「猿の惑星」(1968年)より引用 |
新木場駅から辰巳の方向にトラックの行き交う国道を歩いて見つけた看板は、私にとって「猿の惑星」の「自由の女神」だったのかもしれない。
看板には「江東区夢の島1丁目1」と記されていた。
「夢の島」。
東京で小学校時代を過ごした中年以上の人にとって、「夢の島」とは、率直に言って「ゴミ」の代名詞なのではないだろうか。教科書だったのか、あるいは副読本だったか記憶にはないが、東京のゴミ問題として、ゴミの埋立地としての「夢の島」を習った。悪臭とハエやカラス、風が吹くとほこりの舞いあがるタイヘンな所というのが、脳裏にある「映像」だ。
そして朝日新聞の「サザエさん」を“読んで”いた私にとって結構鮮明に覚えている漫画がある。
①デパートの(高級)食堂で、優雅に座る和服姿のひとりの婦人
②混んできたのか、もう一人の品のいいご婦人が合い席を願でて快く承諾する。
③世間話しから、「どちらかですか?」という会話が交わされる。
④オチ。ふたりとも着物の袖をまくって、「杉並区としては・・・」、「いいえ、江東区では・・」と興奮して言いあっている。
というストーリーである。
70年代の「夢の島」(東京都のサイトより) |
それが、サザエさんの漫画で描かれた構図でもある。
でも東京ゴミ戦争は、東京の城南地区で小中学生時代をすごした私にとって、「どこか別の地域の話し」という感覚だったと思う。地域にはまだ下水道はなく、糞尿を処理するバキュームカーが来たし、親が「クズ屋さん」と呼んでいた、今でいう資源ゴミ(鉄くずや木切れなど)を持っていく業者もいた。また新聞のちり紙交換の車が住宅地を走り始めたのもこのころだったかもしれない。
日常生活の中で、そうしたゴミは「誰かがどこかに持っていってくれるもの」であり、その先の想像力はなかった。サザエさんの漫画もベトナム戦争や学生デモと同じように「他人事」だったのだろう。
氷雨の中でトラックの水しぶきをよけながら歩いていて見つけた、「江東区夢の島1丁目1」の看板は、そんな自分の過去を喚起させた。
1970年からすでに40年以上。「夢の島」問題は、もはや歴史となった昔の話しなのだろうか。確かにここは公園になり、また事業所も立ち並び、そして埋立地の先にはつい最近新しい橋もかかり「発展の一途」をたどっているかもしれないし、江東区を「ゴミの区」と思う人よりも、お台場や高層マンションの所という印象を持つ人の方が多いかもしれない。しかし東京のゴミ問題は相変わらず続いているし、それは単なる「処理」の問題というより、地域社会の問題としてクローズアップされている。
市長の辞任にまで発展した小金井市と近隣市との処分場をめぐるトラブル、被災地のがれきの受け入れ等々、ゴミ処理場という「迷惑施設」の問題は、永遠のテーマなのかもしれない。
夢の島から辰巳へが運河を渡る 左奥が「辰巳国際水泳場」だ。 |
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