2012年5月21日月曜日

武田徹氏と永江朗氏 2人の言論人について

○武田 徹(たけだ とおる、1958年9月27日生まれ)東京都出身。
○永江 朗(ながえ あきら、1958年5月9日生まれ )北海道旭川市出身。
永江朗氏(netより引用)
武田徹氏((netyより引用)

(この項は、4月に書き始めましたが、いろいろあって本日までupがずれ込みました。)

これまで、シロウトなりに多少、論壇誌などを読んできたが、武田徹さん、永江朗さんの著作を読んだことがなかった。それは、避けていた訳でも、嫌っていた訳でもない。単にあまり読書量が多くない私にとって、そこまで行き着かなかっただけである。

武田さんについては「NHK問題」で知った。しかし読まなかった。東日本大震災のあと、ほどなくして「私たちはこうして原発大国を選んだ」が出版されたが、手に取ることはなかった。それは、非常に多くの「原発本」が次々と出されるなかで、新聞各紙と週刊誌の書評を読むのが精いっぱいで、その中からこの1冊を選び取る力量が、私にはなかったからだ。

永江さんは、新聞の書評で「そうだ、京都に住もう」を知って、図書館で借りてきたのが最初たっだ。永江さん自身が書評をよく書かれている。新聞書評はわりとよく読むので、無意識にこれまで永江さんの文章には触れているかもしれない。「不良のための文章術」などを図書館で借りて、斜め読みした。
今年、春の陽気になった頃、既存の書き手に少々飽きて、竹田徹さんと永江朗さんの著作を読んだ。(「既存」というのは、自分の好みの著者ということで、メディアの常連ということではない。)

武田徹さん「殺して忘れる社会」。永江朗さん「新・批評の事情」
●文章がうまいとは、どういうことか
この方々の著作を読んで、まず感じたのは「『文章がうまい』」とはどういうことなのか」ということである。
シロウトのわたしが言うのは僭越だが、率直に言ってこの方々の文章は読みやすい。平易な言葉でわかりやすい構成で書かれている。それだけではない、どちらも豊富な読書量に裏打ちされた確かな知識とその考察がなされている。
うまい文章、読みやすい文章、読んでいて心地よい文章とは、単に言い回し(文体とはあえて言わない)や文節の構成が分かりやすいということだけではないことに気付く。
説得力ある内容があって初めてその文章は「いい文章」なのだろう。そんな、いわば当たり前のことを改めて認識した。


武田さんの「殺して忘れる社会」は、産経新聞大阪版に連載されたものだが。様々なテーマについて、豊富は情報量に支えられた考察が毎回書かれている。この人の言説は極めてまっとうで説得力がある。
タイトルにもなている「殺して・・」は前書きで書かれている。
平たく言えば、いわゆる「熱しやすく冷めやすい」と言われる日本人のメンタリティを現代の事象に即して分析している。

震災の起きる前に書かれている原発に関する文書は、今の事態を予想したかのように鋭い洞察力で書かれている。
(「私たちはこうして原発大国を・・・」は、「核論」のタイトルで震災前に出されていたことはあとで知った。)。

原発について書かれた文章
この人のすごいところは、常に冷静に落ち着いた文章で書いていることだ。武田さんも大方の知識人と同様、いまの(大衆)社会に、ある種「苛立っている」ことは間違いないだろう。しかしその苛立ちを露わにすることなく筆を進めている。だから説得力がある。こうした書き方を見習わなければ・・・。

この人の仕事を少しづつ読んでいこうと思う。







永江さんの「新・批評の事情」は、面白い。著作から見た言論人評なのだが、この人の読書量も半端でないだろう。よくこれだけの人の多くの著作を読んでいると感心してしまう。また、読んでいるだけではなくて、読んだことが、アタマの中でよく整理されているのだろう。でなければ、これほど、引用をうまく使った評論を、これだけの量、書くことはできない。(と、思う。)

この人は決して人をけなさない。実に巧みに批評対象者の著作を通して、その人物像を浮かび上がらせている。こうした本をこれまで見たことがなかったほどだ。

永江さんは、「不良のための読書術」(NHK出版)の冒頭で、ヒトに読まれる文章について、こんな主旨のことを書いている。「老人に席を譲りましょう」と、あたりまえのことを書いても誰も読まない。「健康のため老人は立たせておくべき」と書かなければヒトは読んでくれない、と。(記憶での引用なので不正確かもしれません。)
しかし永江さんご自身の文章は、そんな斜に構えた文章ではなく、けっこう直球系かもしれない。

日本のマスメディア(何が基準なのか分からないが)では、必ずしも「著名」でないかもしれない武田氏と永江氏。しかしこうした人の文章がもっと読まれる“べき”だと思う。
偶然にも同年代の私。学ぶことの多い、武田氏と永江氏だ。
しかしこのくらい文章が「うまく」なければ、文章で身を立てることなんかできないんだろうな。

なぜ京都なんだろう、なんて思ってしまった。
原子力問題がここまでこじれた日本
きっとこの本にはヒントがあるはずだ
これから読みます
 
○追記
ちなみに武田さんは最近アサヒのwebRonzaにも書いている。(「一県平和主義を超えて」など鋭い考察をしているが、無料で読めるのは途中までなので冒頭部分しか読んでいませんが。)

2012年5月18日金曜日

復帰40年。「沖縄は独立を目指すべきだ」というのは暴論か

沖縄の日本復帰40年の今月、論壇各紙も沖縄“問題”を取り上げている。(沖縄側に「問題」がある訳ではないので、カッコにした。誤解のないように)

いくつか読んだ中では「世界」6月号、山田文比古東京外大教授の論文「沖縄『問題』の深淵~むき出しになった差別性~」が、本質をよく説明してくれている。

山田氏は外交官、沖縄サミットの時期に沖縄県庁に政府との連絡役として出向している方だ。
○普天間基地の移設問題は鳩山首相(当時)の「最低でも県外」発言で沖縄の期待が高まっただけに結局辺野古に逆戻りし、県民の味わった落胆た怒りの大きさがあり、そうした批判の先鋒になったのが野党自民党だと断罪する。
○民主党は、野田政権になってなんとか以前の状態に戻すべく、野田首相が低姿勢で臨んでいるが今のところ功を奏していない。

○しかしコトは以前の状態に戻せばよいという単純なものではない。沖縄には無視できない変化が起きている。基地問題に関し、内部が一本化し、一枚岩になった。

○沖縄にはもともと。米軍基地の存在そのものに反対する勢力と、沖縄振興のためには現実的な対応が必要で、県内移設もやむを得ないと考える宥和(融和)的勢力の2つの潮流があり、前者は「革新」、後者は「保守」として、保革のひとつの対立軸になっていた。
普天間基地(宜野湾市HPより)
○しかし民主党政権以来、両勢力のいずれもが、県外移設で一致するに至った。これまで革新の大田昌秀、稲嶺恵一、知事は県内のこの対立軸に悩まされたが、仲井間知事は少なくともそれが除かれた。鳩山氏のおかげて県内に平穏をもたらしている。

○そかしそれに伴い沖縄と本土の間には深刻な問題が生じた。これまで融和的な現実派が、革新側と本土との間に介在することによって果たしていた、緩衝材の機能が薄れ、沖縄と本土は対立の構図がむき出しになった。

○その結果、沖縄と本土の間にある深刻な認識ギャップ=「差別」という問題が顕在化。米軍基地が日本に必要というのであれば、そのコストは日本国民が等しく負担すべきというのは、今や沖縄全体の総意になった。

○こうした被差別感情が広く共有さるのは、単に基地の過重負担にとどまらない。琉球処分、沖縄戦など差別的な扱いを受けてきた歴史の記憶が認識ギャップを根深いものにしている。

○沖縄では安全保障においても本土と認識ギャップがる。武力による均衡というパワーポリティックスの考え方にはどうしてもなじめない、むしろ武力があるからこそ、沖縄は悲惨な戦闘の巻き添えになったという認識がある。米軍の駐留の正当化の理屈も沖縄では理解されない。むしろ歴史的に中国に一定の親近感こそある。尖閣列島の危機意識も石垣島など直接関係のある地域を除けばそれほど高くない。

○ここ2,3年で起きた変化は、沖縄に「先祖帰り」をもたらしたと言っていいほど根源的。差別の解消こそ真の安全保障であり、時間はかかっても、本気で県外移設を考えるしか出口はない。

というのが概要である。

米軍 嘉手納基地
  一枚岩になった沖縄世論。確かに保守の仲井間知事が、県民世論を背景に中央政府に対して頑なになったことは大きい。ちょとキツイ言い方をすれば、保守が「基地反対」を唱えても、政府の交付金は増額してもらえるという「現実」も、今年度の政府予算で証明された。これまでのように宥和的態度に出なくても予算はもらえるという「学習」がなされたと言ってもよい。
ただ、この事態はますます本土と沖縄の意識を分断する方向に向かうだろう。悲しいけど。
朝日の記者有論に掲載された「沖縄は『わがまま』なのか」という沖縄タイムズから朝日に出向しているという比屋根万里乃(ひやねまりの)記者のコラムがその一端を表していた。(下段参照) 本土の一般市民だけでなく、日々政治を取材している本土記者にとっても、沖縄は「ごね得」だと映るのだ。
中央政府は、おカネによって、沖縄の“加重な負担”を埋め合わせようとしえいる。しかし沖縄が求めているのは、おカネによる「賠償」でなく、本土との“平等な扱い”なのだ、とこの記者は訴える。
それはわかる。ただ本土の人間が考えるのは、おカネはもらっといて、なおかつ加重な負担も「県外、国外」と言うのはどうしてか、となるのだ。おカネは拒否します。だから基地を外にもっていってほしいというのでなければスジが通らないというのが、本土の人の多くの見方ではないか。(こう言うの沖縄の人にそうとう失礼なのは重々分かっている。)
  前項で示したとおり、沖縄問題の本土新聞の主張は割れている。辺野古移設で我慢してもらうというのが産経、読売、日経もそうは書かないが主張はその方向だ。
これに対して朝日、毎日、東京は辺野古をノーと言い、「本土も等しく負担を」という主張だろう。しかし、ではどこにどのくらい移設するのがいいのかは示していない。示すことなんかできはしない、示した途端そこでは、その新聞が売れなくなるだろうから。だから「空論」を主張するだけだ。
米軍は必要ない、またはここまで縮小できるという具体的主張をするなら、スジは通るが、それにはあまり言及せず、あてもなく単に「県外」や「国外」という主張はずるいというほかない。朝日や東京のいつものパターンだ。
辺野古の海(netより)
海兵隊の必要規模や嘉手納基地の空軍の必要規模について、少ない資料から分析して検証しているのは我部政明琉球大教授くらいしか見たことがない(世界4月号「限りなく実効性の低い米軍再編見直し合意」)

沖縄サミット(2000年7月)の年の5月。沖縄で仕事をした。嘉手納基地近くの小学校に夕方先生を訪ねた。もう薄暗くなりかけた時間(18時を回っていたと思う)だったが、ジェット機の騒音はすさまじかった。子どもたちは、おそらくこれでいつも、先生の話しが中断したり、お互いの会話が途切れることを日常的に経験していることを身をもって実感したのだった。
その事態はおそらく10年以上たった今も、いや1945年以来変わっていないのだろう。
沖縄の置かれている状況をなんとかしたい。それが本土に住む者の責務だという意識は、私自身強い。たからこそ復帰40年で新聞や論壇の言説を読んで、考える材料にしている。

「差別性」という言葉には、少々違和感を覚える(それは毎日の社説でも同様のことを感じた)が、過剰な負担、それも直接的で日常的な負担と、事故などの危険への確率の高さがあることは紛れもない事実であり、それをいかに取り除くかは最重要の課題であることには変わりはない。
しかし本土との認識ギャップが広がりこそすれ一向に縮まらない現状では膠着状態が永遠に続く。山田氏が論考で「時間がかかっても県外移設へ」と言う気持ちはわかる。が、それは100年後200年後地球資源が枯渇して国同士が争っていられなくなる事態でも来ない限り実現が難しいと思う。
一番の近道は、中国や北朝鮮の「脅威」が取り除かれることだ。つまり日米の友好国になることで、基地がパワーバランスを保つ拠点になる必要がなくなる状況になるほかない。それも今の国際状況を考えると少なくとも20年30年は難しいようにも思う。
■「差別性」を解消する手立てはあるのか。
自分たちのことは自分たちで選択する、自主権こそが大事だという立場に立つと、米軍が必要かどうか、どこまで負担を引き受けるのか、または引き受けないのかを沖縄自身が決めることでしか「差別性」は解消されない。

それは沖縄が原点に返る、すなわち独立性を取り戻すことではないか。沖縄が独立したひとつの国であれば米国とも直接交渉できる。日本と友好国になるか、それとも台湾と組むのかあ、あるいは中国の友好国になるのかも自主的に決められる。それが沖縄の自己決定であり、真の自立だろう。
独立しても日本の友好国としてやっていくのなら、日本は地方自治体への交付金でなく、ODAとして援助すればいい。相互防衛協定を結ぶなら自衛隊の駐留も、引き続きありえるだろう。もちろん観光地としてこれかも日本人は訪れる。
一方米軍基地に関しては、沖縄の自主的判断で米国と交渉する。そうなればアメリカもこれまでのように日本政府に解決策を押し付けるのではなく、本腰を入れて取り組むことになるだろう。

こうした考え方ははたして「暴論」だろうか。少なくとも主な論壇紙では「独立」の文字はみかけなかったし、実現可能性としては小さいと言われてしまえば、確かにそうだ。しかし独立を目指すという本気度が、さまざまな意味で沖縄を強くするのではないか。日経などが主張するように沖縄の経済的自立はまだほど遠い。補助金、交付金頼りの公共事業だけでは自立できないのは目に見えている。独立(=自主自立と言ってもよいかもしれない)を宣言してこそ、自らが鍛えられ、それが結果的に、いまある「差別性」の解決を導くのではないか。

沖縄が好きだからこそ、沖縄が独立を目指すことを、あえてすすめたい。

(付録1)
おもろまち(那覇新都心)
那覇新都心は1987年(昭和62年)5月に全面返還された米軍牧港住宅地区の跡地を造成した地区。大型ショッピングセンターやマンション、総合運動公園などが設置されている。
しかし本土の地方都市でよく見かける、郊外型の店が目立ち
その意味では「沖縄らしさ」がさほどない平凡な町になっている。
観光客にとってはがっかりだ。
今後、順次嘉手納以南の米軍用地が返還されていったとき、沖縄はどんな町づくりを進めていくのだろうか。
本土の人間がイメージする「沖縄らしさ」など、うちなーんちゅにとっては幻想でしかないのか。「本土並み」の平凡な郊外が、沖縄の人の選択であるのなら、本土の人間はとやかく言うことは控えたい。
カジュアルにはユニクロを着て、会社勤めには青山の清涼スーツ。休日はTUTAYAでCDやDVDを借り、マックやケンタッキー、またガストやサイゼリアでご飯を食べる。ショッピングセンターにはイオンやイトーヨーカドーに並んでいる「本土並み」のインスタント食品やレトルト食品が豊富にならんでいる。全国どこでも見られる「郊外の風景」だ。もちろんスタバやモスバーガーもそのうち出来る。

(付録2)
 岩波ブックレット「沖縄・読谷村の挑戦」を読んだのはもうずい分前のことだ。
現在参議院を務める山内徳信さんが、読谷村長だった時、村内の米軍施設(飛行場滑走路)を次第に村で使えるようにしていく話しだったと記憶する。また、いわゆる「黙認耕作地」の話しも出てくる。沖縄戦で米軍の上陸作戦が展開された読谷村。その地でしたたかに米軍と渡り合って権利を取り戻してきた山内氏の行動力には力強さを感じる。そしてだからこそ、何もしてくれない本土(中央政府)への不信は、われわれの想像を超えるものなのかもしれない。
こうした事実をひとつひとつひも解いて理解していくことからしか、本土と沖縄の溝は埋められないだろう。
読谷村役場の前のまっすぐで妙に長い「道」は、実は滑走路だった。本を読んでから訪れたので興味深く車を走らせたのを覚えている。 


2012.3.27 朝日新聞より「引用」

2012年5月17日木曜日

復帰40年。沖縄は本土の新聞社説でとう扱われたか

2012.0515-16 各紙の社説

復帰40年。沖縄問題、基地問題、そして本土とうちなーんちゅの「断絶」は非常に難しい問題だ。「こうすればよい」という解決策などない。かといって放置していいことでもない。

5月15日(一部16日)の新聞各社の社説は、方向性の温度差こそあれ、どの紙も本土からの主張に「迷い」が見て取れた。

そのことが、この沖縄“問題”の難しさを物語っているように思う。

読み比べてみることで、今後の沖縄を考える糧としたい。








○読売「沖縄復帰40年 経済と安保を両立させたい」

日本米軍施設の74%が集中することを“加重な負担”と規定。尖閣列島問題など中国の動きを踏まえて、沖縄は地政学的に安全保障の面では一層重要だとし、経済振興と安全保障の両立を問う。
一括交付金で沖縄の振興計画を県主体に移した政府の施策を評価。そして普天間の辺野古への移設を「粘り強く取り組むべき」ことしている。

○朝日「沖縄復帰40年 ①まだそこにある不条理、②めざせ、環境先進地」と2つの社説を掲載

①米軍基地が減らないのは「本土による差別だ」という回答が50%の世論調査を紹介。米海兵隊の移転先を政府が、辺野古に固執していることを批判し、そもそも海兵隊が必要なのかと疑問を呈する。基地のもたらす「猛烈な騒音被害も、事故への日常的な恐怖も本土の人々は共有しようとしない」と指摘。尖閣列島では敏感に反応する本土人を「安全保障をめぐる国民世論のいびつさ」と言う。
経済的な支援策では埋めきれない不条理なまでの重荷を沖縄に本土の人々が負わせていることを指摘。

②沖縄県のひとりあたりの県民所得は全国最小で失業率も高いが、90年を起点に直近のデータと比すと個人所得は1.4倍、小売り販売は1.2倍を超える。県民の平均年齢の若さ(40.5歳)や出生率の高さなど意外に元気であるとしている。EV自動車など環境先進地への挑戦を「脱基地経済への足掛かり」と期待する。

○日経「復帰40年の沖縄は自立へ向かえるか」

40年前に掲げた「本土並み」には程遠い現実を認めつつ、復帰時に95万人だった県民人口が140万人を超えたこと。毎年2万人前後が本土から移り住むこと。500万人を超える観光客など、意外に元気であると指摘。しかし、これまで投じられた10兆円超の振予算に見合った成果が得られていないこと、建設業が主体のいびつな経済構造、公共事業の大盤振る舞いなどをあげる。そして「基地経済」は40年で半減したが、広い意味での基地依存はむしろ深まっているようにみることもできると言う。経済はどうすれば自立できるか沖縄自身の努力を促す。安全保障に関しては、「安易に米軍を減らせば沖縄、ひいては日本の安全保障を損ないかねない」とする。


○東京「いまだ『復帰』なし得ず 沖縄施政権返還40周年」

米軍基地が減らないのは様々に理由づけがなされてきたからだとし、「沖縄県民の苦悩に寄り添って現状を変えようとする姿勢が日本政府にも本土にすむ日本国民にも欠けていた」と言う。
毎日と琉球新報の合同世論調査を引いて、本土人が沖縄の厳しい現状に目を向けようとしない身勝手な意識だとする。そして「沖縄が日本の不可分な一部」なら「負担は日本国民ができ得る限り等しく負うべきだ」とする。そして政府のウソ体質を糾弾し、沖縄米軍の抑止力を真実かどうか自ら考えるべきだとする。

○産経「安保激変乗り切る要石に」

大戦時の大変は犠牲など悲しい過去に言及しつつ、安全保障では沖縄の戦略的重要性もますます増大している」とする。そして「安保も経済も」と両立を目指したい、と。日本の安全が守られてこそ沖縄の平和が維持されると指摘。そのためにも地元振興を図ることが大切だと説く。

○毎日「沖縄本土復帰40年 『差別』の声に向き合う」

沖縄には4度の「差別」があったと。明治維新直後の、いわゆる「琉球処分」、大戦末期、本土の捨て石にされた沖縄地上戦。1952年のサンフランシスコ講和条約発効で米国統治下に置かれたこと。そして1972年の本土復帰。領土返還という最も難しい外交課題を粘り強い交渉によって成し遂げたことは正当に評価されるべきだとしつつも、期待した「基地のない本土並みの暮らし」と現実の落差の大きさを嘆く。また世論調査から米軍基地の集中に対して本土とうちなーんちゅの意識の隔たりを指摘する。一方厳しさを増す東アジアの安全保障環境を考えると、在日米軍をただちに大幅に削減することは難しいとし、本土が負担を引き受けるしか選択肢はないとする。また自衛隊が役割分担をすることもいち方策とする。

東京ですぐ読める全国紙、ブロック紙、計6種の社説はざっとこんなところだ。
今後の沖縄について、現実的な提言を行っているのは「日経、読売、産経」だろう。政府の施策の追認だとも読めるが、現実に「選択肢は限られている」(毎日)中で、振興策と基地負担をセットで沖縄に「提示」するしかないということだ。簡単に言ってしまえば。もちろんそれで言いとは思えないので各紙ともエクスキューズを付けている。それは沖縄の自立だ。一括交付金という使い道の自由なお金を政府があげたのだから自ら考えてください、と。

朝日、東京の主張は、あいかわらず「ご都合主義」に読める。本土の人々が等しくもっと負担を分かつべきだと、苛立ってみせるが、朝日、東京新聞自身も本土の新聞として当事者ではないのか。この2紙の言い方には「私たち、いつも沖縄苦しみを考えてきていましたヨ」と言う、ある種いやらしさが、どうしても付きまとう。本土が負担と言っても、それもいかに大変なことかは、この新聞社でもわかっているはずだ。震災被災地のがえれきひとつ受けれるのに大騒ぎする「本土人」が、基地受け入れ負担をどう「等しく」受け入れることができるのか。理想論というか空論を掲げるだけに過ぎないだろう。

朝日の「めざせ、環境先進地」は、この日の社説としてはちょっと毛色が変わっていて目立った。環境にひとつの可能性を見出すことは、具体的な提言であろう。しかしここにも触れられていない課題が隠されている。EV自動車など「環境にやさしい」電気は、実は原子力発電とセットだということだ。化石燃料を燃やして電気を作ってもエネルギー効率から考えたらあまり割に合わない。これにはもちろん反論もあろうがここではこれ以上触れない。

朝日など「革新」側の論調でいつも気になるのは、一見よさそうな施策を提言していながら、実は課題や反作用に触れないことだ。「理想論のまやかし」とでも言うのだろうか、リアリズムなき計画で読者を惑わしているとしか思えないこともしばしばだ。

毎日の主張には、すこし「おやっ」と思った。朝日、東京に近いお考えの新聞だが沖縄米軍の抑止力の重要性は認めている。もちろん現状で言いとは言っていなが。それにしても「差別」という言葉をあまりに安易に使ってはいないか。確かに仲井間知事が米軍基地負担を差別と呼んだが、それを受けて、サンフランシスコ講和条約や本土復帰まで「差別」のひとつとするのはいささか違和感を覚えた。安易にすぎる言葉のこじつけだ。沖縄がその時々で犠牲になり、あるいは捨て石にされてきたことは確かだし。そのことは読売、産経、日経も認めている。

差別という言葉は、私はもっと「重い」言葉だと思う。ある人間、または行政や政府や企業などある種の「主体」が、他を不当に区別して忌み嫌う、避けることである。地政学的に「運命づけられた」ことを「差別」のひと言で片付けるのはどうか。もちろん運命だったから「仕方なかった」などと言う気は毛頭ない。思考の出発点として、「差別された沖縄」という発想が、はたしていいのかどうかを問いたい。毎日新聞には。


2012年5月14日月曜日

東京 プール難民はどこへ(その2)。「横浜国際プール」探訪記

東京体育館の1年間休止に伴う、50mプール難民のための探訪記。その2である。
5月12日(土)に横浜国際プールへ行った。
http://www.waterarena.jp/

HPによると、ここは設置母体が横浜市体育協会で、実質運営はコナミスポーツクラブが行っている。
実際、受け付けその他の場所で職員はおなじみのコナミのポロシャツを着ていた。
横浜国際プールはメインプールとサブがあるが、メインは冬場はやっていない。4月下旬にオープンである。しかし、50mプール愛国者、じゃなかった愛好者にとって不運は重なる。サブプールは天井の改修とかで半年間、こちらもお休みだ。

メインプールは10コース。そのうち2コースは団体利用(スクールのようだった)。2コースはウォーキングと子ども用の自由遊泳になっていた。従って、コースとして泳げるのは計6コース。このうち2コースは一方通行。残りの4コースがUターン泳ぎだ。2コースづつ「ゆっくりコース」と「速いコース」(正確な表記は失念した)と表示されていた。

プールも場所が変わればルールも変わるのか。Uターンコースでゆっくり泳いでいると追い越していく人がいる。特に注意もされてないようなので、これがルールらしい。ちょっと????だった。

水深にも驚いた。腰くらい、90㎝くらいに設定されている。クロールで手を真下にかくとくっつく程だ。
なぜかと、いぶかりながら泳いでいて分かった。子どもがいるからだ。プールの水深は左右半分づつは変えられるが、コースごとには変えられない。だから全体が浅くなっている。トホホ。泳ぐ実行上は問題ないのかもしれないが、ちょっと物足りない気がする。浅いプールは。

○立地
港北ニュータウンにある。横浜市営地下鉄の上山田駅から徒歩。都内からだと少し不便だ。拙宅からだと、池上線、大井町線、東横線、横浜市営地下鉄と4路線に乗らなければならない。で、車で行った。そうしたら意外にも10㌔ほどで近かった。中原街道をずっと進み、多少渋滞もあったが30分で到着。

○営業時間
土日は午前7時30分から営業している。これはウレシイ。今回は、7時40分過ぎについた。50分ごろプールサイドに行くと、すでに50人ほど人がいた。出てくる9時すぎには150人くらいになっていた。

○ロッカー
ロッカー
フローリングがきれいで、清潔感がある。しかしロッカーはほとんどが3段の小さなもの。プールサイド近くにひと島だけ、50個ほどが2段ロッカーになっていた。
洗面所にドライアーは2つだけ。それも古いタイプだ。ほかにシャワー近くに固定式のドライヤーマシンが3台あった。

○小物入れ
気の効いたサービスとしては、小物を入れるミニカゴが置いてあること。みなそれにシャンプーやタオルを入れてプールサイドに持っていく。
洗面所にドライヤーは2台のみ
○シャワー
温水、シャンプーも使用OKだ。シャワーの位置が変えられるし物置きもあるので使い勝手はよい。風呂はない。
○駐車場
けっこう広く、余裕がある。不便な場所(都心などからはという意味です。)なので車使用はしやすい。2時間300円。

○エントランス
広くて、ベンチもある。自動販売機も充実。まだ営業していなかったが、レストランも併設(11:00~)。ミズノ製品を扱うテナントも入っていた。ゴーグルを忘れていってもすぐ買える。レジに綿棒が置いてあり。自由に使える。(ちょうどよかった)

小物入れのミニかご
○まとめ
サブプールが稼働していないので普段のシーズンの状況は分からないが、少なくとも現状では、子どもや中高生が多い。それでも清潔な50mプールは総じて気持ちよい。2.4㌔、1時間とすこしかかって泳いだ。公認プールだけに大会も多い。スケジュールを見ると結構埋まっている。それでも泳ぐ価値はあるプールではある。


駐車場は広いし、プール受付からも近い
改修中のサブプール





2012年5月7日月曜日

規制緩和の「罪とバス(罰)」 起こるべくして起こったツアーバス事故

関越道のツアーバス事故(netより引用)
クルマの運転は、常に事故と紙一重だということは、運転をする者は誰でも知っているだろう。

たとえヒヤっとした経験がなくても、もしハンドルを握る手が滑って方向が狂ってしまったらどうなるか。もし走行中にくしゃみが出て、その一瞬目をつむる間に前に人が飛び出したらどうなるか。考えだしたらきりがない。それは睡眠不足だとか、体調が不良だとかあまりカンケイがない。万全の体調でも人間の行うことだから、いくばくかの確率で起こりうることなのだ。ただ、それがこれまで“自分”に起こっていないだけだ。
もちろん慎重な運転をしていれば、事故の確率は格段に下がるだろう。しかしゼロではない。自己責任で、自らのクルマを運転することと、おカネをとって人様を運ぶのは別のものであり、それだけより安全が求められるのは言うまでもない。だから法律もある。
より安全を求めるけれども、運転というひとりの人間のする行為である限り、事故の確率は下がってもゼロにはならない。その意味では関越自動車道で乗客7人が死亡したツアーバスの自損事故は、俗人的な問題でもある。

運行会社の安全管理の問題はどうか。どんな問題があったかはいずれ明らかになるだろうが、お上(国土交通省)が、様々な安全対策の指針を作ったとしても、(もちろんないよりはいいかもしれない)ツアーバスの運行そのものがこれだけ甘く規制緩和されていれば、守らない業者が出てくるのはいわば必然である。「規制緩和」の「結果」、ツアーバスの事故の確率が上がったことだけは確かだろう。
中国の慣用句に「上に政策あれば、下に対策あり」というのがある。お上がいろいろ規則を作っても、下はその抜け道や方策を考えるというものだ。今後、安全運行のためにお上が様々な「規則」(指針)を作るだろうし、法律改正も目指すかもしれない。しかし守らない業者は必ず出てくる。
それは、様々な事象に私たちが経験的に知っていることだ。過度の競争に参入した(せざるを得ない)業者は、そうなることが構造化されているからだ。
規制緩和がイケナイだとか、バスの運行会社に問題があったとか、なかったとか、下請け構造に問題があるとか指摘したいのではない。
言いたいことはひとつ。クルマの運転は、非常にパーソナルな行為であり、フェイルセーフ【fail safe】が効かないということだ。交代の運転手を補うことはできても、2人では運転しない。ドライバーが突然トラブルに見舞われ、運転に支障をきたしたらそれで終わりである、ということである。

2人で操縦する(できる?)、旅客ジェット機にはフェイルセーフが効いている。新幹線など鉄道にも「自動列車制御装置」がある。原子力発電だって必ずフェイルセーフがあり、はるかに安全に「配慮」されている。しかし自動車には、ない。(アイサイトなど様々な技術が出てきてはいるが、まだ通常装置にはなっていない)

車の運転というのは、そういうもの。実は非常に危険な行為なのである。それも紙一重の危険だ。

バス事故に話しを戻す。事故をなくすにはどうしたらいいか。事故の確率を下げるために、ツアーバスの規制を元に戻せばいいのかというと、そう簡単な話ではないように思う。すでに緩和された規制は、そこに群がった業者や人々がすでにいる。ハシゴをはずすような行為はフェアーではない。しかもそこに需要がある。率直に言って難しい問題だ。


確率の問題として、ツアーバス事故がどの程度危険なのか。ちょっと計算するとおもしろいことが分かる。

ニュースによると、ツアーバスの利用者は年間600万人だ。今回の事故で亡くなったのは7人。単純に言うと、85万7千人に1人の割合で事故で死亡するということだ。人口で言うと高知県で一人ということになる。
一方、交通事故の年間死亡者数は、ここのところ減少傾向で、一昨年は約4,800人。日本の人口はおよそ1億2,800万人だから、交通事故で死ぬ割合は、大雑把に言うと2万7,000人にひとりということになる。
○85万人にひとり(0.000117%) と ○2万7,000人にひとり(0.0038%) 
こうして見ると、バスツアーで死ぬ確率は、交通事故で死ぬ確率に比してはるかに低いことが事実として浮かびあがる。(他にツアーバスで死亡事故が起きているかもしれないが、それはわからない)
つまり、ツアーバスに乗るより、歩道やガードレールのない通学路を行く小学生の方がはるかに、危険だということだ。(もっとも 0.000117%と0.0038%に統計的にどれだけ優位差があるかどうかは疑問だが。どちらも無視できる確率だろうから。)

結局リスクをどう見て、選択するかという問題だ。原発のリスクについては別項で考えをまとめたい。
ところで規制緩和の旗振り役は誰だったか。
このことは思い出しておく必要があろう。悲劇の根源はこういうところにあるのだから。

学者では、八代尚宏(元ICU教授)、財界では宮内義彦(オリックス会長)だろう。


八代尚宏(netより引用)

ほとんど宗教がかった信念で、「自由放任主義」を唱える八代は置くとして、宮内は、自分の会社の利益ために規制緩和を最大限に利用した諸悪の根源だ。



宮内義彦(netより引用)


規制緩和がなんでも悪い訳ではない。過度の規制が経済活動の活性化を阻害しているものもある。が、宮内の旗振りで、反作用・デメリットを十分検討することなくなされたものは多い。労働者派遣法なんかもその代表例だろう。


2012年4月23日月曜日

社会運動家「湯浅誠さん」を支持し、いち市民として支えたい。

もっぱら「攻撃」が得意だったり、そういう役割だったりする人が、いったん防御に回ると、意外にもろかったりすることがある。
一番それを感じたのは、大相撲を見ている時だった。(あまり見ないけど)
回転のいい突っ張りで相手を土俵際まで攻めたてるも、いなされ脇から攻められると、もろい。
確か、「富士桜」という力士がいて、そう思ったものだ。

市民運動家や社会運動家と言われる人々の中で、もっぱら行政や“社会のありかた”を方を批判して、非妥協的に運動している人もそういう傾向がある(のではないか。)
つまり、自分たちは「正しいことをやっている」「批判されるようなことはない」という思いが強いが故に、批判されることに慣れていない。また批判を受け止めて糧とする習慣がない。彼らにできるのは批判した者に対して批判し返すことだけだ。

湯浅誠さんのブログに掲載された、「内閣府参与辞任のご報告」が、3月の新聞各紙の論壇時評で取り上げられていた。
http://yuasamakoto.blogspot.jp/2012/03/blog-post_07.html
長文のこの文章は、「読むに値する」まっとうで有益な文章だ。
○社会運動が批判だけして、社会が変わらないのは「誰かのせい」と言いつのっているだけではなにも変わらない。調整(≒妥協 と言ってもいい)を経て、実をとることの大切さ。
○官庁の役人は真摯に調整を行い物事を決めているのに、マスコミや「市民運動」側は、出てきた結果だけを見て、批判すること。
○予算を獲得することの大変さ。
○ヒト・モノの「ムダを削れ」という政府への「要求」はかえって、社会運動にかえって悪影響を及ぼしていること。
○行政の縦割りを批判するが、社会運動、市民運動の方にも縦割りの弊害が大きいこと。
等々(順不同)
ちょっと乱暴に書いたが、だいたいこういう主旨だ。湯浅さんは社会運動家として、政府の一員になって初めて分かったこと、学んだことを率直に記している。後段は、自己批判(反省)も含めて既存の社会運動への批判である。
この文章に対して、市民運動家などから「批判」が出ているという。どういう批判なのか具体的には知らないが、だいたい想像はつく。
フツーの市民運動家は、冒頭書いたように「批判に弱い」。だから批判し返すことでなんとか面目を保とうとする。湯浅さんの行動、考えを批判するのなら、それではどんな「社会運動」が、効果のある実質的な運動なのか、代替の「思想」を示すべきだろう。
「市民運動家」への違和感。「気持ちはわかるけど・・・」といった思いは、多くの人が感じていることではないか。その違和感を湯浅さんは、論理的に的確に指摘したにすぎない。しごくまっとうな言説だ。
社会運動に直接関わらない(関わったことのない)私にとってできることは、湯浅さんを支持し、市民として支えることしかない。
永江朗さんの「新・批評の事情」で湯浅誠さんが取り上げられている。永江さんは、湯浅さんをオバマ大統領になぞらえて、彼の政治家としての高い資質を指摘している。オバマ氏は弁護士として社会活動を経験し政治に移行していった人である事実を踏まえて。



同様の趣旨は、「世界」3月号で「社会運動の立ち位置」という小論でも述べられているが、こちらはもっぱら自分の経験と反省、テーマを絞って述べられてい、社会運動体への批判はない。
湯浅さんほどの“書き手”で知名度もある人なら、自らのブログに載せた一文を出版社が雑誌掲載してくれるだろうに(そうすれば原稿料も入る)。しかしそうしないところが、この人の誠実さなのだろう。加えて、社会運動家が社会運動家を批判するのは、なかなか勇気のいることかもしれない。

ブログで湯浅さんは、もうひとつ重要なことを指定していた。世の中「劇的」に変えることなどできない。調整を経て地道にやっていくしかないことを強調。橋下大阪市長の手法を批判し、それに雷同する民意に危険な臭いを感じていた。同感である。


2012年4月19日 朝日新聞より「引用」


朝日新聞の「耕論」で、湯浅さんは、内閣府参与の辞任についてなどインタビューに答えている。
朝日のこの欄は、質問がいつもちょっと意地悪だ。今回も、湯浅さんの服装が変わったことを指摘して、「政府側にたつと違うのね」と言いたげな質問をぶつけていた。
こういうところが朝日のキライなところだ。

2012年4月20日金曜日

「猿の惑星」と「夢の島1丁目1番地」と「サザエさん」

「猿の惑星」(1968年)より引用
「猿の惑星」という映画のラストシーンで、自然の海岸線を行くと、ふいに砂の中から「自由の女神」の頭が見えてくる。主人公は、ここが“かつてニューヨークだった”ことを悟り、頭を抱える。というシーンがあったように記憶する。
新木場駅から辰巳の方向にトラックの行き交う国道を歩いて見つけた看板は、私にとって「猿の惑星」の「自由の女神」だったのかもしれない。
看板には「江東区夢の島1丁目1」と記されていた。

「夢の島」。
東京で小学校時代を過ごした中年以上の人にとって、「夢の島」とは、率直に言って「ゴミ」の代名詞なのではないだろうか。教科書だったのか、あるいは副読本だったか記憶にはないが、東京のゴミ問題として、ゴミの埋立地としての「夢の島」を習った。悪臭とハエやカラス、風が吹くとほこりの舞いあがるタイヘンな所というのが、脳裏にある「映像」だ。
そして朝日新聞の「サザエさん」を“読んで”いた私にとって結構鮮明に覚えている漫画がある。
①デパートの(高級)食堂で、優雅に座る和服姿のひとりの婦人
②混んできたのか、もう一人の品のいいご婦人が合い席を願でて快く承諾する。
③世間話しから、「どちらかですか?」という会話が交わされる。
④オチ。ふたりとも着物の袖をまくって、「杉並区としては・・・」、「いいえ、江東区では・・」と興奮して言いあっている。
というストーリーである。
70年代の「夢の島」(東京都のサイトより)
当時「東京ゴミ戦争」と言われた。ウィキペディアの情報をかいつまで記すと、高度成長時代、増え続ける東京都のゴミは処分に困り、江戸時代から最終処分場だった江東区の「夢の島」に捨てられていたが、そこも満杯になり美濃部知事がすべての区に焼却場を作ることを宣言。しかし杉並区では建設予定地の高井戸で反対運動が起き、焼却場の建設がとん挫した。一方江東区も「夢の島」(14号埋立地)が満杯になるも、都が“約束”を守らないため、苛立ち、「新夢の島」(15号埋立地)でのゴミ受け入れを拒否するなど反対運動が起き、東京のゴミ処分はどうにもならなくなる。ということのようだった。
それが、サザエさんの漫画で描かれた構図でもある。
でも東京ゴミ戦争は、東京の城南地区で小中学生時代をすごした私にとって、「どこか別の地域の話し」という感覚だったと思う。地域にはまだ下水道はなく、糞尿を処理するバキュームカーが来たし、親が「クズ屋さん」と呼んでいた、今でいう資源ゴミ(鉄くずや木切れなど)を持っていく業者もいた。また新聞のちり紙交換の車が住宅地を走り始めたのもこのころだったかもしれない。
日常生活の中で、そうしたゴミは「誰かがどこかに持っていってくれるもの」であり、その先の想像力はなかった。サザエさんの漫画もベトナム戦争や学生デモと同じように「他人事」だったのだろう。
氷雨の中でトラックの水しぶきをよけながら歩いていて見つけた、「江東区夢の島1丁目1」の看板は、そんな自分の過去を喚起させた。
1970年からすでに40年以上。「夢の島」問題は、もはや歴史となった昔の話しなのだろうか。確かにここは公園になり、また事業所も立ち並び、そして埋立地の先にはつい最近新しい橋もかかり「発展の一途」をたどっているかもしれないし、江東区を「ゴミの区」と思う人よりも、お台場や高層マンションの所という印象を持つ人の方が多いかもしれない。しかし東京のゴミ問題は相変わらず続いているし、それは単なる「処理」の問題というより、地域社会の問題としてクローズアップされている。
市長の辞任にまで発展した小金井市と近隣市との処分場をめぐるトラブル、被災地のがれきの受け入れ等々、ゴミ処理場という「迷惑施設」の問題は、永遠のテーマなのかもしれない。

夢の島から辰巳へが運河を渡る
左奥が「辰巳国際水泳場」だ。



2012年4月18日水曜日

東京 プール難民はどこへ。「辰巳国際水泳場探検記」

東京体育館の一般公開プールが、改装のため4月1日より1年間休止になった。日頃よりここの50mプールを利用していた者としては、行き場がなくなってしまった。
ここ3年ばかりは、ほぼ毎週、土曜日の午前9時には体育館の入口に立ち、一番に泳ぐのが習慣になっていた。同様の人々は大勢いる。毎週通っていると見覚えた顔が何人もいる。多くの人々が「健康」を求めて通ってくる。
いいことではないか。運動してスリムな身体を保ち健康に暮らすことは、膨れ上がる医療費を抑え社会に貢献することである。行政は、そういう人を増やすための投資をもっとすべきだし、そうすることによって結果的に行政の費用は軽減される。それが健康増進法の趣旨でもあろう。
http://www.kenkounippon21.gr.jp/kenkounippon21/law/index_1.html

冒頭から話がそれた。
閉鎖された東京体育館のプールによって、おそらく何千か万単位の人々が難民化した、と思う。
何しろ公共施設の50mプールで、個人利用ができるところは、非常に限られているのだから。
プール難民となった彼ら(私ら)はどこを漂流しているのだろうか。困ったことになった。

で、先日まで、水泳日本選手権が行われていた、江東区辰巳の国際水泳場に高い電車賃を使っていってみた。
http://www.tatsumi-swim.net/

以下はその“体験記”である。

辰巳国際水泳場(webより引用)
ここは非常にアクセスが悪い。山手線の大崎を経由して、りんかい線に乗り新木場下車。そこから徒歩で約12分。4月14日は結構な氷雨が降る日だった。

新木場駅はJR京葉線や地下鉄有楽町線も乗り入れているが、駅前はいくつかの事業所のビルが目立つくらいで、3線乗り入れの駅のターミナル駅という感じはしない。単なる「換え駅」的だ。

運河の水門

駅前広場から明治通りを行く。京葉線とりんかい線の高架をくぐり、トラック一杯の湾岸道路を渡り、そして首都高湾岸線をくぐって、国道357の道沿いを行く。この道もトラックばかの、いわゆる産業道路だ。番地の看板があった。「江東区夢の島1丁目1」。
ここは夢の島だったんだ。(これについては別項で記す。)
運河を渡り、ほどなく辰巳の水泳場に着く。

◆建物はシャレたデザインだが、中はちょっと古い。

web siteを見ると、「スイマーの聖地」という銘打ってある。
受付案内の女性は非常に親切で、「大人600円で、1日中いられます」と、自動券売機まで導いてくれた。

ロッカーは極めて小さい
○更衣室:ロッカーは小さい。とてもサラリーマンが会社帰りに寄って背広を入れられるほどの大きさはない。スポーツクラブのロッカー室を期待していくと、がっかりするだけでなく、荷物の置き場に困ってしまうだろう。これでは夏、短パンにTシャツで来るくらいにしか対応できない。


○洗面所:かろうじてドライアーは2台置いてあった。ホッ

○シャワー室:もちろん風呂はない。シャワーはしきいがありお湯も出るからなんとか使える。石鹸の使用も不可とはなっていなかった。

洗面所にはドライヤー2つだけ
○プール: 更衣室から、通路(右にトイレ、左にシャワー室)を抜けると、そこがメインプールだ。階段を数段あがりプールサイドにでる。日本代表の選手たちも、ここ通って「決戦場」に行ったのだろうか。
初めて見る、公認プール。節電のためか照明は薄暗く、室内温度もちょっと寒い。朝9時。メインプールは閑散としていた。つい先日までNHKで中継し、熱狂していた競技が行われていたのかと、ちょっと落差を感じた。
それでも、このプールで泳ぐのは、少しワクワクする。「ゆっくりコース」という看板の出ている第4コースを泳いだ。
確か北島は100m平泳ぎの決勝で泳いだコースだ。片側は水深を浅くしてあるが、もう一方は2mになっていて気持ちいい。何より透明度があり、水に顔をつけると50m先のサイドが見えるのだ。


メインプールに並んであるダイビングプールでは、何やら飛び込みの大会をやっていた。あとでネットで見たら、なんと「日本水泳選手権」がまだ続いていたのだった。飛び込み部門として。

関係者しかいないような感じで、ちょっとさびしかった。


この日は9:00~11:00がメインプール7コースが公開。11:00以降は貸切使用が更に入り、一般公開は3コースのみになる。その情報はサイトからは分からない。
すぐ隣にあるサブプール(5コースくらいあったかな)は、半分を貸切で中高生くらいの団体が使用していた。2コースはたぶん一般公開していたと思う。


◆結論「辰巳国際水泳場」

ここは①競技会、②団体利用、③個人利用 という優先順位がついている。もちろん競技会で使用しない一般公開では、個人利用も担保はされているが、メインでは3コースだけの時もあるようだ。

更衣室などの設備からして、スポーツクラブ的な使用は期待できない。よっぽど50mプールで泳ぎたいという欲望があるのでなければ、近くにプールがあるのなら、わざわざ行く程ではないかもしれない。

さて、1年間待たされる東京体育館のプール。改装によって「公認プール」になるのだろうか。そうなると、競技会で使用することも増え、一般公開が減るのではないかと「危惧」している。市民スポーツの場が狭められることがないことを望む。プール難民になった人々も同じ思いなのではないかな。
ちなみに、すでに数年前から団体利用と水泳教室のみとなった代々木競技場のサブプール(50m×6コースだったと思う)と辰巳は、運営の指定管理者が、東京都水泳協会、セントラルスポーツ、オーエンスになっている。サイトからは運営母体が国なのか都なのか分からなかった。

国立代々木競技場のサブプールの運営は、独立行政法人日本スポーツ振興センターが行っている。

※その他の50mプール
世田谷区民プールも都内では数少ない50mだが、更衣室やシャワー室の狭さ、石鹸の使用不可、コース設定が泳ぎ中心ではなく(2コースのみだ)、ちょっと使いにくい。

プール難民はどこへ行く。

2012年4月9日月曜日

北島康介は、自分自身の年齢との闘いに勝った。賞賛に値する。

21歳の田口選手(webより引用)
1972年、ミュンヘン五輪の男子平泳ぎ100mで、田口信教さんが世界新で優勝した時の記録は、1分5秒1だった。北島康介がアテネ五輪で優勝した時のタイムは、1分00秒08、北京五輪での金メダルのタイムは58秒91である。そして2012日本選手権での日本新記録は58秒90だった。40年で実に6秒以上も記録が縮まっている。わずが100mにもかかわらず。

もちろん水着の進化、プールの深化(深い方が早いらしい)、身体の科学の進化など様々な要因があろうが、それにしても同じ人間がハダカで行う競技で、時速約6㎞、秒速約0.8mなので、100mで5メートル近くも早くなったということだ。今なら田口さんの記録では、日本選手権の決勝にようやく残れるくらではないか。
前置きが長くなったが、北島康介は文句なくすごいとい思う。どの新聞も賛美を惜しまなかった。実は私は北島はあまり好きではなかった。いかにも現代っ子のような「軽いノリの言葉」が好きになれなかったからだ。しかし29歳という水泳選手ではすでにピークを過ぎたと思われる年齢にもかかわらず、すごい結果を残したことは素直に賞賛したい。
◆北島康介の100m平泳ぎの記録
○2000年シドニー五輪  1分1秒34…4位
○2004年アテネ五輪   1分0秒08…金
○2008年北京五輪     58秒91……金(※speedの高速水着を着用)
○2012年日本選手権    58秒90
北京五輪でのspeed社の高速水着はその後禁止になった。実際どの程度の効果があるのか私にはわからないが、五輪ではどの国の選手もこぞって着用したのだから、やはり効果があるのだろう。その時の25歳の時の記録を上回る記録を高速水着なして29歳で出したことは驚愕に値する。
レースを終わってNHK番組の中継のインタビューに答える北島選手の体は、私の印象では、胸の筋肉が北京五輪の時より明らかに盛り上がっていたように思う。翌日の朝日新聞の記事では、「パワーが付く練習を重ねたが、腕のかきが強くなったことで呼吸の時に体が立ち気味になってブレーキになっていた。」「体はパワフルなまま、課題を克服した。」と記されていた。
日本選手権での北島(スポニチより引用)
年齢からくるスタミナの問題を筋肉を付けることでカバーし、そのデメリットは工夫で克服していった。彼はレースに勝ったのではなく、自分自身の年齢との闘いに勝ったのだと思う。それは決してたやすいことではない。だってアテネや北京の時だって十分に筋肉を付けて望んでいるのだから、それを上回るパワーを付けるのは相当な付加をかけなければ筋肉は発達しない。
(ちなみに水泳をしていると分かるが、かきで鍛えられるのは腕の筋肉ではなく、胸の筋肉だ。二の腕にはちっとも筋肉は付かない)

一昨年のNHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で、北島が手のかきをいろいろ工夫する様子が描かれていた。その時は何気なく見ていたが、今考えると繊細な工夫と進化なくして記録は伸びないということだったのだ。(2010年11月22日のbrog参照)
彼が年齢に勝った理由は何か。それは的確に他人のアドバイスを聞き入れ、それを鵜呑みにするのではなく、自分の実績に裏打ちされた経験と照らし合わせて、考えながら取り入れていったことだろう。その謙虚さが彼を成長させた。
別の項目で書いた、マラソンの市民ランナー川内が「自己流」を押し通した(と、思われる)、こととは正反対だろう。(2012年2月27日brog)
話しは飛ぶが将棋の米長邦雄(現・将棋連盟理事長)が、かつて50歳で名人位を獲得した時、台頭してくる羽生世代の将棋を徹底的に学ぶことで技量を磨いてタイトルを得たことを思い出した。
50を越した自分にとって、若手に学ぶことの謙虚さを忘れてはならないだろう。

◎余話

2010年6月の田口信教さん
(アサヒコムより引用)
冒頭で触れた、田口信教さん。googleの画像検索で「引用」する画像を探していたら、アサヒコムに
新人教師に指導する田口さんとしてこの写真が載っていた。金メダルを獲得した往年の身体からは、見る影もない中年太り。
これは、当時あなたの活躍で興奮した私たちにとって、ちょっと残念な姿ですよ。今からでも遅くはありません。60代なら60代での引き締まった身体を見せてください。田口さんお願いします。


2012年4月4日水曜日

消費税増税 東京新聞の幼稚な“主張”

消費税増税法案について、政府・民主党が閣議決定した翌日、新聞各紙は社説で論を張った。政府の取り組みの評価への濃淡はあるものの、どの紙も消費税の必要性を認め、法案の成立を望んだ論調だった。ただし東京新聞を除いて。

4月1日東京新聞 社説
東京新聞の社説。
▽消費税には所得の低い人に重い、逆進性がある
▽所得の再分配を考えると、累進構造を備えた所得税、法人税の方が望ましい。
▽消費税は地方税でいい
▽ちゃぶ台返しの議論をしろ
概ね、そうい主張だ。

実態経済を斟酌できない幼稚な発想に驚かされる。
社説氏は、欧州の高い間接税の税率はオカシイと言うのだろうか。また日本の現行の国税主体の5%もダメだというのだろうか。
こも社説は、所得の再分配、所得税や法人税の累進課税など、中学生でもわかる基本知識に沿って単純な論理を展開している。
すべての人の所得が正確に把握で、また法人税を高くしても産業界が海外に逃げることなく、日本で律儀に税金を払い続け、しかも企業が存続できるという前提ならば、東京新聞の主張も「納得」できるだろう。
しかし、実際には所得は正確には把握されず、法人税は各国で「引き下げ合戦」が行われている。
だからこそ、出口で課税する消費税が検討されているのは、自明のことではないか。
間接税にもいろいろ欠陥があろう。だからこそ、低所得者対策をどうするか検討されている。そうした議論も含めて、消費税の増税が検討されてきた。
ここに来て、「ちゃぶ台をひっくり返した議論を」という主張をするのは自由だが、社会の公器としての新聞の主張としては、幼稚としか言いようがない。社説氏の知識・教養の程度が知れる。
もちろん、社説の前半でご主張なさっている、社会保障の一体改革が進んでいないことは確かだし、そのことを指摘するのは、いわば当たり前のことだろう。
東京新聞の論理は、隣の家が火事になり周囲の家が、ウチにも燃え移らないか必至に消化して回っているのに、ウチはまだ家の中の掃除と整理が住んでない。まずそれが先決だといって悠然と、掃除の仕方を家族で喧々諤々話し合っているようなものだろう。あきれるばかりである。
こういう新聞が、目先のことしか考えられない大衆を、結果的に「扇動」して、改革の好機をつぶしていくのだろう。
「消費税を地方税にして地域サービスの選択を住民に委ねる」という主張は、一見もっともらしい“名案”に見える。しかしこれも、はたして名案だろうか。「消費はどこでも生じるので、都会と比べた地方の偏りが少ない」と言う。東京新聞さんの主な配達先である首都圏都市部や中京圏を考えるなら、確かにそうだろう。しかし田舎に行けば、どこも市町村にも「消費活動をする施設」がある訳ではない。過疎地域では消費すら行われていない実態をどう見るのか。これももっと実態研究や議論が必要なテーマだろが、それをひと言で片付けて主張するのも非常に幼稚だ。
東京新聞は「岳人」という登山の雑誌を出していることもあり、また共同通信配信の主に海外の記事も読めるので、一時他紙と併読していた。しかし1年でやめた。日々読むごとに、この新聞社の底の浅さにあきれたからだ。
深夜、テレビを見ていたら、東京新聞のCMを流していた。
キャッチコピーは「10日読めば、(その良さが)分かります」。
確かに分かる。10日も読まなくとも、幼稚な主張の新聞だということが。