2011年11月30日水曜日

“代償”としての、再びの「ぎっくり腰」

再び、「ぎっくり腰」をやった。今度はじわっと来た。場所は前回(およそ1年前)と腰の反対側である。しかし今回は冷静に対処した。
 
◆経緯
 土曜日の朝、床に広げた新聞をしゃがんで見ている時に、ウッという感じで痛みを感じた。なんだかやばい気がしたが、そっと立ち上がるとそれほどでもなかったので、気を付けながら、この日も習慣にしている水泳に朝8時15分に出かけた。そして午前中2,000m泳いだ。
 悪化し始めたのは午後になってから、昼食を取るころには痛みが次第に大きくなり、昼寝をしたあと夕方には、パンツもはけない状態になった。これもいわゆる「ぎっくり腰」だろう。
 
 しかし今回は冷静に対応できた。
痛みは、座った状態から立ち上がる時、寝た姿勢から起き上がる時に感じる。ずっと立っているのは案外平気だ。なぜなのかは分からないが。
また前回購入したザムストのコルセットもあった。コルセットはそれ自体で症状を改善させるものではないが、痛みがある時、「腰砕け」を起こさないようにできる効果はある。
(もうひとつ意外な効果として、腹が締め付けられるため、つけ始めは便通が良くなる。次第になれてくるとその効果もなくなるが…)
◆対処法
以下はまったくの素人診断とその対処法である。
 椎間板ヘルニアではないと、これまでの経験から自己判断(去年整形外科にかかった時ヘルニハとは言われなかった)していることから、これはインナーマッスルの炎症だろうと断定。炎症が収まれば治ると考えていた。

 もちろん痛みはある。前述したように、パンツを履くのも苦労する。家の中、外を問わずトレッキング用ストックをついて歩く。痛みの走った翌日日曜日はまあ家で安静にすごし、月曜日はストックを2本ついて出勤。翌日、翌々日はストックを1本で出勤した。
 
 1週間もすると腰かけた姿勢から立ち上がる時と朝寝床から起きる時を除いて、ほとんど痛みを感じないので、ちょうと1週間後の土曜日には水泳を再開、日曜日には軽くジョギングも行った。(7㌔程)。 そういう行動をとった根拠は、何冊か読んだ腰痛の書籍に負うところが大きい。


◆書籍から学んだこと
 様々な腰痛の書籍を読む中で、共通していることがある。

▽整体などの施術は一時的な痛みの緩和などには効果があっても、「治療」には至らない。
▽ある程度筋肉を動かす方が、回復は早い。
その訳は、ヘルニア以外の腰痛は、ほとんどが「インナーマッスルの炎症」だからで、いわゆる「つる=こむら返り」だからだと言う。

この2冊は、地元の図書館で借りて読んで参考になった書籍である。基本的にこの2冊の「教え」に従った。
椎間板ヘルニアなど、治療が必要なものは別として、普通の腰痛は安易に整形外科や整体師に頼ることなく、自分で「なんとかする」ことが大切であろう。



翻訳本でちょっとうさん臭い面もあるが、
ななめ読みでつまみ食い



慈恵医大の脳神経外科医・谷諭教授による著書
納得の1冊である。



◆腰痛に対する(素人の)結論

  経験則で言うと、2回の「ぎっくり腰」は、いずれも運動が効果を出して体重が落ちている時に起こったように思う。体重が落ちる時は脂肪が燃焼するだけでなく筋肉にも何らかの影響を与えているのではないか。だから、前回のぎっくり腰の後は、筋トレを心掛けて週に1回を目標に、足腰を鍛えてきた。しかし素人の筋トレではいわゆるインナーマッスルまできちんと鍛えられていなかったのだろう。
 体も急激な変化には弱い。体脂肪も本当にゆっくりゆっくり落としていった方がいい。

 体脂肪率、ひとケタを維持するのは、このトシになると結構たいへんだ。目標にしてからかれこれ2年かかっただろうか。体重が落ちる時は一直線ではない。運動を同じように続けていても足踏み状態が続き、ある時押し始める。一定程度落ちるとまた足踏みが続く。この繰り返しだ。

 体脂肪減少の「代償」としての一時的な「ぎっくり腰」。これは「つりやすい筋肉」の持ち主なら致し方ないのかもしれない。
 腰痛のある方、ご参考にどうぞ。


2011年11月18日金曜日

TPPは「国論を二分」するほどの問題なのだろうか

「刺激」と「共感」。この2つが、大衆がメディアに求めている要素だ。

 テレビのニュース番組や新聞に限らず、(というか雑誌の方がより顕著だが)、センセーショナルな見出しと記事の扱い、そして・視聴者・読者に寄り添っていることを装う内容が、顧客を獲得し、視聴率や部数を伸ばす最も“安易”かつ“安上がり”な方法である。
 
 環太平洋パートナーシップ協定(通称TPP)に関する報道もまた、メディアにとっては結果としてその「刺激」と「共感」を生む道具でしかなかった。「結果として」というのは、伝え手は、その時その時でおそらくささやかな正義感と使命感に支配されながら善意で伝えていただろうから。それが「合成の誤謬」として結果としてどうなるかまでは計算していないから「結果として」なのである。悪意であればそれを攻めたてることは容易だが、善意にはそれがしにくい。特に日本人は。
  
 TPP報道を通じてメディアは、そのマッチポンプとしての機能を顕著に表していた。

 TPPは、国論を二分していたのか?.
10月の世論調査では「協議への参加反対」は10%だった。そして11月の世論調査では20%。賛成は36%。(そもそも電話によるRDD方式という世論調査自体に問題があるが、それは別項で考察することに。)

 この間何か状況が変わったというのだろうか。何も変わっていない。ただ反対派の活動が次第にエスカレートし、それが連日メディアで取り上げられることによって、更に反対派の活動は活性化する。このサイクルがメディアとしう触媒によってなされただけだ。実際、世論調査ではどの社のものでも、「わからない」「どちらとも言えない」が一番多かった。これはこれでまともな見解だろう。
 
 伝え手の未熟さと勉強不足は、主に2つの「主張」に回収されていた。ひとつは「政府は国民に説明を」という説明責任論であり、もうひとつは「TPPによって困る(と主張する)人々を繰り返し、取り上げる」分かりやすい、つまり安易で思慮のない報道である。 

 世の中の人がよくわかっていないTPPの内容やメリット、デメリットについて、「政府の説明不足」という、いくつかの「ニュース・ショー」で聞いたフレーズはそらぞらしく、メディアの当事者意識のなさを吐露していた。
 一般の人々がわからいことに「共感」して、自分たちも「わからない」と言いつのっているだけでなないか。いったいどんな内容ををどんな方法によって国民に「説明」するべきなのかは、まったく語っていない。自分たちも「よく分からないこと」を「政府は説明せよ」と愚痴を言っているようにしか見えない。勢い、分かりやすい、取材しやすい、書きやすい、「刺激的」な方向にベクトルは向く。

 反対運動そのものを取り上げること。困っている農業現場をとりあげる。これを刺激的かつ、読者・視聴者が共感できるように味付けして報道することが、王道となるのだ。

 また新聞のよくやる手は、賛成・反対の2人の論者の意見を「対論」として載せる記事である。これが有効である場合もあろうが、TPPに関して言うと、ハナから意見のかみ合わない、別の材料でお互い論じている識者の考えを並べても、なにも生み出していないということだった。

 一方は日本農業を擁護し、衰退を心配する。もう一方は、中小零細の、いわゆる町工場の生き残りや大企業の海外移転加速を懸念する。どちらも総論としては「正しい」ものを並べても、まったく無駄とは言わないが、あまり建設的ではない。

 まともなメディアならば、農業擁護論者にこそ、工業製品の貿易立国として生きて生きた日本の企業はどうなるのかと聞くべきだし、TPP推進論者には、農業はどうするのか聞くことが、本来の役割なのではないか。それが聞けないところに大手メディアの脆弱さがあり、そのことにうすうす気が付き始めた善良な人々が離反し始めているように思う。

 直面する課題を「深化」させる工夫をすることなく、「国論を二分している大問題」として、刺激に大上段でぶちあげて、それぞれの主張を“そのまま”載せる、あるいは映像化することのむなしさを感じないわけにはいかない。

 
 余談になるが一番滑稽だったのは、頑なに「反対」を唱え続けた民主党の 山田正彦元農林水産相と原口一博前総務相だ。
 反対運動中の山田氏のあの苦悩に満ちた顔は、農業を心配する苦悩ではなく、振り上げた拳を下ろすことができなくなって困った苦悩だったのだろう。
 野田首相が「協議への参加」という言い方で参加表明した後、「参加と言わなくてよかった」とホッと胸をなでおろしたのは、拳のもって行き先があってよかったという安堵にしか見えなかったのは私だけだろうか。

 いまどうしてるんですがね、山田さん。

この表情は何を物語るんだろうか


2011年11月14日月曜日

「国益を最優先に・・・・」という言葉のいやらしさ

  TPPを巡る首相や政府・与党、また野党の中にも「国益を考えて」とは「国益を最優先に」とか言っている。「国益」という言葉にはひっかかる。自分の国さえよければよいという本音が見え隠れしてはいまいか。

 「世界はグローバル化している。もっと広い視野で考えるべきだ」などと木で鼻をくくった言い方をするつもりはない。ただ今や「国」単位で物事を考える時代ではないのではないか。
 今度のTPP参加騒動のような利害に直結した話しになると、決まって偏狭な思いが頭をもたげてくるこの国のメンタリティーを問題にしているだけだ。これは何も日本人だけではないだろうが。

 家族→ムラ(コミュニティー)→世間(生活圏の人間関係)→小社会(都市機能を含んだエリア・都道府県)→日本→東アジア→環太平洋→世界→地球・・・・

 このようなカテゴリー分けが適切かどうかわからないが、こう書きだしてみると改めて見えてくるものがある。われわれはこの世にあって、家族を大事にしている(していない人もいるが)が、家族だけでは生きていけないから、より大きな枠組みに身を置いていきる。

 単純に言えば、人は農村では教育機会も職業も限られるので都会に出るし、産業は生産現場や市場をより広いエリアに求めていくのは、自明の流れだ。
 東京都内の農地や農業を守るため、埼玉県の農産物に高い関税(のようなもの)をかけるべきだという人はいないだろう。人が地域だけで生きられるよう、すべての市町村に農地から都市機能まですべてを備えるべきだという人もいまい。
 国内問題と国際関係はまったく違うというかもしれない。確かに一律には比べられないが、構図は同じである。そして何をどう守るのか、考える基礎になるのではないか。
 
 議論は、どちらが「国益に叶うか」に終始していた。これから「開発・発展」する国々も含めて、ともに繁栄できる生き方を探っていこうという前向きな発想は、今回のTPPの論争において、推進派にも慎重・反対派にも感じられなかった。日頃、アジア、全世界の人々と手を携えてとか言っている社民党なんかもTPPに関して「国を守れ」と言っているのは、ほとんどパロディに近い。

 もちろんアメリカ合州国を始め、各国はそれぞれ「国益」優先の思惑で動いているのは承知の上だ。だからこそ、それを乗り越える「大きな物語」を提示してほしかったな、野田さんには。
もしかしたらこの人は、そういう思いを持っていたのかもしれないが、様々な立場の人に配慮して「国益」と言わざるを得なかったのかもしれないが。

 全中(全国農協中央会)の会長がドスの利いた声で反対を叫ぶ姿は、悪いけど、この人の視野の狭さと、むき出しの利己主義的思想しか見えてこなかった。この人は国を守ると言っているが、実は、黄昏ている農協を守ることしかアタマにないのだろう。その応援団の議員たちのパフォーマンスも滑稽なものだった。

 11月06日の日経新聞「今を読み解く・TPP問題と日本の農業」で、経済金融部次長が署名記事で「毎日の食を担っている農業が滅びていいなどと思っている人はいない。けれどもその代弁者としての団体が拳を振り上げ叫ぶ姿には違和感を覚える。政治家の署名を集めて公表し、考え直せ迫るような手法に至っては、弱者の側を装う脅しのようだ。」と書いていた。そして「市場を開くか閉ざすか、保護か競争。生かすか殺すかといったいびつに単純化した論点になっている」「1999年のウルグアイ・ラウンド合意。1年1兆円、6年6兆円ものお金を投じて効果はあったのか。その検証も曖昧。」と指摘していた。まったく同感である。

単純な議論と権益団体の利益擁護運動、それに惑わされ、動かされる「大衆」という図式は古典的でさえある。なぜこの国では、こうした議論が深化しないのだろうか。

信用できない理由~「言説」を変えるには説明が必要だ~

前回の追記。
朝日新聞は、2011年11月13日の社説「政治を鍛える」で、「ひとたび総選挙で民意が示されれば、基本的には4年の任期を全うする慣行の確立が求められる」と論じた。またしてもあれれ・・である。 常日頃から、重要な政策決定には解散して民意を問えと訴えていた社説とは180度違うではないか。またこの社説では「衆院『尊重』の慣行を」とも言う。これもぶれた。民主党が初めて参院で第一党になった時、参院に示された民意をくみ取れと注文していたのではないか。

 この変節はどうしてなのか。あまりにも混乱し、足を引っ張りあう政治(業界では政局と言うらしい)の在り方に、さすがにまずいと思い始めたからだろう。おそらく。 それはそれで判断としては妥当だ。しかし社説を変えるのなら、読者、それも長年購読している定期購読者に対して、説明が必要なのではなかい。なぜ説を変えたのか。変えた理由はなにか。変えるに至った社内の議論はどうだったのか、検証すべきだ。

だって新聞は日頃言っているではないか、政府に対して、「もっと国民に説明を」と。その言葉をそのまま返したい。さもなくばますます読者は減っていきますよ。ご都合主義では。

 と、まあ新聞だけを責めてもちょっと酷かもしれない。

 自民党総裁・谷垣禎一氏は自民党の政治家としては結構まともで頭脳も明晰な人だと思っていた。彼はかつて日本の政治について、日本の政治には「解散」があり、そのためどうしても「政局」というものができてしまい、政治運営が行き詰まることがあると、日本の政治制度を嘆いていた。まっとうな認識である。

 しかし今彼は、自身が総理大臣になるには自分の総裁任期中に解散総選挙して勝利する以外に道はないと悟ると、これまでの言説や彼の本質的思考とは関係なく、常に与党の粗探ししと批判、そして解散総選挙を叫ぶことに終始するようになった。これは看過できない。

政治家を信用できないという大衆的一般世論(そんなものはメディアが作りだした幻想かもしれないが)とは別の次元で、「政治家としての、人を信用できない」という思いだ。

「人の醜さ」とは何かといえば、それはこうしたご都合主義にほかならないが、そうせざるを得ない「大衆社会」そのものが問題なのではないかと、オルデカなら言うだろう。

2011年11月12日土曜日

ランナーズハイ

NHK出版刊
 
すこしずつ走るようになって、走ることの「意味」をいろいろな角度から考えるようになった。いまのところ一番影響を受けたのは、このブログにも以前少し書いた、村上春樹さん「走ることについて語るとき、ぼくの語ること」だ。
このことについては、別項で考えたい。

キワモノ本をひとつ紹介。 「脳を鍛えるには運動しかない」。
なんて分かりやすい、しかし安易なタイトルなんだろう。原題がどういうタイトルなにか、すでに図書館に返してしまったのでわからないが。



要するに、多くの人が感じる運動して爽快感を味わうと、他のことにも好影響を与えるということを、最新の“科学的知見”でいろいろ言ってる書籍だ。
これが科学的なのかどうかはわからない。が、運動している身には、なるほどねと、妙に納得する記述が多々あるのも確かだ。きっと、自分が日頃運動して感じていることを“科学的に”補強してくれているからなのだろう。自分に同意を求める「無意識」に心地よく働きかけてくれている。

この本の中で「ランナーズハイ」について触れられている。確か、これは「走ることに」にしかない気分の高揚で、他のスポーツではないと書かれていた。

しかし経験から言うと、そうでもない。泳ぐこと登ることにおいても同じような身体的気分になることを経験することがある。最近ようやくコンスタントに2,000mを泳げるようになったが、1,200mを越したころから、なんとなく脱力してすこしラクに泳げる。スピードは落ちるが、持続性は出てくるのだ。

登山でも同様だ。単調なだらだら道を歩いていると飽きてくる。しかし足が妙に軽くなる時がある。走ることについて、私のようなビギナーでも5,6㌔mあたりまでは苦しいが、それをすぎると
これもスピードは出ないが時間は稼げるようになる。いずれにも共通しているのは、割と単調な動きを反復している時だ。

誤解を恐れずに言えば、それは苦しみの後にやってきたエクスタシーだとも言える。

コンスタントに運動をするようになって身体的に変わったこと。まず睡眠がラクだ。床に就くと5分もたたずに寝られる。運動しなかった日はそうはいかないし、夜中に目が覚める。肩こりがなくなった。食事がおいしい。お酒はごく少量でOK。これらと運動に「因果関係」があるかどうかはわからないが、そう感じることは確かだ。本を読む量はあまり変わらないかな・・・。

2011年11月10日木曜日

「新聞社説」の憂鬱

ユーロ危機にあってギリシャ救済に関する国際公約を国民投票にかけるという(結局はなくなったが)首相の判断を、購読しているある新聞は社説で「危険なかけ」と断じていた。
そのこと自体は常識的な主張だろう。何しろ世界中がギリシャ首相の判断に驚いたのだから。

 しかし、あれれ…である。この新聞は日頃、国内政策に関して、重要な事案は解散して信を問えとか、国民投票、住民投票による「直接民主主義」を唱えていたんでないの。これでは日頃の主張とはなんなのかと思ってしまう。こういうのを都合主義と言うのだろう。

 「ギリシャも国民投票を行い、その結果ユーロ各国の支援がされず国が破たんしても、それは国民が選択したことだ」と主張するのなら、日頃の社説との整合性はある。このへんに新聞の「苦悩」を見てしまった気がした。 

 かつて高度成長のころ、日本という社会には希望があり、確かに物質的に次第に豊かになっていった時代だった。もちろん、水俣病のような深刻な公害被害や薬禍、交通戦争、大きな事件、事故もあり、被害に遭われた当事者には、重大で忌まわしい時代であったと思うが、総体として、多くの人々には、少なくとも今よりも豊かになっていくことを実感できた時代だったろう。オイルショックやインフレもあったが、国や地方自治体は増える税収の使い道を考えていればよかったし、労働組合も賃上げを叫んでいればすんだ。

 そういう時代にあって新聞もまた、世の中の不幸を嘆き、政治や行政、そして大企業などの「権力」批判をしていれば読者は満足し部数も伸びていったのだろう。それが新聞の生きる道として。
 佐藤栄作が首相退任会見で新聞を締め出したのは、(そのこと自体は大人気なく稚拙な行動だが)、背景に、長年の新聞の権力に対する「態度」に対しての不満が爆発したものだ。

 しかし新聞はじめマスメディアが権力を批判をしていればいいという時代は終わった。これだけ複雑化し、月並みな言い方をすれば価値観が多様化し、ひと言では言い表せないからみあった利害関係があり、地球をみれば多民族が70億人住む事態に、簡単な答えはない。

 社説も当然方向性が定まらない。ぶれる。それを多様な事態に対応した言説と見るか、ご都合主義と見るかは読者によるだろうが、わたしは何かしっくりこない。社説が首尾一貫していないからけしからんと言っているのではない。世の中の迷走と同じようにメディアの主張も迷走していることを感じているだけだ。

 なぜ社説を問題にするか。その辺のエセ知識人やタレント学者の言説と違い、クウォリティーペーパーの社説を書く人間は間違いなく知識人であり、それも様々な分野の専門知識人の“熟議”を経ての言説だろうからだ。それが定まらないということは、苦悩であろう。

 確かなのは「社説」が“多様化”すればするほど、新聞はクウォリティーペーパーとしての地位を失っていくということだ。大衆紙と変わらなくなっていく。

 そのことに、新聞自身が気づいている。

 このところの社説は権力批判をする返す刀で「大衆」への啓蒙的説教もよく見るようになってきた。その典型が、この項に「引用」した朝日11月7日の社説である。 
2011年11月7日朝日社説を“引用”



ポピュリズムという言葉は、新聞やテレビは注意深く避ける。見てくれる、購読してくれる人を批判することは、自殺行為だからだ。しかしホンネはそこにある。
「世論調査政治」「テレポリティックス」の責任はマスコミ自身にある。いまさら「熟議」とか「輿論」の喚起とか言い出しても、もう大衆は元に戻れないかもしれない。
 東日本大震災の一連の報道は、「昔の悪いクセ」が出て行政の責任、説明不足、対応の遅れを批判するオンパレードだった。
 確かにご指摘の面は否定しようもなく、実際政治や行政の対応にもどかしさを感じていた人が大多数だったことも確かだろう。が、あれだけの大惨事の中で、放射能問題にしろ復興にしろ、もう少し冷静な伝え方はなかったのだろうかとも思う。

 「要求」しているだけでは希望も豊かさも逃げていってしまうことが自明の世の中になって、新聞の「わが社の主張」は、苦悩している。

検察証拠ねつ造事件など、新聞がはたいている役割は依然大きいことには変わらない。だからこそご都合主義から脱皮した、もう少し質をあげた「主張」を展開してほしいし、そういう社説を読みたい。



財務省は悪ものなのか

経済政策は、どうしてこうも両極端の意見が対立するものなのか。
いわゆる「大きな政府」「小さな政府」論のような大きな“物語”でなく、マクロ政策においてである。

 ある学者は国債の発行をやめて財政再建しないと国が破たんすると言うが、正反対に景気対策にはじゃぶじゃぶ公共事業を行う必要があり、日本の中でお金が回っているので借金の心配はいらないという言う学者もいる。

 デフレは悪だという言説に対して、デフレは悪くないという著名学者もいる。成長がなければ経済はへこむという意見と、もう成長は見込めないのだから定常型社会を目指すべきだという人もいる。ゼロ金利はいけないという人ともっと量的緩和をしろという意見もある。

 こんなにも違う意見が乱立する経済、おそらく世間の人々(大衆)は本当に理解しているのだろうか。月例になった新聞やメディアの「世論」調査(「輿論」ではないところが悲しい)で、政府に望むことというと、必ず「景気対策」という項目がある。なんと無意味な質問なことだろう。
景気対策をどう行うかが問題なのに、「景気対策」という答えしか用意していない調査なんて一般大衆をバカにしているか、さもなくばこういう設問をするメディア各社が愚かなのかどちらかだろうが。

 ともかく、経済政策におそらく「正しい道」なんてない。あるのは何を選択するかという「決断」だけだろう。しかしその決断はしばしば大衆迎合的、もっと端的に言えば人気取りの政策が決断されてきた。故人を責めてもしかたないが、小渕は「世界一の借金王」とうそぶいて国債をがばがば発行した。それが景気にどれだけの効果があったのかは、ほとんど検証されていないのではないか。(検証した論文があれば教えてほしい。是非読みたい。)

 政策がどうしても大衆迎合的になるのはどの政党でも同じかもしれないが、国の天文学的な国債発行残高をどうするかは、真剣に考えられていない。政治の尻ぬぐいは「あとは官僚におまかせ」といったとこだろう。

  財務省は政治家が人気維持のために「決断」した国債発行を、この国を今後も維持するためになんとかしようと必死になっている、と思う。その表意が細川内閣の「国民福祉税」構想などの仕掛だったのではないか。

 私はなにも財務省の応援団でもシンパでもない。が、冷静に見ると総体として財務省(旧大蔵省)は、少なくともバブル崩壊以後は必至になっていると。残念なのはそういう役所にあって、一部の愚かな高級官僚が不祥事をおこしたことだろう。

 権力(のようなもの)を攻めたてていれば気の済む大衆と、そうした大衆を読者とする雑誌などのイエロージャナリズムが、ここぞとばかりに財務省をスケープゴートにして、面白がった。財務省陰陰謀説などという言葉も、不祥事以後よく聞くようになった。

 で、消費税10%問題である。われわれの子・孫にも日本が持続していくためには、最低限必要な税だろう。だれだって増税は困るが避けることができない道だ。

 それでも財務省を陰謀の悪人に仕立てて喜んでいるこの国の人々は、10%の道をふさぐのだろうな。悲しい。

2011年10月26日水曜日

科学的合理性よりも「情」や「空気」が支配する国

国民性というものがあるとしたら、それは民族・人種に根差すというより、その土地の風土や宗教性が長い歴史の中で培われてきたものだろう。また、そうした歴史の文脈の中で出来上がった政治、社会、教育などの制度が、いわゆる「国民性」を作り上げている、のだと思う。
 西日本と東日本、関東と関西と言った二項対立や、九州人は……、東北人は……といった言地域性を規定する言い方や、もっと狭い範囲で、端的に「県民性」ということも巷間では言われる。更に東京の中でも、山の手の人と下町育ちなどと言って、その人を規定することがある。それらが本当に存在するのかどうかはわからないし、冷静に考えれば、軽々しく決めつけるのもいかがなものかとも思う。しかしわれわれは他と比べるという行為を通じて自己の存在を確認し、また他者を批判する。もっと言えば軽蔑、差別の手段として〇〇性は使われる。
この基本認識を前提とした上で、日本人というものを最近の出来事から考えてみたい。

 国民性を表す有名な小噺。
タイタニック号沈没の時、少ないボートには女性と子どもが優先され、残った男たちを冬の海に飛び込ませるために乗組員が言った言葉。
●イギリス人には「あなたはジェントルマンだ」
●アメリカ人には「これであなたはヒーローになれます」
●ドイツ人には「これがルールなのです」
●日本人には「ほかの皆さんもそうなさってます」

 なぜか納得してしまうウマい小噺だ。やはり日本人には「みんなそうしている」ことが、何よりも大切なんだろう。
 換言すれば、それは合理性よりも「情」が優先されるということだ。様々な知識人が指摘してる言葉を借りれば、そういう「空気」が支配しているということか。(「空気」については別項でまとめてみたい)

 BSE(牛海綿状脳症)はこの10年、検査体制が整ってからわずか1頭しか見つかっていない。
世界でも92年の3万7,000頭をピークに去年は45頭だという。(2011.10.25 朝日社説から)
プリオンは普通は生後3年以上たたないと検査で見つからない。欧米諸国では検査対象を6年以上としている。しかし日本では、20か月以下の若い牛も含めて全頭検査が続けられている。
そのことにほとんど科学的意味がないにもかかわらずだ。理由は簡単だ。消費者の安心・安全を考えて、ということだろう。
厚生労働省はようやく全頭検査の態勢の見直しを言い始めた。しかし政治家のだれも、これまでその無駄(もちろん検査には税金が使われている)を指摘して中止しろとは言わない。

 放射能による子どもの甲状腺への影響調査は3年程経過してからでないと意味がない(朝日新聞)のに、「心配する親の声を受けて、行政はすぐ実施することにした。」そうだ。
このことに対して、無駄はやめろと声をあげたら、ほぼ間違いなく「子どもの命が大切ではないのか」とヒステリックに叫ぶ人が出てくるだろう。
放射能汚染の問題で言えば、運動場や道の除染について「心配ないレベルだが、地域の人の不安の声を受けて念のため」という行政の施策がしばしば伝えられている。
 もちろんその背景には、放射能汚染に対する政府・行政側の一連対応のまずさからくる不信感が背景にあるのは否めないが、それにしても、こうした事態が余計に住民の不安を増幅して合理的でない施策が行われる。
 放射能汚染の可能性が少しでもあれば、大騒ぎしなければならないという「空気」が、いまこの国を支配しているのだろう。

「安全学」の村上陽一郎さん(現・東洋英和女学院大学長)が中央公論9月号で、定期点検中の原発の再稼働について、しごくまっとうな指摘をしていた。
「福島第一原発の事故があったからといって、定期検査で停止中に何か根本的な変化が起こったわけではない。だとすれば、むしろ再稼働を拒否することの方が非合理ではないでしょうか。」
文書を読めばわかるが、村上氏は決して原発推進論者ではない。「安全」を考える上で科学的判断ということの重要性を説いているのだ。

 脱原発、反原発の方々が「いますぐすべての原発を止めろ」と言うのなら、論理は明快であり説得性はある。が、いま稼働している原発は容認しておいて、定期検査で停止している原発の再稼働は許さないというのは、どう考えても論理的に矛盾している。新聞を読んでいると「地元住民感情を考慮すると」という文書が出てくる。科学的に安全かどうかということより「感情」が判断の基準らしい。とても原発再稼働を言い出せる「空気」ではないということなのだろう。

 そう、日本は空気が支配する社会なのだ。それが個人のグループのレベルで行われている行為であり、自分には直接関係しなければ放っておこう。しかし「空気」が合理性を拒み、税金を無駄に使い、われわれの実生活にも影響を及ぼすとなると話は別だ。

「情」に訴える人たちは、「自分や子どもの健康や安全を訴えることがなぜ悪い」とおっしゃるかもしれない。しかし限りある資源(税金)をもっと有効に子どもの健康や安心・安全のために使用した方がいいのではないだろうか。合理性を追求することは、安心・安全を疎かにすることではない。

「世間」の「空気」が支配する日本について、鴻上尚史氏が鋭い洞察力で書いている。
納得の1冊だ。後日紹介したいし、多くの人に読んでもらいたい書籍のひとつだ。

その前に「空気」については山本七平の著書が「古典」だろう。鴻上さんの著書の中にももちろん出てくる。

2011年10月20日木曜日

ひとまね子ザルで行こう

 普段利用している東京都内の公共体育施設。更衣室からプールに行く所にあるトイレは、サンダル履きになっている。5,6足のサンダルが置いてあるが、これがいつもひどい「脱ぎっぷり」だ。逆さまに脱いでいくだけでなく、素足で履くためひっかかるのか、裏返ったまま投げ出されていたりして、次に使用する者にとっては不快極まりない。(小学校の道徳の時間の先生のような物言いだが)どうして、ちょっと振り返って揃えられないのだろうかといつも思っていた。

 泳ぎながら子ざるの童話を思い出した。
確かこういう話しだ。帽子を奪って返してくれない数匹の子ザルたちをどんなに追いかけても、すばしっこくて捕まえられない。困っていると、子ザルたちが自分のしぐさの真似ばかりしているのに気づいた。そこで、自分の帽子をとってカバンに入れると、子ザルたちもそれに倣って帽子をカバンに入れた。(この童話は有名な「ひとまねこざる」とは違うものだったかもしれない。確認はしていない。)

 そこで、泳ぐ前後にトイレに行く度に、散らばったサンダルをそろえるようにしたのだ。ちょっとしゃがんで数足のサンダルをそろえる。それはわずか10秒程の行為でしかない。しかし(この性格の悪い私が)それをやり始めた。私の行動を見て、たいていの人はちょっと後ろを向いてそろえて脱ぐ。人の行動というのは面白いものだ。(もちろんそうでない無神経男も多いのは確かだが・・・)

 以前このブログで記した、落書きやハイスクールの壊れた窓もおそらく同様の行動なのだろう。そのままにしておくとますます落書きは増え、学校の窓は壊される。「なおしておくこと」以外に、新たな破壊活動防ぐ方法はない。

 オルデカの言説を借りれば、大衆は世の中の流れと同じように行動をとる。常に周囲を見て同じようにふるまう。かつてのルーズソックスばかりのアホな女子高生。テレビ番組の「あるある大辞典」のインチキ情報で、納豆を買い占めた主婦。罪深い例としては、かつて大阪で、青森からトラックでリンゴを売りに行ったら、誰かが失敬するのを見た群衆がみな群がりすべて盗まれてしまったという“事件”があった。こうした事例には事欠かない。大衆心理を逆手にとって導く(イヤな言葉ですが)ことを試みたのである。

 さて、トイレのスリッパ。今のところ目立った変化はない。もちろん毎日通っている訳ではないし、何千人もの来場者のうちのひとりの行動など、何もならないことはわかっている。しかし散乱したスリッパを見るたびに、不愉快を感じ、腹が立っていた自分の気持ちが、この行動によって鎮まった。もう少しつづけて、これが無意識にできるようになれば、自分自身も変われるのかなと思うことがる。
 情けは人のためならず。

 





○前に倣う。スリッパ 落書き、
○電車内、優先席での携帯

2011年10月18日火曜日

男も女も股を閉じろ

 10代の時、バイク免許(400cc中型限定)を教習所に取りにいっていたとき、まず教官に言われたのは、股を閉じるということだった。「白バイを見れば、皆しっかり燃料タンクをしっかり締めているだろ。だけど暴走族は股をだらっと開いている」、と。

 安定した「正しい」走行をするためには股に力を込めて燃料タンクをぎゅっと挟み込むことだと、この時刷り込まれた。そして実際その通りだ。
 20年近く前、ケアンズで休暇を楽しんだ時、乗馬をした。これが結構ハードというが初心者に大胆不敵というか、いきなり馬を与えられて結構なスピードであちこち走った。教えられたのは馬の名前だけだった。あとは見よう見まねでやれということらしい。しかし楽しかった。この時も馬をコントロールするにはしっかり股に力を込めることが肝要だということが体験的に分かった。

白バイの乗り方は文句なくカッコイイ


※左の写真の若干の補足
 バイクに乗る人ならば、たいていは経験したことがあるだろう。カーブでマシンを傾け時、シロウトだと少々恐怖を感じる。
この時、きちっと膝を閉めて操縦するのは、それなりに経験が必要だ。




 股を閉じるのは、物理的安定性だけでなく身体に緊張感を持たせることでもあると思う。

スカート姿の女性が少なくなったためなのだろうが、通勤電車内で、膝をくっつけて座っている人は滅多に見かけなくなった。私はキライだ。きちっと股を閉じろ。それが車内のマナーだというだけでなく、その方が美しい。

JRが開発した、「膝を開かせないというシート」

 これは男尊女卑の思想で言っているのではない。

男も同様だ。長い足なのはわかる。が、それは車内で誇示するものではない。お互いに迷惑にならないように座るのがマナーだ。車内で股を閉じられないのは、その人たちにとって車内が「社会」ではないからだろう。彼らにとって空間は常に「自分のもの」という意識しかないのだろうか。
公共の場では常に「緊張しろ」と言いたい。

 ついでにひと言。
最近通勤電車では、あの「スマートフォン」をいじくり回して、周囲の迷惑をかえりみない輩がまた増えた。女性専用列車なんかいらないから、読書専用列車をつくってほしい。電車内は静かに本を読むとことだ。断然そうでなければならない。
電子機器を使う人は貨車を連結してそれに乗ってもらえばよい。

2011年10月8日土曜日

ぎっくり腰から学んだこと(自分が崩れ落ちてゆくということ③)

「ぎっくり腰」からはや10か月近く、完全に不安が払しょくされた訳ではなく、泳いでいても走っていても疲れてくると、何となく軽い痛みに似た感覚が湧き上がってくることがある。しかしそれがかえって自分自身に注意を促している面もあり、微妙なバランスの中でエクササイズを続けているという感じだ。

 それにしても、カイロプラティック、整体師と言われる人々(の多く)がいい加減ななのではないかという「疑念」は、今もって続いている。

 1時間弱で7000円を支払った「施術」とは何だったのか。しかも時間の半分は温湿布のようにバスタオルで腰を温めただけだ。支払いに際しては領収書もなかった。住宅地のマンションで営業している、この整体院は、おそらくいとも簡単に「売上げ」をj除外し、申告するだろう。所得税も消費税も免れているのではないかという強い疑念がふつふつと湧き上がってくる。サラリーマンとしては看過できないな。(ちょっと話が本筋から逸れた。)

 websiteの整体師の広告を見ると、「歩けなかった人が1回の施術で歩けるようになった」とか、3回通って「完治」したとか、様々載っている。もしその広告が悪意なきものであれば、確かにそうなのだろうと思う。しかしそれほど“専門的”にしなくてもちょっとインナーマッスルを刺激・マッサージをすれば治るということではないか。 逆に言えば、骨や椎間板にまで支障があれば、整体師でも治らないだろう。

  結局かれらの行っているのはリハビリの手助けだ。もちろん、それはそれで重要でありその手助けに報酬を得ることを否定はしない。年配者などで、硬くなった関節を動かせるようになったり、歩きやすくなったりする人がいるのは喜ばしいし、実際そういうことで重宝がられている「先生」もいる。こういう人はたいてい良心的で価格もリーゾナブルだ。
 
 しかし「ぎっくり腰が一発で治った」などという宣伝をする診療所は値段も高い。(実際高いと思った)ある種の詐欺的行為といったら言い過ぎだろうか。

 もともと身体にまつわる様々なことは、症状に個体差があり、そのひとの感じ方にも差があるので、あいまいなところは宿命である。そこに付け込んで「治療」が行われるのだからやはり施術の内容も値段もあいまいになりやすい。どこまでなら「治った」「改善した」と感じられるのかは難しい。
 
 ひとつ分かったのは、身体に施術を行うという行為は「暗示にかける」行為だということだった。それが整体師に意識化されているかどうかは別にして、患者を信じさせるために会話があり、もっともらしい施術があるのだ。初めての体験で私も魔術にうすうす感じながらも、あえてはまることにした。そうしなければ7,000円もかける意味がないもの。

 

2011年9月12日月曜日

小さなほころびを紡ぎなおすことの意味

ほぼ毎日曜日にランニングをする多摩川の河川敷は、特定の場所で、真冬を除いてバーベキューが行われている。だいたいは大学生と思しき男女のサークルだったりするが、なかには幼い子どもをつれた家族連れのグループなどもいる。都会で手軽に野外でバーベキューを楽しめるところはそうないので、それはそれで結構だ。まだ日が高いのに悪酔いした若者の表情を見るのは気持ち悪いが、そのくらいは「我慢の限度」内の話だし。

橋のたものと一角に、ビニール袋に入れられたゴミの山があった。その数20以上が行儀よく並べられていた。もちろんそこはゴミ捨て場ではない。河川敷には管理者の自治体が「ゴミは持ち帰りましょう」と看板を立てている所もある。なのにである。どうしてゴミは集積されているのか。

ほぼ間違いない想像として、誰かが最初にそこに残置した。そして後に続くものが、おそらく「ああ、ここに置いておけばいいのね」と勝手に自分たちに都合よく解釈して、自らのゴミを並べた。それがどんどん続いていったのだろう。きっと彼らには悪いことをしたという意識は希薄だ。
いや、いけないと思っていても「誰かに倣った」ことで免罪し、そしてそのあとのことを考えないようにしているのだろう。

 実際、翌週、別の場所だったが、地元の人と思われるご婦人たちがうんざりしたカオで「行儀のよいゴミ袋」を片付けていた。

 かつて、NYのハイスクールで、「割れた窓をそのままにするな」という取り組みがあり成果を上げたことを新聞で読んだ。荒れる学校現場で、壊れたものをそのままにしておくと、更に追い打ちがかけられる。これは落書きにも顕著に表れる。落書きされた現場をそのままにしておくと、どんどん落書きが増えていく。だから落書きをさせないためには、落書きを根気よく消していく以外によい方法がないという。
多摩川(川崎市側)2011.10.23
こうしたゴミは河原のいたる所にある


 「だれか」がやってくれること。と思うメンタリティーは、意外なほど罪深いと思う。このブログの最初の方に記したが、湯浅誠さんが言っていたことを再び思い出す。「見ようとしないものは見えない」と。それは考えたくないことは考えないようにしていると同義だろう。誰かに倣ってゴミを放置し、そのあとのことは考えないようにする。

 消費税を上げるのは、おそらくほとんどの人にとって抵抗があるだろう。何も小選挙区で争っていて、大衆にすり寄ることしか頭にない代議士だけではない。しかしどう考えても、このままではこの国の財政は立ちいかなくなるのはあきらかだ。しかし大衆は、それを考えたくない。目を背けたい。だから議論自体がなかなか進まない。

 原子力発電所には、万全の安全網が必要だった。しかし最悪の事態は考えたくない。優秀な技術者たちも、だからそれだけは考えないないようにした。結果、この事態になってしまった。

 河川敷にゴミを残置していくことなど、世の中の大きな流れからするとたいしたことではないかもしれない。そんなことをぐだごだ書いたってだれも興味を持たないし、読むだけ時間の無駄と思うだろう。しかし、それは、この国の様々な欠陥とつながっているのではないか、と思わずにはいられない。

 NYのハイスクールの窓と同じだ。小さな「ほころび」を治めることができない国には、おおきなほころびは絶対に治められない。

2011年9月8日木曜日

何かに打ち込む姿は美しい。でも…

 平日昼下がりの、あるスポーツクラブ。
準ターミナル駅近くで、また住宅地も近いという立地のためか、ここのクラブは、「お年寄り」と表現するのはいささか失礼であろうが、でも明らかにリタイアした「初老」の男性と、年配のご婦人(有閑マダムなんて言葉がかつてあった)の方々の天国だ。たま~に、そういう時間帯に行くと、いろいろ面白い発見がある。
 一種、サロンと化しているし、また彼ら、彼女らが自分自身と闘っている場でもある。

 病院の待合室がサロン化しているとよく揶揄されるが、スポーツクラブのサロンは言わずもがな健康的であり、病院のそれとは違い、いいことだと思う。

鉄アレイ(イメージ)

ロッカーでは知り合いらしい初老のふたりが孫の話しに花を咲かせていた。その姿はちょっと、将来の自分を見るようで背筋が寒くなったが、まあそれはそれでよい。

ストレッチを行うマット上では、年配夫人が、半年前の3.11東日本大震災時、このスポーツクラブのサウナにちょうど入っていた時の話しをしていた。どのくらい揺れを感じ、(はだかで)どうしたらいいのか慌てたとか、これまで幾度となく話したであろう「十八番」を披露していて。たわいもない会話が続いている。
一方、マシンやダンベルのところでは、「懸命」に汗を流している人々がいる。
「そんなに頑張らなくてもいいのに」と声をかけたくなるくらい、一つのことに打ち込んでる初老の男女の姿は、珍しくない。

この日、5キロ程のアレイをそれぞれ両手に持ち、休みながらも何セットも続けている初老の男性がいた。(だいたい1セット10回~12回持ち上げるのがふつうである。)。その形相は、明らかに「さわやかに汗を流す」領域を超え、自虐的にすら見えた。その脇ではこれまた初老の女性が、専用のベンチで延々と腹筋を続けていた。インストラクターが声をかけると、大きな声で「休みながら120回したのよ」と“主張”していた。
 こうした「頑張るお年寄り」とはどういう心持ちなのだろうか。見ていると、単に健康維持のためのトレーニングといった趣を超えた何かがある。
誰しも自分が「頑張れる」人間だということを確かめたい。エクササイズは、ある意味でそれを最も単純に可視化された状態で、自分にも周囲の人間にも確かめられる行為なのだろう。
「まだまだへこたれない」「年齢に負けたくない」といった気持ちを、文字通り、身をもって表現しているように、私には見えた。
 年をとるというのはそういうことなのか。やがて自分も、そう遠くない将来その“サロン”の仲間入りするのだろうか。

 もちろん、体力を維持した健康体で齢を重ねたい。でもそんなに「頑張ってる」姿をさらけ出すことには、ちょっと躊躇もある。何かに打ち込んでいる姿は、美しい。でも、行き過ぎはどうかな。

2011年8月31日水曜日

会津磐梯山 ああ--どうして天気に恵まれないのか

 いわゆる独立峰は、山麓から姿がはっきり分かり、山の美しさを感じさせてくれる。富士山はもとより、東北で言うと、岩木山、岩手山、鳥海山、そして会津磐梯山などはその代表格だろう。

南側から見た磐梯山(猪苗代町のHPより)

 そして独立峰からは360度周囲を見渡せる魅力がある。このブログの表紙にもある鳥海山からは日本海や庄内平野、そして奥羽山脈の山塊が堪能できる。

 会津磐梯山も、視界良好の山だ。だから是非360度のパノラマを楽しみたい。ルートも比較的簡単で時間もかからない。小学生が「登山」を経験するにはうってつけの山かもしれない。

 磐梯山ゴールドラインにある八方台登山口からは往復で4時間程の登山ルートだ。しかし今回は2回目の“登山”となった。


1回目は4年前子どもが小学4年生の時だ。次第に強くなる雨の中、子どもの運動靴はズブズブになってしまった。危険ということでもでもないが、さすがに疲弊しているところもあったので、途中で引き返した。まあそれもいい経験になった。

山頂より五色沼方面の眺め(引用)

 事故が起きるのは決まって、「折角来たのだから・・・」「ようやく休みをとって来たのだから」という気持ちが判断を鈍らせる。もっともそれは勤め人でなくても皆抱く思いだろう。時間と交通費と宿泊費を使ってわざわざやって来た者にとっては当然の思いだ。
しかし事故はそういう時に起こる。

われわれもこの時は「勇気をもって」引き返した。
そして、今回は山形で朝日連峰を縦走した帰り、“常宿”になりつつある裏磐梯猫魔ホテルに泊まる日に、昼から登り始めた。

山頂より猪苗代湖を臨む(引用)


8月21日。この日も天気が悪かった。雨は降ったり止んだりで山頂などは見えない。日没は18時半頃だが、遅くとも18時には余裕をもって戻れるようにしないといけない。今回は子どもより家人が心配だった。ひと月ほど前に雲取山に登ったとはいえ、ひざが痛くなり通常よりかなり時間がかかった。午後から登山でもしアクシデントが起きると、いろいろ面倒だ。中2になった子どもは重登山靴を履き装備もそろっていて、あまり心配はない。

12時11分、無線機を持って先に妻子が出発。運転してきた私は、あとから装備を整えて10分遅れで追いかけた。
登りは予想以上に調子よく、2時間程で弘法清水の茶屋に到着した。ここから山頂はあと一息だ。
茶屋には皇太子が雅子さんと登山した時の写真が掲げてあった。

 話しはそれるが、奥多摩の雲取山荘にも皇太子の写真が3種掲げてあった。その2つは独身時代にひとり?で登った時のもの。最期のひとつが夫婦で登った時のものだった。笑顔の2人の写真を見ると、「適応障害」だという現在の雅子さんがちょっと痛ましい。


2度目のトライでも天気に恵まれなまった

 山頂からは何も見えなかった。トホホ。記念写真をとって終わりだ。下りは次第に強くなる雨の中を滑らないようにいくだけだ。一般に足を鍛えていないと下りの時にひざを痛める。またスリップするのも下りでた。案の定、家人はもう注意が必要なところは終わって、木道になるというところで、油断したのかスリップて手をついた。手首と肩を痛めてその後2週間、難儀していた。

 会津磐梯山。また散歩がてらに来ようと思う。裏磐梯はのんびりするにはいい所だし。ホテルもほどよく快適だから。





2011年8月9日火曜日

雲取山登山で考えた 首都東京の水源涵養林とペット連れの登山“客”

  
奥多摩から臨む富士山

  2011年7月16日-17日で、東京都の最高峰、雲取山(2017m)に登った。標準時間で上り約5.5時間のコースだ。目指す雲取山荘は、山頂から埼玉県側に少し下ったところにある。北アルプスなどと違い奥多摩、奥秩父には食事を出す営業小屋は少ない。(ここ以外私は知らない) 東京から比較的近くで、北アルプスや八ヶ岳などの同様な2食付の小屋泊まり山行ができるという点では、うってつけの山である。

 来る盛夏に予定している山形朝日連峰の縦走登山に備えて、小屋泊まりでなくても過ごせる装備と水・食糧を持って出かけた。林道脇から始まる登山道はずっと杉林の斜面を横切っていくようについている。


 途中、七つ石小屋に上がっていく途中に木々の切れ間から富士山が見える。そして急登の道を登り詰め七つ石小屋につくと展望が開ける。つくづく富士山は「見る山」だと思う。独立峰の美しい姿は何度見てもよいものだ。(ただし登るとなると、小屋のし尿の臭いがたまらなかった記憶がよみがえってくる。今は違うのかもしれないが・・・。)
雲取山山頂より富士山を臨む



 雲取山の登山ルートや展望については、いくつものサイトがあるのでそちらに譲る。今回の山行で、気になったことが2つあった。


 ひとつは、ペットを連れての登山である。昨年足慣らしに御岳山に行った時もそうだった。御岳山はロープーウェイで上まで上がれるので犬を連れた登山?客を多くみかけた。登山と言ってもハイキング、ちょっと遠出の散歩程度のところだからペット客には登山という意識はないのだろう。あまりいい気はしなかったが、ここはそんなものだろうと思いっていた。

 ところが雲取山という、まあ本格登山の範疇に入るところでもペットを連れている者がいるではないか。途中の登山道にフンがあり悪臭を放ってハエがたかっていた。その時はそれが何のフンかわからなかったが、犬連れに出会って合点がいった。雲取山の登山道は途中すれ違うのもやっとという狭いところもある。かなり大型の犬をつれていた夫婦にも出会った時はかなり驚いた。

雲取山荘はきれいで気持ちの良い山小屋だ

 雲取山荘につくと、そこにも犬をつれた人がいた。夜中、吠えていた。部屋が小屋の表(広場側)でなかったので、安眠を妨害される程ではなかったが、表側の人たちは迷惑だったのではないか。

 それにしても、で、ある。いったい犬を連れて登山するメンタリティーとはどういうものなのだろうか。単純に考えれば、その人たちにとって家族の一員であり、置いてはいけないということなのだろうが、だったら山に来るなといいたい。犬はそれを望んでいるのか。犬を連れていくのに他にふさわしい所だってあるだろうに。

 いわゆる「ペット愛好家」を私は好きになれない。今回の山を始め、様々な場所で遭遇した多くの場合、彼ら彼女らは、自分のペットを最優先に考え、周囲に気遣いができない人が多い。誰もが犬好きだと勘違いしている。


 まだ子どもが幼い時、こんなんことがあった。東京・立川市の「昭和の森公園」に行った時のことだ。ここには芝生があって子どもたちが自由に遊べる。芝生のよさは裸足で走りまわったり、寝転がったりできることだ。こともあろうにペットを連れた輩(年配の女性だった)は、この芝生に平然とペットに小便をさせていた。というより、ペットの小便を制御できないのだろう。さすがに、声をかけて注意した。件の中年女性はそそくさと逃げいった。帰りがけに管理人室にひとこと文句を言っていった。渋谷の代々木公園は、もっとひどい。ここは子どもを遊ばせるところではない。ペット愛好家の無法地帯だ。放し飼いにするのは“当たり前”。彼ら彼女らには人間が目に入らない。湯浅誠さんの言葉を借りれば、要するに「見えない」のだ。見ようとしないものは。(ブログ参照してください)

 山での楽しさやくつろぎを半減させてしまうペット愛好家、どうしても私は彼らを受け入れられない。


間伐された木が放置されている

 もう一つ気になったこと。それは植林地帯の荒廃だ。雲取山周辺は東京都の水源涵養保安林になっている。1000万都民の水がめのひとつ小河内(おごうち)ダムに水を供給する森林である。それが荒れている。日本林業の衰退と植林地帯の手入れがされない荒廃は、言われて久しいが、それを目の当たりにした思いだった。間伐された木はそのまま放置されていた。おそらく運び出す費用が出ないのだろう。それは足で登ってきた者ならば大変なのがよく理解できる。また間伐さえもままなず、密集して植えられた杉があまり育ちがよくなく細いまま林立しているところも多く見られた。


東京都の水源涵養保安林でもある杉林

 もしかしたら「捨てる所は捨てて、手入れをしている所はそうしている」のかもしれない。養生に限界があるのなら、それも仕方ないかもしれない。しかし枝が落とされず(枝打ちをしないとふしが多くなり材木としての価値は下がる)、あまりまっすぐには育っていない杉を見ると、杉そのものがちょっとかわいそうになる。かつて訪れた山形・金山町の民有林の杉は樹齢60年を超すものばかりでその立派さに驚いたことがあったが、東京都の森の杉の「育ちの悪さ」はそれだけに気になった。

 われわれはこの森をどうしていったらいいのだろうか。この問題はもう少し考えてみたい。



2011年7月21日木曜日

「駅前商店街」について考える



    原武史さんの「鉄道ひとつばなし」(講談社現代新書①~③)は、出色の随筆だ。待ちわびたその③が出版された。(2月に出たが6月まで知らなかった) 一気に読みたいところだが、楽しみがなくなってしまうので、通勤時にチビチビと読んでいる。
 
 その第3章 駅の記憶の項に「知られざる駅前商店街-羽黒下-」がある。
「鉄道というのは、集落と集落、町と町を線路でつなぐものである。本来ならば、駅には人が乗り降りし、駅前には生活の匂いが漂っていなければならない。たとえどんなに廃れていようが、そこに駅が作られたのは、かつて人々が集まり、暮らしていたからだ。」(72頁)とし、山梨県の小淵沢と長野県佐久を結ぶ小海線の、小さな駅を取り上げていた。小海線には清里やJR最高標高地点の野辺山駅があるが、観光客で賑わうそこを過ぎると、そこには“忘れられた”駅とその駅前商店街があったという話だ。(詳細は本書をお読みください。)
 


 この随筆には、また「戸越銀座や武蔵小山のように、いまなお活気にあふれた商店街も少なくない」と書かれていた。戸越銀座は、東急池上線の駅であり、武蔵小山は同じ東急目黒線の駅だ。またこの2つの駅は、中原街道をはんさんで、割と近くに存在する。私にとって地元に近い駅前商店街だ。なぜこの2つの商店街が事例として記されたのか分からないが、そういえば歴代首相の「庶民生活の視察」では武蔵小山商店街が使われたし、テレビのロケで「商店街右代表」として、よく戸越銀座が取り上げられる。

 

 余談だが、首相の視察が戸越銀座でなく武蔵小山なのは、武蔵小山商店街にはアーケードがあり天候の影響を受けにくい。並行して大通りがあり車を留められるなど警備がしやすいためと思われる。戸越銀座商店街は道が狭いし、並行する脇道も狭い。

 原さんの著書のこの項を読んで、東急電鉄の駅前商店街について、(原さんの視点とはまったく別の観点から)ちょっと考えてみた。“庶民”の戸越銀座や武蔵小山はとりあえず置いておく。


正面に昭和大学病院が見える旗の台商店街
 

 渋谷や横浜のようなターミナル駅や、JR、他線と接続している駅ではなく、東急線のみが接続している主な駅は、○三軒茶屋(田園都市線、世田谷線)、○大岡山(大井町線、目黒線)、○自由が丘(東横線、大井町線)、○二子玉川(田園都市線、大井町線)、○旗の台(池上線、大井町線)、などである。

(こどもの国線と田園都市線、また日吉~田園調布、溝の口~二子玉川のような並行している所はとりあえず除く)。
 自由が丘や二子玉川、大岡山は雑誌「花子」でも取り上げられるような、いわば「おしゃれ」な町のイメージを形成している。実際、週末の自由が丘などはガイドブックを持ちながらうろつく、家族づれや若い女性をよく見かける。
 

 しかし旗の台は明らかに少し違う。ひと言でいうと「B級」の駅だ。なんとなくダサく、垢抜けない。
旗の台のシンボルは歩いて150m程の昭和大学付属病院だろう。病院が中核ではおしゃれになりようがないのか、それとも池上線と大井町線という東急線の中ではマイナーな路線の交差駅だから
おしゃれになりようがないのか。
 

池上線 旗の台駅ホーム

 旗の台駅は数年前立体交差を新しくして乗り換えのアクセスがしやすくなった。それまで、例えば池上線の上りから大井町線の下り(自由が丘方面)に行くには、一度大井町線の上りホームに階段を使って登り、そこから階段で下って通路を通ってさらに下り線ホームに階段を登らなければならなかった。(私の記憶が正しければ)。
 

“木造”の屋根だ

 現在はどちらに乗り換えるにしても、格段にスムーズでしかもエスカレーターもある。しかし池上線のホームだけはまだ「昭和の臭い」を留めたままだ。ベンチも屋根もペンキでよく手入れはされているものの、きわめて昔のものだ。もちろんこれはこれで味があっていいし、機能的に問題がある訳ではない。ここに旗の台らしさもあるのだ。


年代を感じさせるベンチ

 同じ東急線沿線でありながら、しかも自由が丘や大岡山とさほど離れていないにもかかわらず、
“ダサい”旗の台。この商店街はB級に徹することで、オシャレな商店街と一線を画し、生き残っていこうとしているように見えてくる。
 
 そして東急電鉄もそのことを“察して”わざと池上線のホームを古いままにしているのだろか。ホームはどう見ても「昭和40年代」ですよ。
駅の造りと駅に付随する商店街。これは間違いなくシンクロしている。
おしゃれな駅舎の駅にはおしゃれは店が門前をなすが、旗の台駅は
B級商店街を頑なに守っている駅なのだ。
 


2011年7月8日金曜日

東急電鉄という体質②

日本民営鉄道協会による車内の迷惑行為の2010年のアンケートでは、
1位:騒々しい会話・はしゃぎまわり等
2位:携帯電話の着信音や通話
3位:座席の座り方
4位:ヘッドホンからの音もれ
5位:乗降時のマナー
と続く。
 民鉄は、アンケートはとっても対策には乗り出さないんだろうが、ひとまずそれは置く。

 以前こんなことがあった。朝の通勤で混雑した池上線上りの車中で、あまりにもひどい音漏れを起こしている若者がいた。この時はさすがに背広を着た多くの通勤途上の人がしかめっ面をしていた。終点ひとつ前の駅・大崎広小路駅では大勢降りる。その流れに乗ってひとりの男性が”ひじ鉄を、このノイジーな若者の背中に一発ぶちかまして降りていった。やっぱりといいった光景だった。心の中で喝采を送ったのは言うまでもない。朝から不快な気持ちとスカッとした気持ちの両方を味わった日だった。
 
 東急電鉄は、それがマニュアルになっているのか、池上線では毎朝ほぼ決まった時間帯(7時台前半)にマナーについてのアナウンスが行われているようだ。お決まりのお言葉は「一人でも多くのお客様が座れるように座席は詰めてお座りください」、「また、足を投げ出したり組んだりすると他のお客様のご迷惑になります。マナー乗車にご協力ください。」と、まったくもって魂の入っていない、棒読みのヘタはアナウンスが流れる。
 しかし朝の通勤ラッシュ時(もちろん終電を抜かせば一番混雑している時間帯)は、意外にも秩序が保もたれている。毎日利用する通勤通学の人々は、ラッシュではどう振る舞うべきか、多くが認識しているからだろう。

 多数が秩序だっていると、時々参入する新参者も多くは周囲の「空気」を感じてそれに従うから“秩序”が保たれる。最初に書いたエピソードは、朝のラッシュではむしろ例外的だ。(だからこそ鉄槌が下された訳だ) これが、いわゆる日本人のメンタリティー、集団主義・同調主義がいい方向で機能したケースかもしれない。
                                                    
東急目黒線と相互乗り入れする
東京メトロ南北線の高校生

 この項目を途中まで書いて、2か月以上放置していたら、池上線に新しいマナー広告が出現した。
「はみ出していませんか?」というコピーとともに、リュックの背負い、音漏れ、足の投げ出し、座席の占領をイラスト化している。わりとよく出来たマナー広告だが、残念なのはこれが、ロングシートの中央付近の網棚の上の広告スペースに置かれていることだ。
 最近の電車は、こうした広告スペースがすべて埋まらないことが多い。埋め草として置かれているに過ぎないこのポスターは、東急が本気でマナー向上を考えてはいないことを、皮肉にも吐露している。

 「東急電鉄という体質①」にも書いたように、鉄道会社にとって、乗客の不快軽減など、優先順位の低い課題でしかない。「一昔前の乗車率200%を超える大混雑の“痛勤”を思えば、たいしたことないだろう」と考えているに違いない。
 それでも都心の職場に勤め、否が応でも東急電鉄を利用しなければならない多くの人々は、毎日黙々と電車に乗る。乗らざるを得ないから、そこに「個」の空間を求め始める人々が少なからず出現する。ヘッドホンをつけ好みの音楽を聴き、ゲームに夢中になり、また居間でくつろぐように足を投げ出して「くつろぐ」人々だ。負の連鎖と言ったら言い過ぎだろうか。(この項続く)

2011年7月7日木曜日

整形外科という医術(自分が崩れ落ちていくという体験②)



「ぎっくり腰」は、2か月でほぼ全快。運動をしていると時々何となく腰は痛くなるが、ほとんど支障のないレベル。この経験を通じて学んだことは多かった。その意味では「いい経験」をした。
「ぎっくり腰」になって行くところは当然、整形外科だ。実は以前から今度腰を痛めたら行くことに決めていた医院があった。
 慶友整形外科渋谷は渋谷駅の新南口に直結したビルにある。以前に勤務先の「腰痛持ち」の先輩からす薦められたところだった。

 5,6年前だったが、鈍痛の走る腰痛で行った自宅近くの大田整形外科(やはり慶応医学部出身だった)で「整形外科医不信」に陥った。
 初診で行った時、診断の説明がよくわからなかった。腰の鈍痛を訴えると、適当に触って(医師としては専門的な触診だったのかもしれないが、当事者の患者には適当としか思えなかった)、腰痛ですねというようなことを言っただけであった。   

 「腰痛だから来たんだ」と思ったがその時はグッとこらえた。
2回目に行った時、それではは電気をかけていきますかと言うので、どんな効果が見込めるのか聞いたら、怒り出して、1回や2回の電気では効果はないので、いやならやらなくてもいいと言い出した。
こちらは、まず、腰痛の原因は何か、どうすることがいいのか、聞診断や治療方針を尋ねただけなのに、それに答えてはくれないことには納得がいかなかった。
 当然、大田整形外科には2度と行くことはなく、その時の腰痛は、
だましだまし過ごしていたら、何となく--本当に「何となく」という表現しか思いつかないように、いつしか痛みも引いていった。

 医師は病状を決めつけるのも困るが、100%ではなくともある程度、患者に対して痛みについて納得いく説明が欲しいというのは自然な欲求ではないのか。それに答えるくれる整形外科医に出くわしたことは、いまだかつてない。

 今回のぎっくりで行った「慶友クリニック」も同様だった。がっかりした。
初診で腰のレントゲンを見ながら、自信満々と「背骨がゆがんでいますね」と、ずか10数秒の“説明”があり、痛みどめを出しておきます。運動はいけません。なるべく安静に。と言うのみだった。
別室で女性看護師から腰痛ベルトをもらい、痛みどめの座薬と飲み薬を処方してもらって帰った。しかし薬は服用しなかった。

 実はこの医院に期待したのは隣にある「メディカルスキャニング」というCTスキャンで全身を透視・診断する医院との提携だった。
この機会に、腰回りを徹底的に観察して、どうなっているのか知りたいと思ったのだ。ここは自由診療もできるが、CTは非常に高額だ。
ぎっくり腰の際に保険診療でやってもらえないか期待したのである。

物事をまず正確に知ることは、大切な一歩であることに異論を言う人はいないだろう。

だが、野望は慶友整形外科渋谷の1分診療であっけなく打ち砕かれた。診察では質問するいとまもなかったし、腰の痛みで、医師とやり合う気力もなかったのだ。

 3日後、指示に従い再び診察を受けた。この時ははっきり言った。
○痛みは我慢できない程でもないので薬は服用しなかったこと。
○診断をもう少し詳しく説明してほしい旨
の2点である。
 web siteを見てもらえばわかるように、この医師も他の開業医同様、勤務医時代の実績を強調し腕の確かさを誇っている。実際、診断・治療に自信があるのだろう。


腰痛用の腰ベルト

 要件を伝えると、急に怒った口調になって、「痛み止めは、それ自体に鎮静作用があるので痛みがなくて服用すべきもの。勝手に判断されては困る」「ぎっくり腰の原因は前回説明した通りだ」というそっけないものだった。

それでもまだ痛みがあったので、「電気」をかけてもらってから、医院を後にした。
効果があるのかどうかわからない「電気」だったが・・・・。

腰痛は1週間続いた。次第によくはなってきたが痛さが消えることはなかった。

なぜ医師は、診断の際に「ここまではわかるが、この事に関してはわからない。しかしこれこれの可能性があるので、こういう治療をする。その効果はこれこれで、効果がない場合は次にこうする」と言った、素人に理解できる“正直な”物言いをしなのだろうか。
(もちろん、そういうことが言える医師もいる)

 私の整形外科不信は払拭されるどころか一層深まってしまった。以下次回

2011年5月24日火曜日

電車内空間について考える

都会で電車に乗ることは非常にストレスを感じる行為だ。通勤で毎日感じるストレスの重圧で、よく自分の精神が壊れないものだと、我ながら感心する。
ひとによって我慢の許容範囲は違だろうが、私にとって我慢ならないのは、(1)足を組んで投げ出している輩、(2)イヤホンから音漏れ、(3)扉の所に立ち続け乗降の妨げになる人、だろうか。

それぞれの行為の「心の源泉」について考えてみたい。
足を組む行為は、普通くつろいだ時に時々無意識にする行為だ。しかしそれはあくまで、他の人の邪魔にならないことが前提の行為であるはずである。しかしなぜ電車内で、まるで自分の家の居間のように「くつろいで」しまうのか。あるいはそんな認識もなく、無意識にそうしてしまうのか。足を組む人を見ていると、座席に座ると反射的にそうする輩が意外に多い。無意識に、ということだろうか。
しかし、その多くは、誰かが前を通過したりする時には、ちょっと足を引込めたり、また混雑してくると、文字通り「姿勢を正す」。彼ら、彼女らにとって、車内でくつろぐことは、意識化するまでもいかない、たいした問題ではないのだろう。

でも、と考えてしまう。何と言ったらいいのか、「転ばぬ先の杖」なのか、「李下に冠を正さず」なのか、うまく表現できないが・・・。例えば、適度に人のいる公園のベンチで、自慢のサバイバルナイフを磨いている人がいるとしよう。その人は、もし子どもがそれと気づかず近づけば、危ないと思って、すぐに引っ込めるだろう。誰かが不用意に近づいても、「自分はその事態に対処できる」という自信があり、大丈夫だと思っている。その心情と似ていないだろうか。

「常識」で言えば、公園のベンチでサバイバルナイフは磨かないというのがスジだろう。(「常識とは何か」については別項で考察したい。) 万が一ということがある。危険とは分からず、追いかけごっこをしていた子どもが不意にぶつかってくる可能性だってある。

「転ばぬ先の杖」を考えない人は、オルデカの言う「大衆」そのものではないか。万能感をもった浅知恵の人々と言えないだろうか。彼らは「想像力」を持たない。その行為が他の人にどう映るかは関心外の「オレ様」なのだろう。

朝の通勤時間帯には、暗黙のルールがある。ほとんどの人はそれに従い、“従順”に“秩序よく”乗っている。だからかなり混雑しても意外とスムーズだ。混雑の中、少しでもお互い気持ちよく、しかも乗り降りで手間取って電車が遅れたりしないようにしている。当たり前と言えば当たり前だ。電車が遅れて遅刻するのは自分だから、みな協力する。

ところが帰途の電車は様相が一変する。迷惑野郎は後を絶たない。まるで自宅の居間にいるように足を投げ出し、足を大きく組んでくつろいでいる。ドアの脇に立ち、乗降の邪魔になっても平気。大音量のイヤホンから耐えられないノイズを発信する。なぜか。帰り道という「気楽さ」がある。一杯飲んでほろ酔い気分であったりする。しかしそれだけではないのではないか。何かが人の意識のスイッチを逆に入れているように思う。往路の通勤・通学の反動なのか。それが何かは、今のところ考えつかないが・・。





2011年5月18日水曜日

自分の立ち位置を見つけるということ

 ふつう都会で電車に乗ると、だいたいの人は、なんとなく混み具合や人の流れを意識して、駅について扉が開くと乗降する人がスムーズに流れるように、その立ち位置をちょっとずらしたり、体をひねって手に持ったカバンが他の人の妨げにならないようにしたりする。多くの子ども、大人のそうした動きをみながら、電車内の「お作法」を身に着けていくものだと思う。それが常識というものだし、些細なことのようだが、そうした小さな行為の積み重ねが人の流れをスムーズにしている、と思う。
 しかしそうした動きを意識化できない人を時々見かける。否、毎日のように通勤途上で見かける。つり革や手すりにつかまったまま仁王立ち(それが女性でも)になっているヒト。扉の脇に陣取り、(最近は多くが携帯電話をいじっているが)まるで「この場所は私が獲得した所よ。動く必要はない」と言っているかのように動かず、扉が開いて乗降客の行き来の妨げになっても、まったく感じないヒト。こうした人が増えているのか、もしくは実は減っているのかよくわからないが、昔から一定数はいるだろう。

 多くの人は社会生活を営む中で、他人との関係性を意識し、その距離を測りながら微妙に立ち位置-スタンスと言ってもいいかもしれない-をずらしていくものかと思う。仕事での関係性、夫婦の会話、また子どもとの関係性で言えば成長に合わせて変えていくのがふつうだ。電車内での無意識の行動と同様に、それは協調、協力であり、ある面妥協でもある。妥協であってもそれは物事がスムーズに流れるための無意識の知恵だ。

電車内の些細な「不愉快」であり、「どうでもいいこと」かもしれない。でも位置をずらせない人を観察していると、この人は他のシーンでも、きっと自分の立ち位置を容易に変えない人なのだろうと思ってしまう。変えないという態度は、ある意味で立派である。「頑固」というのは換言すれば「粘り強い」人であり、自分の意志を貫く人かもしれない。でもこれまで50年余りの人生で己の能力の限界を悟り、妥協に妥協を重ねながら半世紀を生きてきた者にとっては、その心情がよく分からない。

 自分の立ち位置は、人や物との距離の中で意識化されるし、自分自身の置かれた状況を俯瞰して眺めることができる「もうひとりの自分」がいて初めて、立ち位置をずらす行為ができる。そうした、もうひとりの自分を電車内の人の群れの中で見つけることはたやすい。が、人生の中でそれを見出すことは案外難しいかもしれない。

(ここまで書いたのは確か去年の12月だった。後が続かず「編集中」のままであっ。
 3.11を経てもう少し書き加える。)

石巻市(旧雄勝町)
 震災地の報告は別項にするが、がれきと腐った魚の臭いの中を車で走りながら、やはり自分の立ち位置を考えていた。あの惨状を目の前にして自分は何もできない。ただ見て感じることしかできなかった。それは今の自分がサラリーマンとして給与をいただきながら家族を養い、また適当に息抜きしながら生きていて、その生活を投げ打ってボランティアに飛び込めない、いや飛び込まない人間だからなのだろう。
 
 誰かの役に立ちたいと思っても、行動に移せる馬力がもはやない自分がいた。車を降りて惨状をながめ写真をとっている自分は、被害に遭われた方々からはどう見られているのか、気になった。これほど周囲の目を気にしたことはなかった。自分の立ち位置が問われていた。
 石巻市大川小学校は多くの児童が犠牲になったところだ。無念だったと思う。なぜ自分がこんな目に遭うのかと。何の落ち度もない子どもたちだ。

 翻って自分は、自宅に帰れば、また普段と変わらない日常に戻る。そして仕事や家族のことやなんやかやで、震災のことを忘れている自分がいることに気づく。そんなものなのかもしれない。しかしそれでいいのか。 
 仙台から帰ったあと、一つだけ変わったことがあった。毎朝目が覚めると、「ああきょうも生きていた」と思うようになったことだ。日常を生きることに少しばかり感謝の気持ちが芽生えた。
 あと何年自分の人生があるのかわからない。しかしこれからの時間は常に「生きる立ち位置」を念頭に置いていきたい。(写真は大川小学校付近 北上川の河口から1キロ遡ったあたり)
 子どもたちに合掌。