2011年10月8日土曜日

ぎっくり腰から学んだこと(自分が崩れ落ちてゆくということ③)

「ぎっくり腰」からはや10か月近く、完全に不安が払しょくされた訳ではなく、泳いでいても走っていても疲れてくると、何となく軽い痛みに似た感覚が湧き上がってくることがある。しかしそれがかえって自分自身に注意を促している面もあり、微妙なバランスの中でエクササイズを続けているという感じだ。

 それにしても、カイロプラティック、整体師と言われる人々(の多く)がいい加減ななのではないかという「疑念」は、今もって続いている。

 1時間弱で7000円を支払った「施術」とは何だったのか。しかも時間の半分は温湿布のようにバスタオルで腰を温めただけだ。支払いに際しては領収書もなかった。住宅地のマンションで営業している、この整体院は、おそらくいとも簡単に「売上げ」をj除外し、申告するだろう。所得税も消費税も免れているのではないかという強い疑念がふつふつと湧き上がってくる。サラリーマンとしては看過できないな。(ちょっと話が本筋から逸れた。)

 websiteの整体師の広告を見ると、「歩けなかった人が1回の施術で歩けるようになった」とか、3回通って「完治」したとか、様々載っている。もしその広告が悪意なきものであれば、確かにそうなのだろうと思う。しかしそれほど“専門的”にしなくてもちょっとインナーマッスルを刺激・マッサージをすれば治るということではないか。 逆に言えば、骨や椎間板にまで支障があれば、整体師でも治らないだろう。

  結局かれらの行っているのはリハビリの手助けだ。もちろん、それはそれで重要でありその手助けに報酬を得ることを否定はしない。年配者などで、硬くなった関節を動かせるようになったり、歩きやすくなったりする人がいるのは喜ばしいし、実際そういうことで重宝がられている「先生」もいる。こういう人はたいてい良心的で価格もリーゾナブルだ。
 
 しかし「ぎっくり腰が一発で治った」などという宣伝をする診療所は値段も高い。(実際高いと思った)ある種の詐欺的行為といったら言い過ぎだろうか。

 もともと身体にまつわる様々なことは、症状に個体差があり、そのひとの感じ方にも差があるので、あいまいなところは宿命である。そこに付け込んで「治療」が行われるのだからやはり施術の内容も値段もあいまいになりやすい。どこまでなら「治った」「改善した」と感じられるのかは難しい。
 
 ひとつ分かったのは、身体に施術を行うという行為は「暗示にかける」行為だということだった。それが整体師に意識化されているかどうかは別にして、患者を信じさせるために会話があり、もっともらしい施術があるのだ。初めての体験で私も魔術にうすうす感じながらも、あえてはまることにした。そうしなければ7,000円もかける意味がないもの。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿