2013年10月24日木曜日

やまがたまるごとマラソン 参加の記

公式HPより
42.195㎞を走りきるという感覚を私はまだ知らない。未知の世界だ。
50を超してから本格的に走り始めた者にとって、まだ3年足らずの経験は、ハーフマラソンに己を留めている。
 で、3度目のレースも、ハーフだった。10月6日、「やまがたまるごとマラソン」
タイムはネットで1時間45分23秒。ほぼキロ5分で走ることができた。前日まで風邪気味で、宿泊先のホテルで夜、悪寒がしていたのだが、なんとか力を出し切った。

長々書いている参戦記の駄文は別項に載せるので、ここではハーフマラソン参加の「教訓」を簡単に記したい。シロウトランナーの私は、どうもう本や雑誌に書いてあることを信じたがるし、メーカーの宣伝にものせられてしまう。いろいろためしてみた結果が以下のような「知見」になった。

○カーボローディング
公式HPより 小柄な野口さん
あまり意識しすぎるとかえってよくないと思う。当日エネルギーを蓄えれば十分だ。雑誌に載っているように3日前から炭水化物を摂ると(もちろんこれはフルのケースが書かれているけど)、かえって体重が増えてしまい、タイムを落とす。エネルギーの補給はハーフならば当日で十分なのではなか。

○レース前、中のエネルギー補給
後半のスタミナはやはりエネルギー補給があるといい。
今回は、朝食(午前6時半:スタート2時間半前)ではごはんを軽く1膳とわかめたっぷりの味噌汁、納豆、野菜サラダ、トマトジュース、それにミニクロワッサン2つとコーヒー2杯。(ホテルのバイキング)をとった。
そしてレース直前にはアミノバイタル・スーパースポーツを摂取。
レースにはアミノバイタル・パーフェクトエネルギーをポケットに入れて走った。これは15㌔の標識を過ぎたあとのエイドステーションで水分補給で立ち止まった時に、一気に補給した。しかしタイミングとしては、少し遅かったかもしれない。

※アミノバイタルについて
 私は「味の素」の回し者でも、熱烈なファンでもない。たまたま以前東京で買って、自宅に置いてあったモノを持っていっただけだ。前日、山形駅前のマツモトキヨシと、住宅地の地元大手ドラッグストア「ヤマザワ」を見たが、アミノバイタル系のサプリは売っていなかった。

容器が小ぶりなのでレースに持って走るには、ちょうどいい大きさだ。グリコの「1 minutes」は、東京でもドラッグストアではほとんど見かけない。

顆粒状の「アミノバイタル」は、普段水泳の前に飲んでいる。


○やはり、ハーフでも後半は「筋肉勝負」だ。
 12㌔付近から川沿いを遡る緩い坂道が2キロ近く続いた。ここでスピードを落とす人々が数多くいた。この時モノを言ったのが金さんの本に書いてあったように、やはり筋肉だ。結果的にスピードを落とさず走り抜けた。
  筋トレは、平均すると2週に3回程度行ってきた。トシをとると筋トレをしても、あまり「鍛えられた」という実感はわかない。でも、わずかだがすこしずつウェイトをあげていった。どの程度の筋トレか、別稿で整理したい。

○トシ寄りにはスパートは難しい。
 最後の5~6㌔になり、川沿いの緩い下り坂でスパートした。この時の目標は時計を見て、1時間45分以内だった。しかし、スタミナが残っている割には、あまり速度は稼げなかった。スピードに足の振りが追い付かないのだ。
 レース後、5キロごとのラップを見てみると、確かに5キロで1分半ほどタイムを縮めてはいるが、自分で思ったほどにはスパートが切れなかった。12㌔~13㌔が今の自分の有酸素運動と無酸素運度の境目体力なのかもしれない。
まあ、キロ5分以上の“スピード練習”などまったくしたことがないのだから無理もないけど。21キロメートル全体のスタミナ配分を考えるのは結構難しい。

5㌔ごとのラップは15㌔から上がった
○体のケア
ワセリンは足指とゼッケンの安全ピンがあたる胸に塗った。
ゴールした時、爪は痛くなっていたが、その他はあまり痛みは残っていなかった。翌日になっても足の筋肉に疲れはさほど感じなかった。

○やまがたまるごとマラソンについての感想。
初めての大会だったが、県庁の所在地の山形市中心部での開催で、主催の市だけでなく、県も何かと後押ししていたみたいで、結構大きな大会になっていた。仮設トイレも多く、また荷物の預かりも体育館を利用してきちんとしていた。記録は5キロごとのラップを出してくれるのもよかった。
公式サイトを見れば、すぐにアップされていた。また参加者を名前やゼッケン番号から検索できるのもよかった。

○ゲストランナー「野口みずき」さん。
野口さんが、あまりにも小柄だったのには少々驚いた。この体格で、オリンピックで優勝したのかと思うと、すごい。スタートは偶然にも私の近く(群衆の中間地点)だったので、5キロ付近くらいまで、彼女の集団にくっついて走った。ほぼキロ5分くらいのペースで走っていたようだ。ゴール直前では立ち止まって「ハイタッチ」のサービスをしてくれていた。








2013年10月18日金曜日

千駄ヶ谷・東京体育館プールの関さん

 東京・千駄ヶ谷の東京体育館プール。きょうも、あの関さんはいた。
ここに通っている人なら、おそらくほとんどの人がこの人の顔を覚えているだろう。
うみ坊主(失礼)のようにつるつるのアタマの小柄な人だ。常にプールの運営に気を配り、泳ぐ人の流れを「監視」している。

随分前に一度名前を聞いた。だから名前を知っている。(漢字が正確かどうかは不明)

彼は私が千駄ヶ谷に頻繁に通い出した5,6年前から、少なくともここにいたと思う。(今年4月、1年ぶりに再開したプールで、やはり関さんはいて、なぜだか安堵した)

今年4月に改装を経て1年ぶりに再開した東京体育館プール(以下、千駄ヶ谷プール)の運営が比較的うまくいっている話しを書いた。(東京プール難民 番外編2)
その理由は「ルール」を作らないこと。少なくとも「ルール」を利用者に全面に提示しないことだと分析した。いわば利用者の良識を土台にして運営する基本精神がいいことを指摘した。

なぜそれがうまくいくのか。千駄ヶ谷プールを事実上運営するティップネスが、エグザス(横浜国際プール)やトーリツ(世田谷)より優れた組織だから、うまくいっているのかどうか。それは分からない。しかし少なくとも千駄ヶ谷には関さんが監視員にいることが大きいこと間違いないだろう。

 彼は、常にプール全体を見渡し、泳ぎ手が文字通りスムーズに流れているかどうか、気を配っている。こうしたプールでは、しばしば「われ関せず」の非常識な輩が、後ろが詰まっているにも関わらずインターバルをとらずに泳ぎ続けたりして、迷惑な存在になっている。こういう人たちを「指導」したり、あるいは他の人にUターンを促して流れをよくしたりすることに常に気を配っている。

 他のプールでは、監視員はそんなことにはまったく関心を示さず、ただ、「溺れている人はいなか?」と漫然とプールを眺めているおバカばかりだ。だって彼らにとっては、利用者が満足しようがしまいが関係ない、ミッションはただ事故を出さないことだけだから、スムーズな運営のために何が出来るかなんで考えるインセンティブが働くはずがない。

 関さんは違った。彼はいつも使命感をもって職務にあたっている(ように見える)。それがおそらく他の監視員にも伝わり、彼らの職場に、ある種の緊張感が生まれたのだろう。(と、推察する)

関さんの存在は、もしかしたら、他の監視員(その中にはアルバイトもいるだろう)には、少々煙たい、口うるさい存在なのかもしれない。しかし彼がいるから職場に緊張感があり、意識も利用者本位になっていくのではないか。

 いきなり一般論に飛躍して恐縮だが、組織は案外、こうしたひとりの人物の存在でうまく循環するのかもしれない。そして、その逆もまたある。それは働く組織だけでなく、学級運営やサークルでも言えるのではなだろうか。

関さんのような人物に現場での高い権限を与えて、組織運営を行う。私が経営側ならそう考える。




2013年10月17日木曜日

横浜の『踏み切り救出死』。はたして「勇気ある行動」と言えるのか?

(先に書いた内容に事実誤認があったので書きなおしました)

10月1日、横浜市緑区のJR横浜線の踏切で起きた、線路に倒れていた老齢の男性を助けようとして、40歳の女性が亡くなった事故。各社は美談として伝える報道が繰り返された。


NHKテレビより「引用」
4日の報道によると、安部首相は、「勇気ある行為とたたえ」「弔意を表す感謝状を出す」とのことだった。官房長官(菅は横浜が地元だ)も会見で、「他人に無関心な昨今の風潮の中で、自らの生命の危険を顧みす救助にあたった行為を称えたい」という趣旨の発言し、紅綬褒賞を贈ることを決めたという。

古屋国家公安委員長も「崇高な行為」という言葉を使った。




NHKテレビより「引用」
政府の対応や措置は、この女性の遺族にとっては、いくばくかの慰みになることは確かだろう。女性に対しては冥福を祈りたい。
人を助けようとする行動は確かに尊い。「誰かの役に立ちた」「誰かのために生きている」というのは、正に生きている意味そのもである。しかし、その意味で彼女の「気持ち」は、賞賛に値するものであり、素晴らしいと思う。
でも、と、考えてしまう。こうした「気持ち」は「生きていてこそ」のものだ。批判を恐れずにいれば、彼女のとった行動は、自らの命を顧みない、冷静さを欠いた軽率なものだったという面も否定できないだろう。とっさのことで、己の身の安全まで判断できなかったことは、十分わかるが、結果として、「正しい行動」だったかどうかは、評価の分かれるところだと考える。




NHKテレビより「引用」
NHKでは、「もし あなたら・・・・」と、街の人に問いかけるインタビューを行っていた。これは見ようによっては、「勇気をあおる」ようにも聞こえ、違和感を覚えた。(2日の午後9時のニュース番組)
司会の男性は「勇気」という言葉は使用せず、慎重に言葉を選んではいたが・・・・・。


「勇気」という言葉を“軽々しく”使用した安倍首相は、子どもたちに、こういう状況に遭遇したら、まず助けることを一番に考え、自らの身の安全はその次に考えればよいと教えろということなのか。

人はいつでも冷静でいられるものではない。特に緊急事態に遭遇した場合は、判断力が鈍ることも多い。だからこそ、とっさの場合は、一呼吸置いて、冷静に判断する力こそが求められるのではないか。

山に行って、自らの体を確保せずに、他の人をロープで支える人はいない。まず自分の安全を確かめて行動するのが鉄則だ。そんなことは山に登る人なら誰でも知っている。

踏み切りに限らず、線路内の事故の「救出死」は、しばしば起きている。

○2012年11月:埼玉・本庄市で落し物を拾おうと踏切に戻った70歳の男性を救おうとした主婦が、はねられ2人とも亡くなる。
○2007年2月:板橋区ときわ台駅近くでは、踏切に入った女性を助けようとした53歳の警察官が電車にはねられる。 
○2001年1月:山手線新大久保駅で、ホームから転落した男性と救助しようとした47歳のカメラマンと26歳の韓国人男性、3人全員が亡くなる。

それぞれ事情は違い、一概にみな「軽率な行動」と切って捨てることはできない。特に新大久保駅での事故は、ホームの構造から線路脇に退避帯がなかったことが災いしたと伝えられた。もしふつうの構造のホームであれば、助かった可能性も示唆されていた。

 だが、それでもこれらの痛ましい事故は、「美談」として語ることは慎重でなければなるまい。

飛躍するようだが、さきの戦争で、情勢の冷静な分析なく精神論だけで戦争に突き進み、敗戦後は勇敢な戦士たちを称えることばかりに心血を注ぐ、(主に保守と言われる人々)の心性に似ている。これはもしかしたら、日本人(という主体があるとするなら)のメンタリティーそのものなのかもしれないけど。そう考えると安倍首相が「勇気」という言葉を使った意味もわかってくるけど。


NHKテレビより「引用」




2013年10月12日土曜日

ルールを作らないという「ルール」東京体育館プールの試み(東京プール難民 番外編その2)

千駄ヶ谷プール
  東京体育館のプールがリニューアルオープンして半年が過ぎた。1年に渡る閉鎖だったのでその間、いろいろ公開されている50mプールに行ってみた。(辰巳、横浜国際、世田谷区民の3つだけだけど)。
プールの運営方法について、考察した。

 再開した東京体育館のプール(以下、千駄ヶ谷プールと略)の運営はどうか。ひとことで言って比較的うまくいっているのではないか。

面白いことに規則がなくなった。プールサイドに一切規則めいた但し書きはない。唯一規則らしいものとしては、各コースに(指導禁止、指導可能)と区分けしていることだけだ。(飛び込み禁止は言うまでもない)

 これまで一番苦情が多かった(と、思われる)、「指導」…(それは「もぐりの営業」だ) について、エリアをごく一部に限定し、一般の泳ぐコースでの指導を明確に禁止した。これは効果があっただろう。まだ土日だと、営業している輩を見かけるが、以前に比べればたいしたことはない。もぐり営業は確実に減った。

 それ以外の規則は明文化されていない。少なくとも利用者の目には触れやすくはしていない。これは非常にいいことだ。

 規則は作るから、「それに当てはまらないもの」はルール違反でないとして、脱法行為がまかり通る。そうするとまた規則を厳しくしなければならない。利用者はどんどん窮屈さを感じて、余計ストレスがたまる。

 規則でなくて、その都度、様子をみて管理する側が「指導」すればいいだけの話しだ。多くの人が「納得」できる指導であれば、人はそれに従い、秩序は保たれる。常識をもって使用している大部分の者にとって細かい「規則」は不要なのだ。
 
 運営会社もそれに気づいたのだろう。再開後「規則」が「見えない化」されても、運営に支障が出ているとは思えない。指導員はその分、秩序が保たれるよう緊張感をもって監視をしている。

 休憩時間をなくしたのも評価できる。以前はなんのための休憩時間が理解不能だった。「安全のため」「お客様の健康管理のため」と昔はアナウンスしていたが、そんなのは一義的には自己責任の範疇だろう。また休憩時間を入れたからといって事故が防げるという有意な差は、ないだろう。
(以前にも書いたが、世田谷区民プールでは、9時に開場して9時50分から「休憩」になる。ほとんど理解不能の「規則」が続けられている。ちなみにここの運営はトーリツという、もともとはビルの管理会社で、プール管理は、ほとんどがアルバイトで賄っている)

規則で縛るのではなく、管理者が状況に合わせて良識的判断をする。そういう「思想」が、新しい千駄ヶ谷プールには見て取れる。これこそが、いま社会全体に求められていることではないのか。

 こうした、ある面「先進的」ともいえる運営を決定した経緯はどこにあったのか知りたいところだ。
後述するが、あいかわらず旧態依然の運営を行っていて、そのことに何の疑問ももたない、おバカ公営プールに見習わせたい。

千駄ヶ谷のプール(トレーニングジムも)の運営は、直接的にはティップネスが行っている。
http://tip.tipness.co.jp/

入り口の看板には都の外郭団体である東京都スポーツ文化事業団とセントラルが共同指定管理者だと記してあるが、ノウハウを持っていない前者が直接の運営に関わっていないことは明らかだろう。
http://www.tef.or.jp/message.jsp


ティップネスが、エグザス(横浜国際プール)やトーリツ(世田谷)より優れた組織だから、千駄ヶ谷の運営がうまくいっているのかどうか。それは分からない。しかし少なくとも千駄ヶ谷には関さんというひとりの人物が監視員にいることが大きいことは断言できる。

この人のことは別項にする。(→東京体育館の関さん)

 
コナミは決してヘンな会社ではないだろう。あれだけ全国にスポーツクラブを広げているのだから、それなりに会社組織としてちゃんとしていると考えるのが自然だ。しかし横浜市の横浜国際プールの運営はいただけない。

横浜市が運営する、横浜国際プールは設備としては新しく清潔であり、その点ではなかなかいい。
ここはコナミとトーリツが運営を担っている。プール管理はコナミのようだ。

外観も立派な 横浜国際プール(web siteより引用)
http://www.waterarena.jp/

 週末は朝7時半から入れるのはうれしい。1日の時間を有効に使える。しかしその他の面ではどうか。
9月の日曜日のある日、こんなことがあった。サブプールの1,2コースが9時半まで貸し切りになっていると看板を出していた。しかし9時半を過ぎても一向に開放しない。貸しきり終了から10分程過ぎたころ、プール正面の机ののある席にいる「監視員」(女性)に、なぜ開放しないのか尋ねた。そうしたら、「ああそうですか。忘れていました。」とぬかした。思わず、あなたはコナミの社員かと尋ねたら「いいえ」。アルバイトかとたたみかけたら、そうだと言った。

プールの床は可変式(web site より引用)

 ここのプールの管理は、この程度だ。職業意識の低い、ボンクラのアルバイトにまかせて、ルーズな管理しか行わない。シャワーは一部壊れたままいつまでも放置されている。ロッカーも床が濡れたままで汚い。700円と、公営にしては高い方だがまったくそれに見合ったサービスが行わない。お役所仕事(と言っては最近の頑張っている役場職員には失礼になるが)そのものだ。

 ただ、ここで注意すべきことがある。緊張感がないのは、コナミがティップネスより劣った組織だからという短絡的に結論づけることはできない。横浜国際プールのていたらくの遠因は、安い委託費にあるのか、それとも管理者の組織「横浜市体育協会」の組織にあるのか。

横浜国際プールは細かくルールが作られている。サブプールでは、フィンやグローブをつけて泳ぐコースも決められている。飛び込み専用のコースもある。プール脇のジャグジーは「中学生以下は使用不可」となっているが、これはどうやって規制しているのかまったく不明だ。
管理できないことまでも「ルール」が作られている。

ルールがあり、それを管理することが「お仕事」となった人々は、それを守ることしかアタマもカラダも働かない。そして意識が低いと、それすらもきちんと管理できなくなる。利用者は窮屈な規則に縛られて、利用しずらい。常に「ルールはどうだっけ」と、余計なことに神経を使う。

他の公設の施設でも同様だ。
管理が大好きな学校や杓子定規な対応しかできない交通監視員、等々こうした組織やヒトは思いつくだけでも結構あるある。
入り口に掲げてある看板



2013年9月25日水曜日

東電をいじめても、誰も何の得にならない 泉田新潟県知事の浅知恵

きょう(9月25日)、東電の広瀬社長が新潟県の泉田知事と再会談した。泉田氏の最初のひとことは、ニュースによると「東電は安全とお金のどちらを大事にしているのですか?」というものだった。

nhk news webより引用
あきれるとしか言いようがない。知事にしてみれば、テレビカメラが並ぶなか、こういう言い回しで、大衆に「安全を第一に考えている知事」という印象を与えたかったのかもしれない。姑息なパフォーマンスと言う以前に、稚拙な設問で東電社長を「追い詰める」演出を考えること自体、精神の貧困以外の何物でもない。やっぱり彼はナルシストなだけだ。

原子力発電所は、安全が第一なのは論を待たない。しかし会社として利益を目指すことと安全はトレードオフではない。2者択一の問題ではないことに、「どちらが大事ですか?」と、あえて聞く神経を疑う。

東電をいじめても、国民のだれも得をしない。ルサンチマンの虜囚のごとく、「権力を持った悪いヤツ」として、大衆的発想で「懲らしめ」て、どんなメリットがあるのだろうか。

仄聞するところによると、東電は給与を下げたこともあり、人材の流出が続き、福島第一原子力発電所の汚染水問題でも、なかなかうまく動けないという。

このまま東電は破たんしたらどうなるか、発電をとめることはできないし、避難者への賠償、廃炉費用等等、すべて国費を使わざるを得ないだろう。それが幸せなのか?

納税意識のない大衆は「そんなの関係ない」と一昔前のお笑い芸人のごとく言うかもしれないが、使わなくてもいい税金が使われることがどういうことなのか、よーく考えてみることだ。

もっとも、「考えない」ないから「大衆」なのであり、その大衆に「考えろ」と言うこと自体、論理矛盾を起こしているけどね。

2013年9月24日火曜日

50代からの「素足ラン」への道③ どうにか続けています。

トレッドミルで30~40分はどうにか、ベアフットランで走れるようになった。傾斜角度は2パーセントでつま先から着地しやすいように少し工夫している。

 外ランでは、普段多摩川河川敷を10~15キロ走るが、行きは正直言って少し怖いので、フツウに走り、後半5~7キロを意識的にベアフットランで徐々に足をならしていった。

ふくらはぎの下側は、いつも軽い「筋肉痛」があり、決して万全ではない。しかしなんとか走り通せるように次第になってきた。

3足目のシューズ
そして、シューズを新調した。アシックスのSKYSENSOR-GLIDE @13,650円。非常に軽い(わずか180グラム)が、それだけソールも薄い。

はたして中年ビギナーランナーに適切なシューズなのかどうか、正直わからない。購入した店で、これまでハーフしか走ったことがない。これからフルを目指すのか、走りはハーフに留めてトライアスロンを目指すのか、それともその両方を目指すのかは決めていないと告げると、コレでフルは(あなたには)きついかもと言われた。それでも購入してしまった。
このシューズでカカトランで走ると、確かに衝撃が大きく、カカトが痛くなってくる。よって、ベアフットランを必然的に行うことになる。その意味では、今自分が目指す走りに1歩近づけるのかもしれない。

2足目のasics FEATHER FINE2
ただ、ふくらはぎの下部分の筋肉は、予想以上に使い、筋肉痛が残ったままだ。まあ走れないほどではないが。(実際、先週末は次のレースを見据えて、25キロどうにか走った。)

このシューズが自分に合ったモノなのかどうか、まだ結論は出ない。が、25キロをどうにか走ったので、2週間後のハーフには、これで臨んでみようかと思う。


NIKE FREE 4.0 V2
ところで、どのメーカーのシューズを履くか。これまで4足購入して結果として、ASICSが3足になった。決して、「大のアシックス ファン」などということではないが・・・。
アシックスは薬指あたりが、少し狭い。私は両足とも薬指をやられた。普段の走りでは当たらないのだが、長距離を走った時やレース後半でこうなってしまった。おそらく紐の締め方もあまりよくないのだろう。

ちなみに4足のうち1足は、トレッドミル専用に使っているナイキフリーだ。これは足は当たらないが、紐がすべるので結びにくい。外走りでいいのかどうか未知数だ。あるスポーツショップでは、半年くらいでセールに出ていたし、今はもう新品がないようだ。

















2013年9月15日日曜日

二口山塊 大行沢は 入渓点を間違えると初心者には結構手強い

2013年8月10日。宮城県二口山塊、名取川支流の大行沢の沢登りに、愚息(高1)とともに出かけた。実は3年前に引き続いて2度目の挑戦だった。(3年前は途中で断念)

ガイドブックなどでは、快適なナメ床を行く写真たっぷりで、初心者向きになっている。だからつい気軽に行けるところだと勘違いしてしまいがちだ。しかしこの沢は前半が手強いので要注意。

入渓点を間違えなければ、途中からは何も危ないところはなく、樋ノ沢避難小屋まで快適に遡行できる。今回は実に快適な夏の半日になった。

大行沢の出だしは結構タイヘンだ。ガイドブックにもその点は触れてあり、山レコやYouTubeの映像を見れば、ゴルジュや巨岩のゴーロが難しそうなのが分かるだろう。
駐車スペースのある登山口からいきなり入渓するのはとても無理だ。泳がなければならない所もありそうで、初心者にはとても無理だ。

この日9時すぎ、登山口に車を停めて準備をしていると、沢登りの格好をして2人のパーティーが戻ってきた。もう遡行してきたのかと思って聞いてみると、登山口から入渓して、ひとりが早くも足を滑らせて、足首を痛めてしまい、撤退したとのことだった。格好からはかなりの上級者のようだったけど。


ロープで確保しながら支流(ケヤキ沢)を慎重に下る

 3年前中学1年の愚息と行った時は、ガイドブックにある一般的な入渓点から入ったが、結局快適なナメ床に行きつく前に、2段12mの滝を越えられず、途中断念した。登山道に、たどりつけるであろう涸れた枝沢を必至に這い上がって撤退した。途中コーラの缶が落ちていたから、同様にここを這い上がった人もいたようだ。

で、今回は、ガイドブックにある入渓点より更に登山道を登って川に入ることにした。30~40分ほど登山道を行き、右手に雨滝を見て、さらに登っていく。ガイド本には「梯子滝」があると記してあるが、これが夏場、木が生い茂っていると分かりづらい。道はどんどん川を離れて高巻いていく。
途中から右手の支流沿いに道がそれるので、間違えたかと勘違いするほどだった。そして、いくつか涸れ沢があり、その一つを少し偵察しながら降りてみたが、とても下れなかった。

力王足袋+わらじ
そこに表れたのが、水が流れて、細いながらもナメ床のようになっている支流だった。(後からガイド本で確認するとこれが「ケヤキ沢」だったようだ。)
これ以上登山道を登っても「フツーの登山」になってしまうので、この沢を下って本流に出ることにした。力王足袋に履き替え、ハーネスをつけて、出発。

見た目は緩い流だが、下るとなると結構たいへん。エイト環を使うほどでもないが、ロープで確保しながらの下りとなった。 

沢登り用の9ミリ・30メートルロープを使い、この沢で2本のシュリンゲを捨て縄にした。本流に降りる最後のところは、沢の流れのところには確保できる木も岩もなく、右岸を3~4mの懸垂下降になった。

結果的にここを入渓点にして正解だった。本流に出るといくつか1~2mの滝はあるものの、ほとんど直登できる。途中1か所だけ右に巻かなければならない箇所があった。ここは懸垂下降3mだったが、支点になる直径の大きな木もあり、無事越えることができた。

ケヤキ沢の上は、初心者だけでも大丈夫
あとは、よくある写真の通りの実に快適なナメ床が続く。初心者にとってはこの上ない快適な遡行となった。避難小屋目前のところの8mナメ滝は滑りやすいが右側を行けば初心者でも越えられる。

帰りを考えて、登山靴を持っていったので、避難小屋からの1時間半ばかりの下りも楽に行けた。メデタシメデタシ。
一番参考になったのはヤマケイの2008年に載ったグラビアに記されていて髙橋金雄さんの簡単なリポートだ。実に的確な記述でわかりやすく書いてあった。
(東北の山の案内と言えば髙橋金雄さんだ。この方については別で述べたい)



沢登りのガイド本は、概して初心者に不親切だ。また雑誌(ヤマケイ等)での記事も、イイとこどりの写真ばかり優先されていて、これを信じて入渓するとつまずく。

「ウォーターウォーキング2」(2013年6月刊)は、初心者にも分かりやすい沢のガイド本だが、今回の遡行には図書館で借りることが間に合わず、あとから見た。

本流の上部は実に快適だ
山と渓谷2008頃の記事より「引用」











雑誌のグラビアそのままの気持ちのよいナメ床が続く

避難小屋手前の7m 右側を登る

念のためここもロープで確保


2013年8月2日金曜日

TPPを巡る、本当の「論争」、こういう記事が唯一の救いだ。朝日新聞は。

ちょと前(7月13日朝刊)になるが、朝日新聞のオピニオン欄で「参院選」がテーマの時に、評論家の小谷野敦氏(この人を私は知らなかった)が、「今の、日本には政治にもメディアにもまともな議論がない」「とし、かつては文芸誌や総合誌の誌面上での論争が「華」であり、著名人が批判し、された側も反論したと、まともな論争が行われる風土や土壌があったことを指摘していた。
そして、「21世紀に入り、マスメディアが論争的な紙面に及び腰になり、、政治家の片言隻句を「失言」として批判することに熱中し、本当の論点から人々の目をそらさせ続けてきた。」ことに苦言を呈した。

世間の「大衆化」の流れの中で、メディアもその鏡として衆愚的記事を書くことが「使命」になってしまったのだろう。インテリ新聞アサヒも“大部分”がこうした紙面作りになってしまった。

麻生という衆愚の代表選手のような財務相・副総理は、憲法改正にからんで、ナチスドイツを引き合いに出し、「問題発言」としてメディアやだけでなくユダヤ人団体からまでも批判にさらされている。これはその通りに、まったく信じられない人物としか言いようがない。国家の要人だから「不適切」というだけでなく、人間としてバカ丸出し。知識も教養もまるで持ち合わせていないことがよくわかる。

しかし、小谷野氏が指摘するように、マスメディアはいつもいつも「片言隻句」を取り上げているから、麻生の発言の、ことの重大性が、大衆にはよく伝わっていない気がする。
「ああ、またいつものことか」というオオカミ少年的反応を世間はしているだろう。

と、最初から大きくタイトルからはずれたことを書いてしまった。

 書きたかったのはこういうことではない。日本も本格交渉に入った「TPP」を巡る論争だ。新聞記事やテレビニュースを見ていると、ほとんど推進派の経団連(輸出産業)と反対の農業関係者という、単純な構図しか見えてこない。そういう記事ばかりが「目立つ」ように構成されている。

それを見越して農業団体は「決起集会」を開いてそれが報道されることを狙っているのだろう。
そうした中で記者が紙上討論した記事は、最近のこの新聞では一面(といっても広告があるから2/3面だが)をつかってもあまりあるものだった。

どこにメリットがあり、何が問題かを討論の中で抽出していた。私には「原 真人」記者に分があると思うけど。

小谷野氏の指摘を待つまでもなく、まともな論争をきちんと載せることこそ、メディアの大きな役割でないかい。

一時掲載していた「耕論」をあまり見なくなったが、これはヘンにまとめすぎて、議論がかみ合わない時もあり、つまらなかったけど。

ちなみに、朝日新聞の署名記事で私が信用して読んでいるのは、経済担当の編集委員(だと思う)「原 真人」氏の記事だけだ。堕落した新聞「朝日」において、唯一まともな言説を展開している。
でもきっとこの人はアサヒの社内では「異端児」扱いなんだろうな。








2013年7月25日木曜日

「全員 病人」で溜飲を下げる。里見清一氏の「衆愚の病理」



そういうトシになったということなのか、それとも質が高いと言えるのか。「新潮45」が案外面白い。
いつも図書館で1か月遅れで借りてくるので、仕入れた“情報”や“知識”や“教養”は、いささか古いが、総合誌や論壇誌と言われるジャンルの月刊誌が少なくなっていく中で、割とマトモな内容の原稿が多いようにおもう。

連載は終わってしまったが、「『日本書紀』はどのようにして書かれたか」(岡田英弘)などは、歴史の知識に疎く、教養も極端に不足している私にはちょっと難しかったが、この日本の記紀の内容が、いかに恣意的に書かれているかを論じていた。
(歴史知識が極端にないところは、私の泣き所で、いつも歴史好きのムスコに尋ねては、「オマエはそんなことも知らねーのか」という軽蔑の目で見られている。トホホ)

特集は5月:アレルギー日本 、6月:反ウェブ論、7月:橋下徹の落日
などとなっている。連作執筆陣も片山杜秀、里見清一、佐伯啓志などである。
  
詳しくは新潮社のweb site を見てね。http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/

さて・・・・、
理想に燃えた?若いころとは違い、ヨワイを重ねていくと社会の現実を目の当たりにし、「辛酸ナメ子」も多少経験すると、どうしても「現実」重視の考えに傾いてくる。加えて、社会状況が「成長」から「停滞」に移行してきていることも関係しているかもしれない。世間ではそれを「保守化」というのかもしれないが、中島岳志氏のいう意味での「保守」ならば、その言い方を受け入れてもよい。「右翼」では断じてないから。
「新潮45」は、そうした“中年男児”の心持ちにけっこうピタっとくるラインナップなのだろう。


以下、総合誌の私的評価
●「世界」(岩波)は理想論すぎる。若いころは、読まなければならないものとして我慢して読んだが、今はその気力がうせている。(一応は、毎月借りてきてパラパラ見ているけど)

●「正論」は、時々面白い原稿もあるけど、やっぱりちょっと偏りすぎているかな。根底に強固な思想があり、それに基づいた編集だから、宗教関係の雑誌のようにちょっと「引いて」しまう。
体罰による高校生の自殺が明らかになった時、「『体罰』擁護論」を展開して、ちょっと首をかしげたくなった。この雑誌には「保守」だけでなく「右翼」思想が伏流している。

●総合雑誌の王者「文芸春秋」は、「功成り名を遂げたサラリーマン」諸氏のためのというのがプンプンで、あまり手にとらない。「同級生交歓」なんか(つい見ちゃうけど)やっぱりイヤな感じだ。

●「中央公論」は読売の軍門に下ってしまったが、「論座」も「現代」も、右で言えば「諸君」も消えた中では、わりと頑張っているかもしれない。これも図書館で1か月遅れで借りてくる。経営は読売に押さえられていても編集者の中には、反骨的に頑張っている人が何人かいるのだろう。

で、「新潮45」に連載を持っている里見清一さんの著書、「衆愚の病理」を読んだ。医者のホンネ、知識人のホンネをうまく表現する筆力がある方だ。ホンネもただ、衆愚の民を見下して批判しているのではなく、なぜそうなるのか医師として、というよりは心理学者的洞察で喝破している。

▽終末期を迎えた患者に対して、普通家族は負担も面倒もいやがる。だから治療が終わっても「入院」を続けられるように懇願する。
▽初めから(延命的)措置をしていないのなら問題ないが、延命措置を止めるのは「殺人」として告発さえされる。
▽医療費がタダの生活保護者は、医者に延命のため「できるだけのことをしてください」という。どのくらい医療費がかかるかなんてカンケイなから。
などなど、あまり正確でない要約引用なので、ホンモノを一読あれ。
この新書の宣伝用帯には、白地に大きな文字で「全員 病人」とあった。自戒も含めて、人間は完全じゃないことを認識しつつ(つまり、自分を絶対と思わず)、他者を批することの大切さがメタファーとして読み取れた。

2013年7月20日土曜日

警告!ユニクロの下着は山では禁物

日本人の国民服「ユニクロ」の服は、私も愛用している。先日、旧知の友人と待ち合わせたのが、新潟県内のとある大型ショッピングモールにあるユニクロの前だった。その時、気が付いたら、靴下とベルト以外、すべてユニクロ製品を身にまとっていて、思わず苦笑してしまった。

下着は今年売り出しのAIRism(エアリズム)のパンツとシャツ。ズボンはストレッチジーンズ。上は7分袖のシャツだった。

さて本題。ユニクロのエアリズムは確かに肌触りがよく、宣伝によれば、抗菌防臭、ストレッチでドライときている。街で着るには確かにいいかもしれない。着心地はいい。

ドライもウリにしているので山行でもいいように思え、先日の剱岳山行で息子がトップス(要するにランニングのこと)を着ていた。天気は曇りで多少蒸した。
結果、雷鳥沢から別山乗越までの登りで、だいぶ汗をかいた彼の下着はびっちょりになってしまった。うまく体から出た汗の蒸気が外に逃げなかった。途中で脱がして、モンベルのウェアをじかに着せた。

同じエアリズムのボトム[ローライズ](要するにパンツ)をはいて、一昨日、自宅近くを10キロほど夜ランをしたが、このときも、パンツは汗でかなり濡れた状態になった。

ユニクロの「エアリズム」は運動時の発汗にはあまりうまく対処できないというのが実感である。
これはエアリズムが欠陥商品だと言っているのではない。ビジネス用など用途によっては下着としては優れているが、運動にはいささか向かないと言っているだけだ。誤解のないように。

ランニングやスポーツクラブでの運動で私が身につけている下着(パンツ)はBVDの少年用(身長160センチサイズ)の下着だ。これは汗に対して、すこぶるいい。

エアリズムとの違いは何か、素材に注目した。
使用しているBVDはナイロンが84%、残りがポリウレタン。
一方エアリズムはポリエステルが86%で残りがやはりポリウレタン。

ネットから探した、ナイロンとポリエステルの素材の特徴の違いが分かりやすかったサイトを紹介する。
http://www.seimo.co.jp/gousen-tokuchou.htm

これを読むと、特徴が似てはいるが微妙に表現を変えているところがある。
また、ユニクロはじめ、各社製品は、繊維素材の特徴だけでなく、肌触りや抗菌防臭、ストレッチなどを施すため、ユーザーにはわからない加工もされているだろうから、一概に素材の特徴差だけでは論じえないかもしれない。

ポリエステルの方が伸縮性がいいのか、最近のスポーツウェアではこの素材を使うのが多いようだが、汗をとにかく逃がすためにはナイロンの方が優れているのではないか。

これは経験則だけからの推論なので、確かなことはわからないけどネ。


しかしなんといっても、山には「クロロファイバー」だろう。冬の下着というだけでなく、夏でも十分いける。ネットで「クロロファイバー」を検索するとあまり詳しいものは出てこない。
最近は、流行らないのだろうか。すごくいいんだけど。

私の持っているクルrファイバーのアンダーは、NORTH CAPEのモノだ。ネットで検索してみて、いま初めてこれが「大倉スポーツ」だと分かった。クロrファイバーとはポリ塩化ビニールとなっている。
これはどんな素材なのだろうか。

2013年7月14日日曜日

残雪多し、2013年7月中旬の雷鳥沢&剱沢 あやうい山行だった

2013年7月12日(金)の雷鳥沢全景
こんなに雪が残っているとは驚きだった。海の日の連休を利用して、剱岳を目指した。休みを一日前倒しして12日(金)朝5時に東京を出発。長野県の立山黒部への玄関口、扇沢に9時過ぎに到着し、9時30分のトロリーバスに乗り11時前に室堂到着。荷物を整理し、そばをたべて歩きだ出す。

予想外の大雪に驚く。雷鳥沢はごらんの通り。そこから剱御前小屋を目指して別山乗越まで標高差500メートルを登り返すが、ここもすごい雪。乗越につくと、強風が吹き抜けていた。

風邪気味で調子のあがらない15歳の息子はキツそうだった。少し咳も出ていたので、2000m以上のところに宿泊するが、心配になった。少しでも標高を下げようと、剣沢をくだり、午後4時前に剱沢小屋に到着した。天気が下り坂で翌日が心配だった。

2013年7月12日(金) 剱御前小屋への登り返しもごらんの通りの状態だった。
幸い息子は咳き込むこともなく小屋では休めた。
しかし夜半からものすごいか風と雨で、翌朝は登頂を断念して引き返すことに。

 しかしここで危うく“遭難”しかける。
風雨だけでなく、霧もすごく視界が悪い。沢筋は上に2つに分かれていて、剱御前には、向かって右の沢を詰めなければならないのに、左の雪渓をたどってしまった。途中で気が付き、引き返して事なきを得たが、雪渓を大きな石でも滑ってきた直撃されたら、遭難したかもしれない。

地図では夏道が点線で書かれているが、この雪でとても進めるところではなかった。4本爪アイゼンなんて、ほとんど役にたたない(それでもないよりはマシだけど)ことを実感した。

われわれのように、ちょっとヤマを知っている(つもり)の中途半端なヤツが遭難騒ぎを起こすのだろうな、と自覚できることが唯一の救いだったかもしれない。

ちゃんとしたゴアテックスの雨具をつけていたが、室堂ターミナルに到着した時は、わたしも愚息もけっこうずぶ濡れ状態。靴の中はちゃっぽんちゃっぽんいっていた。雨も袖口から入り、ウェアもかなり濡れてしまった。これまで経験した中で一番すごい天気だった。

雪渓が溶けたところは氷になっていたくらい、冷え込んでいた。しかしそんな中でも我々とは逆に剱を目指す人々がいたことに驚いたが、勤め人にとっては貴重な3連休だ。無理をするパーティーもあるのだろう。

12年くらい履いているスカルパの登山靴(3シーズン)は、腫れていれば問題ないが、濡れるとヤバい段階にきたようだ。手入れは怠らずしてきたつもりだが、そうろそ限界かな。(実はスパッツを忘れてつけていなかったこともある)


●教訓1
こんな風雨の時に絶対必要なのは、ゴム手袋だろう。息子が手袋を忘れたので、私のゴアテックス、ウィンドブロック造りを貸した。予備は軍手だったので初めからはめなかった。素手で歩いたので、どんどん手から体温を奪われつめたくなってきた。靴ひもが緩んだので絞めなおしたかったが、とても指に力が入りそうもなかったので、我慢した。

こんな時あればいいのが「炊事用ゴム手袋」だ。手が濡れなくてすむし、袖口から雨水が入るの防ぐ。いつもは何となく持っていくのに、“今回に限って”持ってこなかった。トホホ

失敗(遭難)するのは往々にしてこういう時だろう。ちょっと反省した山行だった。でもまた行きたい。苦しくても山は楽しい。そして息子と行けるのも嬉しいから。



2013年7月6日土曜日

沖縄慰霊の日の小学生の「へいわってすてき」は切ない。ただ願っていても平和はこないから。

6月24日 
朝日新聞より「引用」
6月23日の沖縄「慰霊の日」の追悼式で、与那国町の小学1年生(6歳)が、覚えたてのひらがなで自ら作った詩、「へいわってすてきだね」を朗読した。これはほとんどすべての新聞やテレビニュースで取り上げらたので、多くの人が見ただろう。

 平和を願わない人は武器商人か「希望は戦争」と言って論壇に話題をふりまいた赤木智弘氏くらいかもしれない。(ほかにもネット上にはウヨウヨいるのかもしれないが、私は見ない。)

 6歳の“純粋”で“無垢”な子どもの率直な思いとして、「へいわってすてき」という言葉は改めて大人に突きつけられた「課題」に他ならない。
 
 しかしである。ちょと斜に構えて見てしまうと、本当にこれでいいのかと、ちょっと考えてしまう。沖縄は平和教育が盛んだと仄聞する。それはそれで結構なことだけど、ただ「平和を願う気持ち」を、教え込まれて身につくものではないだろう。この与那国の子のように自分の家族から体験として聞き、考えることによって、絞り出されてきた言葉だ。
その先、「どうしたら平和を獲得できるのか」ということまで、きちんと考えることこそが、真に平和を獲得することではないのか。

 こんなことを考えてしまったのは、西部邁の「どんな左翼にもいささかも同意できない18の理由」を斜め読みしたから。
 普通なら私の志向からすると「右翼のじいさん」が「晩節に吠えている」くらいにしか思わず、書店で見ても無視する類の本だ。しかしいくつかの誌(紙)で書評に取り上げられていたこと。西部氏を、若手論客の中島岳志氏が「師」と仰いでいることを思い出して、図書館で借りてみた。
 中味はだいたいが「老人の小言」風であり、あまり面白いと思わなかったが、それでも、何か所か読むべき価値のあるパートもあった。オルデカを取り上げて現代日本の「大衆性」について述べていること。また「平和とは大国による力の均衡」と言っている部分などだ。

 中島氏は「保守」と「右翼」の違いを明確に説明してくれて、わかりやすが、その区分けに従うと西部氏は「右翼」ではなく「保守」であることがわかる。
「平和とは力の均衡」とは、よく言われることではあるが、“日本という国”ではあまりこれが共有されていない。特に革新系と言われる人々には、その現実をことさら避けているようなところがある。

 「さきの戦争」では、沖縄では地上戦で多くの一般住民が犠牲になった。日本軍の盾にされもした。そうした現実の中で、平和を願う気持ちは、他の地域にも増して代々受け継がれてきていることは想像に難くない。そういう人々の「平和なんて力の均衡でしかないのさ」、「武装していなかったら、とっくの昔に尖閣列島だけでなく先島諸島全体がすでに中国のものになっているよ。チベットをみればわかるでしょう。」なんて言うことが正しいモノの言い方なのかどうかはわからない。

 しかし教育とは、理想論だけを刷り込むのではなく、現実を知ること(それは偏狭な知識だけでなく、広く教養も含めて)こそ必要なのではないのか。と、考えてしまった。

 与那国の小学1年生に向かって「理想論だけじゃダメだ。」と教えろと言っている訳ではない。理想を思考するひとつの出発点にして現実(それはしばしば見たくないものであったりする)に向き合う学習こそが大事なのではないか。

メディアの伝え方は、しばしばそうした「本質」から半ば意識的に目を背けて、キャッチな「へいわってすてき」だけに飛びつく。これこそが一番の問題なのかもしれない。


2013年7月5日金曜日

ナルシスト泉田裕彦新潟県知事の幼稚な言説。柏崎刈羽原発の再稼働を巡って。

7月3日朝日新聞より「引用」
柏崎刈羽原発が安全なのかどうか。安全の度合いがどの程度なのかは知らない。再稼働が「正しい」選択なのかもわからない。だから良いとも悪いとも決めつけない。
それはそれとして、東京電力が、新しい安全基準に基づいて再稼働審査を原子力規制委員会に申請したことについて、新潟県の泉田知事は「信頼関係を破壊する行為」と怒ってみせた。

衆愚の民と同様の空虚な言葉が躍っている。泉田氏はまた、「安全が確認できなければ再稼働は認めない」とも言っている。
具体的にどういう状態になることが「安全が確認できた」と言えるのか、いっさい言及がない。
「安全が確認」とか「信頼関係を破壊」などと言うのは、もともと言うべき中身がないことを告白しているにすぎない。

泉田氏は単に、柏崎刈羽原発原発の再稼働がイヤなだけなのだ。それをストレートに「ボクはイヤだ」と言えないから、もっともらしい言い方をして、メディアや人々を煙に巻いているにすぎない。

住民が権力者(それは企業や政府や役場など)のやることが気に食わない時に使う常套句、「納得いく説明がない」「信頼関係がない」と言うのと同じだろう。

7月3日朝日より「引用」
論理的に反論できないから、感情に訴える。もちろん専門知について情報の非対称性があり、情報を持っている側と対等に論争できないことは分かっている。であれば、なおのこと、こういうことがわからない、こういう点についてハッキリさせてくれという、疑問を素直に投げかければいいのだが、こういう人々はそうはしないのが常だ。

泉田氏はただ、再稼働がイヤなだけだから、感情に訴えて怒ってみせるしかないのだ。憶断を承知で言えば、京大→通産省のキャリアから知事に上り詰めた、地元出身の立身出世の人物として、「原発の再稼働を認めた知事」との“汚名”を被りたくなかっただけだろう。彼にとっては東電がつぶれるとか、電力不足になるとか、地球温暖化が進むとか、まったく関係ない。ただ自分がかわいいナルシストでしかない。

冒頭にも書いたが、誤解のないよう言っておくと、原発再稼働が正しいことかどうかは分からない。
知事ともなれば、反論するならもっと理論武装して具体的に反論すべきだということを言っているのだ。泉田氏は“秀才”だったのかもしれないが、天下国家を担う器ではなかったのだろう。恥ずかしい人だ。

○追記:
朝日が記事にしていた浪江町長の「反省ない」に至っては、お笑いとしかいいようがない。どうすることが「反省があり」、どうしないと「反省ない」というのだろうか。
信頼とか、理解とか、反省とか、一見もっともらしい抽象的表現で物事を切ろうとするのは、人を騙すことにほかならない。

それを補完するがのごとく、同日の朝日の社説は「とても理解は得られぬ」という見出しで、「泉田知事を孤立させてはならない」と結んでいる。どうしても原発をやめたい、地球温暖化も経済もまったく「そんなのカンケイない!」朝日新聞の意図が露骨な紙面作りだった。7月3日の朝刊は。

7月3日朝日より「引用」