2011年10月20日木曜日

ひとまね子ザルで行こう

 普段利用している東京都内の公共体育施設。更衣室からプールに行く所にあるトイレは、サンダル履きになっている。5,6足のサンダルが置いてあるが、これがいつもひどい「脱ぎっぷり」だ。逆さまに脱いでいくだけでなく、素足で履くためひっかかるのか、裏返ったまま投げ出されていたりして、次に使用する者にとっては不快極まりない。(小学校の道徳の時間の先生のような物言いだが)どうして、ちょっと振り返って揃えられないのだろうかといつも思っていた。

 泳ぎながら子ざるの童話を思い出した。
確かこういう話しだ。帽子を奪って返してくれない数匹の子ザルたちをどんなに追いかけても、すばしっこくて捕まえられない。困っていると、子ザルたちが自分のしぐさの真似ばかりしているのに気づいた。そこで、自分の帽子をとってカバンに入れると、子ザルたちもそれに倣って帽子をカバンに入れた。(この童話は有名な「ひとまねこざる」とは違うものだったかもしれない。確認はしていない。)

 そこで、泳ぐ前後にトイレに行く度に、散らばったサンダルをそろえるようにしたのだ。ちょっとしゃがんで数足のサンダルをそろえる。それはわずか10秒程の行為でしかない。しかし(この性格の悪い私が)それをやり始めた。私の行動を見て、たいていの人はちょっと後ろを向いてそろえて脱ぐ。人の行動というのは面白いものだ。(もちろんそうでない無神経男も多いのは確かだが・・・)

 以前このブログで記した、落書きやハイスクールの壊れた窓もおそらく同様の行動なのだろう。そのままにしておくとますます落書きは増え、学校の窓は壊される。「なおしておくこと」以外に、新たな破壊活動防ぐ方法はない。

 オルデカの言説を借りれば、大衆は世の中の流れと同じように行動をとる。常に周囲を見て同じようにふるまう。かつてのルーズソックスばかりのアホな女子高生。テレビ番組の「あるある大辞典」のインチキ情報で、納豆を買い占めた主婦。罪深い例としては、かつて大阪で、青森からトラックでリンゴを売りに行ったら、誰かが失敬するのを見た群衆がみな群がりすべて盗まれてしまったという“事件”があった。こうした事例には事欠かない。大衆心理を逆手にとって導く(イヤな言葉ですが)ことを試みたのである。

 さて、トイレのスリッパ。今のところ目立った変化はない。もちろん毎日通っている訳ではないし、何千人もの来場者のうちのひとりの行動など、何もならないことはわかっている。しかし散乱したスリッパを見るたびに、不愉快を感じ、腹が立っていた自分の気持ちが、この行動によって鎮まった。もう少しつづけて、これが無意識にできるようになれば、自分自身も変われるのかなと思うことがる。
 情けは人のためならず。

 





○前に倣う。スリッパ 落書き、
○電車内、優先席での携帯

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