親しい肉親を亡くした当事者たちにとっては忘れがたい日であり、慰霊を続けることに大きな意味があるのは、もちろん理解する。先のアジア太平洋戦争を知る当事者の方々もまだ多く存命だ。6日、9日、15日に祈ることは当然であり、その気持ちを否定する気はもちろんない。また原因を作った当事者(国家)が、犠牲になった方々の慰霊を支えることも、もちろん当然のことだ。
慰霊の気持ちを否定する人はいない(特殊な人々を除いて)だろうし、その意味では「正しいこと」が毎年行われている。だから首相を始め多くの権力者も出席して式典が行われる。そうした基本的認識を持った上でなお、この「正しい」に違和感を持つことは、“異常”なのだろうか。
NETより引用 |
人の気持ちはそれぞれで一概には言えない。自身を振り返ってみると自分が小学6年生12歳の時は1970年。その72年前というと1898年だ。明治31年だ。
日清戦争が1894年、日露戦争が1904年だからその間ということになる。この時代を小学校6年生が「原体験をして共有せよ」と言われても正直難しいところがある。もっと言えば、まだ存命だった祖父母から「日清・日露の戦いは・・・」なんて原体験としては聞いたことがなかった。アジア太平洋戦争の終結から25年しかたってないその戦争の話を聞くのが精いっぱいのことだった。
時代の、いわゆるスピードが違うということもあるだろうし、小熊英二氏が確か6月のアサヒの論壇で指摘していたとおり、いまだに戦後○年とういう表現が使われる背景は戦後は新たな国家が作られたという認識が国民に多く共有されているからかもしれない。
そういう背景的要因はもちろん認識するけど、それでも12、3歳の小学生に原体験として72年前のことを共有するようにも求めることには違和感を持ってしまう。おそらく大人が書いたであろう「平和宣言」を読み上げる姿を見て考えた正直な気持ちだ。
当事者の方々は小学生に原爆投下の原体験を共有しろと言っているのではないかもしれない。単に、この出来事をきっかけとして「核なき世界」「平和の尊さ」を学んでほしいから行っている演出だというかもしれない。
古市憲寿氏が以前、書いていた「平和の記憶から始めればいい」という主張は、私は正しい主張だと思う。
当事者の方々の「悲惨は状況を忘れないでほしい」という気持ちは、失礼を承知で言えば、ある種の「承認要求」だろう。もちろんその気持ちは大切だし、平和を構築することを考えることは重要だ。でも出来事はいつかは「歴史」になる。歴史を正しく認識するという方法で平和、核兵器、等々を学ぶことは許されないのだろうか。原体験として語られることを引き継ぐことでしか平和は考えられないのだろうか。
国連事務次長 中満泉氏 |
今年の広島、長崎の式典には「核兵器禁止条約」の批准に奔走した中満泉国連事務次長も出席していた。それはそれで非常に今日的意味のあることであり、そうした動きを否定するものでは決してない。
中満氏がかつて言っていたように思うけど「祈る平和もあるけど、積極的に動く平和もある」というような趣旨(間違っていたらすみません)と発言していた。彼女はそれを身を持って動いて実現した人なのだろう。非常に大きなことだと思う。だからと言って祈る平和を否定する訳ではない。もちろん。
だからこそ例年、メディアが祈る平和を大きくとりあげることに、なおさら違和感を持ってしまうのだ。原体験という呪縛からそろそろ脱してもいいのではないか。歴史として戦争、原爆投下を認識し、そして積極的平和主義に動いていく。そのことの方が大切だ。小学生に「祈る平和」を宣言させることの違和感とはそういうことなのかもしれない。ここまで書いて、やっと自分の気持ちに整理がついた。
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