2016年3月12日土曜日

「保育園落ちた日本死ね」を巡って・・・日本という“いやな”国

「よりみちパンセ」という中高生向け?のシリーズ本がある。その一冊に小熊英二さんの「日本という国」をかつて読んだ。岩波ジュニア新書もそうだけど、中高生向けの書籍も、時には有用だ。私のように元々の知識が不足している人間にとっては。

内容の詳細は忘れてしまったけど、とにかく日本(という再帰的な集団)がどんな構造で何が問題なのかが記されていた。(ように思う)

保育園に入れないことに関して発信された「日本死ね」が、最近ネットで話題になっているらしい。国会で首相が答弁しているのをニュースでチラっと見た。

基本的にツイッターもフェイスブックも使いこなせないおじさんにとって、ネットのどこで話題になっているのか実際見たことはないけど。

「日本死ね」に触れて、この『日本という国』を思い出した。
この国に住み、税金を払い、一方で社会インフラを利用させてもらいながら家庭を持ち生活している者にとって、この国のことを考えるのは当たり前のことだろう。

だって、家庭(小さなマンションだけど)で、それこそ些細なモノの整理から始まって、家をきれいにすること、また一緒に暮らしている人との関係を常に考えて、多くのことを「整理整頓」していかなければ、どんどん汚れていき、使いづらくなり、そして最後には廃墟になってしまうのだから。

「死ね」という言葉の選択が上品な言い方ではないのは確かだが、この言葉に込められた思いは痛いほど伝わってくる。批判はあるものの私は一定程度支持する。

この国は、やはりどこかいびつだ。よく言われることだが、パイが増えている時はそれでも課題が隠れていたが、限りあるパイを分け合うとなるとうまくいかない。

私は年寄が嫌いだ。自分もその領域に入りかけているけど、年寄「全般」が嫌いだ。年寄全体を一律にくくるのはナンセンスなのは分かっている。中には将来世代のことを真剣に考えてくれる年寄も少なくないことも承知している。
保育園や幼稚園の子供の声がうるさいという年よりたちに見るように、年をとると自分のことしか考えられなくなる人々(自分の死んだ親も、まだ生きている親もそうだ)が許せない。

保育園の問題は、単に「働く若いママ」の問題ではないだろう。そこには富の配分を巡る問題、シルバー民主主義の問題、土建国家の問題等々、「日本という国」の問題が内包されている。

「日本死ね」という5文字の言葉はそんな日本を端的に言い表しているような気がする。



小熊さんの著書で「日本の構造」を著したものには『社会を変えるには』もある。
これはまたいつか読みかえしたい本だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿