2015年8月1日土曜日

木曽御嶽山の「捜索再開」に、あえて異を唱える。+追記

netより「引用」

 57人が死亡し、戦後最悪の火山災害となった木曽御嶽山の事故。先日9か月半ぶりに行方不明者の捜索が再開された。
 昨日1人の遺体が発見されたが、なお5人の不明者がいる。不明者の家族にとって肉親がどうなっているのか、自分の気持ちの整理をつけるためにも早く「発見」してもらいたいと思うのは、ごく自然なことだ。私自身も登山をする子どもがいるし、自分も登る。
 もし何らかの事故に見舞われたら同じ気持ちになるだろう。だから、そうした家族の気持ちを何ら否定しない。人として大切なことだ。
 しかし、それと捜索を続けることは分けて考えなければならない。1人の遺体が発見されたということは、他の5人についても発見の期待が高まる。家族にとっては朗報だ。最後のひとりが発見されるまで、捜索は続けられるのだろうか。

これまでのべ何千人もの人員が投入され、標高3000mを超え、しかも火山灰で埋め尽くされた過酷な条件の中で、捜索は行われてきた。それはすべて「税金」で賄われている。それがはたして「正しい」ことなのだろうか。

netより「引用」
人命は何よりもまして重要だ。生きている見込みがあれば捜索を続けてもらいたい。しかし災害では72時間と言われる生存確率の高い時間を経過した場合、それは、マスコミは絶対そういう表現は使わないが、「遺体の発見」のための捜索になる。
 
 宗教観はひとそれぞれだが、日本人はどうちらかというと「遺体」にこだわる傾向があり、残された家族も「発見」が「けじめ」と感じる。だから行政も「家族の気持ちを組み」「遺体の発見」に多大な人的、金銭的資源を投入するし、そうせざるおえない状況になる。

テレビも大衆紙も企画を組んで、「残された家族の思い」を大々的に伝え、それが行政の方向性すら左右するようになっている。でもそした流れには、何か違和感を覚える。

 行政が何に税金を使うかは、形式的に言えば選挙民選んだ「選良」が代議して決めるのだが、実際は、大くの場合、首長の方針で決まる面がある。首長にとっては「残された家族に寄り添う、やさしいリーダー」というイメージは選挙でプラスに働くだろう。そしてこういうことに対して、注文をつける(文句を言う)ことははばかられるから、ほとんど批判の声はあがらない。

netより「引用」
かくして捜索は冬直前の山が危険になる時期ぎりぎりまで続けられ、そして再開された。だれも文句を言わないどころが、まるで日本国民全員がこの日を待ち望んでいたかのような雰囲気にメディアも静かに「訴える」。

本当にこれでいいのだろうか。今回は「戦後最悪の火山災害」という冠(カンムリ)が付いている。しかし災害による行方不明者はすべてのケースについて公的資源で捜索が続けられる訳ではないだろう。実際海難事故ではある程度日数が経つと打ち切られる。1、2人の行方不明の山の事故は限りなくあるが、延々捜索が続けられる訳ではない。

「火山災害は予測不可能の突発事故であり、その意味では被害者に瑕疵はなく、他の災害といっしょにできない」と言う人もいるだろう。しかしどこまでが自己責任でどこから「災難」なのかなんて手線引きはできない。身もふたもない言い方だけど、運・不運もある。

私はこう考える。生存のみ込みがあるのなら、行政が捜索を続けることに異議はない。繰り返しになるが人命は何よりも大切だからだ。しかし72時間が経過したら、(もちろんもう少し見込んで1週間としてもいいが)、それは「遺体発見」の捜索になるのだから、捜索にかける費用対効果も斟酌して決定されるべきだ。打ち切りも当然あってよい。

残された家族も意識を変えることが必要だ。冒頭に記したように気持ちは理解するが、「カオを見るまでは『死』を信じたくない」という、素朴な思いを乗り越え、現実を受け入れ生きていくことが、長い目でみれば必要だ。それが“遺された人”にとっても責務でさえあると思う。

だから捜索再開には「反対」する。
悲しみの気持ちを乗り越えて生きていく「強さ」が家族にも、行政にも求められている。


追伸
8月6日。長野県は捜索を中止することを決めた。理由の詳細はあまり報道されていないので、わからないが、常識的な判断だろう。
オカシイのはメディアの方だ。捜索再開の時は、多くのメディアで(少なくとも、私が通常見ているテレビの公共放送や築地に本社のある新聞)、「捜索再開を待ち望む家族の思い」を大々的に伝えていた。それも見ている側、読む側が、感度移入しやすいストーリー仕立てで。しかし捜索の打ち切りを伝える報道はほとんどベタ記事だった。
遺族にしてみれば、梯子をはずされた思いだっただろう。
マスコミはずるい。論理の一貫性から言えば、「最後の一人が見つかるまで捜索を!」と主張しなければオカシイではないか。
場当たり的、その時、その時で読者・視聴者を獲得できればいいという姿勢そのものだ。
彼らメディアは「報道とはそういうもの」としたり顔で言うだろう。だから信用されないということに気付いていないのか、分かっているけどやめられないのか。おそらく後者だろうが、火山噴火に散った人々やその家族は「いいネタ」として消費されただけだった。

山をやるものとして、彼ら犠牲者に、合掌。







2015年7月30日木曜日

タバコを巡って② 受動喫煙の健康被害を軽んじる渋谷区

 いわゆる「シブヤ」=ハチ公のいるスクランブル交差点を中心とする繁華街とその周辺部は、渋谷区の一部かもしれない。が、同時に渋谷区のカオでもある。以下、このシブヤでの話し。

  この7月から再び渋谷区内に通勤するようになって、改めて気付いたことがある。いわゆる若者(バカ者とも言う)は、人の迷惑に無頓着な輩が多いということだ。しょっちゅう歩きたばこに遭遇する。そのたびに、有害紫煙に恐怖して避けて歩かなければならない。

 渋谷区に喫煙条例はないのだろうか。調べてみたら、なんと、ないのだ。
あるのは単に吸い殻を路上に捨てるのは禁止」というだけだ。そしてその罰金は「2万円以下」

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【参考】 きれいなまち渋谷をみんなでつくる条例    平成九年一二月二日
(禁止行為)
第十一条 何人も、公共の場所等にみだりに吸い殻、空き缶等を捨ててはならない。
2 何人も、落書きをしてはならない。
3 犬の飼い主又は管理する者は、公共の場所等で、犬のふんを放置してはならない。
(吸い殻入れ等の設置及び管理)
第十二条 たばこ及び飲料の自動販売機を設置し、又は管理する者(以下「自動販売機設置者等」という。)は、吸い殻入れ又は回収容器(以下「吸い殻入れ等」という。)を設置し、これを適正に管理しなければならない。
(罰則)
第二十二条 第十一条各項の規定に違反した者は、二万円以下の罰金に処する。
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つまり、渋谷区では吸い殻を捨てることは罰金2万円以下の禁止行為だけど、路上喫煙は、条例
では何も制限されていない。条例に従えば、どこでも携帯灰皿を持っていれば歩きタバコもOKとい
うことだ。
なーんだそうんだったのか。これでは、路上喫煙がなくならいはずだ。

こう書くと、渋谷区の役人から反論を受けるだろう。

区は「渋谷区分煙ルール」を定めて「歩行喫煙はしない」「たばこは決められた場所で吸う」という運動を“推進”している。しかしそれは条例でない。だから罰則規定もない。
この「決まり」って何なの?。どうやってこれを守ることが担保されるのか。
しかもこの「分煙ルール」は、ご丁寧に、主要駅から半径300m以内を「重点地区」と定めている。半径300mをどうやって定義するのか。大平原でもあるまいし、どこからどこまでが300mなのか、分かりようがない。
また重点地区を定めるということは、重点地区以外は守らなくてもいいと言っているに等しいということではないのか。重点地区では何か特別に行政マンを配置するなど施策をしているのだろう
か?。さっぱい理解できない。
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/env/en_eventact/bunen2.html
確かに、条例でなくてもルールを設ければ、多くの“こころある”人はそれに従うだろうし、その意味では一定の効果があることは否定しない。しかし問題は「少数かもしれないが、ワルをどうするか」ではないのだろうか。そのために法律や条例というものがあり、抑止力として罰則規定もある。法治国家なんだから。

 卑近な例を出そう。
 殺人罪がなくても、大多数の“善良な”人々は人を殺したりはしない。窃盗だって同様だ。多くの人は、法律がなくても人様のものを盗み出したりしないだろう。それは殺人や窃盗がフツーに行われる世の中だと安心して暮らせない。それは自分たちの社会が成り立たないということを「理解」しているからだ(と、思いたい)。

 しかし、「殺人罪」という法律があるのは、多くの理性的な人々の中に、ごく少数だが殺人を犯す人がいるかもしれないからだ。実際、いる。だから罰則を設けて「禁止」している。

1000人が暮らす町で、999人が善良な人々だとしても、1人だけ殺人を犯す人いたら、この町は「怖い所」になってしまう。たったい1人、0.1%が、すべてをブチ壊す。だから「禁止のルール」は「少数者」のために存在する。

渋谷区の施策に話をもどそう。
ルールはなぜ存在するか、という原理的なことを斟酌せずにただ「禁煙ルール」を定めましたと言っても、それは実効性が担保されないし、そもそも説得力も何もない。

 おそらく、条例を策定する際に、愛煙家の区議や役人が「たかがタバコ、そんなに厳しくしなくても」「まあ大目に見て・・・」などと考え、ブレーキをかけたのだろう。そして妥協案として、なんら法的バックボーンがない、曖昧な位置づけの「禁煙ルール」みたいなことを決めた。

喫煙所からいつもはみ出ている。ちゃんと中で吸え!(netより引用)
役人も区議も、彼らはそのルールの実効性などどうでもいいと思っている。ただ、自分たちはちゃんとルールを作り、タバコの害から「区民等」を守りましたと、言い訳の材料にしただけだ。
健康を害する、また子どもなどの目の高さにあり危険とさえいえる「歩きタバコ」問題は、こうして処理された。バカにされたものだ。

ついでに言っておく。本日、悪名高いセンター街を歩きながら、吸い殻がどのくらい落ちているか数えた。スクランブル交差点までおよそ30メートルの距離だけだが、概算で50は下らなかった。条例の罰則の最高額2万円が課徴されたとしたら、これだけで100万円分だ。

渋谷区の役人は条例をどう生かしているのだろうか。この条例を駆使すれば、毎日数千万円の収入があるだろう。それをまったくやらない渋谷区は、もはや条例すら形骸化させているということだ。

性的少数者(同性愛者)を認めるのもいいけど、「区民等」の健康と安全を守るためにもっとやるべきことがあるんじゃないの。シブヤ区は。
斉藤 環さん(精神科医・評論家)の言葉を借りれば、渋谷区はそこにたむろする若者だけでなく、
区役所の職員、区議も「ヤンキー化」しているんだろう。



ちなみに隣の新宿区では、
「新宿区空き缶等の散乱及び路上喫煙による被害の防止に関する条例」で、
(路上喫煙の禁止等) 第 8 条 区民等は、路上喫煙を行ってはならない。ただし、区長の指定する場所においては、 この限りでない。と、
はっきり路上喫煙の禁止を謳っている。ただし罰金などの罰則規定はない。

一方、第 7 条では「 区民等は、道路、公園、広場、公開空地その他の公共の場所に空き缶等をみだりに捨 ててはならない。」と言い、2万円以下の罰金も設けている。

空き缶を捨てるのは2万円以下の罰金だけど、吸い殻はいいらし。
新宿も渋谷も目くそは鼻くそだね。これ以上、バカらしいから調べるのはやめるけど、まあまともな条例があるのは千代田区くらいかもしれない。 以上、バカらしい話を延々書いて疲れた。




2015年7月28日火曜日

タバコを巡って① やめて分かったこと

  完全に“禁煙”してもう12年以上になるので、いまさら「禁煙」という言葉を使うのもオカしいけど、東京の街中を歩いていて、喫煙者の人々に対して一家言したくなるのは今も変わらない。

自分が“加害者”であった時、人の痛みは分かりにくい。被害者になって初めてその痛みが分かる。

 昔、タバコを吸っている時、周囲には十分気を付けていた・・・つもりだった。だけどそれが如何に不十分であり、迷惑をかけていたかは、タバコを止めて初めてて正確に分かった。

 今はタバコの匂いがたまらなく嫌いだ。まして近くで紫煙を吸わされるのは拷問に近い。外で10m離れていても、風向きによってはタバコの匂いにすぐ気付く。それほど敏感になった。

 タバコを吸った人がエレベーターに乗ってくると、吐く息の匂いにすぐ気付く。息苦しくなりさえする。ここに被害者意識が根強く芽生える。そしてその度に、かつての「加害者」としての自分を思い出すのだ。

 だから、よけいタバコの煙を毛嫌いする-ことにしている。それは、かつて加害者であったことの免罪であるのかもしれない。

 「あなたたちのタバコは周囲に非常に迷惑をかけていますよ」というメッセージだ。
喫煙者であったころ、もちろん一緒に暮らす妻に多大な迷惑をかけてきたにちがいない。
自分では気を遣っていたつもりだが、そうれはほとんど無意味な「気遣い」でしかなかっただろう。

この7月から再び渋谷に通勤するようになって、いくつか気付いたこと、感じたことがある。いわゆる若者(バカ者とも言う)は、人の迷惑に無頓着な輩が多いということだ。しょっちゅう歩きたばこに遭遇し、そのたびに避けて歩かなければならない。

渋谷区に喫煙条例はないのか調べてみたら、なんと、ないのだ。あるのは単に吸い殻を路上に捨てるのは禁止」というだけだ。その罰金は「2万円以下」

いったい路上喫煙、歩行喫煙対策はどうなっているのだろう。渋谷区を始め23区のちぐはぐな対応が気になった。(以下別項)

2015年7月26日日曜日

出張先で「朝ラン」大阪城、札幌・豊平川編

外堀の外周は広々として走るのに気持ちがよい

 勤務先がかわり1か月。各地への泊まりの出張が続いた。バッグにランニングシューズとウェアを忍ばせて朝ランを楽しんだ。(「忍ばせ」とはちょっと紋切型の表現か。カバンの中の大部分を占め堂々と一式用具は入っているのだから。)

 7月初め大阪へ出張。大阪府警の近くの宿だったので大坂城を走る。朝5時30分ごろだったか、結構人がいるのには驚いた。走っている人、散歩している人、犬を連れている人と様々だ。1週は4㎞弱。2週走ってから内堀を渡って石垣の中に入っていく。
天守閣前の広場ではラジオ体操が始まった


 ラジオ体操が始まっていた。300人以上はいる感じだった。天守閣を間近に見上げながらの体操は心地よいのだろう。常連と思われる人々は多くが年配者だ。

 天守閣の裏側へ回り、10m以上もある石垣の真上から下を覗いた。弓なりに精巧に組まれた石垣は頑強で、ちょっとやそっとの攻撃では落とせないんだと実感した。

 また、内堀は外堀より一段高いとことにあり、例えば堀を渡る船を持ってくるにも一苦労するのだろうと思った。

 江戸城(皇居)より一回り小さい大阪城だけど、その堅牢さに触れ、これでは家康も、堀を埋めさせなければ落とせなかったんだと、妙に歴史を感じてしまった。

 大阪城ランは楽しく、午前中に乗った帰りの新幹線ではゆっくり睡眠がとれた。(笑)


外堀ごしに見えた天守閣
内堀の石垣。真上から見ると結構な迫力












天守閣裏からみたビジネスパーク方面







見事に組まれた石垣だ



















豊平川 河川敷が広く気持ちいいい

 7月23-24日に札幌に出張。泊まりは豊平川の豊平橋の近くだった。当初の予定では北大の有名なポプラ並木を走ろうと思っていたが、前日、札幌駅から用務地まで歩いた時、札幌市は道路が広い分、信号も長く、また最近はやりの「分離式?信号」で歩行者が「青」になるまで時間がかかることに気付いた。そうすると宿から北大まで町の中心を抜けていくには結構、ストップが強いられて走るにはちょっとイヤだなと思っていた。



遠くにテレビ塔が見えた

 そんな中、札幌の会社の方が「おススメは豊平川」だと言うので、近いこともあり、予定を変更。5時15分くらいから走り始める。
橋を渡って川の右岸(下流に向かって右側)に出て走る。おススメで言われた通り、すばらしいランニングコースだ。豊平橋周辺は自転車道とランニング・歩行者の道が分かれているし、そうでないところも比較的ロードの幅が広く、自転車がいても危ない感じがしない。




もっとも朝の5時台、ほとんど人がいなかった。前半はお年寄りの散歩とランニングする人数人に出会っただけだ。5時台も後半になると少し増えたけど、それでもたいした人数ではなかった。
札幌マラソンもあり、結構ランニングは盛んなところだと思うけど、これは少し意外だった。

場所によっては自転車と人が分離した道になっている

 東京では荒川でも多摩川でも河川敷は野球場やゴルフ場など広い「敷地」が目いっぱい活用されいて、走るには少々窮屈だ。それでも荒川は河川敷が広いのでロードも広くとってあるが、多摩川は、狭い。それも、一部を除いて、だいたいは土手(堤防)の上の細い所しか舗装されていない。
それに比べれば、豊平川は別世界だ。
河川敷はグラウンドなどがまったくない。(一部にテニスコートがあった)おそらく土地の広い札幌では、グラウンドを河川敷に作る必要がなかったのだろう。だからランには最適だった。
この時期の気候も東京にくれべて快適で、走ることを楽しめたひとときだった。

帰りに中島公園の中を北上して帰路についた。公園内は走る人も散歩する人の結構たくさんいた。また、近くのホテルに滞在しているのだろう、外国人観光客の姿も多く見かけた。
中島公園を抜けて、ススキノまで出て運河(?)跡の大きな通りに宿はある。

ススキノでは客待ちのタクシーが列をなしていた。この時間まで「夜の街」は続いているんだなあ。それより早起きしてランニングした方がよっぽど爽やかなのに、と思わずにはいられなかった。

以上、「出張ラン」報告。大坂、札幌に出張するラン人は、ぜひお試しあれ。





2015年6月30日火曜日

錦織圭はテニスを憎んでいる。だから、強くなろうとしている。

 全英オープンが始まった。
言うまでもなく日本の報道では、錦織圭がどこまで行くか、注目が集まっている。先日、NHKでは特集番組で錦織とジョコビッチの闘い(戦いではない)を“ビッグデータ”で分析していた。

 年に1日か2日しかテニスをしないシロウトの身には、技術的なことはあまり論じることができない。仮に少しばかりウンチクを述べたって、それは、床屋談義のレベルだ。それより、彼の「精神力」に注目したい。

 錦織の目は、テニスを憎んでいる目だ。彼は心の底ではテニスを好きではない(かもしれない)。だから彼はあれほど闘えるのだ。彼は対戦相手と「戦って」いるのではなく、彼を苦しめているテニスという魔物と「闘って」いる。
 
 松岡修造も、かつて確かに強かった。体格も欧米人に伍していて、当時多くのテニスファンが彼に期待した。しかし彼は、テニスを愛していた。そして性格としてサービス精神があり、周囲を楽しませるのが、無意識として(フロイト的に言えば「前意識」)働いていた。だから彼はいつも相手と戦うことを楽しんでいたのだ。それはそれで悪くない。しかし限界でもある。

ネットより「引用」
錦織は違う。彼は幼い時からテニスという魔物と出会ってしまい、それと闘うことを運命づけられたのだ。

 彼がアメリカのテニスアカデミーに留学したのは、テニスと闘いたかったからだ。それは「テニスを究める」なんていうレベルではない。どこにゴールがあるのか分からない奥義に分け入って退治しようと、幼心に思ったのだと思う。

 彼がいまやろうとしていることは、テニスが好きか嫌いかというレベルを超越している。おそらく今は、テニスを憎んでさえいる。

 しかし彼はその強靭な精神力があるから、憎いテニスに立ち向かい、ひたすら上を目指そうとしている。その闘いが良い結果を生んでいるのだろう。

彼を見ている(と言ってもテレビジョンで映し出される範囲ですけど)、決して愛想がいいという訳ではない。ファンあてのプロとして、メディアには大人の対応をしているが、それは松岡のように心からファンサービスがしたい訳ではないことは明らかだ。

 でもそれでいい。だからこそ彼の必死さがズンズンと伝わってくる。悔しかったらラケットをコートに叩きつけてよい。彼はテニス、ひいては自分自身と闘っているのだから。そういう強靭な精神力の彼を見習いたい。これが本当の闘う姿だ。

もちろん錦織だけでなく、トップに連なる選手はみな同じだろう。
コーチのチャン氏がこんなエピソードをインタビューで言っていた。
錦織が、ジョコビッチか誰かトップの選手を尊敬していると言うので、怒ったという。これから倒そうと言う人間を尊敬してどうする。そんなことでは勝てない、と。

「テニスが好き」「トップ選手が好き(=尊敬)」。
「好き」は人の心を優しくする。それは、あるシーンでは必要だが、闘うシーンでは邪魔な思想だ。
憎んでこそ、勝てるチャンスがあると思わなければならない。

結果がどうであれ、私は錦織の「目」に注目して全英を見たい。あまりテレビ観戦する時間はないけど。



2015年5月26日火曜日

ボディービルダー、オードリー春日はすごい。文句なくすごい。

TBS系の「炎の体育会tv」でオードリー春日の「ボディービルへの道」を放送していた。(5月23日)

春日はすごい。並大抵の努力では、2年足らずでこの身体を作ることは、なかなかできないだろう。

①トレーニング
番組によると、ほぼ毎日2~3時間の筋トレを行っていた。それだけ時間があるなんて言っては失礼だ。仕事以外の時間ほとんどを費やして、ひたすら筋肉増強に取り組んだ努力はすごい。

②食事制限・・・これがすごいところだ!
食事は鶏ササミ肉と卵、キャベツだけ。
食べるという動物にとって最もと言っていい「欲望」=食欲に打ち勝つのは、なかなかできることではない。これは最後の減量期の一番キツイ食事なのかもしれないが、
カラダの脂肪を落とすために、かなりの食事制限を行ってきたことは想像に難くない。
これには、かなりの忍耐力と胆力が必要だ。
ネットより「引用」

筋肉を付けている人は、結構見かける。簡単とは言わないが、トレーニングをすれば筋肉は付く。たいていは筋肉の上に脂肪もある程度まとっている。
しかし春日(や他のボディービルダー)のように、ここまで脂肪を落とした人はなかなかいない。
大会に出てくるような人たちは、みな同様の努力をしているのだろうが、相当な苦痛を伴う生活だと思う。

「苦痛」とは、痛みということではなく。「欲望に打ち勝つ」苦痛だ。食べたいと思うものを食べないのはストレスでもある。

ボディービルはこの2つを成し遂げて初めて成し遂げられる。

他のスポーツのアスリート、たとえば水泳やサッカー、野球などでは、トレーニングはタイヘンでも、その代償として、食事はストレスを解消するものとして、(もちろん栄養バランスを考えて)好きなものを食べることができるだろう。
他のスポーツにしても食事制限がここまで極端なものは、私は知らない。
しかしボディービルは、アスリートとはちょっと違う。“余計な”脂肪を落とすために、極端な食事制限をしなければならないのだ。
その努力=欲望との闘いは、並大抵のことではできない。

また、春日がエライと思うのは、番組では、そうした苦労をまったく見せずに笑顔でいたことだ。
「オレはこんなに頑張ったんだぞ」なんて表情は見せず、あくまでお笑いタレントとして振る舞ったところに共感する。
「イヤー、タイヘンでした」などと言ったら、彼の魅力は半減する。苦労したところを見せず、訴えず静かに「結果」だけを示していた。
それはまた、この番組の構成・演出、もっと細かいことを言えばVTRの編集が巧みだったかもしれない。

ちまたでは、「私を認めて」という承認要求をする人があふれかえる世の中で、彼は静かに、そうした風潮にアンチテーゼを示したのだ。大袈裟に言えばね。

オードリー春日は尊敬に値する。

ちなみに60間近の私は、週に2回のちょろちょろした筋トレでは、体脂肪を10%に保つのがやっとて、腹筋もうっすら4つに割れたように見えるくらいだ。なかなか道のりは遠い。トホホ
57歳間近のmy body 週2回の簡単筋トレでこのくらい






2015年5月25日月曜日

『大阪都構想』の“否決”は、「シルバー民主主義」の勝利!?

大阪人(「大坂人」と書くのだろうか)は、なんて辛抱強い人たちなんだろう。そうでなければ、忘れっぽい方々なのか。

同じような高層ビルを建てて破綻したり、水道事業が並んであったり、大阪の納税者は、よくこれまで暴動を起こさないで来たと感心してしまった。どう見てもオカシイことがまかり通っているのに。

大阪市の負の遺産を、まとめている方がいらしたので、リンクを張らせて頂きます。
http://kyoneshige.hatenablog.com/entry/2015/05/10/201723

これを見ると、大阪市民でなくても「怒り」が湧いてきます。

かつて、大阪市職員用の「カラクリ背広」を民放で報道していたが、ほとほとあきれてしまった。胸ポケットの所に「大阪市」のマークか文字だか入っていて、市の業務用の「制服」のおうだが、このマークは、裏替えしてポケットの中に納まり、「征服」はたちまち「背広」として使えるというモノだった。こういうのを世間は「セコイ」と言うのじゃないかな。

それだけではない、ネットで検索すれば職員への福利厚生名目のお手盛りがわんさか出てくる。
そうしたことを大阪府民や市民はみな許してしまったのだろうか。

こちらは、当時のニュースを見返してください。
http://www.asahi.com/money/aera/TKY200503030172.html


橋下氏を好きか嫌いかという感情論は脇に置いておいて、彼の掲げた「改革」は傾聴に値するものがあったし、動機も意義も十分説得性を持っていた。

なのに負けた。これは彼のけんか腰の手法が、結果的に失敗したからだと多くの新聞で論じられていた。
確かに、良いか悪いかという単純な2分法に問題を落とし込み、勝負をしたのは、どうかと思うし、それで負けたから、「潔く引退」というのも、結構無責任な対応だ。

手垢のついた言説(だけど大切)を借りれば、民主主義は時間がかかるし、継続性が大事だし、「丁寧な説明」や「説得」が必要だ。そうしたものを、放棄したとは言わないが、軽視した手法はいただけない。

それはそれとして、敗因を別の視点から見ることもできる。

住民投票翌日のNHK総合テレビ「クローズアップ現代」では、投票結果に地域差が出たことと、高齢者が、老人のための補助金が減らされるのではないかという「心配」から反対に回ったことをインタビューなどで構成していた。

NHKの報道を前提にすると、反対したご老人方は、これまでの二重行政の「ムダ使い」や地方自治の将来のあり方ということより、目先の自分たちのための「補助金」がどうなるということが、もっぱら関心事だったということが見てとれる。
これを巷間では「シルバー民主主義」と言うのだろう。

もし住民投票が18歳以上で実施されていたら、結果が違ったかもしれない。(「かもしれない」という仮定を前提に論を展開しても、なにも建設的でないことが分かっているけど。)

反対する政党の市議団の方々は、若いのにそうした、「ご老人のご心配」に訴えて反対の論を展開していた。橋下構想に代わる、地方自治の青写真を示していたようには見えなかった。

自分たちの目先のことしか「見えない」お年寄りの勝利。『大阪都構想』は、こうして終わった。

○もちろん、そうでない年配者もたくさんいることは承知しています。



2015年5月19日火曜日

使ってみました「キャタピラン」。意外な発見と効用

キャタピランを3足のランニングシューズと1足のビジネスシューズで使っている。以下は、その体験から感じる「長所と短所」と、意外な発見。

長所:これはキャタピラン自身が言う「ウリ」そのものだけど、とにかく走行による靴ひもの緩みは起きない。またそれぞれのパートで絞め方を調節できるのがよい。もちろんキャタピランのコブの間隔での調整になるが、その幅もよく考えられていると思う。

一度使うと手放せないスグレモノと言ってよい。開発者に敬意を表したい。発明と言ってもいいくらいだ。

短所1:セッティングに多少時間がかかる。また脱ぐ時もきちんとヒモをずらして脱ぐ必要があるので少し時間がかかる。まあこれはキャタピランを使う以上、致し方のないことなので短所と言ってはメーカーに失礼かもしれない。

短所2:寿命が短い。ゴムなので使っているうち伸びてきて調整が変わってくる。それだけコストもかかるということだけど、もちろんこの短所は、使用を止めるほどの理由にならない。

使ってみて気づいたのだが、面白いことに、フィットするシューズの方がキャタピランが長持ちする。

ASICSのシューズは、足底の形状が合わないだけでなく、足の厚みもあまりフィットしていなかった。キャタピランで調整すると、どうしても強く絞めることになる。
当然、ゴムが弛緩してきてしまう。

ところがNBのRC1100では、さほどきつく締めなくても、足がずれずにフィットする。だからキャタピランも長持ちする。つまりキャタピランの使用は、そのシューズが自分に合っているかどうかのメルクマールになっているのだ。
これは意外な発見だった。

●ビジネスシューズでの使用について。
仕事用の靴は、一度ROCKPORTを使うと、老人ランナーは、他の靴底の硬いものが履けなくなる。いまは、ほぼ
ROCKPORTの2足を交互に使っている。

一つはスリップオンだが、もう一つは紐靴だ。ヒモ靴は結構めんどうだ。いちいち締めるのは手間だし、かといって緩めて使っているとカカトが浮いて気持ち悪い。

そこでキャタピランの短い(50㎝)のブラックを使用した。
ビジネスシューズでもそうヘンには目立たないし、しかも脱着がラク。これはなかなかよい。

キャタピランの用途は広い。
今後、登山靴用のものも出てきてもいいのではないか。現在のものを使えなくはないだろうが、重登山靴となるとちょっと強度に不安もある。

トレイルラン用のシューズならまったく問題ないだろう。私が夏場、履いているスカルパの軽登山靴も悪くはないが、締める手間とどうかどう比較の問題だろう。

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ところで、ランナーの皆さん。『足』または『脚』の悩みはありませんか?。

走ることを初めておよそ5年。この間、アシの悩みは尽きない。
教科書通りということか、
最初は膝の外側のスジが痛み、その次は、足の甲の痛み。
そして足底腱膜炎は、痛みがなくなるまで8か月近くかかった。

多摩川(下流域がホームグラウンド)や皇居を快適そうに走っている老若男女を見ていると、この人たちの足指や爪は何ともないのか、ちょっと見せてもらいたくなく。

そう、一番の悩みは「爪」の破壊と、マメだ。
。
足指の形が一般的な日本人とは違い、薬指が異常に長い。
そのためなかなか合うランニングシューズがない。

①最初に買ったのは、初心者ランナー用のASICS「NEWYORK」だ。

最初に買ったシューズ。
あまり靴底は減らなかったので、
今はランニングからは「引退」させて、
車の運転や自転車の時に使っている。

通常靴は26㎝を履いているが、アートスポーツで進められたサイズは27㎝。これで半年ほど走った。しかし、しばらく走っていると27㎝でも薬指が当たりだした。

原因はいくつか考えられるが、靴ひもが緩み、足が靴の中で前に出てしまうことが一番大きいような気がしていた。しかしこのころはせいぜい5㎞か、目いっぱい走っても10㎞程度だったので、さほど苦にならず、あまりケアはしていなかった。

 このころはASICSが、自分の足に合わないとは、まだ認識していなかった。

②次に買ったのは同じASICSの「FEATHER FINE2」。少し型落ちして安くなっているのを買った。これは初めてハーフに出場するためで、NEWYORKでは少し重いと感じて買ったものだった。

しかしこれでも薬指の爪がやられてしまい、生え変わるまで8か月以上かかった。

③ 3足目。
またまたASICSの「SKYSENSOR-GRIDE」だ。結構軽く、アートスポーツではキロ5分前後の人用となていた。基本は{FEATHER FINE2」と同じコンセプトだった。しかしこれもまた、薬指が当たってしまった。

なんでこの時、またアシックスを買ってしまったか、今でも自分で不思議でたまらない。
普通に考えれば、アシックスで2度も爪をやられていたら、少なくとも違うメーカーを選ぶのが当たり前だろう。しかしアシックスを買ってしまった。

自己分析すれば、あまりにもランニングシューズの種類が多くて選べなかったということなのだろう。よく言われるように、人は選択肢が多すぎると結局、同じものをまた選んでしまうという心理。

人によってこの傾向に程度の差はあろうが、私は、結構これが強い、いわば『保守的』人間なのだろう。

コンビニで選ぶ昼食の弁当やサンドイッチ、洋服、などなど、思い返してみるとあれこれ迷った末に「いつもの」に落ち着いてしまう。このクセが、論理的はオカシイことは分かっていながらアシックスになってしまったのだ。(と、思う)



走り始めて、足の変化はいろいろ出てきた。左足の小指の付け根と親指の付け根の関節が外に膨らんできたので。これがスキー靴が当たる原因にもなってきて、いろいろ不都合なことになってきた。

半年ほど前、足底筋膜炎がなかなかよくならないのと、小指の付け根にできたふくらみ(軟骨というでしょうか?)が痛くて、普段の生活でも支障が出るほどになったので、慈恵会医科大学病院の「足の外科外来」に行った。外反母趾ではないという「診断」をもらった。

付けねのふくらみの痛みは、3か月ほどで「固まり」そう痛くはなくなった。つくずく人間のカラダって、適応能力が備わっていることに感心したものだ。


○4足目
NBの軽量。 トップランナー向きだけど、
私のようなC級ランナーでも十分使える。
ビクトリアお茶の水で、年配の小柄なランナー店員の方に進められたのが、ニューバランスの「RC1100」だ。これは片足285gと非常に軽い。上級者向け(キロ5分前半)だし、ソールもレース仕様でポチポチ(としか表現しようのない、小さなゴムの鋲になている)になっているので、とラーニングで履くのはもったいないような気もしたけど、これにした。


この時、店の人に勧められたのが、むしろサイズを落としてぴたりの方がいいということ。
26.5㎝にして、しかも2E幅を進められた。確かに締め付けがあり、履き心地の安定感はあるが、ちょっとキツイ気もした。しかしシロウトの悲しいところろ、言われるままに買ってしまった。

これで山形まるごとマラソンを走った。
しかしこのNEW BALANCE のシューズはなかなか良い。軽いこと。そして、少々きついがフィット感が自分の足には合っている。つま先の形状がしゃもじ形のためか、問題の薬指は当たらない。しかしレースを終えて、靴下を脱いだら左の親指が当たっていていた。トホホ。

紫色に変色した大きな爪。これが生え変わるには1年を要したように思う。しかも再生された爪はいまだに小さなもの。元の立派な爪にはなっていない。

ランニングによって手に入れた「心身の健康」の代償は、足爪の喪失という事態である。まあこれもしょうがないかな。

今、次に狙いを定めているのがアディダスのブースト系のシューズだ。夏の賞与で買うつもりだ。








2015年5月10日日曜日

山形・月山の異変。こんな5月は初めてだ。春スキーから異常気象と温暖化を考える。

2015年5月6日:姥ケ岳のピークから見た月山山頂(右奥)
日本海側(西側)にはほとんど雪がついていない
2015年5月6日。大型連休の最終日に、毎年の恒例になっている月山春スキーに出かけた。

朝6時過ぎに山形市を出て、山形自動車道をゆっくり西川町に向かい、自動車専用道路の終点から、昔のいわゆる六十里超えの道を月山に向かう。

しかし、何かいつもの年と比べてヘンだ。ふもとの弓張平のグラウンドのところにはほとんど雪がない。アレ、と思いつつ志津の集落まで進んでも雪がまばらにしか見えないのだ。

山形市から車を走らせながら遠くに月山を仰ぎ見た時は、そうした変化には気付かなかったが、近づいてみると、明らかに今年は雪が少ない。

2014年5月4日:月山山頂を臨む
この年も雪が少ないと感じたの
だけれど、更に少ないとは…。

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右の写真は、去年(2014年)の5月4日に撮影したもの。上の写真と撮影位置は異なるが、山頂への斜面の雪が明らかに違う。
感覚的には1か月アト(6月並み)の雪しか今年はなかった。
これが、たんなる、年による「違い」ならばいいけど・・・。
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さて、
志津の集落を過ぎ、つづら折の道の高度を上げていくと、いつもは両側に表れる、雪の壁もほとんどない。午前7時半前、姥沢の駐車場に着く。気温は、朝はやはり低い。けっこう凍えるほどで、しっかり防寒の準備をした。

2015年:リフトの下り場にある「月山」の看板。
周りの雪はスキーヤー用に運んできている。
山スキー(最近はバックカントリースキーというらしい)、シール、兼用靴(スキー靴と登山靴の兼用のブーツ)用の12本爪アイゼンを準備し、おにぎり2個とパンと500ccのお茶などを持ち、リフト乗り場までの300m余りに雪道をあるく。この辺は例年と変わらない雪の量に思えた。

8時から動くリフト。乗客としては2番目だった。前には中年男女の登山客のみ、スキーを持った者としては1番乗りだった。この時間のリフトおり場はまだまだ寒い。天気はいいが風が少し強い。

驚いたことにいつも一面雪に覆われているリフトおり場周辺に雪がないのだ。見慣れた看板もしっかり地面が出ている。スキー客のためにブルドーザーで運んできた雪で、雪道が作られている。
こんなことは30年近く月山に通っていて(毎年ではないが)、初めてのことだった。

2014年5月4日:山頂への斜面。
下に見えるのが姥ケ岳だ。
スキーをザックの両脇に着けて、ツボ足で、姥ケ岳まで直登した。20分ほどで到着。日本海が霞の向こうにかすかに見えた。見慣れた光景だが、何回見ても、すばらしい景色だ。好きな場所のひとつだ。

駐車場からの見えた月山の山頂方面だが、改めて目をやると、もう南斜面の上の方には雪がついていない。どう見ても1か月先の光景だ。これでは山頂を目指すスキーヤーはいないだろう。
(冒頭の写真が、その時の光景)

去年、ここに来たのは5月の4日。前日降雪があり、宿で気を付けてくださいとアドバイスをもらったくらいだった。この違いはなんなのだろう。

2015年:姥ケ岳から庄内平野と日本海を臨む。
普段はこちらの稜線は一面白なのだが・・・・。
降雪量は例年“並み”にあったように、感じていた。4月の気温が異常に高かったことが原因だろうか。全国的に高温が続く中で、山形でも大型連休前後から25度前後の気温になっていると天気予報で言っていたように思う。

山頂を目指すのはやめた。スキーをつけて、姥ケ岳をくだり、最近月山ではやりの「コブ」を練習することにする。まだスキーヤーもまばらだ。雪も比較的締まっている。浅いコブを選び、練習した。
気温はぐんぐん上がってきた。朝は寒く感じたのがウソのように、暑いほどだった。

1度少し休んで、リフト回数券7回分を滑り終えたのが11時半すぎ。持ってきたおにぎりはリフト小屋併設の食堂で豚汁を頼んで食べた。早めに帰ることにする。

駐車場から、志津集落まで滑って下りられる「清水コース」は4月30日に閉鎖されたと看板があった。
このコースは、ブナ林の中を滑って下る、非常に気持ちのいいところだ。車で上がってきてしまったので、もとより滑って降りる訳にはいかないが、連休中、このコースを楽しみにしていた人もいるだろうに。

2014年5月4日:月山の広い稜線にあがり、山頂はすぐそこ。
山小屋や社の埋まり具合からすると、まだ相当雪はあった。
以上は、今年はひとりで行った月山春スキーの記だけど、それにしてもこの異常気象は尋常ではない。あまりに高温が続くと、山形ではこれから田植えの季節、夏の高温障害などもあるのではないか。さくらんぼの生育も心配だ。


 農業についてはシロウトなので適当なことを言っているのかしれないが、例年と違うというのは、農家にとって神経つかうことだけは確かだろう。

簡単に言うと、春がなくて冬からいきなり夏になる感じ。これは東京でも感じているが、つまり温帯から亜熱帯に東日本もなりつつあるということではないか。
2015年:ふもとの弓張平。例年に比べこの時期としていは、
極端に雪が少ない。桜が咲いていた。
(奥にかすかに月山が見える)

高知に2年ほど暮らして、冬からいきなり夏の感覚は経験している。5月に引っ越して、子どもが幼稚園に行く時にはすでに夏服の季節だった。そして6月に入るとすぐ「プール遊び」が始まったように記憶している。

 こうした気象状態がじわじわ北上し、日本列島全体が亜熱帯になることも絵空事ではないだろう。現実に月山の雪から感じているのだ。いずれ月山の春スキーなんているものもなくなってしまうかもしれない。

わたしたちはこの異常気象を止められないか。
先日のニュースで地球の二酸化炭素の濃度が過去最高になったと伝えていた。↓



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150507-00000029-jij_afp-env
世界の大気中CO2濃度、月平均で最高値更新 米NOAA
AFP=時事 5月7日(木)13時52分配信

生きる世の中にさまざまなリスクがある。もちろん原発も「大きな」リスクに違いない。しかし地球温暖化は、ひとつの側面から見れば、更に大きな「リスク」なのではないか。温暖化による異常気象で起きる災害死、砂漠化による干ばつで起きる飢餓。

ひとつのことに目を向けて「危険」「やめるべき」という主張は、それ自体は正しいかもしれないが、『全体最適』として見た場合は、また違った見方が出てくる。

原発はないに越したことはない。この考えに同意するが、人類がエネルギーの欲望から逃れられない中で、リスクを除去する方法のひとつとして原発はハナから排除する考えには同意できない。もう少し深く考える必要がある。

5月の月山の、あの雪とブナ林のすがすがしさを、子どもだけでなく、その次の世代にも末永く味あわせてあげたいから。

今年は“残念ながら”単独行となった。
愚息は「受験勉強」

2013年5月5日の月山(姥沢の駐車場から)
右奥のちょっと見えているのが月山主峰
雪の量が今年とまったく違うのが分かる













2015年4月27日月曜日

ランナーの味方、EPSONの「リスタブルGPS」は、なかなかの優れものだ

『エプソン リスタブルジーピーエス』EPSON Wristable GPS 腕時計 SF-110Bを
購入した。
これまでランニングに使用していたユピテルのランナーズコンピュータを、うかつにも
ランニングに出ようと玄関で準備をしている時、踏んづけてしまい、液晶部分が壊れて表示しなくなってしまった。
メーカーに電話で相談すると、最低ても6,000円はかかると言われ、購入価格が9,000円前後だったので、修理をあきらめて、EPSONの腕時計式を買ってしまった。(エヘヘだよね)

ユピテルの「ランナーズ・・・」は、購入当時は、それはそれでなかなかのものだった。GPSの感度はあまりよくはなかったけれど、ランニング後、Google Mapに軌跡を出せるし、走教距離や時間、キロ何分、休止している時間も出せた。
役割を終えたということか。ご苦労様


腕時計型のGPSは、当時はSUNTOなど外国製の高価なものしかなかったように記憶しているので、1万円を切る価格でランニングをサポートしてくれるのはうれしかった。

外を走る時には原則これをつけて記録してきた。記録もweb上でできた。
だから愛着もあり、できれば使い続けたかった。

しかし、上記の理由でEPSONにしたら、こちらは、優れものだった。まだ1回しか使っていないけど、早くも、ユピテルは忘れさってしまうほどだ。人間ってゲンキンなものですよね。

EPSONのこのシリーズは最高機種の810(3万円台後半)から、今回購入した廉価版(消費税込みで2万円前後)まで何種類かある。

心拍数まではとれないが、走りながらラップも表示されるし、もちろん走行後、パソコンで記録を保存できる。
この「110b」は、シリーズの最後発だが、私のようなランナーには十分な機能だ。
何よりも軽いことに驚いた。

登山もやるので普段時計は「PRO-TRECK」を使っているが、この重さと比べたら、ウソみたいに軽い。もちろん時計としても使える(ただし、秒針はナシ。ストップウォッチ機能もない)から、
普段使いでもよい。活動量計もこの機種と最上位機種にはついている。

私はEPSONの回しものでも広告宣伝費をもらっている訳でもないけど、いいものはいいと記したい。

ただし一つだけ難があった。リストバンドが意外と短いのだ。これはなるべく軽くしようと腕が「太っている」人でもギリギリ着装せきるように考えられているのだろう。しかし私は汗対策に両腕にテニス用のリストバンドを着けて走る。その上からはめると腕の細い私でもギリギリの長さだった。
まあそれはそれでいいんだけと、もう少し余裕があった方が良かったかもね。

聖書でも言っている「汝自身を知れ」と。
このEPSONのマシンを着けて走ると、自分の1キロのラップが非常にわかりやすく、ペースをつかみやすい。これからフルに挑戦しようとする者にとっては強い味方だ。

ただ、印象として、ラップはいくぶん「遅め」に出るような気がする。帰ってから全走行距離からの平均ラップを見ると、走っていた時のラップから考えると速かった。

具体的には、毎キロ、5分9秒~15秒で出ていて、多摩川河川敷に行くまでの往路と河川敷から家までの登りは6分台の時間がかかっていたと思われるのに、平均では5分10秒と出た。こんなに早かったけ・・・と、ちょっと嬉しはあったが、少し疑問でもあった。





「反知性主義」のアメリカ、あれこれ



●アメリカの反知性主義 単行本 – 2003/12/19
  リチャード・ホーフスタッター (著), 
  田村 哲夫 (翻訳) 

この本を手にしたのは、もう10年近く前になる。
どこかの新聞の書評で読み、図書館で借りてきた。

しかし、分厚くかつ翻訳本のために、読むのに苦労した。そのうち返却期限が来たので、途中で投げ出した、ことを「覚えている」

 恥を忍んで正直に言うと、この時、アメリカに「反知性主義」という概念があることを初めて知った。

Amazonの紹介によると
「知識人とは何か、知識人は民主主義の実現に貢献する力になれるのかと問いつづけ、アメリカの知的伝統とは何かを問う、感動のノンフィクションであり、アメリカ史の古典。」

「1952年、マッカーシー旋風の吹き荒れるなかで行なわれた大統領選挙は、『知性』」と『俗物』」が対立する図式となった。そして後者、すなわちアイゼンハワー=ニクソン・コンビが圧勝し、知識人も批判派も「アメリカ社会が知識人を否認した」ことを理解した」

「――『知識人階級と大衆のあいだに巨大で不健全な断絶があることが明白になった』(『タイム』)、
「知識人は今後、所得税から真珠湾攻撃まで、あらゆることの罪を背負わされるだろう」(シュレジンジャー二世)。

「しかし著者の意図は、アメリカの精神風土をもっぱら批判断罪することではなく、知識人とは何か、知識人は民主主義の実現に貢献する力になれるのかと問いつづけて止まない。読者には、アメリカの知的伝統とは何かを逆に問う、著者の熱い思いが伝わるだろう。

感動のノンフィクションであり、アメリカ史の古典である。」と、ある。

●余談1
この書籍の翻訳者・田村哲夫は、確か渋谷教育学園の理事長だ。同学園の渋谷(通称:渋渋)や幕張にある、「渋幕」は、首都圏ではちょっと有名な、新鋭の進学校。英語教育にものすごく力を入れ、東大入学者増やしている。一度、渋谷公会堂で行われた渋渋の学校説明会に行ったことがあtる。田村の自信に満ちた物言いが結構ハナについた。公会堂の前には大きな黒塗りの車が待っていた。むかし単なる「渋谷女子高」だった学校法人を有数の進学校に育てた功績は大きいのだろうが、長く理事長を務め、王様の雰囲気だった。


さて、横道の逸れすぎたけど
ちょうどあのころ(あの頃とは80年代ということ)、アメリカの人気牧師の衛星中継を使った説教や布教活動が盛んだと、テレビのニュース企画でたびたびやっていた。そして、ダーウィンの進化論を否定する人たちが少なからずいることも、盛んに報道していた。

アメリカに、本格的に興味を持ったは、実はもっと以前のことだ。。


本多勝一の「アメリカ合州国」を読んだのは、随分前だ。高校時代だったように思う。
アマゾンで調べると、単行本の出版が1970年になっている。このブログに載せたのは文庫本だが、単行本で読んだ。中味は忘れてしまったが、アメリカの一断面をうまく切り出したルポだったと記憶している。









そして、ずいぶん時代は先に進むが、渡辺 靖さんの一連の著書はほとんど読んだ。

●アフター・アメリカ―ボストニアンの軌跡と<文化の政治学>  2004/5/15
●アメリカン・コミュニティ―国家と個人が交差する場所 – 2007/11
●アメリカン・センター―アメリカの国際文化戦略 単行本 – 2008/5/27
●アメリカン・デモクラシーの逆説  2010/10/21
●文化と外交 - パブリック・ディプロマシーの時代  2011/10/22



















渡辺さんの著作は、別にアメリカの「反知性主義」を語ったものではない。読みやすい文体で書かれた、すぐれたルポと考察だ。清濁いろいろあるであろうボストンに憧れた。

なかなか面白い
まったく毛色は違うが、「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」も、なかなか興味深い書籍だった。

記憶の範囲で書くと、「多くのアメリカ人は一生自分の生まれた州を出たことがない」など、大衆としてのアメリカ人のローカルさがルポされていた。
数年前の「1%対99%」騒ぎでも、思ったけど、グローバルに活躍すのは、ごく限られた人だということだ。まあ「活躍」の中味はいろいろあろうが・・・。









どんどん、横道の逸れる。
で、最近の書評に出ている。
反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書) 森本 あんり  (著)
まだ手にとっていないが、興味を魅かれる書籍だ。



アメリカ人の「反知性主義」について、書いてみようとこの項を立ち上げたけど、書いても、書くべきことが湧いてこなかった。

自分の「反知性」をさらけ出しただけのブログになってしまった。
しょうがないから、内田樹さん編の最近話題の書籍も読んで
自分の中の「反知性主義」について、反省しよう。