2012年4月23日月曜日

社会運動家「湯浅誠さん」を支持し、いち市民として支えたい。

もっぱら「攻撃」が得意だったり、そういう役割だったりする人が、いったん防御に回ると、意外にもろかったりすることがある。
一番それを感じたのは、大相撲を見ている時だった。(あまり見ないけど)
回転のいい突っ張りで相手を土俵際まで攻めたてるも、いなされ脇から攻められると、もろい。
確か、「富士桜」という力士がいて、そう思ったものだ。

市民運動家や社会運動家と言われる人々の中で、もっぱら行政や“社会のありかた”を方を批判して、非妥協的に運動している人もそういう傾向がある(のではないか。)
つまり、自分たちは「正しいことをやっている」「批判されるようなことはない」という思いが強いが故に、批判されることに慣れていない。また批判を受け止めて糧とする習慣がない。彼らにできるのは批判した者に対して批判し返すことだけだ。

湯浅誠さんのブログに掲載された、「内閣府参与辞任のご報告」が、3月の新聞各紙の論壇時評で取り上げられていた。
http://yuasamakoto.blogspot.jp/2012/03/blog-post_07.html
長文のこの文章は、「読むに値する」まっとうで有益な文章だ。
○社会運動が批判だけして、社会が変わらないのは「誰かのせい」と言いつのっているだけではなにも変わらない。調整(≒妥協 と言ってもいい)を経て、実をとることの大切さ。
○官庁の役人は真摯に調整を行い物事を決めているのに、マスコミや「市民運動」側は、出てきた結果だけを見て、批判すること。
○予算を獲得することの大変さ。
○ヒト・モノの「ムダを削れ」という政府への「要求」はかえって、社会運動にかえって悪影響を及ぼしていること。
○行政の縦割りを批判するが、社会運動、市民運動の方にも縦割りの弊害が大きいこと。
等々(順不同)
ちょっと乱暴に書いたが、だいたいこういう主旨だ。湯浅さんは社会運動家として、政府の一員になって初めて分かったこと、学んだことを率直に記している。後段は、自己批判(反省)も含めて既存の社会運動への批判である。
この文章に対して、市民運動家などから「批判」が出ているという。どういう批判なのか具体的には知らないが、だいたい想像はつく。
フツーの市民運動家は、冒頭書いたように「批判に弱い」。だから批判し返すことでなんとか面目を保とうとする。湯浅さんの行動、考えを批判するのなら、それではどんな「社会運動」が、効果のある実質的な運動なのか、代替の「思想」を示すべきだろう。
「市民運動家」への違和感。「気持ちはわかるけど・・・」といった思いは、多くの人が感じていることではないか。その違和感を湯浅さんは、論理的に的確に指摘したにすぎない。しごくまっとうな言説だ。
社会運動に直接関わらない(関わったことのない)私にとってできることは、湯浅さんを支持し、市民として支えることしかない。
永江朗さんの「新・批評の事情」で湯浅誠さんが取り上げられている。永江さんは、湯浅さんをオバマ大統領になぞらえて、彼の政治家としての高い資質を指摘している。オバマ氏は弁護士として社会活動を経験し政治に移行していった人である事実を踏まえて。



同様の趣旨は、「世界」3月号で「社会運動の立ち位置」という小論でも述べられているが、こちらはもっぱら自分の経験と反省、テーマを絞って述べられてい、社会運動体への批判はない。
湯浅さんほどの“書き手”で知名度もある人なら、自らのブログに載せた一文を出版社が雑誌掲載してくれるだろうに(そうすれば原稿料も入る)。しかしそうしないところが、この人の誠実さなのだろう。加えて、社会運動家が社会運動家を批判するのは、なかなか勇気のいることかもしれない。

ブログで湯浅さんは、もうひとつ重要なことを指定していた。世の中「劇的」に変えることなどできない。調整を経て地道にやっていくしかないことを強調。橋下大阪市長の手法を批判し、それに雷同する民意に危険な臭いを感じていた。同感である。


2012年4月19日 朝日新聞より「引用」


朝日新聞の「耕論」で、湯浅さんは、内閣府参与の辞任についてなどインタビューに答えている。
朝日のこの欄は、質問がいつもちょっと意地悪だ。今回も、湯浅さんの服装が変わったことを指摘して、「政府側にたつと違うのね」と言いたげな質問をぶつけていた。
こういうところが朝日のキライなところだ。

2012年4月20日金曜日

「猿の惑星」と「夢の島1丁目1番地」と「サザエさん」

「猿の惑星」(1968年)より引用
「猿の惑星」という映画のラストシーンで、自然の海岸線を行くと、ふいに砂の中から「自由の女神」の頭が見えてくる。主人公は、ここが“かつてニューヨークだった”ことを悟り、頭を抱える。というシーンがあったように記憶する。
新木場駅から辰巳の方向にトラックの行き交う国道を歩いて見つけた看板は、私にとって「猿の惑星」の「自由の女神」だったのかもしれない。
看板には「江東区夢の島1丁目1」と記されていた。

「夢の島」。
東京で小学校時代を過ごした中年以上の人にとって、「夢の島」とは、率直に言って「ゴミ」の代名詞なのではないだろうか。教科書だったのか、あるいは副読本だったか記憶にはないが、東京のゴミ問題として、ゴミの埋立地としての「夢の島」を習った。悪臭とハエやカラス、風が吹くとほこりの舞いあがるタイヘンな所というのが、脳裏にある「映像」だ。
そして朝日新聞の「サザエさん」を“読んで”いた私にとって結構鮮明に覚えている漫画がある。
①デパートの(高級)食堂で、優雅に座る和服姿のひとりの婦人
②混んできたのか、もう一人の品のいいご婦人が合い席を願でて快く承諾する。
③世間話しから、「どちらかですか?」という会話が交わされる。
④オチ。ふたりとも着物の袖をまくって、「杉並区としては・・・」、「いいえ、江東区では・・」と興奮して言いあっている。
というストーリーである。
70年代の「夢の島」(東京都のサイトより)
当時「東京ゴミ戦争」と言われた。ウィキペディアの情報をかいつまで記すと、高度成長時代、増え続ける東京都のゴミは処分に困り、江戸時代から最終処分場だった江東区の「夢の島」に捨てられていたが、そこも満杯になり美濃部知事がすべての区に焼却場を作ることを宣言。しかし杉並区では建設予定地の高井戸で反対運動が起き、焼却場の建設がとん挫した。一方江東区も「夢の島」(14号埋立地)が満杯になるも、都が“約束”を守らないため、苛立ち、「新夢の島」(15号埋立地)でのゴミ受け入れを拒否するなど反対運動が起き、東京のゴミ処分はどうにもならなくなる。ということのようだった。
それが、サザエさんの漫画で描かれた構図でもある。
でも東京ゴミ戦争は、東京の城南地区で小中学生時代をすごした私にとって、「どこか別の地域の話し」という感覚だったと思う。地域にはまだ下水道はなく、糞尿を処理するバキュームカーが来たし、親が「クズ屋さん」と呼んでいた、今でいう資源ゴミ(鉄くずや木切れなど)を持っていく業者もいた。また新聞のちり紙交換の車が住宅地を走り始めたのもこのころだったかもしれない。
日常生活の中で、そうしたゴミは「誰かがどこかに持っていってくれるもの」であり、その先の想像力はなかった。サザエさんの漫画もベトナム戦争や学生デモと同じように「他人事」だったのだろう。
氷雨の中でトラックの水しぶきをよけながら歩いていて見つけた、「江東区夢の島1丁目1」の看板は、そんな自分の過去を喚起させた。
1970年からすでに40年以上。「夢の島」問題は、もはや歴史となった昔の話しなのだろうか。確かにここは公園になり、また事業所も立ち並び、そして埋立地の先にはつい最近新しい橋もかかり「発展の一途」をたどっているかもしれないし、江東区を「ゴミの区」と思う人よりも、お台場や高層マンションの所という印象を持つ人の方が多いかもしれない。しかし東京のゴミ問題は相変わらず続いているし、それは単なる「処理」の問題というより、地域社会の問題としてクローズアップされている。
市長の辞任にまで発展した小金井市と近隣市との処分場をめぐるトラブル、被災地のがれきの受け入れ等々、ゴミ処理場という「迷惑施設」の問題は、永遠のテーマなのかもしれない。

夢の島から辰巳へが運河を渡る
左奥が「辰巳国際水泳場」だ。



2012年4月18日水曜日

東京 プール難民はどこへ。「辰巳国際水泳場探検記」

東京体育館の一般公開プールが、改装のため4月1日より1年間休止になった。日頃よりここの50mプールを利用していた者としては、行き場がなくなってしまった。
ここ3年ばかりは、ほぼ毎週、土曜日の午前9時には体育館の入口に立ち、一番に泳ぐのが習慣になっていた。同様の人々は大勢いる。毎週通っていると見覚えた顔が何人もいる。多くの人々が「健康」を求めて通ってくる。
いいことではないか。運動してスリムな身体を保ち健康に暮らすことは、膨れ上がる医療費を抑え社会に貢献することである。行政は、そういう人を増やすための投資をもっとすべきだし、そうすることによって結果的に行政の費用は軽減される。それが健康増進法の趣旨でもあろう。
http://www.kenkounippon21.gr.jp/kenkounippon21/law/index_1.html

冒頭から話がそれた。
閉鎖された東京体育館のプールによって、おそらく何千か万単位の人々が難民化した、と思う。
何しろ公共施設の50mプールで、個人利用ができるところは、非常に限られているのだから。
プール難民となった彼ら(私ら)はどこを漂流しているのだろうか。困ったことになった。

で、先日まで、水泳日本選手権が行われていた、江東区辰巳の国際水泳場に高い電車賃を使っていってみた。
http://www.tatsumi-swim.net/

以下はその“体験記”である。

辰巳国際水泳場(webより引用)
ここは非常にアクセスが悪い。山手線の大崎を経由して、りんかい線に乗り新木場下車。そこから徒歩で約12分。4月14日は結構な氷雨が降る日だった。

新木場駅はJR京葉線や地下鉄有楽町線も乗り入れているが、駅前はいくつかの事業所のビルが目立つくらいで、3線乗り入れの駅のターミナル駅という感じはしない。単なる「換え駅」的だ。

運河の水門

駅前広場から明治通りを行く。京葉線とりんかい線の高架をくぐり、トラック一杯の湾岸道路を渡り、そして首都高湾岸線をくぐって、国道357の道沿いを行く。この道もトラックばかの、いわゆる産業道路だ。番地の看板があった。「江東区夢の島1丁目1」。
ここは夢の島だったんだ。(これについては別項で記す。)
運河を渡り、ほどなく辰巳の水泳場に着く。

◆建物はシャレたデザインだが、中はちょっと古い。

web siteを見ると、「スイマーの聖地」という銘打ってある。
受付案内の女性は非常に親切で、「大人600円で、1日中いられます」と、自動券売機まで導いてくれた。

ロッカーは極めて小さい
○更衣室:ロッカーは小さい。とてもサラリーマンが会社帰りに寄って背広を入れられるほどの大きさはない。スポーツクラブのロッカー室を期待していくと、がっかりするだけでなく、荷物の置き場に困ってしまうだろう。これでは夏、短パンにTシャツで来るくらいにしか対応できない。


○洗面所:かろうじてドライアーは2台置いてあった。ホッ

○シャワー室:もちろん風呂はない。シャワーはしきいがありお湯も出るからなんとか使える。石鹸の使用も不可とはなっていなかった。

洗面所にはドライヤー2つだけ
○プール: 更衣室から、通路(右にトイレ、左にシャワー室)を抜けると、そこがメインプールだ。階段を数段あがりプールサイドにでる。日本代表の選手たちも、ここ通って「決戦場」に行ったのだろうか。
初めて見る、公認プール。節電のためか照明は薄暗く、室内温度もちょっと寒い。朝9時。メインプールは閑散としていた。つい先日までNHKで中継し、熱狂していた競技が行われていたのかと、ちょっと落差を感じた。
それでも、このプールで泳ぐのは、少しワクワクする。「ゆっくりコース」という看板の出ている第4コースを泳いだ。
確か北島は100m平泳ぎの決勝で泳いだコースだ。片側は水深を浅くしてあるが、もう一方は2mになっていて気持ちいい。何より透明度があり、水に顔をつけると50m先のサイドが見えるのだ。


メインプールに並んであるダイビングプールでは、何やら飛び込みの大会をやっていた。あとでネットで見たら、なんと「日本水泳選手権」がまだ続いていたのだった。飛び込み部門として。

関係者しかいないような感じで、ちょっとさびしかった。


この日は9:00~11:00がメインプール7コースが公開。11:00以降は貸切使用が更に入り、一般公開は3コースのみになる。その情報はサイトからは分からない。
すぐ隣にあるサブプール(5コースくらいあったかな)は、半分を貸切で中高生くらいの団体が使用していた。2コースはたぶん一般公開していたと思う。


◆結論「辰巳国際水泳場」

ここは①競技会、②団体利用、③個人利用 という優先順位がついている。もちろん競技会で使用しない一般公開では、個人利用も担保はされているが、メインでは3コースだけの時もあるようだ。

更衣室などの設備からして、スポーツクラブ的な使用は期待できない。よっぽど50mプールで泳ぎたいという欲望があるのでなければ、近くにプールがあるのなら、わざわざ行く程ではないかもしれない。

さて、1年間待たされる東京体育館のプール。改装によって「公認プール」になるのだろうか。そうなると、競技会で使用することも増え、一般公開が減るのではないかと「危惧」している。市民スポーツの場が狭められることがないことを望む。プール難民になった人々も同じ思いなのではないかな。
ちなみに、すでに数年前から団体利用と水泳教室のみとなった代々木競技場のサブプール(50m×6コースだったと思う)と辰巳は、運営の指定管理者が、東京都水泳協会、セントラルスポーツ、オーエンスになっている。サイトからは運営母体が国なのか都なのか分からなかった。

国立代々木競技場のサブプールの運営は、独立行政法人日本スポーツ振興センターが行っている。

※その他の50mプール
世田谷区民プールも都内では数少ない50mだが、更衣室やシャワー室の狭さ、石鹸の使用不可、コース設定が泳ぎ中心ではなく(2コースのみだ)、ちょっと使いにくい。

プール難民はどこへ行く。

2012年4月9日月曜日

北島康介は、自分自身の年齢との闘いに勝った。賞賛に値する。

21歳の田口選手(webより引用)
1972年、ミュンヘン五輪の男子平泳ぎ100mで、田口信教さんが世界新で優勝した時の記録は、1分5秒1だった。北島康介がアテネ五輪で優勝した時のタイムは、1分00秒08、北京五輪での金メダルのタイムは58秒91である。そして2012日本選手権での日本新記録は58秒90だった。40年で実に6秒以上も記録が縮まっている。わずが100mにもかかわらず。

もちろん水着の進化、プールの深化(深い方が早いらしい)、身体の科学の進化など様々な要因があろうが、それにしても同じ人間がハダカで行う競技で、時速約6㎞、秒速約0.8mなので、100mで5メートル近くも早くなったということだ。今なら田口さんの記録では、日本選手権の決勝にようやく残れるくらではないか。
前置きが長くなったが、北島康介は文句なくすごいとい思う。どの新聞も賛美を惜しまなかった。実は私は北島はあまり好きではなかった。いかにも現代っ子のような「軽いノリの言葉」が好きになれなかったからだ。しかし29歳という水泳選手ではすでにピークを過ぎたと思われる年齢にもかかわらず、すごい結果を残したことは素直に賞賛したい。
◆北島康介の100m平泳ぎの記録
○2000年シドニー五輪  1分1秒34…4位
○2004年アテネ五輪   1分0秒08…金
○2008年北京五輪     58秒91……金(※speedの高速水着を着用)
○2012年日本選手権    58秒90
北京五輪でのspeed社の高速水着はその後禁止になった。実際どの程度の効果があるのか私にはわからないが、五輪ではどの国の選手もこぞって着用したのだから、やはり効果があるのだろう。その時の25歳の時の記録を上回る記録を高速水着なして29歳で出したことは驚愕に値する。
レースを終わってNHK番組の中継のインタビューに答える北島選手の体は、私の印象では、胸の筋肉が北京五輪の時より明らかに盛り上がっていたように思う。翌日の朝日新聞の記事では、「パワーが付く練習を重ねたが、腕のかきが強くなったことで呼吸の時に体が立ち気味になってブレーキになっていた。」「体はパワフルなまま、課題を克服した。」と記されていた。
日本選手権での北島(スポニチより引用)
年齢からくるスタミナの問題を筋肉を付けることでカバーし、そのデメリットは工夫で克服していった。彼はレースに勝ったのではなく、自分自身の年齢との闘いに勝ったのだと思う。それは決してたやすいことではない。だってアテネや北京の時だって十分に筋肉を付けて望んでいるのだから、それを上回るパワーを付けるのは相当な付加をかけなければ筋肉は発達しない。
(ちなみに水泳をしていると分かるが、かきで鍛えられるのは腕の筋肉ではなく、胸の筋肉だ。二の腕にはちっとも筋肉は付かない)

一昨年のNHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で、北島が手のかきをいろいろ工夫する様子が描かれていた。その時は何気なく見ていたが、今考えると繊細な工夫と進化なくして記録は伸びないということだったのだ。(2010年11月22日のbrog参照)
彼が年齢に勝った理由は何か。それは的確に他人のアドバイスを聞き入れ、それを鵜呑みにするのではなく、自分の実績に裏打ちされた経験と照らし合わせて、考えながら取り入れていったことだろう。その謙虚さが彼を成長させた。
別の項目で書いた、マラソンの市民ランナー川内が「自己流」を押し通した(と、思われる)、こととは正反対だろう。(2012年2月27日brog)
話しは飛ぶが将棋の米長邦雄(現・将棋連盟理事長)が、かつて50歳で名人位を獲得した時、台頭してくる羽生世代の将棋を徹底的に学ぶことで技量を磨いてタイトルを得たことを思い出した。
50を越した自分にとって、若手に学ぶことの謙虚さを忘れてはならないだろう。

◎余話

2010年6月の田口信教さん
(アサヒコムより引用)
冒頭で触れた、田口信教さん。googleの画像検索で「引用」する画像を探していたら、アサヒコムに
新人教師に指導する田口さんとしてこの写真が載っていた。金メダルを獲得した往年の身体からは、見る影もない中年太り。
これは、当時あなたの活躍で興奮した私たちにとって、ちょっと残念な姿ですよ。今からでも遅くはありません。60代なら60代での引き締まった身体を見せてください。田口さんお願いします。


2012年4月4日水曜日

消費税増税 東京新聞の幼稚な“主張”

消費税増税法案について、政府・民主党が閣議決定した翌日、新聞各紙は社説で論を張った。政府の取り組みの評価への濃淡はあるものの、どの紙も消費税の必要性を認め、法案の成立を望んだ論調だった。ただし東京新聞を除いて。

4月1日東京新聞 社説
東京新聞の社説。
▽消費税には所得の低い人に重い、逆進性がある
▽所得の再分配を考えると、累進構造を備えた所得税、法人税の方が望ましい。
▽消費税は地方税でいい
▽ちゃぶ台返しの議論をしろ
概ね、そうい主張だ。

実態経済を斟酌できない幼稚な発想に驚かされる。
社説氏は、欧州の高い間接税の税率はオカシイと言うのだろうか。また日本の現行の国税主体の5%もダメだというのだろうか。
こも社説は、所得の再分配、所得税や法人税の累進課税など、中学生でもわかる基本知識に沿って単純な論理を展開している。
すべての人の所得が正確に把握で、また法人税を高くしても産業界が海外に逃げることなく、日本で律儀に税金を払い続け、しかも企業が存続できるという前提ならば、東京新聞の主張も「納得」できるだろう。
しかし、実際には所得は正確には把握されず、法人税は各国で「引き下げ合戦」が行われている。
だからこそ、出口で課税する消費税が検討されているのは、自明のことではないか。
間接税にもいろいろ欠陥があろう。だからこそ、低所得者対策をどうするか検討されている。そうした議論も含めて、消費税の増税が検討されてきた。
ここに来て、「ちゃぶ台をひっくり返した議論を」という主張をするのは自由だが、社会の公器としての新聞の主張としては、幼稚としか言いようがない。社説氏の知識・教養の程度が知れる。
もちろん、社説の前半でご主張なさっている、社会保障の一体改革が進んでいないことは確かだし、そのことを指摘するのは、いわば当たり前のことだろう。
東京新聞の論理は、隣の家が火事になり周囲の家が、ウチにも燃え移らないか必至に消化して回っているのに、ウチはまだ家の中の掃除と整理が住んでない。まずそれが先決だといって悠然と、掃除の仕方を家族で喧々諤々話し合っているようなものだろう。あきれるばかりである。
こういう新聞が、目先のことしか考えられない大衆を、結果的に「扇動」して、改革の好機をつぶしていくのだろう。
「消費税を地方税にして地域サービスの選択を住民に委ねる」という主張は、一見もっともらしい“名案”に見える。しかしこれも、はたして名案だろうか。「消費はどこでも生じるので、都会と比べた地方の偏りが少ない」と言う。東京新聞さんの主な配達先である首都圏都市部や中京圏を考えるなら、確かにそうだろう。しかし田舎に行けば、どこも市町村にも「消費活動をする施設」がある訳ではない。過疎地域では消費すら行われていない実態をどう見るのか。これももっと実態研究や議論が必要なテーマだろが、それをひと言で片付けて主張するのも非常に幼稚だ。
東京新聞は「岳人」という登山の雑誌を出していることもあり、また共同通信配信の主に海外の記事も読めるので、一時他紙と併読していた。しかし1年でやめた。日々読むごとに、この新聞社の底の浅さにあきれたからだ。
深夜、テレビを見ていたら、東京新聞のCMを流していた。
キャッチコピーは「10日読めば、(その良さが)分かります」。
確かに分かる。10日も読まなくとも、幼稚な主張の新聞だということが。



2012年3月28日水曜日

普天間基地問題を袋小路に追いやっているのは報道だ

(2月下旬に書きかけの文書を1カ月遅れでUP)

もう5年程前になるが、夏休みに子どもをつれて沖縄のリゾート地に遊びに行った際、時間をとって嘉手納基地の見える、いわゆる「安保の丘」(今は記念館のような建物の屋上から眺める)と、普天間基地を見渡せる公園に寄って、小学4年生の息子に、沖縄の現実を説明した。美しい海岸で遊べるのも沖縄。一方で基地と向き合って生活する姿も沖縄であると。

沖縄の在日米軍・普天間基地の移転問題は、袋小路に入っている。難しい問題だ。しかしそうさせた一因の大きな一つは新聞やテレビのマスメディアだ。
野田首相が総理として初めて沖縄訪問をした翌日の新聞各社の社説の主張は真っ二つに割れた。
各紙の社説の見出しはこうだ。
○朝日:負担軽減を早く確実に
→辺野古断念を主張し、米軍再編の見直し策を練ろと主張。しかし“どこに”とは巧妙に言及を避け、負担軽減を早くと主張する。
○毎日:「辺野古が唯一」は無策
→辺野古断念を主張しするが、「移転先がどこになるにせよ」という言い回しで、その先のことは知らぬふり。
○東京:謝罪では普天間返らぬ
→辺野古断念と、海兵隊の沖縄駐留が「抑止力にならない」と主張。(ということは、海兵隊の抑止力そのものは認めているということか)。移転先は「国外・県外移設の提起を決断すべき」と主張。

………………………………………………………
○読売:関係改善テコに普天間進展を
→これまでの政府の対応を批判しつつ、民主党沖縄県連と政府・民主党の考え方のズレを指摘。その是正をして普天間の危険回避のため、辺野古移転を支持。
○日経:「普天間」でもっと手を尽くせ
→読売とほぼ同様の主張。党内意見をまとめる努力、辺野古が「最善」との説明にもっと努力せよと主張。
○サンケイ:普天間移設さらに努力を
→鳩山、菅のおバカ政権に比して野田首相は努力している点を評価。その上で、辺野古案を進めるよる主張。

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A・M・T 各紙は、辺野古は実現不可能、「県外に探せ」という。しかし沖縄県外とはどういうことか、小学生でもわかる、それ以外の県に「迷惑施設」が来るということに他ならない。この新聞たちは、おそらくどこが候補に挙がっても、その地域が「迷惑している」ことを記事にするだろう。それ自体は部分的に正しいとしても、そうした「主張」によって“世論”が形成され、結局、政府が何も事態を動かすことができずに、更に袋小路に入っていく。

普天間の危険性や沖縄米軍基地の負担軽減は、いわば当然のことで、この日の社説でいまさらそれを主軸に論を展開するのは、実は何も言っていないに等しい。沖縄に寄り添った主張のポーズを示しているだけだ。

「米軍基地は必要ないから廃止し、普天間を返せ」という主張なら、(それが正しい認識かどうかは別にして)論理は一貫していて、筋は通っている。しかし移転先に言及しない、「どこになるにしろ」とか「県外へ」という主張は、欺瞞に満ちている。
この3紙は、米軍基地が、どこにどの程度必要であり、どうするのがいいのか、「わが社」としての主張は曖昧にしながら、ただ、中央政府の動きだけを批判する。あまりにもご都合主義の主張だ。これぞメディア版ポピュリズムだと思ってしまう。

沖縄の地元の方々や地場のメディアが、「基地は県外に」と主張するのは理解できよう。どこでも地域の論理はあるし、それ自体否定するものではない。しかし少なくとも全国紙としては、地元の意を斟酌しつつも、大局的な主張がなされてもいいのではないか。そうでなくては「全国紙」の存在価値はないし、読者として講読する意味がない。

在日米軍の規模が適正なのかどうかを、きちっと論じているのは、琉球大学の我部政明教授くらいしか知らない。(「世界」2012年4月号『限りなく実効性の低い米軍再編見直し合意』 )
我部氏の緻密な分析は、(素人には理解がちょっと難しい面もあるが)説得力は感じる。その我部氏さえも、「米軍は必要ない」とは言っていない。

沖縄に「米軍基地は全くいらない」という主張をする人は、きょう日ごく少数派だろう。軍隊が嫌いな人でも、中国の太平洋での動きや北朝鮮問題を考えると、程度の差はあれ、「やはり最低限は必要」という思いを抱いている人がほとんどではないのか。

新聞各紙の主張も、こうした「やはり米軍は必要」という空気(この言葉は嫌いだが他に適切な表現が思いつかない。)を読んだ背景がある。そこが朝日、毎日、東京各紙のズルいところだ。
どういうご主張をしようと、それはご自由だが、そうした態度こそが読者を失っていく契機になっていることを忘れない方がいいだろう。

翻って、Y・N・Sの各紙の主張する「辺野古」が「最善」という主張にも、ナチュラリストとしてはちょっと違和感も感じる。はたして「最善」なのかどうかは分からない。しかしこの3紙は、これまでの政府と米軍の交渉の経緯を踏まえた上で、論理の一貫した主張を行っている。その意味では、「「信頼に足る」主張だと言える。



朝日

毎日

東京

読売

日経

サンケイ




2012年3月26日月曜日

消費税増税反対派に、なぜ「増税しない選択」でどうやって国を運営していくか聞かないのか

消費税の増税法案の、民主党内の議論が進まない。増税に反対または慎重な議員が多く、もう何日も「議論」しているのに了承を取り付けられないことは、日々の新聞・テレビの報道で周知のことだ。
この件に関しての、新聞報道(テレビは全部見ている訳ではないのでわからない)に、私は「苛立つ」。
どの新聞も「政局」として伝えるだけで、反対派、慎重派に対しての増税議論への突っ込んだ取材を行った形跡が、ほとんど伝わってこないのだ。
今回の消費税増税について、確か朝日も読売も毎日も、そして日経も、温度差はあるにしても概ね「賛成」の意を社説で説いている。それは常識的な判断だ。
であるなら反対派の議員に対して、「反対する理由」でなくて、「消費税を上げない選択肢」で、どう国を運営していこうとしているのか、聞くべきではないのか。また「景気が回復してから」という議員に対して、「非ケインズ理論」をどう考えるのか、聞くべきではないのか。
少なくとも政府や民主党執行部は、それが「十分ではない」という人はいるにしても、「なぜ消費税が必要か」について、国民に「説明」している。
反対したり、条件を厳しくする主張をする議員に対して、十分な説明を求めるのは、メディアが当然行うべき報道なのではないか。
それを行なわないメディアが不思議でならない。薄っぺらな「政局」報道だけが紙面を飾っている。

ここからは想像だが、民主党を取材し、記事を作っているいのが、どの紙も「政治部」だからなのだろうか。反対の理由は聞けても、経済のもっと突っ込んだ質問自体が出来ないのだろう。できないというのは、「資質として」と「他の部の領域に遠慮して」の2つの意味がる。一線の記者にとって、普段から付き合いのある議員を「怒らす」ことは聞けないし、また、経済部の守備範囲を侵すようなことは、組織の中でできない。
藤井裕久氏 79歳の信念には敬服する。
しかも方向性は間違っていない。

そんな事情の中で、消費税の増税議論は、反対派、慎重派のほとんど予想のつく「反対理由」という中身のない報道しか見えてこない。
政治部記者は「政局」を、お祭りとして楽しんでいるだけなのか。紙面からはこの国の財政をどうしていくかという切迫感は伝わってこない。こと、このことに関しては、「経済部頑張れ」だ。
内田樹さんなんかが、よく「報道の劣化」について書いておられるが、ホント、そう思う。苛立ちは消えない。


2012年3月23日金曜日

休日の半日を本屋で過ごす。書店はタイヘンだ。

春分の日(3月20日)、午後から神田・神保町の三省堂に行く。本屋にはよく行くが、じっくり長時間過ごすことは意外に少なくなってしまった。たまには腰を据えて本屋に行くのもいい。

批評家の東浩紀氏が本屋について新聞に書いていた。(日経2月6日「半歩遅れの読書術」)
▽リアル書店にほとんど立ち寄らなくなった。利用はもっぱらオンライン書店。
▽ いまの書店の棚が息苦しく感じられてならない。
▽ 書籍新刊発行点数は1990年代に急速に上昇。 90年4万点弱だったものが2000年には7万点まで迫る。(現在は7万5000点)
▽ しかし市場の拡大を伴っていない。90年代半ばを頂点として出版の市場規模は右肩下がり。
▽書店の棚がますます新刊、それも売れない新刊に埋め尽くされている
▽ 古典の文庫や教養系新書の棚は確実に小さくなりベストセラーに譲り渡されている。
▽ リアル書店はいまや新刊のフローに呑み込まれ教養のストックとして機能しなくなっている。
▽ 書店はかつて広大な知の宇宙に通じる夢溢れる扉として機能していた。その機能を回復しなければ書店文化はコンビニとレンタルチェーンに呑み込まれ消えざるをえない
というのが趣旨である。

三省堂書店 神保町本店
確かに、どこの書店も常に「新刊」と最新雑誌、はやりの本が多くを占めるようになっている。しかし、神保町の三省堂本店や新宿紀伊国屋(南店)、丸の内の丸善などは、売り場面積が広大で、まだまだ、「古典の文庫、教養系の新書」もけっこう置いてあり、それなりに選べる余地はある。ただ、文庫も新書も「読み物」や「ハウツー本」が多くを占めていて、それ以外の本はちょっと肩身が狭いとうのは否めないが。

東氏の言うように「リアル書店はいまや新刊のフローに呑み込まれ教養のストックとして機能しなくなっている。」というのは、多くの人が感じることなのだろう。

三省堂本店4階は、社会科学系の本が置かれているところだ。レジの前は、企画コーナーになっていてる。吉本隆明が亡くなった直後ということもあり、さてどうなっているか、少し楽しみだった。

「吉本」本は意外に少なかった。日曜日の新聞書評欄でも吉本の著書は「品切れ」が多かったが、この状況から察することができるのは、吉本はすでに過去の人になっていた、そして彼の著書はあまり「古典」として認知されていなかったということなのだろうか。

この日の企画コーナーのメインは、やはり「震災1年」だった。原発関係の本が数多く並べられていた。印象としては対談本、共著などが多く、粗製乱造の感はちょっと否めない気もした。いくつか手に取ってめくっては見たものの、どれも買う気にはなれなかった。印象でもそれほど人が集まっている感じではなかった。

企画コーナーを「売れる」コーナーにするのか、それとも「志」のコーナーにするのか、良識ある書店にとっては悩ましいことだろう。少なくとも三省堂本店4階は、後者のように思える。

いま本の返品率は4割だという。(3月12日読売「耕現学」返本率4割 改善なるか」)
10冊仕入れた本のうち4冊は売れずに返される。この事態はなんなのだろう。

読売のコラムの要旨
▽出版科学研究所によると2011年の返本率は、書籍37.6%、雑誌36.1%。書籍は1990年代後半から40%前後で推移。雑誌も2007年から35%を超えている。
▽委託販売制度は、新刊書籍が書店に届いてから3カ月半の間に売れなければ「取次」(卸業者)に返品でき、仕入れ代金が書店に全額戻るシステム。
▽出版社は返品本の一部をきれいにして注文に応じて再出荷するが、それでも売れ残った本は倉庫費用がかさむので廃棄される。
▽委託制度は配本で重要な役割。書店は売れ残りのリスクに悩まなくてよく、零細出版社や無名の著者の本も店頭に並び、日本の多様な出版環境を支えている。
▽しかし書籍、雑誌の販売額が96年をピークに減少に転じると制度の弊害も目立つように。
▽出版社は売上減をカバーするため出版点数を増やしたいが、粗製乱造でますます返品が増える悪循環に陥る。
ほか、委託販売制度の歴史や今後の改革案等も併せて記されているが、割愛。

出版を取り巻く、出版社・取次・書店の状況、そして東氏の思い。日本の「書籍」は今度どうなっていくのか、本屋で過ごしながら、ちょっと心配になってしまった。
「書籍はアマゾン.comで買えばいい」なんて、安易には同意できない。しかしかといってこれほど出版点数が多いと、書店の棚から「新発見」することも、なかなかタイヘンだ。
そう読書家でもない、テキトーな私のような人間にとって、新聞や雑誌の「書評欄」が頼りだ。しかしこれにもしばしば裏切られることもある。

人生の限られた時間、どれだけ自分にとって有意義な本に巡り合えるか、思考錯誤が続く。

三省堂4階の企画コーナーに並ぶ原発関連本、そのほとんどすべては「反原発」「脱原発」だったが、結局「買いたい」と心が動いた本はなかった。結局、原発関連で購入したのは、いくつかの書評で見ていた「『脱原発』の不都合な真実」(新潮新書)だった。

原発に関して様々な人の言説よりも、客観的なデータに触れて、自分のアタマで考え、判断することの方が、特にこの問題に関しては重要だと思った。

この日、他に買った本。「四字熟語で読む中国史」(岩波新書)・・・今読んでるが率直に言って余り面白くない。でも我慢して「字を目で追っている」。




2012年3月20日火曜日

走ることについて語る④「平常心のレッスン」から学ぶ 呼吸とリズム

普段、「人生訓」や「生き方ハウツー」本は買わない。はやりのタイトル「**力」本などは見向きもしない。(というのは大げさで、実際はちょっと立ち読みしたりするが・・)。
小池龍之介さんは朝日の夕刊に時々コラムを書いていて、ちょっと興味と持った。「平常心のレッスン」(朝日新書)は、著者の「東大教養学部卒の僧侶」という経歴から思わず買って読んだ。

Wikipediaによると、学生結婚と離婚歴、家庭内暴力や女性遍歴など、そう褒められた生き方をしてきた訳ではなさそうだが、そんな経験を経てたどり着いた「境地」が記されていると思えば、素直に読める。

たまにはこういう書籍もいいもんだと思うようになったのは年取ったということか。それとも謙虚になったということか。
この本は、いくつか「走ること」に役立っている。ヘタなランニングハウツー本よりは、ずっとましな指南書になっている。


いわゆる「相談」というのが、すでに自己決定していることの「確認」として機能するように、ハウツー本を読んで感じることは、実はすでに実践していたり、考えていたことの確認として意味を持つ。
「平常心のレッスン」も「自己確認」として読んだ部分と「新たな知見」として学んだ部分がある。

○「平常心のレッスン」から
▽仏道とは、一言で言うなら苦しみを減らす方法。 四苦=生老病死(しょうろうびょうし)や「一切皆苦(いっさいかいく)」など釈迦は言葉を換えながら生きることの苦しみを教え、その苦しみの仕組みを見抜くことで苦しみを減らすのが仏道の修行の目的。

→「生きること」を、そのまま「走ること」、「泳ぐこと」に置換する。走り始めた当初、走ることは結構苦しかった。以前から泳いでいたので、いわゆる息が上がるということはなかったが、足の筋肉の痛みという物理的な苦しさと、走りながら「なぜ、痛みに耐えてまでオレは走ろうとしているのか」と、自問自答することの苦しさが混ざり合った「苦しさ」だった。

WEB上より引用
「苦しみの仕組みを見抜く」とは、身体的には鍛えられていない筋肉や関節がどうなっているかを知ることであり、「なぜ」については、結局はひと言で言うと「老いを恐れている自分」であることを自覚することだった。

▽瞑想修行を続けていると、最初は苦手意識が消えるのが一時的でしかなかったのが、徐々に継続的、持続的に消えたままになる。瞑想修行はその意味では、記憶の呪い、過去というカルマから解放されるレッスンだと言える。
→苦手意識というのは非常にやっかいな代物だ。学習、人、スポーツ、あらゆるものについて回った「経験」である。走ることの利点は、自分のペースで行えること。もちろん仲間を作って楽しく走っている人たちはいるが、自分には向かないと思っている。(まあこれも「苦手意識」なんだろうか。)ひとりで走っていれば、苦しみから逃れることも、誰にも気兼ねなくできる。でもそうしなかったのはなぜか。ひとりで走っているうちに、苦しみ=苦手意識というカルマから解放されたのだろうか。

▽歩く瞑想 足の感覚に意識を集中する。
▽坐禅で呼吸に意識を集中する理由。 呼吸は無意識に行っていることがポイント。
→「呼吸」という無意識で行っていることに、意識を集中させるというのは、走っていると自然にできるようになる。ランニングでは実は「走ること」も無意識で行っている。人間の基本動作であるが故に意識しなくても走れるから。そこを意識して、リズム、足の運び、フォーム、など様々なことを考える。しかしこれは意識すればするほどやっかいだ。これでいいのかと迷いもまた増幅するからだ。
しかし呼吸を整えること、走りに一定のリズムを持たせることだけは分かる。

この年になると、泳ぐことも走ることも、スピードを早めることはなかなか難しい。自分の呼吸が乱れない速さは自ずと決まってきてしまう。ちょっと無理をすると、「呼吸」が乱れて、続かなくなる。
しかし距離を伸ばすことは、少しずつだが何とかなる気がしている。疲れを残さずに泳いだり、走ったりする距離は、実際少しずつ伸びてきた。
水泳はようやく2㌔を越した。いまはもう少し泳ぐ。走ることもここにきてようやく20㌔の壁をちょっとだけ乗り越えた。でもサボるとまた戻ってしまうだろう。ようやくハーフマラソンの完走が見えてきた程度だ。フルマラソンへの道はまだ遠い。

2012年3月16日金曜日

吉本隆明は、そんなにエライのか。彼はルサンチマンの虜囚だ。

「共同幻想論」を“買った”のは確か、大学1年の時だった。すでに30年以上の時が経っている。数ページ読んで、ほとんど理解できずやめてしまった。いまこの本がどこに置いてあるか思い出せない。ただし捨ててはいないと思う。
吉本はすでにこのころサブカルチャーに傾倒していたように記憶する。いくつかの雑誌(朝日ジャーナルだったかな)で、彼の変節を揶揄するコラムなどが載っていた。いずれも細る記憶の中のことであるが・・・。

小熊英二氏が確か「民主と愛国」の中で、吉本を批判していた。彼のトラウマといも言うべき米沢時代の体験をとりあげ、それが彼の主張にどう影響したかを記している。吉本が批判した宮本顕二、丸山真男といった「知識人」はアジア太平洋戦争の戦前、戦中からの人だ。吉本は戦後にデビューした人間。後の時代の者が前の時代の人間を批判することの「ルール違反」を指摘していたと思う。具体的な話で、けっこう興味深い内容だったが、忘れてしまった。でもここは、吉本が死去したニュースに触れたのを機に読み返してみたい。
吉本隆明は、丸山真男を痛烈に批判して、新左翼学生運動家の強力な支持を受けたが、その丸山について、歴史学者の入江昭氏が、中央公論2012年4月号で記している。「半世紀前のハーヴァード、知識人の小さな共同体」。
高坂正堯と丸山真男、右と左、現実主義者と理想主義者という全く思想の違う2人が、熱心に議論したことなどが綴られている。

ハーヴァードの入江氏や東大の丸山、京大の高坂などの「知識人」は考えは違ってもある意味で「サロン」を形成している人々、換言すればいわば恵まれた人々だった。(のだろう。)そんな雰囲気が入江さんのエッセイからも伝わってくる。
吉本にすれば、それは嫉妬の対象でしかなかったのではないか。彼もまた「ルサンチマンの虜囚」であったのだ。そして彼を熱烈に支持した学生運動活動家も同じ気持ちだった。対象は共産党の宮本であり、学生運動に理解を示していた丸山でもあった。思想の立ち位置は関係なく、ブルジョア批判として、吉本の言説は存在した。
晩年、彼がサブカルチャーに「理解を示し」たのも、ブルジョアジー知識人への対抗意識ととれるのではないか。
今日の新聞、テレビでは、あいかわらず「紋切り型」の報道が続いている。死者への敬意ということでは、一次報道としてはそれでいいのかもしれないが、もう少し引いた「評伝」を読みたいと思う。後日、各紙の夕刊文化欄に載ることだろう。

(余話)
入江昭さんの「歴史を学ぶということ」(講談社現代新書)は、私が感銘した書籍だ。
後書きで、オスカーワイルド 戯曲「ウィンダミア卿夫人の扇から次の言葉を引用している。
「将来に向かって生きようとするものは過去に向かっても生きなければならない」
歴史学者のすぐれた知見に学んだ思いだ。




2012年3月15日木曜日

放射能と食品添加物 リスクをどう考えるか



食品の放射能の問題を考えていて、ふいに以前読んだ書籍を思い出した。
「食品の裏側」はなかな興味深い本である。単に食品添加物の「怖さ」を煽る本ではない。元食品添加物のセールスマンが、様々な添加物について丁寧に説明し、どう付き合うが導いてくれている。
興味深いのは「味は科学的に作り出せる」ということだ。特定のフルーツの味を添加物だけで作り、それを主婦に食させる実験の話が面白い。全員が、添加物だけで作ったとは分からなかった。また、うどんを打つのが大変になった手打ちうどん屋に、軟化剤を売り込んだら、もうその誘惑から抜け出せなくなったという話しも出てくる。(記憶で書いているので、ちがったらすみません。)

いずれにしろ、ふつうの生活をしてる私たちは食品添加物から絶対に逃れられないということだ。おそらく農薬も化学肥料も同様だろう。それは、確かに「リスク」である。健康被害もあるやもしれぬ。しかしそのリスクをどの程度と考えるかは、人それぞれであろう。そういうことを踏まえて、少し気を遣いながら日々生活をしているのがフツーの人ではないのか。

実際この著者も、。出張に行く途中で買う弁当にはかならず添加物は入っているのだから、添加物入り食品を過剰にならないように注意しながらも食べていると書いていた。


先日テレビで「放射能の影響はゼロでなければだめだ」と、訴えていた主婦のインタビューが放送されたいた。しっかり見てはいなかったので、どういう文脈での発言かは定かでないが、子どもへの影響を心配していたように思う。
こういう方には、放射能以外のリスクの情報もきちんと教えて差し上げて、絶対安全な食品を食べるようお勧めしてあげた方がいいだろう。食品添加物、農薬、化学肥料を「ゼロリスク」にして、生活するには、すべての食品を自給自足で賄う必要があると。いやそれでも大気中のダイオキシンの心配もある。空気も作り出す必要があろう。コストだけでなく、手間暇がたいへんだ。とてもサラリーマンにはできない。

食品の放射能の基準を4月から厳しくすることが決まっている。しかしどんなに厳しくしても、「信用できない」と言う人はいる。どうにもならない。新聞テレビの報道も、「国は明確な基準を示せ」と急き立てるが、実際「基準」を示すと、それに不安を覚える人のコメントを載せ、疑問をなげかける。
たから基準などいっそなくていいのではないか。どのくらいの量の放射能を食品から摂ると、例えばガンではどのくらいのリスクがあるのか示せばよい。喫煙の20分の1とか、肥満の30分の1とか言ってくれればよい。それをリスクと考えるかどうかは、消費者が判断することだ。

だって、どんなにお上が基準を決めても、かならず不安を訴える人、マスコミはいて、この国では「ゼロリスク」以外受け入れないのだから。

最近はあまり見かけないが魚介類に含まれるPCBの量について、厚労省が1年に食べてよい許容量を示した例があったように思う。トロをたくさんたべるか、少しにするかは、その人が判断すればいいことだから。(きちっと調べてみよう。この項を書きながら思い出した)

走ることについて語る③ ストイックということについて

走ることは、ある面非常にストイックだ。スキーや登山、また水泳やテニスなどポピュラーな運動では、腹が出ている人は、まあよくいる。が、走る人ではいない。
出腹を引っ込めようと走り始める人はいても、基本的に走る(ある程度の距離)ためには、腹は出ていられないのだ。ポピュラーな市民スポーツでこれほどストイックな種目は他には思いつかない。

金哲彦さんの著書だったか、体重が1キロ落ちるとマラソンのタイムが3分縮まると書いてあった。フルマラソンで3分が正確かどうかは分からないが、走り始めて分かることは、体重が軽い(つまり余計な脂肪分がない)方がラクに走れるし、気持ちがいい。

だから走る人は、おそらく例外なく体重管理に気を使うようになる。つまり食事に気を使う。それまでと同様の食生活を送っていても、ある程度は体重が落ち、体もスリムになる。しかし運動だけではやはり限界がある。食事を改めてはじめて「理想体重」に突き進んでいけることが、身体で分かってくる。

そうなると実生活でどういう「影響」が出てくるか。(私の場合)
○外食を好まなくなる。パスタやカレー、焼き肉、中華など、手軽な外食で「おいしいものを食べたい」という欲求は減り、カロリーのわかるものを自然に食べるようになる。(もちろん外食はするが、たいてはそば屋だ。)
○肉は少量だけ食べてもおいしく、それで満足できる。(足りないタンパク質はプロテインで摂る)
 ○野菜はたくさん食べたくなる。

あまり運動をしないような方々から見れば、ストイックに見えるかもしれない(実際、そんなんで生活楽しんでるの?と真顔で聞かれたことがある)が、実は少しも苦ではなく、たくさん食べることがかえって体重が気になりストレスになる。

この道の私の先達が言っていた。「一度スリムになると、太ることが恐怖になり、それでまた走る」と。そう、太ることはランナーにとって「恐怖」なのだ。恐怖というストレスを避ける行為は、心をラクにこそすれ、苦ではないということである。

走ることはストイックと、冒頭に書いた。しかし当事者にとっては少しもストイックでないというまったく逆の言説になった。

※ランニング雑誌を見ていると、読者紹介には「月間走行距離○○キロメートル」というのが必ず載っている。こういう人たちの食生活を知りたい。

2012年3月13日火曜日

放射能問題が露わにした、オーガニックな人たちの底の浅さ

NHKの首都圏向けニュース番組で、興味深い企画リポートを放送していた。東日本大震災による原発事故の影響で、風評被害を受けた茨城県の野菜生産地の話しだ。震災後、この地域では、いわゆる「放射能の風評被害」で、出荷する野菜などの価格が下がったが、いまは、ほぼ平年並に戻っているという。
しかし、有機栽培を手掛けてきた農家は、顧客が離れたままだという。取材した有機栽培農家はお得意さんが3割しか戻ってこないということだった。

これまで有機野菜を購入していた人々は、農薬や化学肥料を嫌う、なるべく避けたいと思う、「不純物」に敏感でエコロジーな人々であろう。それはそれでよい。多少価格が高くても子どもにはなるべくオーガニックなものを与えたいと思う人々は当然いる。わたしも多少はそうだ。

しかしそうした人たちが購入していた有機野菜の生産地が原発に近いという状況になると、消費者は現金なものである。放射能の影響がとたえわずかでも、健康被害があるかもしれないと思うと、もうそこからは購入しない、ということなのだ。

有機栽培農家と、ネットなどを通じたその購入者(消費者)は、普通の生産者・消費者よりも、より強い信頼関係で結ばれた、お互い顔の見える間柄と思われていた。少なくとも私はそう思っていたし、生産者側は、割高な(通常、有機栽培は普通のものより高い)野菜を好んで購入してくれる人々に、信頼感を抱いていただろう。

しかしひとたび、生産者の責任とは無関係であっても「放射能」という、オーガニックな人々が警戒する要素が入るやいなや、購入者は逃げてゆく。こうした消費者にとっては、「産地」はどこでもいいのだ。生産者が「誰か」というのも実は副次的な要素でしかなかったということだろう。

ネットをサーフィンすれば、日本全国で有機栽培農家はいくらでも探せる。もしかしたら、これまでより、もっと条件のいい所が見つかるかもしれない。何も好き好んで「原発に近い農家」から購入する理由はないのだ。こうしたオーガニックな消費者は、敏感なだけに「逃げ足」も早い。

東京の西の端、自宅に近くの駅そばに有機食材を売り物にしたミニレストランが開店し、宣伝ちらしが自宅ポストに入っていた。そのキャッチコピーを見て驚いた。
「放射能で弱まった免疫力の回復に、ぜひどうぞ」とある。
「有機」を売り物にする店がすべてそうだとは言わないが、少なくともこのミニレストランにとっては、「有機食材」は単なる客集めのためのツールでしかないことを、このキャッチコピーは如実に表している。
生産者の思いは、消費者には言うに及ばず、消費者に“安心”を届ける存在のオーガニックショップやレストランにも届いていないということだろうか。

香山リカ氏が中央公論2012年3月号に興味深い論考を書いている。
「覚悟のない自己愛人間たち」
要約すると、いま世間には口では「世の中の役に立ちたいんです」と言いながら、心の内側では「とはいえ、私が損をするのは困る」「私は安泰でいたい」と思っている人が増えている。
昔、精神疾患の病歴のある人をアパートに入居しようとして拒絶される時、説得に行くと、「あんたがそこまで言うなら信用しよう」と、入居を認めてくれる人がいた。いまは、顔ではニコニコ理解を示しながら、いろいろ理屈をつけて断る。
「無知ゆえに精神障害者を危険、迷惑な存在と思い込んでいる」のであれば説得のしよもあるが、「私も理解者です」と言いながら断固として断る「笑顔の拒絶」ほどやっかいなものはないのだという。
香山氏はこの現象を「自己愛過剰」で説明する。
「少しでもリスクが増えそうな施設、人などが私の近くにやってくることだけは避けたい」「私さえ安全であればそれでよい」「私のような(特別な人間が)危険にさらされるなんて」という肥大した自己愛だ。
「自己愛過剰社会」(河出書房新社)はアメリカに蔓延した自己愛過剰人間がいかにコミュニティーや社会を蝕んでいるかを克明に記していることを紹介し、それを後押ししているのは、セレブを賞賛するマスコミは「誰でも簡単に目立つこと」を可能にしたブログ、ツイッターなどのネットコミュニケーションであることを指摘する。

香山氏の論を借りれば、放射能の影響を過剰に不安視して、原発に近い有機栽培農家から逃げてゆく、オーガニックな消費者は、すべてではないにしろ、単に自己愛過剰な人々とみられるのではないかな。

がれきの受け入れ問題も同様の現象として説明できるのだろう。

2012年3月12日月曜日

東京大空襲報道に見る、日本人の宿痾(しゅくあ)

3月11日は1945年(昭和20年)の東京大空襲の日だ。10万人以上が犠牲になった大空襲として、新聞の首都圏版やテレビの首都圏向け放送では、これを特集することが結構多い。おそらく読者、視聴者の評判もいいのだろう。だから特集を組む。
日本人に限ったことではないだろうが、「被害者としての私」を取り上げてもらえることは、心地よい心情に違いない。「こんなに大変だったんですよ」と。
しかし東京大空襲について、「アメリカ軍の責任」を厳しく追及する記事を見たことがない。これまで皆無だったとは思わないが、少なくとも目立ったものはないし、「被害者としての東京の民」ほど繰り返されてはいまい。広島・長崎の原爆投下、沖縄戦の犠牲など、「戦争の悲惨さ」を伝える報道の中で、なぜアメリカ軍の責任は追及されないのか。もっと言えば、アメリカの責任は、いつも隠されている。これがもし「加害者」側が中国や朝鮮・韓国だったら同じような論調で報道されているのだろうか。メディアが保守系、リベラル系に限らずだ。
結局、日本は「アメリカの52番目の州」と揶揄されても仕方がない国なのだろう。(それでもいいという論調もあり、一定の説得力を持っている)アメリカを加害者として糾弾することは日本にはできない相談なのだ。それが日本のエートス、少なくとも1945年以降の日本においては、スタンダートな選択であり、日本人の屈折した感情という「宿痾」なのである。

別にアメリカ軍の責任をもっと厳しく追及しろとは思わない。しかし戦争という国と国との戦いの中で、常に犠牲者と加害者がいて、そのどちらも当事者だということは「東京大空襲」でも忘れてはならないことだ。
また、国民は「犠牲者」、国は「加害者」という分け方は、物事を必ずしも正しく理解することにはつながらない。わわわれ「国民」自身も「加害者としての自分」を引き受けなければならない。

それができないと、名古屋市長の河村たかしのように、「南京大虐殺はなかった」ということを公人として平気で発言する人間が出てくる。

「宿痾」は治らない。治そうとしても無理だ。だからこのこのメタリティーを持ちながら、上手に付き合っていくしかない。
※虐殺の規模についてはいろいろ論争はあろうが、「なかった」という論は異常だ。それも根拠が、そういうことはなかったと叔父から聞いたという「伝聞」でしかないのは驚いた。彼を市長に頂く名古屋市民はあわれだ。

野口みずきは、尾崎好美 女子マラソンの2人の闘い方に学ぶ

日本人1位 尾崎好美
日刊sports webより引用
名古屋ウィメンズマラソンは、尾崎好美(30)が日本人1位(2時間24分14秒)になり、五輪の金メダリスト野口みずき(33)は6位(2時間25分33秒)に沈んだ。
野口はレース前半でペースメーカよりも前に出てレースを引っ張ったが、17㎞付近で先頭集団から脱落。後半一度は先頭集団に追いつく粘りを見せたが、登り坂でついて行けなかった。尾崎は反対に常に先頭集団にいながら決して前に出ることはなく、うまくレースを運び、スパートしたロシアのマヨロワにはついて行かず、「日本人1位」にこだわった走りで、最後に中里麗美を振り切った。
野口はなぜ、シロウトにも無謀と思えるペースメーカーの前に出る走りをしたのか。おそらく最初からじわじわ差をつけて行き、その貯金で走り抜かなければ勝てないと、「一発勝負」に出たのだろう。、年齢的なことこ、股関節の故障のことなどから、後半でスパートされるとついていけないことをすでに悟っていたのだ。しかし、それは実を結ばなかった。

尾崎はしたたかに、いわゆる「勝負にこだわった」。彼女の(今回のレースの)目的が「五輪代表になる」こと、その1点だったことがよくわかる。無理もない、2度レースで失敗していて、今回が最後のチャンス。また年齢からするとロンドン五輪の次はないからだ。
このブログを書いているころには、おそらく五輪代表に内定するだろう。(午後3時40分 内定のニュース速報が流れた。)

しかし尾崎は、おそらく五輪では勝てない。どのくらいの成績を残せるか想像できないが、8位入賞が精一杯だろう。でも彼女にとっては初めて(そして最後になるであろう)五輪の大会に参加することが目的なのだから、きっとそれで彼女自身は満足するだろうし、周囲や日本の観衆もそもそもそれ以上を期待はしない。そして尾崎は五輪参加を契機に、レースからは引退する(はずだ)。

泣きながらフィニッシュ
野口みずき
日刊sports webより引用
しかし野口みずきは、たとえ選考レースに勝って五輪代表になっても、アテネのメダリストという接頭語は消すことができない。再び金を期待されてしまう。そのことを彼女は無意識に悟っていたのだ。だから「引っ張るレース」展開をした。レース後のインタビューで野口は、もう一度、多くの人たちの声援を受ける五輪の舞台で走りたい、という趣旨のことを言っていた。彼女にとっての「承認要求」は、かつて味わった「五輪で優勝して注目されること」だったことがわかる。
比較的地味な野口は、五輪後、高橋尚子のようにはマスコミにもてはやされることはなかった。彼女を奮い立たせるものは五輪への道以外見つけられなかったのだ。

スポーツ選手には2タイプがあると思う。ある程度の成果を残すと、スパッと引退し、他の展開を考え道を歩むタイプ。もうひとつは、ずっと現役にこだわるタイプ。どちらがいいとか悪いとかという問題ではなく、生き方の問題だ。なぜ現役にこだわるのか、それぞれ理由はあるのだろうが、その一つが「過去の成功体験」の呪縛なのかもしれない。(野口がそうだとうは、必ずしも言えないと思うが・・・。)

成功体験と、それに伴う注目、賞賛の目が忘れられず、同じものを追い求めてしまうことは、ヒトに限らず企業の生産活動でもよくあることだ。しかし、願いが成就しない場合、傷が深くなり、ますます「成功体験」の夢から抜け出せなく陥穽もあることは、認識しておかなければならない。

尾崎の選択は、「身の程」を知った走りだった。そして彼女は「身の程」の生き方をこれからも選択するのだろう。それも悪くはない、と思う。

PS:
まだハーフの距離しか走れない私にとって42,195㎞を走り切る時に「どう走るか」というその構成は想像もつなかない。でも2時間20分~25分という長い時間の中で、「1分」という差が、そんなにたやすいものではないことは、少しは分かる。


2012年3月8日木曜日

「穢れ」と「言霊」。 原発問題、がれき問題の根っこはこれだった。

朝日に載った環境省の全面広告 山手線の吊り広告にもあったが、
なぜか、読売、日経などでは見かけなかった。
東日本大震災によるがれき問題で、環境省が朝日新聞に協力を呼び掛ける全面のカラー広告を出した。政府も野党も自治体に対して協力を促している。
なぜ放射能とまったく関係ないがれきまで、受け入れてもらえないのか。一部のヒステリックな人々が強い拒否反応を示すのか。

一番納得のいく説明がされたのは、精神科医の斉藤環氏だった。
2月26日の毎日新聞紙上で、斉藤氏は言う。
「通常の地域エゴと様相が異なるのは、津波による被災地のがれきまで、ほとんど放射性廃棄物も同然の扱いを受けているから。これは京都の五山送り火で、岩手・陸前高田の松が拒否された時点で予想されたもの。最近でも子どもに青森の雪を見せようとした那覇市の企画が反対の声でいったん中止に。こうした反応の根底には「放射能=穢れ(ケガレ)」の発想がある。」と。


震災直後には、福島で製作された橋げたが西日本の自治体で拒否されたこともあった。福島県産だけでなく被災地域の農畜産物を忌避する、いわゆる風評被害も同様の構図だろう。メンタリティーも含め、それらは「不浄」なものとして日本(特に西日本)の(一部の)人々に意識化されているのだ。


斉藤氏は「戦後日本でケガレが科学的根拠を圧倒したケースは「らい予防法」くらいしか思いつかない。」と書く。一番納得のいく、「腹に落ちる」説明であった。


では「放射能は穢れた存在」という「空気」が醸成された要因はどこにあったのだろうか。政府のアナウンスの不手際。(結果責任はあるものの、初めての事態で同情の余地はあると思うが・・・)、そしてマスコミの冷静さを欠いた報道。受け取る側のリテラシーの問題。すべてが相まって、穢れの「空気」が出来上がった。これが日本人のエートスなのだろう。


一方、原発問題について、どうして安全が確保されなかったのか、いわゆる「原子力ムラ」が形成されたのか、雑誌エコノミスト(2011年6月7日)で、2人の経済学者が鋭い指摘をしている。大垣昌夫(慶応教授)・大竹文雄(阪大教授) 。

「ことばには霊の力があるから悪いことを言うと実際にそのことが起こる」という古代からの言霊(ことだま)信仰 故に 「最悪の場合」は可能性があっても言及しないよいとされる」。「現 代日本社会の考え方は、言霊信仰そのもの。この文化の最大の欠点は最悪に場合について冷静な議論をし ないこと。」だと指摘する。

「本来官僚が担ってきた役目だが、官僚は自分の任 期内に最悪のことが起こらない可能性が高いなら沈黙を保つ。 原子力の安全神話維持されてきた背景はここにある。」と。
同様の指摘は確か東洋経済誌上で北川達夫氏もしていたようい記憶する。

原発を建設・維持していく過程で、少しでも「安全性は絶対ではない」という、いわば当たり前のことが、電力会社も政府も公の席では絶対口にできなかった。つまり「絶対安全」という説明をするしかなかったのだ。

日本人の「不吉なことを言うと本当になる」という、言霊信仰がために。
そしていつしか、原発当事者たちは、「絶対安全」という自らの「主張」に縛られ、最悪の場合の備えを怠ってしまった。「原発の安全神話」は、当事者たちが進んで作り上げたのではなく、大衆の要求によって作り出されたのであろう。

「原子力ムラ」はさんざんメディアで叩かれ、今回の事故の諸悪の根源、つまり「原因」として描かれた。しかしそうではない。最初からムラが形成されていたのではなく、原子力政策が、反対運動の中で進められていくなかで次第に身を寄せ合ってできた「結果」なのである。

電力会社や政府を擁護するつもりはない。当然結果責任はある。しかし彼らの瑕疵の一端は、われわれの側にもあるということだ。いま、巷で蔓延する「ゼロリスク」信仰も、言霊信仰と同類のものだろう。

「穢れ」といい、「言霊信仰」といい、どうしてわれわれはこうした「迷信」に縛られるのか。自らは「合理的だ」と思っていても、やはりその呪縛から逃れられていない自分の自戒も込めて。


ジャックラカンは難しい、
私には。しかし読む価値はある。
毎日新聞の斎藤環氏のコラムはしばしば鋭い。
ジャック・ラカンの解説本だと思って読んだが、正直ちょっと難しかった。しかしラカンに接した初めての本でもあり、「読んでよかった」。





2012年2月27日月曜日

14位に沈んだ川内。ほくそ笑む日本陸連。東京マラソン

2月26日の東京マラソンで、川内選手は14位に沈んだ。その日のスポーツニュースも翌日の新聞もあえて見ていないので原因や彼の「その後」は知らないが、日本テレビの中継を見ている限りにおいては2つのことが分かった。

①日本陸連はほくそ笑んでいる。
前にも書いたが日本陸連は川内の存在には「戸惑って」いただろう。何しろ、お金と時間をかける日本陸連がエリートとして育てる(と、思う)実業団ではない市民ランナーの活躍は、彼らの面目をつぶすものでしかない。実際、福岡国際マラソンでの瀬古(陸連理事)での冷たいコメントはそのことを如実に表していた。今回、川内が25㌔に至る前に脱落すると、瀬古はほとんど彼にコメントしなくなった。
7分台を出した藤原(時事通信より引用)
「川内が遅れた!」と絶叫する実況のアナウンサーのコメントだけがむなしく響いていた。その中で、サブ解説の高橋尚子のコメントは的確だった。
「川内の存在は、間違いなく実業団選手のプライドをを刺激し、奮起につながった。その意味で彼の存在は大きい」と。
陸連所属の藤原の勝利(日本人2位)とタイムは陸連の面目を回復した。ただ陸連にとっては手放しで喜べないだろう。7分台を出した藤原は30歳。おそらく陸連的には過去の人だったはずだ。だから実業団の所属の斡旋もうまくいかず彼はフリーでプロ走者としてやってきたのだ。彼らの意中の選手たちが活躍したのかどうかは、分からない。藤原の頑張りは賞賛に値するし、見ていて、疲れを感じさせぬ走りには敬服した。(彼については、また別項で論考したい。)



②川内の誤算とおごり。
東京マラソンまでの数日、マスコミは川内を取り上げていた。読売、東京はスポーツ面で3回に渡る連載。朝日も囲み記事。NHKの首都圏ニュースでの企画等々、「市民ランナー」として、五輪を目標に果敢に挑戦するアスリートとして。
マスコミはどうして彼を取り上げるのか。東京マラソンが行われるまでは、五輪に一番近い選手であるというあたりまえの事実に加え、市民ランナーという称号のついた川内は読者・視聴者により近い存在として認識されているからだろう。彼が誰のコーチも受けず“独力”で勝ち取ってきたものは、それだけで市民感情を刺激する材料だ。彼の定時制高校での普段の仕事ぶりや公園を走る姿、また畳の自室でのトレーニング姿が繰り返し流されてきた。つまり彼はそうした自分を取材させてきたのだ。
川内はレースに出て、声援を受けることが一番の練習だとい言っている。メディアに露出することもまた、彼にとって発奮材料にしてきたのだろう。あえて7分台を目指すと宣言するまでに至っていた。
しかしそこに陥穽(落とし穴)があったように思う。

ひとは誰しも、「独力」で、ある程度のところまではうまくいくことがある。そうすると、その方法が一番と思い込み、冷静な分析や検討、改良がなされなくなる。いわゆる思考停止だ。うまくいっている時ほどその陥穽にはまってしまう。

事前記事を読んでいて、彼が福岡国際マラソンのあと、ハーフで自己ベストを出し、またフルも走っているというのを知って、シロウトの私もさすがに「走りすぎでは」と思っった。
人間はそれほど緊張感を保てるものではないし、身体的な疲労の蓄積もあったことだろう。
そのことに早く気づくべきだったのだ。しかし彼にとっては「レースに出続けること」が唯一の選択肢になり、他の方法論を考えることができなかった。これまで彼なりにうまくいっていたが故に、川内にもおごりがあったのだ。

彼にはもっと記録が伸びる素地があると思う。ただし、それは科学的なトレーニングを行って初めて可能なのである。市民の応援などという「精神論」では、とうてい太刀打ちできないことを知るべきだろう。もちろん陸連の「仲間」に入って彼らの言うとおりにしろとは思わないが、よき先達を得ることが必須だろう。もし彼にもっと記録を伸ばしたいという思いがあるのなら。

※五輪を目指すことがそんなに大切なのかどうか、私にはわからない。スポーツ報道を読んでり見たりしていて、五輪至上主義には違和感を覚える。このことについてはまた別の論考にしたい。ナショナリズムと国民性の問題として。

2012年2月17日金曜日

「プロ野球キャンプ」報道って何?ニュースは「ある」のではなく「作られる」のだ。

2月になるとテレビのニュースショーのスポーツコーナーやスポーツニュースでは「プロ野球キャンプ報道」というのが花盛りだ。ほとんどこれしかやっていなと言ってもいい。もともとスポーツニュースが嫌いなので気にすることがなかったが、生意気盛りになった愚息がスポーツニュースを見るので一緒に見てしまっている。(嗚呼)

そもそも「プロ野球のキャンプ情報」て、なぜあるのだろうか。おそらくまだ、サッカーやそのほかのスポーツが報道としてあまり盛んでなかったころ、2月のネタ枯れの時期の穴埋めとして始まったのではないか。それが今でも、相も変わらず続けられている。中畑清の言動を追いかけることが、何なの。一昨年、冬季五輪が行われた年は、こんなにキャンプ情報はなかったように思う。
サッカー(Jリーグ)で、キャンプ情報をこれほどまとめて分厚くするのを見たことがない。

プロ野球キャンプ情報のオンパレードは、マスコミ報道というものが、
常に「横並び意識」でなされていることが、本当に典型的に表れている。それと、「ニュースバリューとは、常に相対的なものであり、多くのニュースは“ある”のではなく“作られる”」ということを思い出させてくれる。
ぼんやりテレビを眺めてしまうと、そうした基本的なことさえ、つい忘れがちになる。
ほとんど意味のないものを見て貴重な時間を費やしてしまうことについて、
自戒を込めて「気を付けなければ。」

人はしばしば「反対」のことを言う。

かつて職場で、上司に企画を出すと、「ぼくは、こういうn好きなんだけど・・・」と言う輩がいた。ウブな私は、そうか気に入ってくれているんだけど何かが足りないんだな、と考えて、その企画を通そうとブラッシュアップして、再びその企画を出したりしたが、結局却下されていた。
「好きなんだけど・・・・」という言葉が「嫌いだ」と翻訳されることに気付くのにしばらく時間がかかってしまった。(バカだね)。

ヒトはしばしば考えと反対のことを言う。

小沢一郎という政治家は、よく「政策が一番」、「国家国民のため」と口にする(と報道されている)。小沢も「反対のことを言う」輩だろう。実はこの人にとって「政策」は一番のウィークポイントであり、だからこそ「政策が一番」とわざわざ言うことになるのだ。本人が意識しているかどうかは分からないが、新聞報道でこの人言動を見ているとそれがよく分かる。
政策を高い次元でよく考えている岡田や野田などは、「政策が一番」とは言わない。言う必要もないのだろう。それが政治家の本分だと分かっているから。

このことに関して、なぜか古いことを覚えている。
長嶋茂雄が読売“巨人軍”の監督を「解任」されてから、監督は、藤田、王、再び藤田となった。(この辺の事実う関係は覚えてなかったのでネットから確かめた事実うです。)
さて次の監督は誰かという時、マスコミは読売の総帥渡辺恒夫を追いかけていた。
この時、だれの名前が挙っていたかは覚えていない、広岡だったか、中畑だったか、誰かは知らない。でも長嶋も「候補のひとり」と目されていた。(確か。)

※若い人には想像もつかないかもしれないが、長嶋が再び読売巨人軍の監督をやるというのは、当時ではかなりビッグニュースになる話しだったのだ。

渡辺は、追いかけるマスコミに「監督は実力で選ぶ」とぶらさがりで言っていた。偶然、これを伝えるテレビのニュースを私は見ていた。渡辺の言葉を“真に受けた”多くのメディアは「長嶋の目はなくなった」というニュアンスで、次の監督選びを伝えていたように思う。
しかしフタを開けてみると、長嶋茂雄の再登板。野球ファンならずとも世間は驚いた。
この経緯と結果を見て「はは~ん」と思った。
渡辺は人気で監督を選んだと批判されることを恐れ、すでに意中に長嶋がいたからこそ、あえて「実力で選ぶ」とマスコミに流したのだ。つまり、誰もが「“実力”より“人気”の長嶋」と、思っていた中での、「実力で選ぶ」だったのだ。

渡辺の「反対を言う」ひと言は、長嶋を守ったと同時に、自分への批判も封じた。
言うまでもない。長嶋は実力があるから選んだのだから、このころ営業的にはおそらく下降気味だった中で、「人気者を選び、営業を優先した渡辺」と言われないですむ。
これは、渡辺恒夫の老獪な勝利ともいえるだろう。メディア取材は見事に彼の「反対のことを言う」戦術にはまったのだった。

「反対のことを言う」のは、他にも多々あるだろう。
中曽根の「死んだふり解散」なんかもそのひとつか。(詳細は知らいないけど)

「反対のことを言う」とは「ウソをつく」こと。ウソで検索したらこんな本が出てきた。
中身は知らない。読んでないから。