことを、緻密な経済的分析であらわしている。
わたしたちは所得税は震災復興増税をとられている。額にしたらわずかかもしれないし、この程度なら、被災地の方々のためになるならという気持ちになる。しかしそこに陥穽がある。
確かな検証も行われず、また報道されるように使い切れない予算、まったくカンケイないことに使われる予算があることがつまびらかになっ
ている。だから増税には反対だ。

 被害額、今後必要な額が正確に見積もり、その上でいまある国家予算をどう工面すればそちらに回せるのか、各省庁が努力して初めて、増税という話になるだろう。決まった予算には手をつけず、足りないから国民負担という発想はどう考えてもオカシイ。納税者を愚弄している。
だまされてはいけない。震災を口実に予算を増やそうとする思惑にもっと目を向けるべきだ。

「震災復興の・・・」の著者、齊藤誠氏は、本書の中でさまざま「間違った政策」を検証し、必要なのは「公共の精神」として、次のように述べている。

▷震災復興政策の決定に対するフレーミングが膨張した背景には、公共事業をめぐる利権を復活させようとする思惑があった。原発危機対応に対するフレーミングが矮小化された背景には、東電のステイクホルダーたちの間に原発事故に対する責任をできる限り免れようとする底意があった。私的な利害に抗する知的な実践こそが非常時における公的な秩序を形成することに資するのではないか。そうした知的な実践を重んじる精神を公的な精神と呼んでみたい。(P327)


2016年4月23日土曜日

「人生二毛作」と「考える」ということ

 『継続は力なり』とは、本当に的を射たことわざだ。齢を重ねると、この言葉の重みがずんと増してくる。ともかくも“良いこと”を細々でも愚直に続けることは、身に付き、実になる。
外山滋比古さんの本と言えば「思考の整理学」だが、91歳の時に書いたという、この「50代から始める知的生活術~「人生二毛作」の生き方~」は、手軽に読めるということでは、まあ50歳以上の人にはおススめかもしれない。
 言っていることは極めてシンプル。
・規則正しい生活
・身体を動かすこと(外山さんは散歩・ウォーキング)
・“考える”ことを続ける。
・人との会話
・様々な挑戦
・人生不義理・・・無駄な付き合いはやめる
等々だ。
中でも「考える」というのは、結構難しいことだ。トシをとると、深く考えることより経験則から物事を判断しがちだ。そういう“軽薄”な人間は周囲にたくさんいるし、自分もそうなりがちだ。
「考える」というのは基礎となるインプットが正しく、そして演算が合理的かつ理性的になされる必要がある。それを実践するのが年寄の務めだろう。






2016年4月9日土曜日

北島康介が背負っているもの アスリートのこだわりとは何か②

 
netより「引用」
北島は敗れた。「引退」を決めた。
RIOの五輪切符をかけた水泳日本選手権200mブレストでは6位に沈んだ。
 この結果はある面予想されていた。距離が長くなればスタミナが勝敗を分ける。32歳の北島がどんなにトレーニングを積もうととも、20代の若手を越えられないカベがある。
それは50代も後半になった自分が、体力の衰えをどう感じて、どう抗ってきたかを顧みれば、スポーツ選手と一般人の違いはあっても容易に想像がつく。
 彼の本当のねらい目も100mだっただろう。実際準決勝では、派遣標準記録を上回っていたという。その意味では、100mが終わった段階で事実上北島の今回の挑戦は終わっていたのだ。
 
 いわゆるキャラとしては、私は北島はあまり好きではない。でも、試合後の彼のインタビューを聞いていると、きちんとモノゴトを考え、自分の言葉を持とうとしている知的さは伝わってきて、それは共感できた。
 
 2大会連続で2種目で金メダルという輝かしい実績がありながらこのトシまで選手として続けてきたのは、もちろんスポンサーとの関係など様々な要素があったかもしれない。しかしそれだけではない、五輪選手としての「何か」があったのだろう。だからメディアは試合後の彼に群がり、ぶしつけな質問も浴びせながら彼から言葉を引き出そうとしていた。

 彼を突き動かしていたものは何か、それは野口みずきとも重なるが、一度頂点を極めた(五輪金メダルが頂点と仮定した場合だけど)者の心情は、なんとなく分かる気もするし、もっと知りたいという思いも沸く。なぜだかモヤモヤしたものが、アタマの中に残る。腹に落としたいという思いがつのる。
 それは自分もやはり身体を動かすことをなんとか習慣化させているからなのだろう。泳ぎ始めるまで、また走り始めるまで、正直心はいつも重い。自分でやらなくてもいい「言い訳」をいつも考えている。それを乗り越えて泳ぎ始めてやっと身体が起動してくる。「やれやれ、なんとか泳いでいる」と自分の姿をプールサイドのすみから見ているもうひとりの自分がいる。

 北島も野口も、また選手にこだわる人々はそれぞれ、「栄光を勝ち取った」自分の姿を“柱の陰から”じっと見ている自分を感じているのかもしれない。そんなこだわりは、長い人生の先を考えると、どこかで断ち切る必要があるかもしれないし、また反対に、持ち続ける方がいいのかもしれない。それはわからない。

結局、自分は何を書きたいのか、この項を書いていても、書いたあとも、この問題はわからなかった。(笑)。


2016年4月4日月曜日

野口みずきが背負っているもの アスリートのこだわりとは何か

3月の名古屋ウィメンズマラソンなんて、世の中的には、もう「終わった」話だろうし、五輪の代表が決まれば、関心も持たれない話題かもしれない。しかし、この1か月余り、野口みずきのことが、頭の片隅から離れなかった。同じ、「走る者」として(もちろんレベルはまったく違うけど)少し考えてしまった。
 「五輪への最後の挑戦」として臨んだ、アテネの金メダリスト・野口みずきは、選考レースとしては完敗に終わった。が、すでに37歳の彼女を、だれも責めないし、むしろよくやったという賞賛の声の方が圧倒的だろう。彼女自身も、ラストの走りの表情を見ると、自分自身に納得しているように見えた。でも彼女は、その後の会見で引退については「考え中」という言い方で、お茶を濁した。

 金メダリストの彼女が、30代後半なってまで、トップアスリートにこだわるのはなぜかなのか。もちろん彼女自身の中で、納得がいかないということなのだろう。北京での失敗、故障との戦い、などなど、マラソン選手としてやっていて、「本当の私はこんなはずではない」という思いが断ち切れないのかもしれない。それほど五輪とは競技者を惹きつける“何か”があるのだろうか。
ピークを過ぎたどころか、もう勝ち目がないのは、ある面明らかにもかかわらず、こだわる彼女の姿は、失礼だけど「みじめ」ですらある。こうした金メダリストの姿を見るのは非常に忍びない。

「あなたは、もう十分、選手としてやってきた。これ以上トップを目指すことはない。それは誰しも納得している。これからは市民ランナーとして、私たちと走ってほしい」。そう言いたい。

2013年の「やまがたまるごとマラソン」で出会った時の野口さん
話はさかのぼる。
2013年の『やまがたまるごとマラソン』(ハーフ)の第1回のレースでゲストとして来た野口さんは、ずらっと並んだスタートの市民ランナーの集団の中で、中盤にいた。それは私のすぐ前だった。最初に2~3㎞を彼女の背中を見て走った。周囲の多くが、「おお、野口みずきだ」と思ったに違いない。なにしろ五輪の金メダリストなんだから。彼女の軽々とした走りは、多くの人があこがれる走りだ。驚いたのは、奥羽線の跨線橋の坂に差し掛かった時だ。自分も含めて多くのランナーは、当然ながらスピードが落ちる。しかし彼女はフツーに流して走っているだけなのに、あっという間に坂を進み、引き離されてしまった。これがトップアスリートの走りかと実感した。
 彼女はゴール直前で足踏みしながらわれわれ市民ランナーを待っていた。そしてハイタッチ。素直にうれしい瞬間だった。21㎞を懸命に走ったことを祝福してくれた。

彼女はこの時、すでに十二分に、市民ランナーのシンボルとして存在していた。だから各地の市民レースに参加しランナーを励ましてくれる役割として生きる道もあったと思う。
なのに彼女はトップレースに挑み続けた。なぜなのだろう。わからない。

野口さん、あなたは「君原健二」を知っていますか。
http://kimihara.aspota.jp/
君原さんのオフィシャルブログ
日経新聞の「私の履歴書」で君原さんが語っていた、「選手としてのその後」は、参考になる。簡単に言うと、君原さんは新日鉄の社員として過ごしながらマラソンは続け、東京マラソンも初回からずっと出場していた。毎年円谷選手の墓参りを欠かさず、ずっと続けるスポーツとして、マラソンを楽しんでいるような感じだった。70歳を超えてもなお一市民ランナーとして走る姿勢に非常に共感を覚えた。野口さん、あなたには君原さんを目指してほしい。


2016年3月12日土曜日

「保育園落ちた日本死ね」を巡って・・・日本という“いやな”国

「よりみちパンセ」という中高生向け?のシリーズ本がある。その一冊に小熊英二さんの「日本という国」をかつて読んだ。岩波ジュニア新書もそうだけど、中高生向けの書籍も、時には有用だ。私のように元々の知識が不足している人間にとっては。

内容の詳細は忘れてしまったけど、とにかく日本(という再帰的な集団)がどんな構造で何が問題なのかが記されていた。(ように思う)

保育園に入れないことに関して発信された「日本死ね」が、最近ネットで話題になっているらしい。国会で首相が答弁しているのをニュースでチラっと見た。

基本的にツイッターもフェイスブックも使いこなせないおじさんにとって、ネットのどこで話題になっているのか実際見たことはないけど。

「日本死ね」に触れて、この『日本という国』を思い出した。
この国に住み、税金を払い、一方で社会インフラを利用させてもらいながら家庭を持ち生活している者にとって、この国のことを考えるのは当たり前のことだろう。

だって、家庭(小さなマンションだけど)で、それこそ些細なモノの整理から始まって、家をきれいにすること、また一緒に暮らしている人との関係を常に考えて、多くのことを「整理整頓」していかなければ、どんどん汚れていき、使いづらくなり、そして最後には廃墟になってしまうのだから。

「死ね」という言葉の選択が上品な言い方ではないのは確かだが、この言葉に込められた思いは痛いほど伝わってくる。批判はあるものの私は一定程度支持する。

この国は、やはりどこかいびつだ。よく言われることだが、パイが増えている時はそれでも課題が隠れていたが、限りあるパイを分け合うとなるとうまくいかない。

私は年寄が嫌いだ。自分もその領域に入りかけているけど、年寄「全般」が嫌いだ。年寄全体を一律にくくるのはナンセンスなのは分かっている。中には将来世代のことを真剣に考えてくれる年寄も少なくないことも承知している。
保育園や幼稚園の子供の声がうるさいという年よりたちに見るように、年をとると自分のことしか考えられなくなる人々(自分の死んだ親も、まだ生きている親もそうだ)が許せない。

保育園の問題は、単に「働く若いママ」の問題ではないだろう。そこには富の配分を巡る問題、シルバー民主主義の問題、土建国家の問題等々、「日本という国」の問題が内包されている。

「日本死ね」という5文字の言葉はそんな日本を端的に言い表しているような気がする。



小熊さんの著書で「日本の構造」を著したものには『社会を変えるには』もある。
これはまたいつか読みかえしたい本だ。

2016年3月5日土曜日

アメリカは面白い


大統領選挙まっただ中の「アメリカ合州国」

村上春樹さんがボストンに行っていた時のことが書かれている「そして悲しき外国語」は、かつて面白く読んだ。

そして渡辺靖さんが文化人類学者として「アメリカ」を研究していて、一連の著作は本当に面白い。市販されている渡辺さんの著作はすべて読んだ。

なぜこれほどまでに、愛憎交えてアメリカを意識するのか、その心理状態は渡辺さんの本を読むとよくわかる。

2016新書大賞の話題の本『京都ぎらい』のPOP広告に「本当は好きなくせに・・」と書かれていと、新聞の書評欄で読んだけど、同じ心理なんだろうな。


越智道雄さんの書籍は、まだきちんと読んだことはない。近著『映画で読み解く現代アメリカ』はまだジモトの図書館に入っていないし、渋谷のジュンク堂にもなかった。

これから「余生」ではもう少しアメリカを読み進もう。

『世論をめぐる困難』はメディアのつくる「世論」が如何に“世間”とかけ離れているか自ら問うた挑戦的な本だ

地味な本であり、当然アマゾンではひっかかってこない。しかしこれはある意味で挑戦的な試みだ。
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000072582016.html

かつて、『輿論と世論』」が話題になったが、大衆社会を考える上で、どちらも参考になる書籍だろう。
「世論をめぐる困難」は、NHKの放送文化研究所が発行する月刊誌「放送メディア研究」の別冊のような形をとっている。

世論調査の所管する「NHK文研」が自らの仕事を顧みたということでは挑戦的だと言える。

日々、新聞やテレビのメディアに接していて(というか斜に構えて、横目で眺めていて)、体感として、世間とメディアの言う「世論」に何となく乖離を感じている者としては、その体感をアタマの中で整理する材料になる。

まだ全部は読んでいないけど、(おそらく全部は読まないけど)、頭の体操をしたい時に、徐々に読みすすもう。

しかし、「NHK文研」が問題提起しても、その巨大メディア自体は、何も報道に変わりがない(と感じる)のは、巨大組織の硬直性が如何に強固なのかも同時に感じてしまう。

2016年2月27日土曜日

東京五輪への懐疑 本当に「良いこと」なのだろうか

2020年東京五輪がいろいろつまづいているのは、さまざまな報道の通りだ。毎週末に通う、千駄ヶ谷駅に来るたびに、東京体育館の向こうに見え隠れしていた『国立競技場』のことを、いやでも思い出す。

構造物がなくなってみると、―私的な印象では―意外と狭いというものだった。野球場なども概ねそうなんだけど、普段テレビでしか見ないものは、撮影するカメラの広角効果なのか、広く見える。しかし実際はアタマで想像するほどでもない。かつて放送局に勤務していた者でもそうした錯覚に陥るのだから、テレビそのものが提供する情報の錯覚には気を付けなければなるまい。

東京五輪にはもともと「反対」だった。かつてこのブログでも今回はトルコに譲るべきだと書いた。五輪選手たちの誘致活動の人々の涙する姿を見て、ヘドが出るとはこのことだと感じた。

話はそれるが、いま中東の一連のISの騒動に乗じてトルコはクルド人への攻撃を強化している。五輪がもしトルコでの開催地になっていたら、この国もこれほど露骨なクルドjンいじめをできなかっただろうと思うと、歴史の「IF」=「畏怖」を感じてします。

2年以上前だったか。NHKの歌番組「SONGS」にサザンオールスターズの桑田さんが出演していた。国立競技場のすぐ近くのVICTORのスタジオの屋上でインタビューに答えて、当初東京でオリンピックというのはどうかなと思っていた。けれど決まったからには前向きに考えていかなければ、という趣旨のことを答えていた。しごくまっとうで、また多くの人々が共有するような思いだろう思ってみていた。それがのちに「東京VICTORY」という歌になったのだろう。

これも逸れるが、「東京VICTORY」に歌詞にはフクシマへの思いもちゃんと入っていて、桑田さんの眼差しのやさしさ、確かさを感じている。(ランニングしながらこの歌を聴くと元気が出る)。

東京五輪が決まったあと、私自身も「反対」の気持ちが薄らいできたのは確かだ。薄らいだというより、決まったことに反対してもしょうがないという諦めや、どうでもいいという気になった。ただしカネは使うなよと。

しかし、既報のとおり国立競技場を巡る建設費問題やエンブレム問題など、出るわ出るわ何だこれは、という“カオス状態”に。
そうした直接的な問題とは別に、東京五輪とは何なのか、納税者(国民)に何をもたらすのかという問題はきちっと論ぜられるべきだろう。

世界2月号の尾崎正峰氏の論文は、秀逸だ。
1月のアサヒ新聞の論壇時評でも、「注目論文」として取り上げられていた。

●五輪憲章では「国の競い合いではない」ことが謳われていること。
●日本のスポーツ関係予算は極端にエリート養成に偏っていて、市民スポーツの予算がごくわずかなこと。

要はこの2点だ。

東京で市民スポーツを行う身として、公共のスポーツ施設の少なさをかねてより感じている。それがこの論文では具体的数字として示してくれている。(詳細は読んでみてください)

東京の50mプールで市民が利用できるところは非常に少ない。千駄ヶ谷、辰巳、そして世田谷区立の施設。(これは「東京プール難民」としてブログにも書いた)

東京の人口から言ってもあと2,3箇所、千駄ヶ谷のような施設があってもいい。いやあるべきだ。国民の健康向上は、医療費の削減にも寄与し、巡り巡って自治体の利益にかなうことは自明だ。

行政として、市民スポーツを後押しするのは体育館などのハコ物を作るだけではないだろう。たとえば河川敷のランニングコースをもう少し整えるとか、サイクリング道路を整備するとか、いくらでも知恵はあると思う。

結局は、五輪は日本政府の宣伝材料と国威発揚という古典的な道具に使われているに過ぎないのではないか。

国民の側にも問題がる。五輪で金メダルを取ることをノー天気に喜んでいるし、メディアはそれを後押しさえしている。しかし女子ソフトボールの例が端的に示すように、五輪種目からはずれたら、まったくと言っていいほど見向きもしなくなった。国民は結局ソフトボールやそのプレーヤーが好きなのではなく、単に金メダルを取れる種目だから応援していたに過ぎないことが証明されてしまった。
もしレスリングや柔道が五輪種目でなかったら、現在のような関心は集めないであろう。

五輪は罪作りな「祭典」だ。冷静に考えれば、もういらない。それぞれの競技はそれぞれ世界選手権をやればよい。



「あの日」(小保方晴子著)はすごい!講談社の編集者に拍手

“話題”の書籍(これが「書籍」と言えるかどうかは別として)、
『あの日』(小保方晴子)には感心した。そのタイトルに。

書店に行くと平積みになっている。新聞の発行部数欄でも、石原慎太郎の「天才」(田中角栄本)についで堂々の2位になっている。

はっきり言ってわざわざ読もうとは思わない。それほど残りの人生に時間に余裕はないから。
雑誌のコラムなどで「読んだ」人の感想を聞けば十分だ。
我田引水、唯我独尊、などいくつかの「書評」(と言うのかは?)を見た。この人が渦中の時にホテル住まい、タクシー出勤などさまざまな報道がされていただけに、いま生活はどう維持なさっているのかは、覗き見的趣味で気にはなるけど。

それはそれとして、タイトル『あの日』には、正直感心した。もちろんこのタイトルを考えたのは講談社の編集者なんだろうけど、この編集者は、いかに「キャッチな」「人を惹きつける」かを考え抜いたに違いない。もっとも、意外とすぐ、ふわっと思いついたのかもしれないけど、それはタイトルを考えた編集者のこれまでの経験があったからだ。

 「あ」・「の」・「ひ」という、たった3文字と「小保方晴子」という名前を見た人々は何を考えるだろう。
「STAP細胞」を作ったと発表した会見の日、割烹着姿を撮影させた日、弁明をした日、それとも・・・・。
 「あの日」はそれぞれ読者にとって違うが、完全に小保方晴子の「記号」として機能していることは確かだ。これほどシンプルで、分かりやすく、読者(と言うかこれから「読もうかな」と思っている人)の好奇心を惹起させる言葉は他にないだろう。

言われてみれば「なるほどね」というタイトルはいろいろある。しかしそれはコロンブスの卵だ。最初に考えた人はエライ。
かつて(少しの経験だけど)、テレビ番組のタイトルを考えたことのある経験から言うと、1行のコメントを考えるのも大変だけど、タイトルをどうつけるかは一番の悩みどころだった。
久々に目に触れた「ヒット作」だと思う。

編集者に拍手!

かつて政治の世界で、小泉首相などが、短い言葉でシンプルに訴えかけることが流行った時代があった。今もそれは続いているのかもしれない。しかし政治ではそれは、反知性的であり、大衆操作的で、うさんくささを感じる。政治は丁寧な説明と説得性、納得性が必要な世界だからだ。
それと書籍のタイトルを一緒にしてはいけない。

最近読んだ本で「タイトル」がイカすのはあとは、「生きて帰ってきた男」「ゆっくり いそげ」かな。