2013年6月13日木曜日

トルコのデモは、かえってイスタンブール開催を強めた。メデタシメデタシ

トルコでのデモ(朝日新聞デジタルからの「引用」)

 トルコの反政府デモが収まらない。きょう(13日)の朝のニュースでもエルドアン首相が対話の姿勢を示し、都市の再開発の計画を、住民投票等で見直す姿勢を示したが、デモは続いていると報じていた。
日本、特に東京の「五輪誘致」に熱心な人々は、もちろん何も語らないが、これで日本が有利になったと内心ほくそ笑んでいることだろう。特にイノセ都知事などは、自身の「失言」(=ホンネ)の失点を挽回するのに格好のできごとだと思っているのではないか。
しかし、事態はまったく違う。(と、思う)
一連のトルコのデモ騒動は、かえってイスタンブール開催を有利にした。IOC委員が一番多い欧州の人々は一層、トルコでの開催を強く望んだことだろう。
トルコと地続きであり、イスラム圏の国々とも地理的に近く、またイスラム圏の人々を多く内包する欧州諸国にとって、一番の課題は「イスラムとの融和」であることは論を待たない。
もちろん一部の人々により「排斥」の運動はあるものの、排斥したからといってイスラムを無視してこれからの欧州社会を語ることなどできないのは自明のことだ。資源的な野心だけでなく、人の往来や文化、宗教にいたるまで融和なくして生きてはいけまい。
だからこそ、「トルコには頑張ってもらわなくては困る」と考えるだろう。世俗のイスラム国家として、一番欧州が受け入れやすい体制の国を、「あっち側」に追いやり追い詰めてしまう愚を犯してはならないという心理が働く。あたりまえである。
だからこそ、今の事態をぐっとこらえて成り行きを見守っている。そして首相と市民がなんとか融和してくれることを期待している。
彼ら(欧州諸国)にとって、「イスラム社会はケンカばかりしている」(言わずもがなイノセ発言)的な否定的言説で、トルコを国際的に追い詰めても何の特にもならない。
欧州はこぞってトルコを応援するだろう。それが「わが身のため」だから。

webより「引用」出典不明
東京五輪を思い出してほしい。(と言っても覚えている人は50代半ばより上の世代だろうが。)
歴史として見てもらってもいい。開催は1964年。終戦は45年だから、それからわずか19年後に東京五輪は行われている。いつ開催が決まったかは調べていないが、少なくとも4年以上前ではあったろう。1960年はどういう年だったか。言うまでもない日本は政治の季節だった。
アンポの年だ。そんな日本で世界はなぜ五輪開催を「承諾」したのか。西側の一員として、民主的な国家として、そして経済的にも自立した国になってほしいと、当時の西側の国々が望んだからにほかならない。よく言えば、五輪を契機にはやく立ち直ってほしいと思ったからであり、日本の戦後の混乱が自分たちにとばっちりとして来ないようにしたかったからだろう。
当たり前の話しだ。

※もちろん五輪開催が決まったが60年安保の前だったかもしれないが、戦後の混乱期であったことには違いない。




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